Cカップな日々

旅人ってやっぱ馬鹿かも

旅の動機 ルージュ⇒容易受傷的女人⇒情長路更長⇒Broken Hearted Woman 

2005-08-21 | 旅人の話
中島みゆきのうたで「ルージュ」というのがある。
1979年のアルバム「おかえりなさい」に収録されている。
お世辞にも日本で売れたとの話は聞かない。

この曲をメジャーにしたのが当時北京から香港に移住しその後ニューヨークへ留学した王靖雯(シャリー・ウォン)である。彼女はアルバム「coming home」を発表。この中の「容易受傷的女人」が香港で爆発的にヒットする。

王靖雯はこの1曲で香港のスターへと躍り出て、やがて世界のスターになる。
今、彼女は王菲と名前を変え活躍を拡げている。フェイ・ウォンの方が一般的かもしれん。

王靖雯を王菲と飛躍させた「ルージュ」はすぐさま北京語バージョンが生まれた。
元ミス香港の鄺美雲によって「容易受傷的女人」の名前のまま北京語で歌ったそれは台湾、シンガポール、本土でヒットを飛ばし華僑の中にメロディーを刻み込んだ。

台湾で「情長路更長」とタイトルと歌詞を代え発表される。
シンガポールではジェシカ・ジェイがと英語バージョン「Broken Hearted Woman」を発表 
これを受けタイではタイ語バージョンとイサーン語でカバーされる。
ベトナムでは北京語バージョンからベトナム語バージョンに波及している。参照

以下、カバーの一例:カッコなし歌手名「」曲名()国の順、一部不明
メースウィ「ダザーズィー・チョーペーネービー」エイ・チャン・メイ「カラオケ・ショー」(ミャンマー)、ヌー・クィン「Nguoi Tinh Mua Dong」(ベトナム)、「メガダンス」(カンボジア)、ヨンジャ・エヴジミキ「8:15」(トルコ)など「ルージュ」の公認カバー数は32存在し、それ以上のバージョンのカバーがなされていることは確かなようだ。

ここから先は噂である。
ベトナム語のそれがアメリカ本土のベトナムコミュニティーに飛び火しアメリカ本土でベトナム語バージョンがカバーされたらしい。
トルコ語バージョンがトルコでヒットしたらしい。
バルカン半島で、反戦歌としてアレンジされ包囲されたサラエボで歌われていたらしい。
などなど、トルコ語版の「8.15」のタイトルから戦争的な歌詞がのり、それが反戦に繋がったってのも理解が出来る。

内戦がまだくすぶっているユーゴスラビアに行ったことがある。
明確な理由はなかった。ただ単に危険を冒してみたいとの欲求もあっただろう。
テレビでやっている戦争の匂いをかいでみる経験値も欲しかった。
アンダーグラウンドって映画から受けた影響もでかかった。
多分、最後の後押しをしたのはこのサラエボで日本の歌のアレンジが歌われているって噂一緒に歌ってみたかったし、これがその歌のオリジナルだぜってやりたかったんだと思う。

王菲の容易受傷的女人をカセットに押し込み成田を飛び立ったが、ヨーロッパを廻っている最中にそんなもんはどうでもよくなってきた。

かつて新大陸からトマトの苗木をヨーロッパに持ち込んだ奴がいた。でも持ち込まれただけでは文化は育たない。農民は見たこともないトマトを育て市場に出荷した。八百屋は見たこともない野菜を苦労して売り込んだ。料理人は見たこともない素材を使いトマトソースを編み出し、パスタに絡めピザにぬった。
俺たちが出来るのは文化を創ることではない。
与えられた素材の中で努力するか諦めるか……
文化なんてもんはその選択肢の中で勝手に出来るものその土地でアレンジしたものはどんなものであれその土地のものであり、ルージュでも容易受傷的女人でもない。そんな気分になった。

容易受傷的女人をサラエボで何人かに聞いてもらった。
聞いたことがないとの話。
「聞いてくれてありがと、これは俺の旅の儀式だ。そんなもんはどうでもいい。とりあえずこの土地のビールと美味い飯が喰えるとこ教えてくれ」

今考えると流れるように旅をするようになったのはここからだった。

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5 コメント

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ドキュメンタリーで… (mine)
2005-08-26 00:59:28
オリンピック開催時と戦争後のサラエボの街並みを対比してやっていた番組があって、

それを見て背筋が寒くなったのを思い出しました。

実際にユーゴへ行ってみることは…正直考えた事ありませんでしたワ。

クストリッツァのファンではあるんですけどね。



TB&コメントありがとうございました!
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お、 (Cカップ)
2005-08-28 22:58:56
そのドキュメントは見てないな。



こんど探してみます。



バルカンは結構日本びいきな面もある。



俳句が盛んだったりする。
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Unknown (ジュネーブのまなお)
2005-09-20 05:59:21
こんにちは 貴重な記録を有難う御座います。

懐かしく思いながら読ませて頂きました。

1993年、ぼくがバンコクに住んでいたときに、このブロークン・ハーテッド・ウーマンがタイで爆発的ヒットになっていました。そして、すぐにタイ語のバージョンがヒットし、これを皮切りに、1994年末にはスナーリーというイサーン(東北タイ)を代表する歌手にも歌われたのを含めて5人のタイ人歌手にカバーされました。タイ語のタイトルは、「ブーイン・オクハク」といい、中国語の「容易受傷的女人」のタイ語訳です。タイ人たちは、ジェシカ・ジェイの曲が元歌だと信じているようでした。サイアム・スクウェアのカセットテープ屋のおにいさんは、「ブロークン・ハーテッド・ウーマンには日本語版もあるよ!」と中島みゆきの曲の入ったテープを薦めてくれました。

その後、アジアにそんなに波及していたとは知りませんでした。カンボジアのプノンペンに出張に行ったときに、カラオケ・バーでタイ語と日本語でこの曲を歌ったら、ベトナムから出稼ぎに来ていたカラオケ・バーの女性たちにとてもウケたことを思い出します。また、機会があったらアジア各国の「ルージュ」を探してみようと思います。また、最近のぼくの発見は、あの「喝采」のちあきなおみも「ルージュ」を歌っていたこと。さっそくCDを手に入れました。
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返礼 (Cカップ)
2005-09-27 00:07:16
ジュネーブのまなお様



こちらこそ貴重な情報感謝です。

私がタイに始めて言ったのは2003年になってからです。一ヶ月ほど滞在しましたが聞こえてくるのは、トンチャイ(注かなーりPOPなおっちゃん)の曲ばかりで、ルージュは既に埋没してました。



HITしたHITしたってな話は聞きますし、CD屋に行くとそれなりに置いてはいたのですがいまいち実感がわかなかった部分。十分にカバーしていただきました。



ジュネーブですか、、物価が。。。。

マルタ十字の記事など楽しく読ませていただきました。
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Broken Hearted Woman (sakichin)
2008-07-09 00:29:20
ジェシカ・ジェイさんはシンガポールの方でしたか
以前検索したときよくわからなかったのですっきりしました
ありがとうございます
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