ゆったりと生きたい

私も若くないし~~~
しんどい時もあるけどゆっくり生きようと思う。
日記代わりのブログです。

モスクワ ②

2013-06-16 | その他

モスクワ

ウラジーミルから約200km バスに揺られてモスクワに戻ってきました。すでに夜の8時を過ぎていますが、空の明るいこと。

赤の広場  赤は美しいと言う意味だそうです。正面の建物、国立歴史博物館やクレムリンの城壁の赤い色を見るとどうしても赤の色を想像しますよね。

 

グム百貨店

中をちょっと見学しました。果物など売っている店がありましたので値段を見ましたら・・・・なんとレモンが日本円で500円から600円につきます。他の物はちょっと比較しにくかったので判りませんが、モスクワって物価がずいぶん高く感じます。ペレストロイカの時代にはグム百貨店の商品は空っぽになっていましたね。テレビのニュースでロシアの内情を知って驚いたのはつい最近の事のように記憶していますが、時代は変わりました。13年前にここを訪問した友人は、ロシアは確実に近代化に向かい進んでいると言っていました。現在は商品が溢れています。高級品がたくさん並んでいるのに驚きます。

赤の広場から見るソ連の建国者レーニンが眠る、レーニン廟。レーニンの奥様は反対したそうですが、彼の崇拝者たちにより、防腐処理をされて眠っているそうです。彼は、権力を持ち始めたスターリンを警戒しながら世を去りました。そして赤いクレムリンの城壁。明日はその中に入場する予定です。

 

    

聖ワシリー教会

カラフルな感じは雰囲気が違います。それでもロシア正教の丸い玉ねぎ型の屋根は同じですネ。ロシアはかつてモンゴルに支配されていた時期がありましたが、イワン4世がモンゴルのカザン・ハン国の首都カザンを陥落させた記念にこの聖堂を建立したそうです。

 

後にイワン4世が崇拝していた聖人ワシリーにちなんで、聖ワシリー聖堂と呼ばれるようになりました。

ヨーロッパは戦争の歴史です。領地を奪ったり奪われたり、支配したり支配されたり・・・・・イワン4世が亡くなった後、貴族間の争いが絶えずポーランドに占領された時代もあったそうですが、義勇軍によりモスクワを取り戻し、義勇軍により選出された皇帝のミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフにより、ロマノフ王朝が始まり、1917年まで輝かしい時代が続くのです。

 

 

クレムリンの中に入りました。赤い美しい城壁がずっと続きいくつかの塔があります。

 

その一つのボロヴィツカヤ塔

 

  

大統領府もあるクレムリンは、入場するのに警備も厳重で荷物検査も行われました。持ち込めるものはA4サイズ程度のバッグのみです。武器庫の中はそれは素晴らしい財宝がたくさんありましたが撮影禁止です。クレムリン内の敷地は通路をそれて歩いたりすると警備員が駆け付け注意されるそうです。いかに警備が厳重に行われているか感じます。

下の左はクレムリン内にある劇場。双頭の鷲がロシアのシンボルがしっかりとついています。右は宮殿兵器庫。中央はトロイッカヤ塔

           

   

大クレムリン宮殿

大統領官邸は石畳より向こう側は観光客は進入禁止となっています。

大きな鐘               大砲              大統領官邸 

              

 大統領府

一般には公開されていません。現在の主は、もちろん、プーチン大統領です。

 

玉ねぎドームの十字架らしきものにこんな装飾が・・・・・凝っている八端十字架だ。

   

クレムリンの中は玉ねぎ型の丸屋根の聖堂があちらこちらに・・・・・もう名前も何も判りません。ただ、素晴らしいのひとことです。

武器庫やダイアモンド庫ではロシア帝国がかつて収集した財産を見たような気分です。エテカリーナ2世が着用したドレスや馬車などが印象的でした。

右:アルハンゲルスキー聖堂   左:ブラゴヴェシチェンスキー聖堂

玉ねぎドームのオンパレードです。

トロイツカヤ塔

普通はこの塔の入り口から入場するのでしょうが私たちはここから出ました。

 

ランチを取った後、私たちはバスで飛行場へ行きサンクトペテルブルグへ飛ぶのですが・・・・・

バスの中で街は 雨 が降りだしました。おまけに道路は 大渋滞 です。早めの夕食を飛行場の近くのレストランで取る予定ですが、搭乗手続きに間に合いそうもないためトイレ休憩で立ち寄るだけで、ピロシキとケーキはテイクアウト・・・・なんということでしょう。

モスクワではこの渋滞は当たり前になっているそうです。『この渋滞は日本のせいだ。』   

プーチン大統領の多忙きわまる政治活動を邪魔しているのもこの渋滞。クレムリン内の大統領府までの出勤時間に我慢出来ず、ヘリコプターを使用できるようにクレムリン内にヘリポートを作ったそうです。今年の5月からの話だそうですが、もっと早く解決していれば前奥様とのコミニュケーションもうまく出来て離婚しなくてすんだかも・・・・・下世話でした。

日本車はとても性能がよくて皆、日本車が欲しくて買ってしまう。それで毎日500台の割合で増えているそうです。日本車のせいで道路が渋滞とは、冗談でしょうが、日本のメーカーの車種がたくさん走っていました。13年前のモスクワは道路も何故こんなに広いのかと驚いたそうですが、そんな道路も今では狭く感じると友人は言っていました。

 

晴れ女ばんざ~~~い。

サンクトペテルブルグの飛行場です。空は晴れて現在夜の9時です。ここは高緯度にあるために  白夜 は夜の11時過ぎても明るいそうです。昼間が長いのでウ~~~ンと遊べそうです。

 

モスクワでのホテルの出来事。

朝、友人が部屋に散歩をしようと迎えに来てくれました。中からドアを開けようとしても全くドアは反応しません。すったもんだしているうちに私は、例の発作に襲われそうになりました。心を落ち着けようとすればするほど発作が始まりそうで怖かったです。厚いドアは部屋の外にいる友人の声も聞きとりにくく困りました。でも、彼女の声が聞こえるだけで少し気持ちが落ち着くのでそこを離れないでと頼みました。

部屋は15階、窓はあるのですが中途半端に開くだけでとても外に出られません。今、何か起きたら私はこの部屋から出られず・・・・・悪い事ばかり想像してしまいます。いけないいけない落ち着いて・・・・・・メモしておいた添乗員の部屋に電話しました。そしてフロントからルーム係りが来てくれたのは1時間以上たってからです。ルーム係りはロシア語で何か言っています。大声で話しているのはとても謝罪している感じではありません。後で添乗員に聞くと、ドアの閉め方が悪くてこういうことになった・・・・そういうことでした。

そのルーム係りは私がドライヤーのデリバリーを頼んだら持って来てくれた女性です。彼女は部屋につかつかと入りこみ、ドライヤーの使い方をロシア語で説明してくれたわけでその後、彼女がドアを閉めて出て行ったのです。客の部屋につかつかと入りこむのも疑問でしたが、前々日も宿泊したのですがその時もドライヤーを届けてくれたのに何の説明もありませんでしたから何故、今日その説明をしに部屋に入ったのだろうか?変なの? 私はそう思いました。そして翌日がドアの事件です。

日本のホテルでは客が1時間以上も閉じ込められているなんて想像出来ませんよね。添乗員に電話をした時、『すぐ来てくれるのかしら?』私は必死で聞きましたら、

ロシア人はのんきな人が多いから、すぐってわけにはいかないと思いますので、そのつもりで待っていた方が良いですよ。』と言われました。

こういうのもロシア的 と言うのでしょうか? その後は立ち直りましたが朝食も食欲がなく美味しくなかったし、クレムリンなどの写真も編集時間がかかり過ぎるくらい理解していないところが多すぎます。パニック障害がしばらく影響したようです。チップもそんなわけで忘れましたが、今、その女性の事を思い出し、ドアは彼女が閉めていったじゃないかと思うので上げないでよかったとも思います。キャッ(*^^)vハハ

若い頃の事で突然の発作で新幹線や飛行機などでパニック障害の発作が起きる事がありました。特に閉所恐怖症。鍾乳洞やトンネルなど、窓のない部屋や狭い場所などで突然起こる発作に驚いたものです。だんだんとその発作も起きなくなって、少し自信がついたたもので海外旅行も行けるようになってきましたが、今回のこの閉じ込められ事件で少し自信消失です。

今回、ドアの外でずっと私の事を待っていてくれたお友達に感謝です。

彼女の開口一言、

『こういうことがあるから一人旅行は難しいのょ~~~~。あなた、一人じゃ絶対ムリ!!』

彼女からこう言われました。本当かもしれません。(~_~;)

 

   ロシアの旅  

 

 

 

 

 

 

 

 


 
 

 

 

 

 

 

 

 


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