Cカップな日々

旅人ってやっぱ馬鹿かも

正義の賞味期限【ベオグラードのトマホーク】

1999-01-12 | 写真で思い出せ
1999年秋。ベオグラード ユーゴスラビア

僕はリュックをかついで、うるさい子供連れの多いマクドナルド、多くの欧米系資本の店が焼き討ちで壊された街でマックは生き残っていた‥‥たぶん子供に玩具とか、風船を配ったんだろう。

そのマクドナルドでコーヒーを飲みながら、誤爆された中国大使館はどこにあるのか地図をひろげていた。

タバコを吸おうとふっと目を上げると、物乞いの子供がいた。

服は擦り切れ、髪はぐしゃぐしゃで子犬を抱いていた。

戦災孤児‥‥

ひどく汚れた手でコーヒーが乗ったトレーを指して何か言っている。
「どした?」
と聞くと、コーヒーに付いてきた砂糖とミルクを大事そうに拾い上げた。僕が「いいよ」とうなずくと、その子は、その場で砂糖とミルクを開け、口に流し込み、カップに残ったミルクを子犬にあげた

その子は、風船でも玩具でもなく、砂糖とミルクを欲しがっていた。

「サンキュー、ミスター」と、明るく去ってゆくのを見て、胸が痛んだ。その子は裸足だった。
これから冬になるのに‥‥。



※写真について、1999年 ユーゴスラビアの首都ベオグラードで撮影、転がっていたトマホークミサイル。品質表示のラベルには「1995年5月31日まで保証」との文字
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サラエボの墓標【ボスニア・ヘルツェゴビナ】

1999-01-11 | 写真で思い出せ
カラーではどうしても撮れなかった景色がいくつかある。
サラエボでこの光景を見たとき何かカラーで撮ってはいけない気がした。
リバーサルの発色のよいフィルムをサラエボで使うために大事に抱えていたが結局カメラに放り込んだのはモノクロ。
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サラエボのオリンピックスタジアム。1999年 
包囲され四方から砲撃を受けたため遺体を郊外の墓地まで運ぶことが出来ずに、スタジアムに埋めた。高速道路の橋げたの下にも墓があった。大事な人を静に埋葬できないって正直きつい。 



地球最前線:ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦、終結から9年 地雷禍、今も[毎日新聞特集]11/27追加
内戦終結から10年のボスニア、1万6600人が行方不明=赤十字 [ロイター]11/27追加
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天国の扉..ブッシュ当選【サラエボ・ボスニアヘルツェゴビナ】

1999-01-10 | 写真で思い出せ
やっぱりもってブッシュ当選。
ブルーススプリングスティーンが応援して、華氏911であれだけ追い風になっても勝てないケリーっていったい....

あの赤く塗られた州の人たちがアメリカの田舎のおっちゃんたちって事だと思う。日本の選挙でも都市部VS地方って色が非常に強いと思うがより鮮明に色分けされているのがアメリカなのかも知らん。

とりあえず、天国の門はくぐってしまった。あと4年.....
「2期目の大統領は1期目とは政策を転換する」との神話を信じ
一連托生にならんことを祈りながらこの写真をUP致します。

ブッシュVSケリー擬似投票世界から擬似投票した投票結果
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写真解説:サラエボ/ボスニア・ヘルツェゴビナにて1999年に撮影
壁も窓も銃撃によって崩れた建物に唯一残った「扉」
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ワールド・トレード・センター【ベオグラード・旧ユーゴスラビア】

1999-01-09 | 写真で思い出せ
Београд/Belgrad(ベルグラード)セルビア・モンテネグロ(新ユーゴ首都)いろいろと呼び名がありますが旧ユーゴスラビアの首都と呼ぶのが一番しっくり来ます。

で、こちらはN・Yのワールドトレードセンターでなく、ベオグラードのワールドトレードセンターです。旧市街から誤爆された中国大使館を目指して歩くと橋を越えた右側に立っています。ガラス張りの近代的なビルですが、下から見上げるとガラスが降ってきそうで怖いです。
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ベオグラード公式ページ 英語・ドイツ語・セルビア語
ベオグラード観光インフォ英語・セルビア語
Dragan J. Ristic 旧ユーゴの俳人の俳句
wardiary 戦時下のベオグラード在住のカタリナの日記
旅人の旅行記録
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地雷の道【ドブロブニク】

1999-01-08 | 写真で思い出せ
ドブロブニクの町を一望できるスルジ山のロープウェー駅です。戦争でロープウェーが壊されたとの事で歩いて地雷の山を登ってみました。

細いよ細いよ、、、

道が1本でしかも細!
この道なら一応地雷チェックしたよ、他はよく判らない。ってとこですので踏み外さない方が無難です。
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わかりやすい地雷注意【ドブロブニク・クロアチア】

1999-01-08 | 写真で思い出せ
で、この道を踏み外すとどうなるか?

通常対人地雷ではこのように車が吹っ飛んでも中の人は無事なことが多いです。対人地雷とは敵の行動を停める事を目的に作られます。

例えば小隊の中で一人が地雷を踏んだとします。ここでその人が死んでしまえば1人の戦力を奪うだけですが、負傷ですと1名+介護者分の戦力を奪うことが出来るのです。
なんで旧ソ連製のPMN地雷(通称:黒い未亡人)の炸薬は200gこれは丁度足首を吹っ飛ばす威力を計算した量なんだそうだ。なにはともあれ怖い兵器です。
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☆アキ・ラの地雷博物館カンボジアにあります。
対人地雷禁止条約(オタワ条約)締約国一覧 この国が増えることを期待します。
対人地雷のおはなし。
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生活【サラエボの交差点】

1999-01-07 | 写真で思い出せ
7つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニアと接している)
6つの共和国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)
5つの民族(スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)
4つの言語(スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)
3つの宗教(ローマ・カトリック、セルビア正教、イスラム教)
2種類の文字(キリル文字、ラテン文字)
1つの国の独立を守ろうという国民の堅い意志

旧ユーゴはこのように非常に多様で複雑な中独特の文化を築いていました。お金にも文字が2つあったりする。その昔はオスマントルコとハプスブルグの境界でもあった。

写真はサラエボ包囲戦の包囲側の川から見たサラエボ。

ユーゴスラビア問題
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アドリア海の真珠【ドブロブニクDubrovnik】

1999-01-06 | 写真で思い出せ
10月28日の続きです。ドブロヴニクが正しい表記かも

アドリア海に突き出たように城砦に囲まれた旧市街があるのだが、近くの小高い丘(スルジ山)から旧市街を望める山に上がるロープウェーがあったのですよ。で、やっぱりココまで来たら城砦を上から見なくてはとチャレンジしたら1992年の戦争で落とされたって、、写真の下の方に写っているのがロープウェーの残骸です。

どうやらそこそこ激戦だったらしく山には地雷が残っていると、、、、、気をつけて登れよって宿の親父。
気をつけて登って撮ってきました写真です。なるほど地雷を示す赤いテープと兵士の墓と薬莢が転がってました。

戦争屋、ロープウェー落とすなよ怖ええ&疲れるじゃねーか
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町の公式HPキリル文字かなんかが要るかも、、文字化
ドブロブニクオンラインこっちは英語対応
口コミのお役立ち日本語の口コミ系
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ドブロブニクの通学路【ドブロブニクDubrovnik】

1999-01-05 | 写真で思い出せ
クロアチア 1999年 ドブロブニク近郊
アドリア海の城塞都市ドブロブニク 魔女の宅急便の舞台になったとも紅の豚の舞台になったとも噂されていますが本当に綺麗な城塞都市です。イタリアから今ならフェリーで行ける。

ただこの当時はまだユーゴにNATOが空爆を仕掛けるなど治安が安定していない時期でしたのであちこち戦争の跡だらけでした。写真は通学路を示すであろう看板が撃ちに抜かれている図
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クロアチア便利帳 すげー便利
クロアチア観光局 観光立国なんです。実は
フェリー情報(英語)
安全情報 もう地雷はなさそうですが、、
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walkthisway【サラエヴォ中央駅】

1999-01-04 | 写真で思い出せ
1999年秋 ボスニアヘルッェゴビナ サラエヴォ中央駅 「WALKTHISWAY」
初めてのバックパックを背負った旅行でどうしてもサラエヴォを見ておきたかった。
地雷が残る中央駅の道をばーちゃんが孫の手を引いて歩いている。

gooのアカウントに採用し今もこのアカウントを利用しているがもっともショックを受けたシーン
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千田善HP
ザグレブのバスターミナル
Web Of Activities
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WHY WAR【クロアチア→イタリア】

1999-01-03 | 写真で思い出せ
イタリアのナポリの教会だったかな? とにかく南の方だった。
バルカンの内戦が激しくなってNATOがユーゴに空爆をくわえた直後ぐらい。

難民がアドリア海を渡ってイタリアに流れたらしい。
教会の工事中のフェンスに「WHY WAR」との落書き、その前でジェラート食べてる観光客
自分が観光客なのも忘れてとりあえずシャッターを切った。そんな一枚
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日本は難民に冷たいが、イタリアは?
クロアチアからの流出難民
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サラエボの銃声とギリシャの歓喜【ヴォスニアヘルツェゴビナ】

1999-01-02 | 写真で思い出せ
サラエボのオリンピックの会場がどっちにあるのかを説明した看板です。
地雷に埋まったサラエボ中央駅の前にありました。

あっちこっち貫通しているオオカミ君かなにかのキャラクターも悲しい。
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オリンピック+戦争記念【サラエボ】

1999-01-01 | 写真で思い出せ
オリンピックには戦争は付き物ですが、少し前のオリンピック開催地サラエボでの写真です。
内戦が一応終わった99年のものですが、もーあの街ボロボロでした。
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