明日、大切な人が旅立っていく。
その別れの言葉を、「ちゃんと、泣かずに言えるかな」と、ミオは橋の欄干から身を乗り出し、
水面に映る自分の顔を見て考えていた。
レンの旅立ちを見送るのは、二度目だ。
自分はもう泣くことしかできなかった小さな子供ではないし、
明日の別れも、昔の日に経験した、引き裂かれるような悲しさはない。
それでも、離れるのは寂しい、とミオは思う。
幼馴染のレンと再会して、そのレンの旅の相棒でもあるコーラルにも仲良くしてもらえて、
ウイたちも一緒になって大盛り上がりで、…楽しいばかりの日々が続いていたから。
だから、親しい人が去っていくのは寂しい。
これが永遠の別れというわけでもないのに、やはり寂しいのだ。
(心が弱いから)
小さいころから、姉や村の人たちによく言われていたことだ。
だが。
(心って、どうやって鍛えたらいいのかな)
寂しい時も悲しい時も辛い時も、所構わず涙があふれて止まらなくなる。
周りの人を困らせるのも解っている。
最近では、嬉しくてたまらない時にも泣けて泣けてどうにもならないことがある。
(なんだか、どんどん弱くなってる気がする)
それは困る。
ミオとしてはいつもだいたい真面目に困っているのだが、今のところ、改善策も、解決策も
解らないまま。
だから、今日は一人で街に出てきた。
レンは勿論、仲良くしてくれたコーラルにも、ちゃんとお別れが言えるように、
雑貨屋を回って、とびきり可愛い髪飾りを二つ買った。
これを餞別に手渡して、二人が喜んでくれたらきっと、寂しい気持ちも吹き飛ぶだろう。
(だからダイジョウブ)
大丈夫、ちゃんと言える、と心のうちで繰り返していると、人の気配を感じた。
水面に映るミオの影の隣に、長身の影が寄り添うように。
驚いて顔を上げると、レンが同じように川を覗き込んでいた。
「レンちゃん、何してるんですか」
「…川を見てる」
と、川の流れから一切目を離さずに返事が返ってきて、戸惑う。
「…はい、えっと」
「…何か、イイモノ、いた?」
「えっ?」
イイモノ、って何だろう?と、ミオも、もう一度、川を覗き込む。
透明な水の中では、小さな魚が群れをつくって優雅に泳いでいるのが見える。
「…綺麗な統率だね」
「そ、そう、ですね」
「軌跡が、もう芸術的」
「はい」
熱心に川をみて魚の群れの統率に感心したりする感性は子供のころから変わらないな、と思う。
思うけれど、数年ぶりに再会したレンリは、背が伸び、どこか子供らしい丸みもなくなって、
とても大人びていた。
だからその外見と内面との差異が、おかしくもある。
それまでの感傷的な気分が吹き飛んで、思わず頬が緩む。
その様子に、レンもやっと川から目を離してミオをみた。
「宿にいなかったから」
と、短くそれだけ告げる。
「あ」
あまり口数の多くないレンとの会話には、昔からの付き合いで慣れている。
わざわざミオを探しに出てきてくれたのだと解って、あわてて居住まいを正す。
「ごめんなさい、あの、すぐ戻るつもりだったんですけど」
念入りにプレゼントを吟味していたせいで時間がかかってしまい、心配させたのだろう。
一応、ウイには出かける旨を言付てはいたが、あちこち探し回らせてしまったのだと思うと
申し訳なかった。
そのことをちゃんと謝ろうと思って、でも明日の秘密の計画をばらすわけにもいかなくて、
と焦って言葉を考えていると。
「うん、ウイがミオの行きそうなところを教えてくれたから」
別に探してない、と、簡単にその件を終わらせてしまう。
レンは怒ったり困ったり、悩んだり、およそそういう感情とは無縁のような性格をしている。
それがミオには、居心地が良かったり、安心できたりするので、心を許せる存在なのだが。
「買い物してたの?」
と聞かれ、つい素直に、
「はい、レンちゃんに髪留めを買ってたんですっ」
と、くったくなく白状してしまった。
ご丁寧に、両手に隠していた可愛い包みを差し出して。
(わあああーちがーう!今じゃなーい!!今じゃないのにー!!)
心の中で絶叫しても、もう遅い。
髪留め?と、興味を示したレンは、ミオが差し出した包みに手を出していた。
手を、出してはいたものの、やはり、ミオの過剰な動揺もしっかり伝わっていて、
「…くれる、の?」
と、訝しげにそれを受け取れないでいる。
「は、はい、あの、明日、渡そうと思って、いたんです、けど」
「…あ、そう」
「驚かせたくて」
「うん」
「レンちゃんたちに内緒で、一人で買い物してたんです」
ウイに相談したら、じゃあレンとコーラルの相手をしていてあげるよ、と請け負ってくれた。
だから安心して順調に事を進められていたというのに。
「わたしったら…、わたしったら、本当に、大事なところで、だめにしちゃって…」
ばれちゃったんだから仕方がない。笑うしかない。
もう、話のネタにでもしてもらえればいい。
そんな思いで、全部を暴露しているミオの言葉を、ただじっと聞いていたレンが。
「開けていい?」
と聞いてくるので、それにも頷いた。
「どうぞ。ひとつは、コーラルさんに」
二つとも、花のモチーフがついた髪留めだ。
レンが時折、長い前髪を煩わしそうにしていたのを見て、小さなピンを選んだ。
これから積極的に戦う、と乗り気のコーラルには、纏め髪が出来るようにコームにした。
「かわいいね」
と、およそ可愛いとは思っていないような無感動さでそれを眺め、
「つけて」
と、ミオにピンを差し出す。
「あ、はい」
だから、ミオはそれを受け取って、身をかがめたレンの前髪につけてやった。
「あ、可愛いです!やっぱりその色にしてよかった、よく似あいますっ」
「そう」
「はいっ」
小さな花がレンの髪色に映えて、きらきらと光るのをみると嬉しくなる。
ミオが自分のことのように喜んでいると、やっと、レンが笑った。
「よかった」
「え?」
「なんだか、元気がなさそうだったから」
「あ、え、えーと、それは」
と、再び言葉を探していると、ああ、とレンが気づいたように真顔になった。
「…せっかく計画してたのに、バラさせちゃって、ごめん」
「えええっ、そんなっ、とんでもないですっ、レンちゃんのせいじゃないですよ」
「でも、ちゃんと驚いたから」
大丈夫、と至極、深刻そうに力説する。
「え?」
「…これ、ミオが一人で買ってきた、って聞いて、もうものすごく驚いたから」
それはそれは驚きました、とやっぱり、全然驚いてないような素振りでたたみかける。
「は、はあ」
それは。
「一人で買い物できるんだね」
すごいね、と言われては、返す言葉がない。
そのことを驚かれるとは思わなかった。
そりゃー買い物くらいできますよー。とは言えなかった。
レンの中では、まだ自分は、あの日のままの、小さな小さなミオなんだろう。
それをどんな風に思えばいいのか、ミオが自分の中で持て余して立ち尽くしていると、
レンは、もう一つの髪留めを包みの中に戻しながら言った。
「コーラルも喜ぶよ」
ありがとう、とその包みの封を元に戻して。
「帰ってすぐに渡してあげてもいい?」
と、ミオに確認する。
「あ、それは、もちろん」
「多分、お別れの前に渡されたら、泣いちゃうと思うから」
「え?」
ああ見えてコーラルは涙もろい、とレンが言う。
それは、普段から淡々としたレンには似つかわしくなく、深い情に満ちた響きに聞こえた。
「こ…、コーラル、さん、が?」
コーラルの意外な一面を知ったからか、レンの意外な一面を見たからか、
ミオは戸惑うようにレンを見たが、レンは小さく頷いて、包みを見ている。
「ミオの事、妹みたいに気に入ってたから」
強がってるけど、きっと泣く。
そう言って、困ったように笑う。
「泣いて、絶対、怒る」
そうしたらミオの気持ちは台無しでしょ?と、複雑そうな面持ちでミオを見る。
そんなレンは知らない。
いつもどんな感情にも乱されず、ただ静かにそこに在るのみ、というようなレン。
村にいた頃、レンが動揺してうろたえる様を見るのは、決まってミオが泣いた時だった。
まるでそこに知らない人がいるようで、どう反応して良いかわからず固まっていると
「どうしたの」
レンが何もなかったように、そう訪ねてくる。
「あ、えーと」
今の違和感はなんだろう?と思いながらも、ミオはレンの話に合わせた。
「コーラルさんのこと、すごく、よく、解るんですね」
それが、微妙にかみ合わないことは、きっとお互いに感じただろう。
奇妙な間があって、それでもレンが続ける。
「…だって、あの人、解りやすいでしょ」
そういいながらも、そんな言葉ではミオの同意を得られない、ということも解って、
レンは考える素振りを見せる。
ミオはただなすすべもなく見守るしかなかったが、多分、とレンの言葉が続く。
「旅をしてきたから」
「旅?」
「家族より、密だと思う」
コーラルとレンの出会いは聞いた。
そこから二人で旅をして、色々なことを共有してきたとしても、その時間は短い。
ミオとレンが村で過ごした時間よりも、ずっと短いと思えるのだが。
「…ミオも、そうじゃないの?」
と問われれば、自分とウイたちとの関係をなぞらえているのだと解って、動揺した。
自分には、言えない。
ウイや、ヒロやミカの事を、「家族よりもよく解る」、とは言えない気がする。
かけがえのない大事な存在だけれど、レンのように言えるかな、と考えて尻込みしてしまう。
レンと自分と、何が違うのだろう。
うつむくしかないミオの不安に、レンもただ口をつぐんだ。
日が傾いていく空の下、二人で物思いに沈むように、ただ沈黙していた。
幼い日にただそばにいたように、言葉も、答えも、思いも要らない、ただの沈黙の時間ではない。
それを打開する術をもたなくて、ミオはレンを見る。
同じようにレンもミオを見ていた。
何かを言わなくては、と口を開いた時、レンが先に言葉を発する。
「ミオも、一緒に行かない?」
その言葉は、もうずっと前から発されるべき言葉であるかのように、重い。
おそらく、レンがこの橋に来てからミオに声をかけるまでの間、留め置かれた言葉。
それを解ってしまった。
レンは、きっとこの言葉を伝えに、ここにきたのだ。
「私?」
「明日、ここを発つけど、…ミオも一緒に行かない?」
レンとコーラルの旅に、ミオも同行する。
それは、ウイたちとの別れを意味している。
「私、は」
レンとコーラルを見送るのとは、わけが違う。できない。それは、できないのだ。
できない、と頑なに思う自分の心が、なぜか恐ろしいほど痛い。
その痛みは、レンの告白によって、ミオを窮地に追い込むほどの真実を表す。
「あの日も、同じことを言ったけど」
あの日。レンが村を出て行った日。
昔のレンがどんな思いでそれを言ったのか。
その言葉を、心を受け止めることができなかった、小さい自分たち。
「でももうあの日とは違う。確実にミオを守れる。それだけの自信がある。だから」
だからもう一度、あの日の約束を果たすために。
そう促す旅立ちは力強く、レンの言葉は勇ましくもある。
今、ミオの覚悟一つで果たせなかった約束が叶う。
「一緒に行こう」
それなのに、ミオにはその手をとることができない。
レンと離れることに哀惜を抱えながらも、恐ろしくて村を出ることができなかったように
ウイたちに囲まれているこの居場所を出ていくことができない。
(どうして、私は、いつも弱いばかりで)
村を出て、大きな街で一人で買い物ができるようになったって何もならない。
(何の役にもたたない、…自分)
こんな自分を気にかけてくれる人に応えることもできない。
それが悲しくて、悲しくて涙が流れても、結局悲しいだけで何も変わらないなら
この涙は何のために流れるのだろう。
やりきれない思いに視界を潤ませられ、ひっしで目をしばたかせれば、レンが。
隣にいたはずのレンが、じりじりと後ずさりを始めているのが見えた。
(泣いちゃだめだ、…レンちゃんは、私が泣いたら)
どうしようもなく弱り果てて、逃げ去ってしまうのだ。昔から、ずっと。
ずっと困らせてきたんだから。
せめて。
そう、ミオが両脚を踏ん張って涙を止める気力を総動員していると、これ、と
差し出されたのは白い、ハンカチ。
「使うといいよ」
長い腕を精一杯のばしてやっとミオの目の前に差し出せる距離。
その距離で、レンも踏みとどまっているのがわかった。
ぶっきらぼうだけど、レンなりに慰めてくれているのだと思うと、また泣けた。
「は、はいっ」
「…うわあ」
人一人がさめざめ泣いてる横で、「うわあ」とか言っちゃうのはレンくらいだろう。
…それでも走って帰ったりせず、ずっとミオの隣で神妙に突っ立っていた。
<<つづく>>
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