ビンチの詩集

老人と地元をこよなく愛する者のつぶやき

若者よ 宇宙へ海原へ

2013年08月31日 | 若者
 今日は、これから国際フォーラムまで行ってきやす。感想は後日^^/
 昨日、一つの仕事を辞めました。
 その事業所の管理者の方には、公私共々、大変お世話になりました。
 この方がいたから、私は介護仕事の手伝いをしたいと思いました。
 でも、父の一周忌を目処に、自分の人生を強引に変えていく!と
 決めていたので撤退させていただきました。
 とりあえず、少し休んだら自分と向き合い、筆を走らせ、
 今を表現してみようと思います。

 少しの間、訪問介護の世界を覗かせていただき、
 どの業界も一緒なんだなぁと感じました。働く人が向上心を持って、
 人としての普通の礼儀・常識を持って勤務しなければ、
 どの職場も水準は上がらない。
 一人が頑張っても、みんなが団結して頑張らないと意味がない。
 水の泡、桶のたがです。いくら背の高い桶であっても、
 一枚の板が低ければ、そこまでしか水は溜まらない。
 流れ出るばかりで水準は上がることはない。
 水準を上げるためには、個人プレーせず、ひとり一人が情愛をもって
 少しずつ低い水準の者を補えば、自然と多くの水(成果)が溜まります。
 会社も社会も同じ。選挙の一票もそう!
 誰かの一滴で溢れ出すタイミングがある。
 それは、いつ・どこで・誰がその一滴になるかは神のみぞ知ることです。
 で、今日はこんな詩です。

 

 無限に広がる 心の宇宙は
 夢を追う ロマンある者に
 美しい魅力と感性を 与えてくれるだろう

 壮大に広がる 心の海原は
 望み諦めない 挑戦する者に
 信じる力と勇気を 与えてくれるだろう

 若者よ 
 心の中に 真の宇宙と海原がある
 無窮の自由と窮理の道を知ろう
 知能の宇宙へ 意思の海原へ 
 自らの羅針盤を信じ 
 指針を持って 舵を取れ

空(くう)は偽らない

2013年08月27日 | 社会
 今日は、これから行きつけの整体師の所へマッサージに行ってきます。
 うんで今晩は、愛しのドラキュラ映画を見ようかなぁ~。
 自称ドラキュラ研究者としては、今のところ、
 F・コッポラ氏のドラキュラが一番好き。原作に忠実に作ったらしいですが…、
 コッポラ氏がつくると怪奇映画も純愛の魔法にかかる感じ。
 単に夜な夜な人を襲う吸血鬼じゃなく、真実の愛を探し、
 究極の純愛に彷徨う英雄としてドラキュラを描いています。
 神に仕え、神に裏切られ、満たされない魂の渇きを
 癒すために血を求める。コッポラが描く「癒す血」は
 「信じる愛」であり、生命の源そのもの。
 また、もう一つコッポラ氏の映画の美しい魔法は、
 昨年亡くなられた石岡瑛子さんの衣装デザインにありますよね。
 やさしく雅びなラインの中に、怪しい妖艶さと隠された陰影が
 物語の真実をひも解く余情を感じさせる。
 どれもが日本人の感性のゆたかさを存分に表現した素晴らしい衣装です。

 なお、今週末、舞台のドラキュラを観劇する予定なのですが、
 随分前に送られてきたチケットがまだ見つからない!!!行方不明^^;
 友よ、引き続き捜索いたします。
 朗報を待て(^^;))) 明日から必死に探しやす^^/
 で、今日はこんな詩です。

 

 誰のために 頑張ればいいの
 もう 褒めてくれる人はいない
 なんのために やり続ければいいの
 もう 喜んでくれる人はいない

 自分のためになんて 頑張れない
 そう思う あなたへ

 あなたの両親は どんな人だった 
 喜ぶ顔を 思い出してみて

 あなたの相手は どんな人だった 
 何が好きで 何を愛していた

 あなたの親友は どんな人だった 
 どんな夢と希望を語り 励まし合った

 最愛の人たちが あなたより先に旅立ち
 悩みも苦しみも 打ち明ける人がいない
 あなただからこそ
 頑張れる 続けられるのよ
 だって みんな あなたの中で
 あなたと共に 生きている 
 空(くう)の存在になった人たちに
 決して偽りはない
 四六時中あなたから離れることはない

 目に見えない存在ほど 
 真実だと いつかあなたも 確信できるよ

あなたの本音を聞かせて

2013年08月25日 | 社会
 今日は、猛暑も休日。
 涼しくて過ごしやすかったですね。
 しかし、非常に疲れている私を発見 (@ @)
 でも、今朝、まーくんの電話で元気になれたよ^^
 あんがとう~! 大好きだよ!
 彼とは、不思議な繋がりを強く感じるこの頃だ!!!
 で、今日はこんな詩です。

 
 
 恋もあきらめ 
 ひたむきに夢を追いかけ 生きている 
 たとえ傷ついても 
 それに負けない幸せをつかむと 頑張ってる

 あなたの本音を聞かせて  

 胸に仕舞い込む事ばかりで 
 本当は いつも淋しくて 
 正直に 伝えられなくて
 大人になった あたなだけど
 少女の心を 大切に持ち続けている

 私には わかるの 

 あたなの中の少女が 扉を開けたがっている
 「無邪気になって はしゃぎたいの」
 あなたの少女に 微笑みかけて
 ささやかな出来事に 心踊る人になれるから 
 仕事や結婚だけが 幸せのゴールじゃないって
 これ以上 頑張らなくていいって わかるから

それが今になって

2013年08月24日 | 自分
 今日は、これから友だちのイラスト展に行ってきます。
 天然素材全開のデザイナーの先輩と一緒に見てきます。
 ゲリラ豪雨になりませんように…。。。
 で、今日はこんな詩です。

 

 産まれる前から 人寄せを 
 年がら年中している 家で育った
 学校から帰ってくると 
 見慣れぬ人たちが 大勢いて
 人見知りする暇がなく たくさんの挨拶をした
 それでも 子供ながらに 
 恥ずかしさと不安と 闘っていた
 あるとき お茶を出す役目になった
 大人たちに褒められ お手伝いが好きになった
 そして お茶入れを駄目出しされ
 寝ていた負けん気が目覚めた
 それが 今になって 
 人好きや思いやり 自分の気持ちを
 正直に現す原点なんだとわかった

 幼児のときから 母が行く所は 
 手をつなぎ どこへでも一緒に 連れて行かれた 
 ずっと母の言葉と行動を 聞いて見て 
 ときには 大きな屋敷へお金を借りに行き
 堂々と頭を下げる母の隣で 
 とても贅沢なお菓子を 無邪気にご馳走になった
 返しに行くときは お金だけじゃなく
 いつも何か添えてあった 
 感謝をしっかり言葉で伝えていた
 そして 必ず貸した側が恐縮していた
 それが 今になって 
 懐の大きさと信頼を得る生き方の
 見本をみせてもらっていたんだとわかった

 小学生の頃 春休み夏休みは 
 必ず知人の家へ 3泊は預けられていた
 親に言う我が儘とは違う我が儘を 他人にも言う子だった 
 それでも 子供ながらに その家の決まりに従い 
 よく見て考え 覚える子だった
 あるとき 深夜に小児喘息の発作が出てしまった
 おばさんが 母に電話をした 
 対処方は 本人がわかっていると一言
 母がしてくれる通りの事を おばさんにしてもらった
 心細く不安でいっぱいだった
 でも 小学三年生が がんばった夜だった 
 それが 今になって 
 事情や状況を判断する能力を
 鍛えてくれていたんだとわかった

 たくさんの それが今になってが
 まだまだ ある
 親が子へ伝えたい生きる術は
 こういう事なのかもしれない
 母は常に 私の中で生きている 

 常にありがとう 常に感謝 常に一緒です

本当はいつだって

2013年08月23日 | 自然
 今日もドタバタでした。
 しかし蒸し暑い! 
 が、冬よりは夏がいい。でもアツイ!!!
 で、今日はこんな詩です。

 

 陽が差し 鳥が歌い 風が吹き 花が舞う 
 空が夕やみ 月に照らされ 星が流れる 
 いつだって 楽しさと 豊かさをと 美しさと
 親しみ合っていた

 素直になればいい ただ 素直になればいい
 けれど そこに
 疑りや不安の欠片を 残しちゃだめ
 少しのよどみが 真実を隠す

 垣根を越え 思いっきり子どもたちと無心で遊ぶ
 遠い昔 幼心が よみがえる

 希望は輝き 夢はふくらみ
 願いは叶う と信じていた あの頃
 本当はいつだって
 時は楽しく 心は豊かで 人は美しい
 何もかも閉ざしてしまうのは 
 大人の鎧をつけた 自分なのさ