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鳥取藩池田氏の墓所

2019年11月08日 | 池波正太郎 江戸時代

 史跡鳥取藩主池田家墓所は、初代藩主池田光仲の墓所として1693年に、ここ奥谷の地に建てられた。因幡・伯耆をあわせた32万石を領した初代鳥取藩主池田光仲から11代藩主慶栄までの歴代藩主と藩主夫人や同族70数基の墓碑が整然と立ち並んでいる。藩主の墓碑は、亀の形をした亀趺とよばれる台石に円頭扁平な墓標を立てた「亀趺円頭」の墓碑とよばれ、大名家の葬制、墓制の階層制を知ることができる貴重な資料として史跡に指定されている。

 織田信長の重臣・池田恒興の次男が池田輝政は、中川清秀の娘・糸姫を正室として迎え(1565年頃)嫡男・利隆が生まれた。池田利隆は岡山藩池田家宗家を継いだ。また池田輝政は、徳川家康の二女・督姫を継室として迎え(1602年頃)六男忠雄が生まれた。池田忠雄は因幡鳥取藩池田家宗家を継いだ。池田利隆の嫡男・光政が岡山藩初代藩主なのに対して、池田忠雄の嫡男光仲は鳥取藩初代藩主となった。また、光仲の嫡男・綱清は二代鳥取藩主、次男仲澄は鳥取新田藩(東館)初代藩主、四男清定は鳥取新田藩(西館)初代藩主となることで鳥取池田家の繁栄を永続させたものと思われる。池田光仲が鳥取藩主になったのは1632年、3歳の時であったが、実際の領国経営を行ったのは19才の時である。1638年に三代将軍家光の前で元服したため、光の字を賜っている。1645年には幕府の斡旋で紀州藩主・徳川頼宜の長女茶々姫と結婚したことから、鳥取池田家と紀州徳川家との姻戚関係が継続した。こういった状況もあり、この頃に鳥取池田家は支藩鹿奴藩を立藩して東館と称し、次男池田仲澄を藩主とした。また四男 池田清定には支藩若桜藩を西館と称して立藩した。

 これは第8代将軍・徳川吉宗が別家を立てて御三卿を起こしたのに似ている。吉宗が田安家、一橋家を創設した意図は、尾張藩第7代藩主の徳川宗治との対立を踏まえて、徳川御三家と将軍家との血縁関係がしだいに疎遠になったことから、御三家とは別個の親族を将軍家の新たな藩屏とすることにあったという。また、将軍家に後嗣がないときは御三家および御三卿から適当な者を選定することができた。鳥取池田藩についても、同様の意図から東館、西館を設立したものと思われる。

 また、墓所に眠る藩主の没年が20才前後が多いことに気づく。(11名のうち6名)この傾向は支藩である東館、西館の藩主にも言える。8代鳥取藩主池田斉稷の時には、今まで相模守であったのを因幡守に変更することで、若死が続いている難からのがれようとしていたという。加賀藩から迎えた11代藩主・池田慶栄が17歳で没したときには加賀前田家の奥向きから毒殺説が浮上し、池田慶栄の母・溶姫は信じていたという。

池田恒興1536-1584(信長の乳兄弟)清洲会議の宿老 小牧・長久手の戦で討死

  ┗池田輝政1565-1613(姫路城主)

    ┣池田利隆1584-1616 播磨姫路藩の第2代藩主。岡山藩池田家宗家2代

    ┃ ┗池田光政1609-1682 母は糸姫 岡山藩池田宗家3代 播磨姫路藩第3代藩主、因幡鳥取藩主 備前岡山藩初代藩主 

    ┣池田忠継1599-1615 備前岡山藩初代藩主   鳥取藩池田家宗家初代

    ┣池田忠雄1602-1632 備前岡山藩第2代藩主 因幡鳥取藩池田家宗家2代

    ┃ ┗池田光仲1630-1693(初代鳥取藩主 母:徳島藩主蜂須賀至鎮の娘・三保姫 正室:紀州徳川頼宜長女・茶々姫

    ┃  ┣池田清定1683-1718(鳥取新田藩(西館)初代藩主)

    ┃  ┣池田仲澄1650-1722(鳥取新田藩(東館)初代藩主)

    ┃  ┃ ┣池田吉泰1687-1739(3代鳥取藩主)

    ┃  ┃ ┣池田貞賢 (鳥取新田藩(西館)2代藩主)

    ┃  ┃ ┗池田仲央 (鳥取新田藩(東館)2代藩主)

    ┃  ┗池田綱清1648-1711(2代鳥取藩主 母:因幡姫 徳川頼宜長女・茶々姫 正室:森岡藩主南部重信の娘・式姫) 

    ┃   ┗池田吉泰1687-1739(3代鳥取藩主 母:涼月院菊子 松平頼隆娘 正室:加賀前田綱紀の娘・敬姫) 

    ┃    ┗池田宗泰1717-1747(4代鳥取藩主 母:側室中村氏 吉宗の前で元服 正室:久姫 紀州徳川宗直5女) 

    ┃     ┗池田重寛1746-1783(5代鳥取藩主 母:久姫 紀州徳川宗直5女 正室:律姫 桑名藩主松平忠刻二女

    ┃      ┣池田澄時1769-1785 三男 鳥取東館新田藩の第6代藩主

    ┃      ┣池田仲雅1780-1841 六男 鳥取東館新田藩の第7代藩主

    ┃      ┃  ┣池田清直 1812-1858 鳥取西館新田藩の第8代藩主 

    ┃      ┃  ┣池田仲諟 鳥取東館新田藩の第8代藩主?

    ┃      ┃  ┃  ┣池田清緝 1843-1862鳥取西館新田藩の第9代藩主

    ┃      ┃  ┃  ┣池田徳定 1848-1910鳥取西館新田藩の第10代藩主 

    ┃      ┃  ┃  ┗池田徳澄 1854-1876鳥取東館新田藩の第10代藩主

    ┃      ┃  ┗池田仲律1805-1850 鳥取東館新田藩の第8代藩主

    ┃      ┃    ┣池田仲達 1841-1862鳥取東館新田藩の第9代藩主

    ┃      ┃    ┃ ┗池田徳澄 1854-1876鳥取東館新田藩の第10代藩主

    ┃      ┃    ┣裕之進 11代鳥取藩主に名が挙がった

    ┃      ┃    ┣延子(聡姫)  池田慶栄1834-1850 11代鳥取藩主の正妻

    ┃      ┃    ┗池田慶行1832-1848 10代鳥取藩主

    ┃      ┗池田治道1768-1798(6代鳥取藩主 母:側室村上氏 正室:生姫 伊達重村娘 重寛側室仲姫(松平定信の姉)に養る) 

    ┃       ┣三津姫 長州第10代藩主毛利斉熙の正室

    ┃       ┣弥姫1792-1824 薩摩藩主島津斉興の正室

    ┃       ┃ ┣島津斉彬1809-1858(11代薩摩藩主)

    ┃       ┃ ┣池田斉敏1811-1842(7代岡山池田家藩主)

    ┃       ┃ ┗候姫(土佐藩主山内豊熈1815-1848室) 

    ┃       ┣幸姫 佐賀藩鍋島斉直の正妻 

    ┃       ┃ ┗鍋島直正(閑叟)

    ┃       ┣籠姫 高鍋第9代藩主秋月種任室

    ┃       ┣善之進 早世  

    ┃       ┣完姫 笠間藩主牧野貞幹室

    ┃       ┣池田斉稷1788-1830 8代鳥取藩主永之進 母:側室浦の方

    ┃       ┗池田斉邦1787-1807 (7代鳥取藩主 母:三宅氏 三保の方 家斉の前で元服 財政倹約) 

    ┃        ┗池田斉稷1788-1830(8代鳥取藩主 母:側室の佃氏(浦の方)正室・演姫 家斉の前で元服 相模守→因幡守) 

    ┃         ┣徳川乙五郎(家斉の12男) 婿養子 家斉の前で元服 世継問題 藩主になることなく早世

    ┃         ┗池田斉訓1820-1841(9代鳥取藩主 家斉の前で元服 母:高沢氏 正室・家斉の娘・泰姫1827-1843) 

    ┃          ┗池田慶行1832-1848(10代鳥取藩主 母:若林氏 鳥取池田家の分家・仲律の長男 家慶の前で元服)

    ┃           ┗池田慶栄1834-1850(11代鳥取藩主 加賀藩主・前田斉泰の四男 母:徳川家斉の娘・溶姫 正室:聡姫)

    ┃            ┗池田慶徳1837-1877(12代鳥取藩主 水戸徳川斉昭の五男 母:松波春子 将軍慶喜は異母兄弟) 

    ┃             ┗池田輝知1861-1890 第13代当主 正室:鍋島直正の娘・幸子 

    ┃              ┗池田仲博1877-1948 第14代当主 徳川慶喜の五男 

    ┃               ┗池田徳真1904-1993 第15代当主 

    ┃                ┗池田百合子1933- 第16代当主 養子を迎えているが、当代限りで鳥取藩主家の役目終焉を表明

  督姫1565-1615(徳川家康次女)             

鳥取藩主池田家墓所

 

初代藩主・光仲

右隣には西館初代藩主・清定(光仲の四男)

その隣には西館五代藩主・定常(光仲の来孫)

 池田定常は江戸城柳の間・三学者のひとり池田冠山である。冠山には多くの側室があり9男16女をもうけたという。しかしそのほとんどが幼逝して成人したのは僅かに4人だけだった。幼くして逝った子女のうち最も惜しまれたのが16女の露姫。幼女の慈悲深い言動は菩薩の化身ではないかとの噂になるほど、優れた行状の多くが記述に残されている。露姫は不幸にも当時流行した疱瘡にかかり、かぞえ6歳で死去した。彼女の死後に遺書めいた手紙や俳句などが見いだされた。父・冠山は愛惜の情止みがたく、それらを模刻した。するとこれらが大きな反響を呼び、松平定信、滝沢馬琴、各種寺社などの著名人から賛美を得たという。

 

二代藩主・綱清(光仲の嫡男)

 

 

三代藩主・吉泰(光仲の孫)

 

四代藩主・宗泰(光仲の曾孫)

 

 

五代藩主・重寛(光仲の玄孫)

 

 

六代藩主・治道(光仲の来孫:曾孫の孫)

 

 

七代藩主・斉邦(光仲の昆孫:曾孫の曾孫)

 

 

 

八代藩主・斉稷(光仲の昆孫:曾孫の曾孫)

 

 

九代藩主・斉訓(光仲の仍孫:玄孫の曾孫)

 

 

十代藩主・慶行(光仲の仍孫:玄孫の曾孫)

 

 

十一代藩主・慶栄(加賀・前田家から迎えた)

 

十二代藩主・慶徳(水戸・徳川家から迎えた)

大雲院に墓所はあります

 

 

 

斉衆 将軍家斉の12男で徳川乙五郎

八代藩主池田斉稷の後継ぎとして立てられたが早世

 

東館初代・仲澄(光仲の次男)

 

清源寺住職代々の墓

 

初代藩主・光仲の側室上野勾の墓

光仲の側室上野勾は京都の出身で光仲に最も愛され西館初代・河内守清定をはじめとして三子を産んだ。

 

和田三信の墓所

家臣として唯一墓所に眠っているのが家老・和田三信。和田氏は池田輝政の頃から池田家に仕えた着座(家老職を出す家柄)のひとつであった。

三信は初代光仲、二代綱清に仕えた。この地に葬られたのは光仲の遺言である

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