ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

ヘブライ語 ウィキペディアより転記(1)

2015年03月11日 | 好きな歌

ヘブライ語

 

ヘブライ語(ヘブライご, עברית, Ivritラテン語:Lingua Hebraea)は、アフロ・アジア語族セム語派に属する北西セム語の一つ, ヘブル語とも呼ばれる.

 概要

 ヘブライ語には、古代パレスチナに住んでいたヘブライ人ユダヤ人)が母語として用いていた言語古典ヘブライ語(または聖書ヘブライ語英語版)と、現在イスラエル国で話される現代ヘブライ語とがある。現代ヘブライ語はヘブライ語で「イヴリート(イヴリット)」と呼ばれ、古代の聖書ヘブライ語は Leshon HaKodesh[1] あるいは「聖なる言葉」すなわち「神の言語」という名前で知られていた。

 古典ヘブライ語はユダヤ人が世界離散(ディアスポラ)したころから次第に話されなくなり、後の時代の離散ユダヤ人は、かわってアラビア語ラディーノ語イディッシュ語などの諸言語を日常的に用いた。そのためヘブライ語は二千数百年の間、ユダヤ教の言葉として聖書ヘブライ語聖書)やミシュナーなどの研究・儀式・祈り、別々の言語を話す遠隔のユダヤ人共同体同士がコミュニケーションを取る場合などに使われるのみであった。しかし、20世紀にヘブライ語が現代ヘブライ語として再生され、他の言語に替わってイスラエル国に居住するユダヤ人の日常語の地位を占めるようになって現在に至っている。

 この言語の一般的な名称として使われているヘブライの名は、ユーフラテス川を越えて移住する人たちのことを総称してヘブル人と呼んでいたことに由来する。今から紀元前3500年頃にカルデアのウル英語版(現在のイラク)からカナンの地(現在のパレスチナ・イスラエル)に移住したとされるアブラハム一族と、その子孫である人々が他称としてヘブル人、ヘブライ人などと呼ばれるようになり、彼らが使う言語がヘブル語、ヘブライ語と呼ばれる。

 特徴として同じセム語族に属するアラビア語と同様に、この言語は文章で書くときは右から左に書く。またヘブライ文字はアラム文字に由来するため、日本語や英語などと違って、子音を表す表記はあっても、母音を表す表記はないことが多く、言語の習得にはある程度の慣れが必要である。

 ネクダーと呼ばれる母音記号は存在はするが、日本語で出版されているヘブライ語の文法書や語学書や辞書など、言語習得のための初等教科書や発音のわからない外来語の表記の際に使われるだけであり、文章を読んだり書いたりする際に使われる機会は少ないが、イスラエル国でも詩やシャアル・ラマトヒールというヘブライ語初心者向けの新聞にはネクダーが付されている。

 日本語とは発音や言葉の意味に似ている点が少なからずあるとする意見があり、TV番組などでも紹介されることがある。ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグは著書において「日本語はヘブライ語と類似した単語が優に3,000語を超えて存在している」と語っており、カタカナとヘブライ文字の共通性にも注目している。詳しくは日ユ同祖論を参照。

 

古典ヘブライ語

 聖書ヘブライ語英語版」を参照

 古代ヘブライ人の言葉がカナン語と混じり合ってできあがったものだとされている。ヘブライ語で書かれた最も著名な書物は「ヘブライ語聖書」(キリスト教徒にとっての旧約聖書)である。

 この言語は当時のオリエント世界の共通語であったアラム語に取って代わられていき、旧約聖書も一部はアラム語で記述された。後の新約聖書の時代においても、イエスは日常的にはヘブライ語とともにアラム語を話したと考えられており、新約聖書にはイエスの言葉として両方の言語の言葉がそのまま記載された箇所がある。この二言語はきわめて近縁であり、さらに長年の言語接触で一種の方言連続体を形成していたことから、この時代のユダヤ人は自然とアラム語とヘブライ語のバイリンガルとなっていたと推測されている。

 紀元70年にユダヤ人の世界離散(ディアスポラ)が起こってからは、ユダヤ教における宗教儀式において使用されるほかは、ラディーノ語イディッシュ語の中に痕跡を残すのみで一般的な話し言葉としては完全に使われなくなっていた。

 中世に入って文献学者のヨハン・ロイヒリン英語版は非ユダヤ人にして初めて大学で聖書ヘブライ語を教授しカバラについての著書 (De Arte Cabalistica) を残し、ラビとしての教育を受けたバルーフ・デ・スピノザは死後に遺稿集とした出版された『ヘブライ語文法総記』で文献学的聖書解釈の観点からより言語語学的なヘブライ語の説明を行った。その冒頭部で、母音を表す文字がヘブライ文字には存在しないにも拘わらず「母音のない文字は『魂のない身体』(corpora sine anima) である」と記した。

 

現代ヘブライ語 

現代ヘブライ語は、20世紀に日常語として復活した。しかし、ヘブライ語が日常語として用いられなくなっていた時代でも、ヘブライ語による著述活動は約1800年間、途切れることなく続いていたのであり、全くの死語となっていたわけではない。現代ヘブライ語は聖書ヘブライ語から作られたという誤解があるが、実際はミシュナー・ヘブライ語など後世の言語的特徴を多く含む。

 19世紀ロシアからパレスチナに移り住んだエリエゼル・ベン・イェフダー(1858年 - 1922年)は、ヘブライ語を日常語として用いることを実践した人物であり、ヘブライ語復活に大きな役割を果たした(彼の息子ベン・ツィオンは生まれてから数年間はヘブライ語のみで教育され、約二千年ぶりにヘブライ語を母語として話した人物となった)。しかし、彼が聖書を基に一から現代ヘブライ語を作ったわけではない。彼の貢献は主に語彙の面におけるものであり、使われなくなっていた単語を文献から探し出したり、新語を作ったりして、現代的な概念を表すことができるようにした。そのために全16巻からなる『ヘブライ語大辞典』を編纂したが、完成間近で没し、死後に出版された。

 こうしたユダヤ人の努力によってヘブライ語は話し言葉として再生され、のちにイスラエル公用語のひとつとなった。一度日常語として使われなくなった古代語が再び復活して実際に話されるようになったのは、歴史上このヘブライ語だけである。現代ヘブライ語は、イスラエル国内に多数のアラブ人が居住していることにより、アラビア語の影響を受けており、「ファラフェル」(ヘブライ語פָלָאפֶל‎)などアラビア語起源の単語がそのままヘブライ文字で記載されることが少なくない。さらに、経済のグローバル化情報技術の発達などにより、「インターネットヘブライ語:אִינְטֶרְנֶט‎)」など英単語をヘブライ語に「翻訳」することなく、そのままヘブライ単語となることも少なくなく、さらにコンピュータ関連の文書などにおいてヘブライ文字で記載されているヘブライ語のなかに、英字で記載されてある英単語がそのまま挿入されていることもある。また、この場合、英単語は右から左へではなくそのまま左から右へと記述され挿入される。

 現代のヘブライ語事情に関しては、イスラエル国内のアラブ人、すなわちアラブ系イスラエル人、ならびに占領地におけるパレスチナ人は、ヘブライ語を非常に流暢に話している[2]。彼らのほうが、成人になってからウルパンというヘブライ語教室においてヘブライ語を少しだけ学ぶユダヤ系米国人たちよりもヘブライ語に堪能であると思われる。その背景として、ヘブライ語とアラビア語は、文字は異なるが、共にセム語族の言語であり、文法や語彙などにおいてかなり類似点があるからである。また、現代のパレスチナだけではなくイスラエル国内においても多数のアラブ系イスラエル人が居住し、イスラエル建国以前はアラブ人の都市や村落も多数あるため、アラビア語起源の人名や地名など固有名詞のヘブライ文字化も行われている。具体的には、アラビア語で「ようこそ」などを意味するاهلا وسهلا(アハラン・ワ・サハラン)はאהלן וסהלןとヘブライ文字化される。

 現代ヘブライ語において用いられる数字は、数学で用いられているアラビア数字である。そして、右から左へ記載するヘブライ語の中に、左から右へ記載するアラビア数字を挿入して記載している。そして、マイクロソフト社のMicrosoft Wordを用いてヘブライ語の文書を作成する際にも、ヘブライ文字は右から左へ記載されるが、数字だけは左から右へ記載されるようになっている。

 世界各地からユダヤ教徒がイスラエルへ移民しているため、イスラエルにおいてはイスラエルへの移民であるか否かを問わず、またイスラエルへ定住する意思の有無を問わず、誰でもヘブライ語を学習することができる成人を対象としたヘブライ語の教育機関としてウルパンが設立されている。

  

続き→ヘブライ語 ウィキペディアより転記(2)



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