自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

目的と条件で動く人工知能より大切なのは人間の文化

2016-03-25 19:56:34 | 自然と人為

 人工知能も宇宙人も応募可の「星新一賞」で、人工知能が作った小説が1次審査を通過したそうだ。日本SFの先駆者にして「ショートショートの神様」と謳われた小説家の星新一(1926-1997)には、父の築いた会社、星製薬の後継者として、また父の政治家等の偉業を、日本の戦争前後の時代に踏みにじられたことへの悔しさを語った長編『人民は弱し 官吏は強し』『星新一 一〇〇一話をつくった人』もある。

 星新一のSF風のウィットとしての応募に目くじらを立てるのは失礼かも知れないが、人工知能はワープロ機能を向上をさせても、小説など書けるはずがない。世間が誤解すると困るので断言しておきたい。

 また、囲碁 最強レベルの棋士 人工知能相手にようやく1勝(動画)とメディアは大騒ぎしている。将棋に次いで囲碁もプロ棋士が負けたことで人間の仕事をコンピュータが奪ってしまうという論調だ。

 この対局には囲碁AIの生みの親の天才制作者、デミス・ハサビス氏も立ち会っているが、彼の才能で「囲碁に勝つ」という目的が一つのゲームが出来たことは素晴らしい。しかし、対局者のイ・セドル9段が「機械は囲碁の美学までは理解しない」と言うのは負け惜しみではない。囲碁のルールで交互に碁石を置く10の360乗以上に上るとされている場所のどこに打てば勝てるかという目的が一つの問題にはコンピュータは人間より強いというだけで、このことで囲碁の文化が否定されるものでもない。

 以前、このブログ「「想像する脳」と自然と地球に生かされる人類~我々は何処から来たのか、何処へ行くのか?」で「人工知能と人間」について少し触れたが、目的に到達して最適解を得る方法はさらに進歩するにしても、人間のように様々な目的を持った人工知能などあるはずがない。

 当時は、問題を線形モデルとして扱い、絶対に守らなければならない「制約」を、この程度は守ってほしいという「目的の希求水準」として扱い、各目的の希求水準からの距離の二乗を最小にすることで目的間のバランスを取る方法である多目的計画法で最適解を求める方法を、家畜の飼料配合問題に応用する研究をしたが、「制約」を「目的の希求水準」として扱うことで柔軟な解は求めることが出来るが、その希求水準の設定の根拠がない限り、設定に任意の判断が必要となり組織で使用する場合に「組織と個人」の問題が生じることに気がついた。

 飼料原料の使用量を目的として、その希求水準を設定するには気象情報、収穫量の予想、原料の市場価格、原料の保存量から買い付け時期等の膨大な情報が必要であり、飼料配合問題は自然と社会と経済に及ぶ大型モデルとなる。

 また、この問題をEXCELでソルバーを利用すれば簡単に解くことが出来るが、最適解を求めるソルバーの計算方法は一般に理解するのは困難で、ソルバーのような目的の最適解を求める方法がニューラルネットワーク理論からディープラーニング(1)(2)へと進歩し続けることと、人間の複雑な営みである文化や社会経済を同じ次元で考えることは妄想である。

 人工知能に象徴されるように、世の中は自然の暮らしから人工的世界の暮らしへの移行が進歩だと思うことが常識となりつつある。そのことはその時代に生きる人々の判断が複雑化し、分裂し、人工的世界をリードする人達が尊敬され、その意見に世論が誘導される恐れがある。問題発生から解決までのプロセスの国別比較のイラストも面白いが それぞれの国に特徴があるにしても、いつの時代にあっても忘れてならないのは我々は自然の一員であり、すべて兄弟であること。そのことは人類学的には誰も否定できない。そして自分の自由が尊重されるためには他者の自由も尊重されねばならないという「自由と民主主義」において、曖昧であるが繊細で平和を求める日本の文化の歴史を持つ我々は、「『精神的自由』が『経済的自由』より優越する」ことを毅然として示す社会を目指すこと。それが世界に貢献できる道であると、私は信じている。

 言葉は理性によって紡がれる。日本人が曖昧なのは理性のようで、実は感性で物事を受け止めているからではなかろうか。秋の虫の声を聞き分けるのは繊細な理性だそうだから、繊細な理性に『精神的自由』>『経済的自由』という絶対守らねばならない制約を厳しく設定して、人権問題を解く訓練が必要であろう。

初稿 2016.3.25 更新 2016.3.26






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