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保守記事.101-215 この国の現状

2017-01-27 21:54:21 | 記事保守

子殺しの翌日、「鬼畜夫婦」は家族でディズニーランドへ行っていた ルポ・足立区兎用ケージ監禁致死事件

現代ビジネス 1/26(木) 23:01配信

「虐待夫婦」ができ上がるまで

 東京都足立区に暮らす夫婦は、3歳の次男をウサギ用ケージに監禁し、殺害。夫婦は長男や長女とともに森へ行ってその子の遺体を埋めた。その翌日、夫婦は家族で東京ディズニーランドへ遊びに行き、約1週間後には6番目の子供を出産した――。

 このように事件のあらましを書けば、どうしてこんな鬼畜のような夫婦が存在するのかと思うはずだ。普通であれば、どちらか一方が子供の虐待を止めるのではないか。あるいは、祖父母や叔父叔母が介入するのではないか、と。

 だが、そうしたセーフティーネットが機能しないからこそ、凄惨な事件が後を絶たないのだ。

 日本小児科学会の「子どもの死亡記録・検証委員会」の発表では、虐待で殺されている子供の数は、推計で約1日1人にのぼるという。ニュース報道においても、毎月のように凄惨な虐待事件が報じられている。

 どうしてこのような「鬼畜夫婦」は生まれるのか。

 私は『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち』(新潮社)で、親子3代にまでさかのぼって虐待親が誕生する背景を明らかにした。ここでは、その本の中から足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件を例に、「虐待夫婦」ができ上がるまでの実情を明らかにしたい。

7年間で7人もの子供を出産

 事件が起きた背景を浮き彫りにするには、夫婦がどういう生い立ちの中で、なぜ結婚をしたのか探らなければならない。

 足立区の事件の夫・皆川忍(逮捕時30歳)の母親A子は、児童養護施設で「モンスター」と呼ばれていた。

 A子は中学卒業後に水商売の世界に足を踏み入れ、夫との間に合計5人の子供をつくった。その長男が忍だったのである。

 だが、A子は産むだけ産んで子育てをまったくしようとしなかった。赤ん坊を家に残してさっさと水商売の世界へもどったのである。忍は間もなく乳児院に入れられ、妹たちに至っては生まれる前から乳児院に予約され、病院から乳児院へ送られて家庭で育てられることはなかった。中には出生届さえ出してもらえなかった子もいる。

 それでもA子は忍を「愛していた」と言い張る。その愛はゆがんだものだった。A子は子供たちのお小遣いを奪い取ったり、夜の街を一緒に連れ歩いたりし、子供に飽きてくると児童養護施設に追い返した。中学を卒業した忍を引き取ったはいいものの、ソープランドの仕事に明け暮れろくに帰ってこず、家事などほとんどしなかった。

 忍はA子に振り回されつづける中で、まともに人と付き合えないような人間に育っていく。母親に何度も捨てられてきたので、他人を大切に思うことができない。母親に裏切られつづけてたので、人を信頼する気持ちを持てない。母親同様に、行動はすべてその場の思いつき……。

 たとえば、忍は20歳になっても同年代の人と付き合うことができず、かつて在籍していた児童養護施設の小学生とばかり遊んでいた。そして正月には「サスケごっこ」と称して小学生をつれて民家の屋根によじ登って大騒ぎをする。まるで幼児の精神年齢のまま20歳になったようなものだ。そんな彼はアルバイトも長く続かずに転職を繰り返し、何も考えず女性経験のないまま足立区竹の塚にあるホストクラブでホストになる。

 一方、妻の朋美(逮捕時27歳)の生い立ちも悲惨だ。母のB美は中学卒業後にホステスとなり、入れあげたホストとの間に未婚のまま子供を産む。その長女が朋美だった。

 その後に長男ができたことから籍を入れるが、結局一度も同居しないまま離婚。ほぼ同時に付き合っていた別の男性と再婚し、今度は3人の子供を産む。つまり朋美と長男はホストとの間にできた子供で、下の3人は再婚相手の子ということだ。

 B美は絵に書いたようなモンスターマザーで、近隣住民といさかいを起こしては逃げるように引越しをした。その数は、朋美が中学を卒業するまでに実に5回。朋美は物心ついた時からずっと母親に振り回されつづけた。

 また、B美は再婚後もホストクラブに通うなど性に奔放だった。中学進学以降、朋美はその影響を受けたかのように性に関するトラブルを起こす。中学では恋愛によるいざこざから不登校になり、卒業後に進学したチャレンジスクールでは体を許した先輩に「妊娠した」と嘘をついて中絶費用をだまし取ろうとして退学になる。その後は水商売の世界に入り、客との間にできた子供を未婚のまま出産。養育費として250万円を手に入れた。

 第1子を産んだ後、朋美は母のB美に連れられて竹の塚のホストクラブに遊びに行く。そこで働いていたのが忍だった。2人は出会って5日後に肉体関係を結び、1ヵ月も経たないうちに赤ん坊とともに同棲をはじめた。そして、7年間で7人もの子供を出産するのである。

 7人も子供がいれば、養育費はかなりの額にのぼる。だが、2人には計画性というものがまるでなかった。忍は契約の仕事を転々とするが、当然生活が成り立つわけもなく、粉ミルクを万引きして転売したり、親族から借金を重ねたりした末、生活保護に頼ることになる。子供が多い分、すべての手当を含めて月に30万以上受け取っていたと思われる。

ペットを飼う感覚で子供を監禁

 あえて言えば、忍と朋美は夫婦とは名ばかりで、良識のない男女がホストクラブで出会い、何の計画性もなく毎年子供をつくっていただけだ。そんな2人がまともな家庭を築き、子育てができるわけがない。

 事実、家庭は惨憺たる有様だった。2人は7人の子供の他に10匹を超える犬を次から次にもらってきては育てられずに死なせてしまう。ゴミがいたるところに転がり、子供たちは用の足し方を教えてもらえず、犬と同じように床に垂れ流す。髪も爪も伸びて、まともに会話することさえできない子供もいた。

 夫婦は、こうした状況をおかしいとは思っていなかったようだ。自らも親に放っておかれた経験しかないため、こうした光景が当たり前だったのだろう。だからこそ、次男と次女がイヤイヤ期の2、3歳になって調味料や食器を散らかすなどするようになった時に、それを静める方法がわからなかった。忍と朋美は話し合って、こう結論を下した。

 「次男は家を散らかすからウサギ用ケージに閉じ込めておこう。次女は犬用の首輪でつないでおけばいい」

 彼らはペットの養育と人間の養育の区別がつかない。それゆえ、ペットをケージに入れて飼育する感覚で、まったく悪びれずに我が子を監禁したのだ。

 2人に罪悪感がなかったのは、その後の行動からもわかる。彼らは朋美の妹に当然のように

 「うるさいから、しつけのためにケージに閉じ込めている」

 と話しているのだ。それが当たり前のしつけだと思っていたのだろう。実際、2人は子供を監禁しながらも、堂々と「子供を愛していた」と語っている。

 私があるルートで入手した彼らの家族写真や手紙には、たしかにケーキを囲んで誕生日会をしたり、お風呂に一緒に入ったりする写真があった。また、虐待する親と、虐待を受ける子を愛しむ手紙も発見された。虐待親なりの「ゆがんだ愛情」があったのだ。

 自分の罪に無自覚な分だけ質が悪い。夫婦は子供を閉じ込めたらどうなるかということを一切考えていなかった。

 ある晩、ウサギ用ケージに閉じ込められた次男がパニックになったように叫びはじめた。忍は「静かにさせよう」と思ってタオルを口に巻いて、そのまま寝てしまう。数時間後、次男はそれが原因で窒息死した。

 夫婦は気が動転した。子供が死んだことがバレたら、「家族がバラバラになってしまう」と思った。それで夫婦で話し合い、おむつの段ボール箱に次男の遺体を入れ、「大好きだった自然」に埋めに行ったのである。車の中には長女や長男も同乗しており、埋める時は2人にも手伝ってもらったという。

残された子供たちの「その後」

 このように事件の経緯を見ていくと、夫婦に対して次のことが言えるのではないか。

 ・親が不遇な幼少期の体験から「養育」が何たるかをわかっていない。
・そうした男女が夫婦になることで家の混乱に歯止めがきかなくなる。
・祖父母も親同様(それ以上)にゆがんでいるので抑止力にならない。
・夫婦は家の混乱を抑えられないので誤った対処法(虐待)に走る。
・夫婦はそれを自分たちは正しいことをしていると信じている。

 この事件は、最終的には児童相談所が次男の不在を察知して介入したということで発覚した。だが、この種の虐待事件は、実態がなかなか表に出てこない。それというのも、夫婦は幼稚さから友人がおらず、家庭という密室でそれをつづけてしまう。本人たちは本人たちなりに愛しているつもりだから、ちゃんと定期検診などに連れて行ったりする。それゆえ、なかなか虐待の実態が明るみに出ないのだ。

 児童相談所の職員を取材すると、こうした養育ができない男女が夫婦になって問題を起こす例は、近年増えてきていると口をそろえる。ある職員は匿名で次のように語った。

 「子供をチェックするだけでは限界があるんです。本当にチェックしなければならないのは、親なんです。親が子供を育てるだけの能力を備えているか。それは経済だけではなく、様々な良識という意味です。親は子供を産んで親になれるわけじゃないんです。子供を産んだって親になれない大人はたくさんいる。大切なのは、そういう『親』をどうサポートするかということなのです」

 重要なのは、大人が子供を産んだからといって正しい親になれるわけではないという点だ。そしてその理由の多くは、彼らが生まれ育ってきた環境にある。

 拙著『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち』では、虐待家庭を3代までさかのぼってその原因を究明した。おそらく虐待防止も、そこまで家系をさかのぼって要因を追求していかなければならないのだが、現実的にはそこまでは手が回らず、「子供の救出」にとどまってしまう傾向にある。

 足立区の事件は、事件が明らかになって両親は逮捕され、懲役9年(夫)と懲役4年(母)の刑が下された。だが、問題は残された子供たちである。こうした家庭の子供は児童養護施設で暮らすようになることが多いが、ある年月をこうした家庭で過ごした子供はどう生きていくことになるのか。

 子供たちの「その後」はなかなか表に出てこないが、社会全体がしっかりと考えてサポートしていかなければならない問題だろう。

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