ゆったりと生きたい

私も若くないし~~~
しんどい時もあるけどゆっくり生きようと思う。
日記代わりのブログです。

サンクトペテルブルグ ①

2013-06-19 | その他

 

イサク広場に立つ聖イサク寺院 と 皇帝ニコライの像 (25日撮影)

5月23日(木)

今朝は朝から雨が降っています。この町はお天気がめまぐるしく変化するそうです。ロシアに来て、昨日もモスクワでバスの移動の時に雨が降りましたが、晴れ女の私、ちょうどよい所では晴れるから不思議です。 凱旋門

本格的な雨模様・・・・こういう日は気温も上がりにくく寒いと聞いている。夏でも寒いことのあるロシアのこの地だけど、気持ちの良い気温が続いていた。バスの車窓には大きな雨粒。

街全体はこのような宣伝の看板は余り見かけないが、ソニーの看板を見た。

道路の渋滞はモスクワほどでないけれど、道路工事が目立つ。冬の間は雪があるために道路工事が出来ないので雪解けの季節に一斉に道路工事が始まるそうです。観光シーズンと重なり、このためにあちこちで渋滞の原因になってしまうとのことです。

 

聖イサク寺院  ピョートル大帝の命により建てられた強大なロシア正教の教会です。どっしりとした丸屋根ドームの姿が荘厳な感じです。

サンクトペテルブルグはヨーロッパの諸国のように近代的な国に憧れたピョートル大帝の夢を叶えるために作られた都市だそうです。運河の街サンクトペテルブルグの土壌の弱さは、建物や教会を建設するためにかなりの年月をかけなければならずイサク大聖堂は完成に40年もかかったそうだから、大帝とて夢をかなえるのには苦労したのですネ。

 

血の上の教会 スパース・ナ・クラヴィー聖堂(血の上の救世主という意味)

皇帝アレクサンドル2世(1855~1881年)がテロの投げた爆弾によって死亡。暗殺現場となったこの場所に市民の献金によって聖堂が建設されたのです。 おなじみの玉ねぎドームは見られますネ。それにしてもこの教会、装飾が独特で存在感があります。

ソ連時代は宗教は禁止、穀物倉庫になったり破壊されたり・・・・修復に相当の費用をかけたようです。内部は残念ながら入りませんでしたが内装は更にまばゆく装飾が施されているそうです。

 

 

 

青銅の騎士像 サンクトペテルブルグの守り像

ピョートル1世(大帝)の騎馬像は別名「青銅の騎士像」とも呼ばれる。後ろの黄色い建物は広場の西側に建つ元老院の建物。戦争の多かった過去、この像が安泰ならばサンクトペテルブルグは守られる・・・そういう言い伝えがあり、第2次世界大戦中もこの像を覆い守ったため、レニングラード900日にわたる包囲戦からドイツに占領されるのを免れた。歴史に街の名前を変え、かつてロシアの首都でもあったことのあるサンクトペテルブルグ。町の名をレニングラードと呼んだ時代もあった。

 

 

 

街を歩いて見学する頃には雨も上がりあちこちにライラックの花が咲く写真が撮れた。

 

       

 

 

 旅行前からサンクトペテルブルグをとても楽しみにしていました。フィンランド湾に面した場所に人工的に作られた街。ヨーロッパのような近代国家にしたいと願うピョートル大帝とエテカリーナ2世の壮大な夢。ロマノフ王朝の最高峰に輝く美しい都市。かつてロシアの首都だったこともあるサンクトペテルブルグはモスクワに次ぐロシア第二の都市でもあり、その二つの都市の対比はとても興味をひくものでしたから。

朝から雨模様で始まったサンクトペテルブルグですが・・・・・モスクワと同じように古く荘厳な建物群で迎えられました。

 

   ロシアの旅   

 


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