先週の振り返りになりますが、
11月3、4、5日、九州5県を走った旅日記をUPしてみます。
ところで四国はその名の通り香川、愛媛、徳島、高知の4県ですが、
九州は?
賢明な皆様は既にご存知のことと思いますが・・・・。
いえ、わたしもね、四国のように数字通りじゃない、
つまり9県じゃないってことは
知ってたけど、う~ん8県くらいだったかな?とあいまいな知識でした。
ごめんなさい。
福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島の7県の皆様。(お詫び)
さて、便乗旅行の経緯ですが、
夫が4日(金)に宮崎で何やらの仕事が入っていて社用車で行くが、
伯母さんとこ行くなら同行する?と言ってくれたので
年休を取ってちゃっかり同乗させて貰ったというわけで。
ところで
私の父は岡山出身。
その姉にあたる伯母は結婚して宮崎で暮らしていた。
その伯母が4年前に亡くなった時、葬儀に参列しようと
旅行代理店であらゆるアクセスをあたってもらったが、
どうにも都合がつかず行けなかったことを
心残りに思っていたので今回、社用ではあるが声をかけてくれたのだ。
実を言うと父は姉(伯母)より先に亡くなっていたので
長女の私は伯母、つまり父の姉のお別れ式に
どうしても出たかったし、立場としても出なくてはならなかったのです。
そのような訳で今回の年休は単なる旅行ではない
4年越しの意味があるのでした。
では本題に入りま~す。
初日3日(文化の日)ほぼ快晴。
祇園新道から祇園新橋に入り、間もない付近で
珍しい光景に出会った。(過去に一回だけ出くわしたことはあるけど)
【高速方面】というA3サイズの用紙を掲げている二十歳前後の青年。
細くてナイーブそうな、その少年とも思える彼が目に入ったのは
車で通り過ぎるほんの一瞬だった。
これ、運転者一人だけだったら絶対気付かれないような場所。
たまたま私がお土産を買うために沿道の「にしき堂」を探して
キョロキョロしてたからどうにかこうにか視界に入ったけど。
まあ結局スルーしてしまって「ごめんね 青年よ」
て言うか、【高速方面】というざっくり表示はどうなのかな?
その先がどっちに分かれるのか?
【西の山口九州方面】なのか【東の岡山大阪方面】なのか?
具体的にどちらかを示した方がアピール力あると思ったな。
あの青(少)年、目的地に行けたのかな?
彼の中で何かが始まったかな?
ヒッチハイカーの気付かれポイントをぜひ有吉先生から学んでください。
白い雲のように・・・
広島インターから高速に乗ってあっという間に関門海峡超え。
去年、夫が半年だけ単身赴任していた福岡を大分方面へ向かう途中の
道の駅「豊前おこしかけ」で昼食。
「六花茶屋」の日替わり定食がとても美味しゅうございました。
その日は鶏天ぷらに千切りキャベツ添え。ご飯・味噌汁に
手作り豆腐や小鉢物もしっかりついて600円は安い。
隣りの席の熟女グループはお勘定のあと、
「ここはトイレが有名だから行っトイレ」とかなんとか言っちゃって。
あとで私も拝借したけど、なるほど!の素敵なトイレでした。
因みに「おこしかけ」の由来は
神攻皇后が朝鮮出陣の時にこの地を訪れ、腰掛けられた石が残っていたからとか。
さて、大分県に突入。
一番に思うのはグローブのKEIKOさんのこと。
早く快復してほしいです。
そしてユースケサンタマリアや深津絵里さん、
それにカープの野村監督や広瀬くんなどなど大分出身の有名人。
他にも大勢いらっしゃいますが、枚挙にいとまがないので
このあたりでお許しください。
大分での観光ポイントは青の洞門、競秀峰、など含む耶馬溪。
昔、樋田から青(いずれも今の本耶馬渓町)へ行くには、
山国川の上にそそり立つ岩壁に
鎖を渡しただけの道を通らなければならなかった。
しかし、この難所で足をすべらせて亡くなる人があとを絶たなかった。
享保19年(1734年)、この難所で人が亡くなるのを目の当たりにした
禅海という僧は托鉢で資金を貯え、
人を雇い、のみと鎚だけで30年かけて安全な隧道を掘ったという。
その「青の洞門」が下の写真
この方が禅海和尚さん。
山国川と絶壁の断崖。
車で走っていてもわかりました。奇岩怪石の険しい山、深い谷。
大分県はなんと起伏が多く険しい地形なのだろうって。
そして午後3時頃、由布院到着。
狭霧台から見た由布岳
由布院の町から見た雲を被った由布岳
この日は由布院の「和作」という七輪焼きの居酒屋で夕食。
鶏、豊後牛、関あじのお刺身など大分ならではの名物にご飯もすすみました。
いや、夫は呑んべですが、私はゲコなもので。
翌日4日は宮崎で夫は仕事。
私は日南にカープの秋季キャンプでも取材に行こうかと思ってたけど
どうやらお天気は最悪な感じ。
さて、私は日南に行けたのでしょうか。
続く。
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