自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

国を守ることと国民を守ることの大きな違い

2017-10-30 12:55:42 | 自然と人為

 「国を守る」と声高に言う人がいる。その多くは国民を犠牲にしても国を守ることに疑問を持たない。「会社を守る」といって社員を大切にしないで使い捨てる会社があるように。国がなくても会社がなくても、人は生きていける。何故、国を守るために戦争で死ななければならないのか。何故、会社を守るために過労死しなければならないのか。その国で、その会社で、生きることが幸福でありたいものだ。

 安倍政権と密接な関係を持ち憲法改正を訴える「日本会議」は、憲法の「国民主権」を認めない。会社は自分たちで創ったものだからそれなりに会社を重視する愛着はあろう。しかし現代の国は憲法で大枠は規定されている。「日本国憲法の三大原則」の国民主権、基本的人権、平和主義(戦争の放棄、戦力の維持、交戦権の否認)は、中学生でも常識である。この3原則のどこを変えようと言うのだろう。この3原則を守るために憲法の細部が十分でなければ、憲法に則り法律で補えば良い。しかし、その憲法に違反した「平和安全法制」が有効となれば、国の存立基盤は損なわれ、ワイマール憲法ドイツのナチスが生まれたように暗黒の独裁政治が忍び寄る。

 個人よりも天皇の尊厳を大切にし日本の伝統を愛すると言うなら、憲法の上位にある日米地位協定の廃止こそをまずは要求すべきであろう。日本に駐留する米軍の地位を守ると言うが、それは日本を占領し続けるアメリカの地位を尊重するということだ。ここに日本のネジレて歪んだ政治状況がある。沖縄の悲劇がある。

 現実から問題を考えると動物である人類は目先の勝ち負けや損得を考えて、今、発生している問題の背景、根底や枠組みを考えることはない。あらゆる情報媒体により、アメリカは先進国であり友好国であると洗脳され続けているので、世界中で戦争を続け、命を守るために銃を持つことを国民の権利とする野蛮なアメリカに日本が支配され続けていることを気にしない。原爆を開発して躊躇なく日本に落としたのも、日本への憎しみもあったろうがアジア人への差別はなかったと言い切れるだろうか。

 私は生まれ育ったこの故郷を、日本を愛している。日本国憲法の三原則を誇りにしている。この3原則は時代が変わろうが不変だと思っている。日本の首相は何故、中学生の常識を変えようとするのか。私には彼が中学生並みの常識すら持たず、アメリカという虎の威を借りて政治の私物化を平気でする、まるで裸の王様みたいな首相に見える。私物化した今回の衆議院解散を「国難突破解散」とシャーシャーと言える頭脳と心臓の持ち主だが、むしろこれは志のいる政治家を3代も世襲し、封建的になった政治風土で我儘なまま首相になった安倍晋三による「国難襲来解散」(動画)ではないか。

 日本の保守政治家の本流はリベラルであった。元宮沢首相は「権力の行使には臆病なほど慎重であれ」と言った。教養があるからいろいろな視点で物が見え、アメリカの支配に身をゆだねることに慎重であった。しかし、安倍首相はそれは間違いだと言う。権力は積極的に行使してこそ国民の負託に応えることが出来ると言い、積極的にお友達のために自分のために権力を私物化している。公人と私人のケジメさえ分からない人には、国と国民の関係すら理解できず、国民を大切にする政治が出来るはずはない。

 日本は国民主権の国だ。社会の組織化が進めば進むほど、「個人の自由」や「個人の尊厳」は「他者の尊重」によって守られる。国民が幸せに暮らすには、まずそれぞれの国民が他者を尊重して生きていかねばならない。
 ある会社・団体に勤務する私の知人は営業熱心で表彰される仕事ぶりであるが、会社のやり方に我慢がならず自分の意見を主張して来た。しかし、会社は現場で仕事をする彼の意見をうるさがり、彼は社内で意見が通る立場にはなかなかなれない。現場には様々な問題があるが、現場から離れ、自分からだけしか見えない世界に住んでいると、問題の全体は見えなくなる。現場の意見を生かせない組織は劣化の赤信号である。今、大会社で信用を無くすような不祥事が多発している。政界だけでなく経済界も劣化している。政治も経済も現場の生の声を大切にしないと、日本は間違いなく沈没していくだろう。
 
 参考:サンデーモーニング 2017.10.8 
     風をよむ「リベラルの今は・・・」

初稿 2017.10.30

最新の画像もっと見る

コメントを投稿