ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

市長さんとの約束を守れなかった

2012年11月23日 | 好きな歌

  テツは82歳の身体を「ゆうあい久樂部」(老健施設)で過ごしている。

テツのほんの数年前までは、ほとんど全てのことが満たされていた。
 
妻との離婚は、テツの勝手な行動による結果であって、自業自得である。
その他は、仕事では好きな語学や音楽を生かすことも出来た。
 
後年になってからも、「ゆうあい久樂部」や「青柳園」(特別養護老人ホーム)、それに「市原園」(特別養護老人ホーム)などで音楽ボランティア活動をさせて頂いた。
 
その他の音楽活動としては、「いちはら歌声を楽しむ会」「昭和の歌をうたう会」「歌声列車IN小湊鉄道」なども、開拓することが出来た。そして協力スタッフも積極的に参加して下さった。
 
長野県諏訪中央病院の鎌田実先生の名言に「あわてず・あせらず・あきらめず」に感服し、「1.何事も10年、2.夢を追い続ける、3.継続は力なり」をモットーとして過ごしてきた。
 
しかし、これも自分の不注意のためにぎっくり腰や栄養失調を引き起こし、結果的に腰椎圧迫骨折や瘢痕ヘルニア腸閉塞、ラクナ脳梗塞などを発症し、現在の老健施設のお世話になっている。
 
 
 市原市五井にあったイトーヨーカドー市原店の近くで行われる恒例の「年末・五井大市」も、今年も開催されるだろう。
この季節になると、市原市長の佐久間隆義さんに、数年前「五井大市」でお会いした時のことを思い出す。
 
そのことについて投稿した記事をもう一度ご覧願えればと思う。
 

市長さんとの約束を守れなかった

http://blog.goo.ne.jp/music1930may/e/3c6abc43bb95b6bda429bf9bb5276778

2012年10月14日 | 音楽

 一部抜粋

僕は大泉逸郎が唄う「これから音頭」が好きだ。

すぎて来たあと ふり向くよりも
いまを楽しく 生きようよ・・・・

歌詞に「すぎて来たあと ふり向くよりも いまを楽しく 生きようよ・・・・」とあるが、過ぎて来たあとを振り向くと、僕は市原市長との約束を守れなかった。

数年前の「五井大市」で、市長の佐久間隆義さんと始めてお会いした時の事を思い出す。

今朝(12年10月14日)の話題をネットで探すと、《「最後まで現役作家」80歳過ぎても健筆だった丸谷才一さん》があった。

産経新聞 10月13日(土)21時50分配信


 作家の丸谷才一さんが13日、心不全で世を去った。「多少小説の書き方が分かってきた気がする。最後まで現役の作家でいたいなあ。ハッハッハッ…」。昨年10月、8年ぶりの長編小説「持ち重りする薔薇の花」について取材したとき、ふだんと同じように豪快に笑った姿が今も印象に残っている。
(中略)
小説にエッセーに、評論に、と80歳を過ぎても健筆を振るう秘訣を尋ねると、「スポーツをしないこと。あれは健康に悪いんだよ」と笑った。こんなところにも、大勢に流されない、頑固な生き方がよく表れていた。(海老沢類)


さて、僕は「200歳まで元気で生きてボランティアを続けたい」と言った。
市長さんの返事は「競争しましょう」だった。

そのことをNHKに投書した。
数日後、NHKから電話があった。

「今日の○○の時間に生の声で放送したいのですが・・・」

電話でのアナウンサーとの会話が始まると、すっかり興奮してしまって、舌が縺れてしまったことを思い出す。

市長さんとの約束のことは、全国にNHK第一ラジオの生放送で紹介されたのだが、結局は僕が約束を破ったことになってしまった。

市長さんとの約束は

①200才まで健康で生きること
②それまでボランティア活動を続けること

その二つを僕が、あっさり破ってしまったのだ。

そして、今では身の回りのことを介護職員さんのお世話になっている・・悔しいがどうにもならないのである。

満足に歩くことも出来ない、階段を上ることもダメだ。
「ゆうあい久樂部」(老健施設)や「市原園」(社会福祉法人・昭和村)でのボランティア活動、「いちはら歌声を楽しむ会」「昭和の歌を歌う会」「歌声列車IN小湊鉄道」などを立ち上げた。

しかし、もう一つの夢である「歌声列車IN房総半島横断鉄道」(小湊鉄道の「五井駅」といすみ鉄道の「大原駅」の間を歌声やいろいろのイベントを展開しながら列車を運行する)の計画を進めることが出来なくなってしまった。

それどころか、本日(10月14日)開催の五井公民館主催のサークル活動発表会(「いちはら歌声を楽しむ会」も参加出演)にさえ、伴奏参加が出来ない始末である。

笑レクさん(司会)や徳さん(伴奏)は、他のイベントにも出場するので忙しいのだが、時間を調節されて「いちはら歌声を楽しむ会」を助けて下さっている。
本当に申し訳なく思う。

 以下略

 


 この記事に対して、美音岡 晴也さんより、コメントを頂いています。

 気にしなくても… 2012-10-14 17:54:16

大分、約束の事を気にされていますが、守れないと何か問題がありますか…。
約束違反したとなにか責任を追及されますか…。
そんな事ないと思いますよ。自分流の生き方をすればそれだけで十分です。
あまり気にしないで…。
 


 鎌田實
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E7%94%B0%E5%AF%A6

鎌田 實(かまた みのる、1948年6月28日 - )は、東京都杉並区出身の医師。

概要 
 
1歳で養子に出され、青森県から上京し個人タクシー業を営む養父と病弱な養母に引き取られる。ただし37歳でパスポートを取得するまで養子であることは鎌田本人には伏せられていた。
 
東京都立西高等学校卒業。東京医科歯科大学医学部では全共闘に参加、卒業後、つぶれかけていた長野県茅野市の諏訪中央病院医師として、「住民とともに作る地域医療」の最前線に取り組んできた。1988年、今井澄のあとを受けて同病院院長就任。またチェルノブイリ原子力発電所被曝事故の患者の治療にも協力し、1994年に信濃毎日新聞賞を受賞した。著書「がんばらない」は2001年に西田敏行主演でテレビドラマとしても放映された。
 
現在は諏訪中央病院名誉院長であり、またNHKラジオ第1放送の祝日特別番組「鎌田實のいのちの対話」(2012年3月終了)、文化放送「鎌田實×村上信夫 日曜はがんばらない」(2012年4月開始)にパーソナリティーとして出演している。
 
2006年の第57回NHK紅白歌合戦で特別審査員10人の一人に選ばれた。
 
2010年、著書「がんばらない」の一部が、鎌田を取材した医療ジャーナリスト・西寺桂子の文章に酷似していることが判明。発行する集英社が謝罪するとともに、該当箇所を書き直すことになった。


 オリジナル・イメージソング「君の住む街・市原は」の歌詞およびアクセス回数(再生回数)は、こちらをクリックしてご覧になれます。
http://www.youtube.com/watch?v=i0xnXwWgMf4&feature=plcp 

「君の住む街・市原は」の楽譜(ピアノ伴奏付)は下の文字列をクリックして下さい。A4の用紙(1~3ページ)に印刷できます。 

楽譜・「君の住む街・市原は」・・・ページ1.pdf」をダウンロード
楽譜・「君の住む街・市原は」・・・ページ2.pdf」をダウンロード
楽譜・「君の住む街・市原は」・・・ページ3.pdf」をダウンロード

 



2 コメント

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まだまだ !!! (紫頭巾)
2012-11-23 07:36:18
今の施設では、外出は儘(ママ)にならないが、
次の施設では、外出は自由のはず。
問題は、門限でしょうね。

テツさんの、気力/体力勝負ですよ !!!
鬼が(^〇^)大笑いするが、【歌声列車IN小湊鉄道】30回記念は平成26年2月?か4月?。
その間には、【歌声列車IN房総半島横断鉄道】の企画/
実行できるかもしれません。
実直/頑固なテツさんが、諦めるのは まだ、早い。

自分自身を【鼓舞し振るい立たせ !!!】生きなければ・・・。

人間50年 後(ノチ)Iの おまけの人生は自らを
「どう、生きるかではなく、どう生きたかである」と私は思います。

それにしても、早い時間の投稿ですね・・・・
遅れました・・・おはようございます(^0^)(^0^)




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遅くなりました (演歌アコーディオンのテツ)
2012-11-24 10:11:16
コメント有難うございます。
返事が遅くなり申し訳ありません。

これまでは思いついたことは、実行できましたが、これから先は無理です。

この不自由な体力で、千葉県県庁まで出かけることなどは出来ません。

今後のことは、すべて笑レクさんにお任せです。

有難うございました。
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