平安時代の陰陽  (平安時代中心の歴史紹介とポートレイト)

玉響 「勾玉が触合うほのかな響き かぎろひの輝き」
「玉かぎる昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか」 万葉集

出雲王朝52-黄泉の比良坂と揖夜神社

2017年08月13日 | 記紀創世紀

 伊邪那岐命・伊邪那美命は国生みを終えると今度は八百万の神を生み始めるが、火の神・火之迦具土神を生んだときに、成り成りて成り合わぬところを大火傷し臥し、やがて黄泉の国へ旅立ってしまう。伊邪那岐命は死んだ伊邪那美命の枕元に臥して絶望的な悲しみにくれたあと、出雲国と伯耆国の国境にある比婆山に伊邪那美命を葬った。また、火の神を恨んだあまりに十拳剣でわが子・火之迦具土神の首を切り落としてしまった。このとき伊邪那岐命の涙や剣の切っ先から飛び散った血から多くいの神が誕生している。悲しみを癒せない伊邪那岐命は伊邪那美命を蘇らせようと黄泉の国という穢れに満ちた暗黒の世界へ行く決意をする。

 黄泉の国とは死者の国、生きた者が来ることは禁じられている。そこへ降りた伊邪那岐命が閉ざされた御殿の石の扉を目にしたとき、伊邪那美命の声を聞いた。黄泉の国で不浄な火と水で炊いた食物をここにいる神々とともに口にしたことを悔いているという。何故ならもう二度と元には戻れない、しかし神々に相談して戻れるかどうか確かめるから、それまでは絶対に中にはいらないようにという。伊邪那岐命は待ち続けたが我慢は限界となりとうとう中へ足を踏み入れた。すると伊邪那美命の体は腐って腐臭を放ち無数の蛆がたかり八匹もの魔物がへばりついていた。そのけがらわしさに体を震わせ出口に走ろうとしたときに黄泉醜女が突進してきた。黄泉醜女というのは死の国の穢れが神格化した恐ろしい女のことをいう。伊邪那岐命が逃げ延びるので頼りにならない黄泉醜女たちに苛立った伊邪那美命は八匹の魔物(八柱の雷神)と1500の軍勢を伊邪那岐命に差向けると、十拳剣で追い払った伊邪那岐命は黄泉平坂(黄泉平坂はいったいどこにあるのかというと出雲の揖夜神社の近くにあるという)まで逃げ延び、そこにある桃を追っ手に投げつけたところ追っ手はたちまち退散した。それ以来桃には邪気を祓う力があるとされた。ところが伊邪那美命はまだ追ってきたので大岩で道を塞ぐとこれからはあなたの国の人々を毎日1000人ずつ殺すという。すると伊邪那岐命は毎日1500人ずつ生まれるように産屋を建てようといった。かくしてこの国では毎日500人ずつ人口が増えることとなった。

出雲の揖夜神社の近くにある黄泉比良坂

 古事記によれば、オオナムジが根の堅洲国、つまり黄泉の国のスサノヲの元に赴くとスセリヒメが出てきてたちまち結ばれたという(黄泉の国では素戔嗚が王)。須勢理毘売命はオオナムジを宮殿に招くと、建速須佐之男命は大穴牟遅神に蛇の部屋に寝るように命じた。かくして建速須佐之男命の試練にあうのである。スセリヒメは蛇の領巾をオオナムジに手渡し、蛇が噛もうとしたら領巾で払うようにささやいた。これによりオオナムジは安らかに眠ることができた。次にムカデと蜂の部屋で寝るように命じられると、ムカデと蜂の領巾を授かって眠れた。これが第一の試練である。次は鳴鏑の試練、その次は虱の試練、と打ち勝ったオオナムジは、たまらずスセリヒメとともに根の堅洲国から逃げ出して、地上の黄泉比良坂に向かった。そして建速須佐之男命に男気を認められた大巳貴命は、木次の妙見山から続く城名樋山に城を構えた。ここは斐伊川と三刀屋川の合流するところで、スサノヲがオロチを退治した佐世神社の近くである。かくして兄弟である八十神を山麓に追いやり、葦原中国を支配する王者となりスセリヒメを正妻とした。つまり宮殿を住処とする出雲の国の大王となったのである。このとき苦難を克服したオオナムジはオオクニヌシと名を改め見違えるほどの強靭な神となった。

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