Cカップな日々

旅人ってやっぱ馬鹿かも

一夜限りの夜桜

2014-04-05 | 写真で思い出せ
都内某所にて
毎年一夜限りの夜桜があります。

携帯カメラなので現実には程遠いですが多少は雰囲気が伝わるかと思います。
実現のために動いて頂いた方に感謝。

来年も夜桜を拝めることを愉しみにしておきます。
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今日のシッポ

2005-06-18 | 写真で思い出せ
ついにシッポをつかみました。



上2つへたれカンガルーチカラの限りヘタレの図


その他のヘタレ
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海星をくれた

2005-06-17 | 写真で思い出せ
ベタにオージー観光をしてまいりました。
場所はグレートバリアリーフ

団体行動が好きな会社の人を置いておいて勝手にダイビングとか周りの人と会話とか
好き勝手遊んでいる時、女の子が海星(ヒトデ)をくれました。

団体だとこうはなかなか行かないんだよね。

でも、団体行動のケアンズも悪くないですよ。バックパックではなく観光で行くのならと
ただし書きを入れておこう。
(金をかければ退屈しませんよ、飛んだり潜ったり落ちたりくだったり)

参考URL
ケアンズの達人
ケアンズとれたて情報
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ケアンズ情報

2005-06-14 | 写真で思い出せ
今日は一面の鱗雲

予定としては免税店に連れられて余ったキャッシュを使い切って日本に戻ります。

明日からまた日常が始まります、うーーん 非日常を感じる前に帰国
まあ、こんな旅もありかと、、

ではまた文字だけの世界で
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世の中が始まる前の人生は希望に満ちている。【天安門16年】

2005-06-06 | 写真で思い出せ
海外が永くなると猛烈に自国の言葉や文字に飢える。
99年、僕は初めて本格的に海外に永くいた。

オランダからドイツに入りそこからイタリア、ギリシャ、トルコ、ルーマニアと旅をしていた。
イタリア、トルコでトマトとオリーブオイルに染まった胃腸はルーマニアにたどり着く頃にはほぼ壊れ、中華料理のサッパリした料理が唯一のどを通るまともな食事になっていた。

ふらふらになって歩いたルーマニア、次に内戦下のユーゴスラビアに行こうと思っていたのだが手持ちのキャッシュが足りず毎日ATMに通った。一日におろせる現金に制限がかかっているため一日2千円ほどしか現金は増えず無為に10日ほどをルーマニアの首都ブカレストで過した。案の定偽警官が金をせびりに来る。

偽警官を追いやり、疲れてベンチに座っていると意識が右に飛ぶ、意識を右に凝らしてみると「天安門広場」の漢字(中国語)に目が止った。場所はルーマニア大学、暗闇の中、群集を警官が追い立てた場所。汎ヨーロッパ・ピクニック革命の終焉になった場所である。


異国の中で語りかけてきた異国の言葉を見ながら結局、あのチャウセスクを追ったルーマニア革命の最初のトリガーは中国の天安門広場だったのかも知れない。そんなことを思いながらやっとユーゴスラビアの首都ベオグラード行きの列車に飛び乗った。

六四天安門事件から6月4日で既に16年、報道が追えた中で大々的なデモが起こって革命が起きなかったのは結局中国のみ、内圧を高めたままあの国は何処へ行くのか、、

関連リンク
ルーマニアのライブカメラ
リンク先カメラのPiata Universitatii ( University Sq.)の映像右の建物の下の方が写真の場所、秘密警察が最後の死闘として虐殺をやった場所である。(窓の形がいっしょでしょなんで恐らく合ってる)
六四天安門事件
ビロード革命
<オーストラリア>中国領事が亡命申請 本国の抑圧に反発

中国政府の発表によれば、天安門事件による死者は319人に上る。が実際にはその10倍程の数は動いていると思われる。デモ隊を追いかけた警官、しかし孤立した警官を市民が取り囲み翌日には電信柱に吊るされた警官や兵士が多数いる。デモ隊側の死者はその数を大きく越えたであろう。

激励のメールや電話8百件 韓国漁船逃走事件で7管に内圧が高まっているのはこの国も一緒か、、くわばらくわばら
プーチン“紅衛兵”6万人集め旗揚げ、野党勢力を敵視 こっちもキナクサイ
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タイの花売り

2005-05-11 | 写真で思い出せ

写真は豚屋さんが売りに来た豚君

亜細亜を旅する色々な物売りを見ることが出来る。
花屋、煙草屋、アイスクリーム屋、カブトガニ屋(篭に入れて歩いててその場でさばいてくれる)、食用の昆虫屋、輪投げ屋(輪投げを担いで飲み屋を廻る)、体重屋(体重計置いているだけ)、身長体重屋(身長計をガラガラ転がして歩くなぜかランバダの音楽と共に現れる)

最初は数に圧倒され、鬱陶しくなり、そのうち便利に利用する。

河原で数人でビールを飲んでいる時にトランプ売りからトランプを買ったし、煙草が切れた時には直ぐに呼び止めればよい。もちろん火が無い時も、無駄に装飾の多いライターなのが玉に瑕だが、役に立つ。

ラオスではタイヤチューブに乗って呑気に河下りをしていると河の中の瀬の部分にビール売りが立っていた。どう必死に向きを変えてもそこの瀬に流されてしまい笑いながらビールを買った。4回川流れをして一回は逃れたが結局3回そいつからビールを買った。

もちろん最後まで何を売りたいのかわからない人々も居た。ベトナムでいつものようにビールを飲んでいて、女の子が2人なにやらお菓子を売りつけてきた。毒々しい色の棒状の飴
しばらくするとスパンコールに身を包み、巨大なスピーカーを抱えたオヤヂがテーブルの前に現れ、いきなり現地の歌を大音響で歌い始めた。ほぼジャイアンである。
うるさいのであっちに行けとジェスチャーをすると先ほどの飴を指差し、結局3曲歌い去って行った。買った飴は3本。そうゆう事なのかもしれん。。。
が、記憶に残る迷惑な奴だった。


旅先の旅先、タイの観光地での事。
4歳ぐらいの男の子が酒場を廻り花を売っている。が、なかなか売れない。
ここいらの酒場には見かけただけでも4、5人の花売りがたむろしている。売れる理由がない。
ちょうどその時一緒にお酒を飲んでいた女の子と「売れないよね、これじゃ」と話していた。

男の子はニコニコしながら僕ら2人の座るテーブルに来た。ただ一言
「がんばれよ」
と日本語でささやき僕に花を差し出し、女の子の方へチラとアゴをしゃくりウインクした。

はい、しっかりと買わせて頂きました。誰が教えたのか、、、なかなかやるもんである。
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MISSION④:【ホテル編】初めての日本人宿

2005-04-18 | 写真で思い出せ
99年秋 おいらはリュックを背負ってエジプトに行った。


たいして目的もなく行ったので旅の噂にたまに出てくる日本人宿を目指してタクシーにて途中迷いながらも(:違うから!) なんとか目的のサファリホテル(BackPacker's Ghetto旧サファリホテル非公認ホームページ)まで辿り着いた。

ここは日本人宿、つまりは客のほとんどは日本人でそのほとんどが長期滞在者なおかつ料金がすこぶる安いとの特徴を持つ。
日本人宿として他に有名なのは、、
タケオGuestHouse@シェムリアップ:カンボジア
クミコハウス@バラナシ:インド
KONYA PENSION@イスタンブル:トルコ
などなど、 世界各地にありますGuesthouse Guide 〈安宿(ゲストハウス)情報〉ただし日本人が多いからと言って盗難などが少ないかと言いますとそうでもないです。
日本人が日本人のモノを盗るなんてこともありますんでそれなりのご注意を、、

ただし、沈没と言われる数週間から数ヶ月場合によっては何年も目的を失ってただそこに滞在する人も居るのでなじめない人はなじめないと思われる。
つまり宿の主みたいのがいっぱい居るわけだ。
そんな理由もあっておいらもサファリではなく同じ建物のスルタンに宿を決めた。

宿が決まったら欲しいのは情報である。とりあえず宿が違うので挨拶に行く。まるで新しく大学の寮に入った新入生のような気分。
情報ノートと云われる旅人たちの現地のネタ(どこどこの国境は外国人は通れないなど)は是非入れておきたい。

で、ここサファリで入れるべき情報は
どうやったら夜中にピラミッドに侵入できかつ登れるか?
ってな至極エジプト的な情報である。この情報を得て実行するためにロンドンから来たようなもんです。
10冊は越えるノートの中から比較的新しそうなものを手に取り開くと、いきなし

警察に捕まるので身分証の類は持たない方がいい
この辺は野犬が居る。狂犬病の危険もあるので十分注意すること
バクシーシの相場は、、(バクシーシ=ヒンズー語で「お恵みを」つまり金の話)
タメになる情報が、、、、この話続く
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MISSION 番外 エジプトのビール

2005-04-03 | 写真で思い出せ
エジプトで反政府デモとのニュースがあり正直驚いている。

99年にエジプトを訪れた際に、ビールを買った。
裏通りにある酒屋さんでビールをくれと言うと奥から取ってきてくれる。
新聞紙に包んで黒いビニールに入れて渡してくれる。

まるでエロ本を買った中学生のような気分を味わえるのは、やはりイスラムの国 原理主義者からの襲撃を恐れての事らしかった。

宿に代えるまで包みは開けられない。宿のロビーで包みを開けて残りを冷蔵庫で冷やしてもらうために弁護士の卵というスタッフに渡すと「悪い奴だ」とニカッって笑う。
市場で買って来たピスタチオをツマミに飲んでいるとさっきのスタッフが「それはまずい」と注意をしてくれた。

写真:エジプトのビール サカラとステラ

ビールを隠すために包んだ新聞紙に大統領さんの顔写真がでかく載っていてそいつの上にビールを置いていた事を注意してくれた。

カイロ大学に在籍しているかなりインテリジェンスな奴だと思うが政府のニラミを恐れて居るらしかった。

エジプトでは政府を批判することはタブーだとも言っていた。

そのエジプトで反政府デモ、拘束者の中には罪のないタダの村人も居るとの事。
実は軍事政府並みに強い統制を強いている国らしいですよ。
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ローマ法王

2005-04-03 | 写真で思い出せ
イタリアには3週間滞在し、そのうち5日ほどローマにいた。

バチカンの中を歩いたのは1日とちょっとだけども、59番だか64番のバチカン行のバスはスリがスリしているところを見れるとの事で何度か乗りました。(一番後ろに座って鞄を抱えておきましょう)。途中で10歳前後の女の子が2、3人組で乗ってきて、観光客にたかっていきます。
観光客もスリをしている事は気が付いているのだけども、子供なんで防御のみって人がほとんど。

システィーナを眺めたり、観光客を眺めたり。。ローマは滞在していてかなり楽しい街でした。

そんな中、ふらっとバチカンを歩いている時になにやら警察がザワザワしている。
しばらく様子を見ていると出て来たのがこのジイサン

恐らくローマ法王Johannes Paulus IIその人です。


容態は悪いようですが、心静に

4月3日追加
ご冥福をお祈りいたします。

ポーランド出身、第二次大戦の激戦時です。
平和に対するハッキリとしたスタンスを持った方でした。
米国のイラク政策に親書をだしたり、バクダットに特使を派遣したり、、、、


関連リンク
バチカン放送局公式サイト 恐らく宗教がらみにサイトだと思われます。
バチカン市国(State of the City of Vatican) 外務省地域情報
恐らくバチカン公式サイト
バチカンミュージアムバチカン組織図カトリック中央協議会
バチカン国旗
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岡山-倉敷①【出張帰りに】

2005-04-02 | 写真で思い出せ
出張の帰りを一日延ばして岡山と倉敷の観光なぞしてまいりまして、、



倉敷は2度目でしたが、やっぱぶらりと歩くにはいいです。表を歩くとたいへんですが、、
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MISSION③:【カイロタクシー編】違うから!

2005-03-21 | 写真で思い出せ
1999年僕はリュックを背負ってカイロの町にいた

ひょんなことからエジプトに渡り、唯一の情報「サファリホテルに行けば何とかなる」を信じ
カイロ空港からタクシーに乗り一路

ドライバーの家へ(MISSION②:辿り着く?)で、なくってサファリホテルへ

「娘さん可愛いですね、お幾つなんですか?」(日本語)
「هَدُ أَنَّ مُحَمَّداً رَسُولُ اللهِ 」(アラビア語)


会話かみあわねーーーってか会話にならんし

「カイロの街は埃っぽいねぇ」「今のナイル河?」「カイロヒルトンの側らしいよ」「すっげーラクダだ駱駝!」(すべて独り言)
運転手の方は、街中をぐるぐると回りながら合計3人の乗客を乗せて降ろしました



どうやらエジプトのタクシーは韓国なんかと同じで乗り合いOKなようです。



てか運ちゃん俺の存在忘れて普通に商売してます。


諦めかけた頃に運ちゃんが叫びました。
「ホテル!!」
ロータリー状の車寄せの先には燦々と輝く




ナイルヒルトン

_| ̄|○

入りましたよ、バックパック背負って★★★★★
まっすぐとコンシェルジェの元へ

お姉さんにサファリホテルの住所をアラビア語で書いてもらい
チップを渡す。20エジプトポンド

運転手の元にとって返し紙を渡す
元気にOK!!

5分程度で怪しい街中へ少し歩いた七面鳥の前まで運ちゃんは案内してくれました。(悪い人じゃない)


■タクシー乗車時間
およそ1時間
■コスト
タクシー代20エジプトポンド
ホテルに聞いた時のチップ20エジプトポンド

結局サファリホテルはこのビルの6階(エレベータなし)だったので3階のスルタンホテルに泊まりました。 
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MISSION②:【カイロタクシー編】辿り着く?

2005-03-19 | 写真で思い出せ

ふとしたきっかけ(MISSION①:行く)でガイドブックも持たずにエジプトに飛び唯一のエジプトの情報である「サファリホテル」目指して空港からタクシーに乗った。

タクシーは一路カイロ市内のサファリホテルへ って地図もガイドもないのでどこがどこだか、、、、
タクシーの運ちゃんの「おれ、そこ知ってるよ」の一言を信じるのみ。

路は片側2車線の結構広い道。イスタンブールに似ている町並み。モスクが目立つ
で、明らかに道半ばのところで運転手がなんか言ってるが分からず、、、「?」となってると
タクシー停車、、、ドアが開き

ベールに覆われた美女(顔は見える奴)が乗ってきて隣に座る
こんな時旅行者が思うことは、ラッキー!ではなく
・金を守れ
・命を守れ
・パスポートを守れ
つまり眉一つ動かしませんが、経験上守りの体勢に入るわけです。

大事なもののありかをすべてチェックして体の位置関係をチェックして防御をどうやるかシュミレート。で、運転手をチェックすると
自分の懐に右手突っ込んでゴソゴソってやってるし

①銃か?②ナイフか?③強盗か?④夜のお店の強引なお誘いか?⑤逃げるか?⑥降伏するか?(戦う気はあまりない)
迷っていると運転手は自分の財布をおもむろに取り出した。
①②はずれ、③かな ⑤か⑥でどうするかなぁなんて考えていたら

運転手はハンドルそっちのけで財布の写真を見れ!!と勧めてくる ニッコリ微笑むお嬢さんが一人
③はずれ ④当たり まだ昼間だし、エジプトでそんなところ行って原理主義のやつらに捕まりでもしたら面倒だし(アラブ世界では夜のお店は戒律上基本的にないことになってるはず)

隣に座ってた美女がベールをはらりと取り、話しかけてくる
これ間違いなく④絶対に④!!
「ごめんな、俺そんなつもりじゃなかったし、お金もないし、、行かないよ」と日本語で話してみるも通じるわけなく。
ところがどっこい彼女が英語を話してくるじゃない!!
「これパパ、いま学校終わったの」って(パパ公認ですか!?)とは思わんかったが、状況がよく飲み込めてないわたし。

「ここ家 じゃあーね」と車を降りていく、、、
送り迎えだし
「俺の娘は英語をしゃべれる」的な発言をして得意そうなパパ

そしてパパは言った
「で、あんちゃん どこに行くんだ?」的な発言
「サファリホテルです」「おおーそうだったそうだった」
優先順位あっちが上だし、、、、、
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MISSION①:【カイロタクシー編】行く

2005-03-13 | 写真で思い出せ

1999年 僕はリュックをかついでエジプトに向かった

その前に3ヶ月ほどヨーロッパを放浪し3週間ほどロンドンで英語と都市生活に慣れながら日本に帰国する予定であったが「飯のまずさ(すべてが酢の味)」と「煙草の高さ(マルボロ1000円)」と「宿の高さ(1500円/1泊)」さらに「すんげー曇っていた(霧のロンドン)」のでロンドンがイヤになり、一路南を目指した。

本当はロンドン発モロッコ行きのバスも魅力ではあったが、トルコで作った偽造の学割のおかげでエジプト行きブリティッシュエアのチケットが安く手に入ったので結局観光がてらエジプト行きに決定

行き先は決定したもののガイドブックは持っていないし、特に見たいものもない。3週間ロンドンに滞在する財力がないこと以外には特に理由もない。唯一持っている情報は「サファリに行けば何とかなる」

って事で飛行機から毛布をカッパライ、デューティーフリーで必要と思われるものを買いいざエジプトの街へ

空港を出るとエジプト人だらけじゃんとベタな突込みを自分に入れつつ
こいつら英語判んないじゃんと自分の語学力のなさを棚に上げて途方にくれた。

何人かのドライバーを捕まえて「サファリホテルは知ってるか?」と聞くと何人目かで「そこなら知ってる日本人がよくいるところだ」
キターー(゜∀゜)ーー!!

で、幾らなんだい?と聞きますと100と言っている。

エジプトの通貨って何?との心のボケは置いといて、「高い」と立ち去る。去り際に「50ーー」との声を聞きおそらく30ぐらいが適当な値段かなとコストを決める。

コストが決まれば両替である。3000円程度のイギリスポンドをエジプトのエジプトポンド(エジプトもポンドを使う、恐るべし大英帝国)に両替し170エジプトポンド弱のマネーをゲット。

流しのタクシーを捕まえ「サファリホテルは知ってるか」と英語で聞く。
5~6台目ぐらいで「知っている」とたどたどしい英語の運ちゃんにあたる。「幾らだ?」と聞くと「50」「これで行け」とおそらく10エジプトポンドだと思われる札を2枚取り出すとあっさりと「OK」

相場はいくらなんだーーーーーとの心の叫びを残して車は市内へ向かった。
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World Press Photo of the Year -50 years gallery-

2005-03-13 | 写真で思い出せ
World Press Photo of the Year -50 years gallery-
悲しい写真が多いですが、これも歴史の一面。
お勧めします。

ってか「見ろ!」
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棚田の道、天空の村【中国 雲南省 麗江/元陽】

2005-03-05 | 写真で思い出せ
初稿:2002-11-24 / アジアの純真 世界ふしぎ発見でやっていたので懐かしく 
最近テレビで放送されることが多いですが「わっと」観光客が押し寄せると複雑


元陽という町にしばらくいます。
ここは棚田(中国では梯田)が有名で、主にハニ族という少数民族がすんごい歳月を重ねて創った棚田が見渡す限り広がっています。なにやら世界遺産にもなるとかならないとか、、

一見のも二見も価値があります。天候が不順のため結局1週間棚田を見るための滞在となりました。
で、町をふらふらしているとちょうどお正月(西暦の)だったため小学校で正月の踊りをやっているんで写真を撮りに来てくれとのオーダーがでかいカメラをぶら下げているとこんなこともあったりする。

2003.1.3のメールより
※写真は帰国後郵送いたしましたのでもしかすると哈尼(ハニ)族の小学校にあるかもです。
元陽にて「ハニ族の少女」
*******************
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