
琉球神道の祭祀や祭壇を見ると、
神道と道教の中間のような印象を受けます。
琉球文化 台所の神様 火の神(ヒヌカン)文化
https://www.youtube.com/watch?v=UeMnRKasV9Y
琉球神道における火の神(ヒヌカン)は
竈神(ザオシェン)であり
一家の功過を記録しているとされ
特に旧暦の節日に祀る事、
また 線香と その本数や燃え方が重視されたり、
旧暦の一日と十五日の祭祀や 干支が重視されること、
祭壇の供物、
また 死者のために紙銭が燃やされる事もあるなど
そのような点は 道教影響を強く受けた面ではないかと思われます。
以下 コピペです。
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私も線香の燃え方が気になり母に聞いてみると
「赤々と燃えているのは願いが通っている。
線香の真中が残るのは何かが不足してる」と話してました。
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一日・十五日は、十二本・三本で、線香を十五本を立ててください。
意味は、十二本=天と地をつなぐため
三本=自分からのコーブンを乗せるためです。
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お線香が、花のようにひらくと「気持ちが伝わっている」とは
聞いたことがありますが・・
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昔からおばぁちゃんは線香がちゃんときれいに燃えてくれるかいつも気にしてました。
折れたり消えたりしたらダメって言ってたので
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前にユタに聞いたことがありますが、
線香の匂いがしたときは近い人の不幸がある・・・と。
私もこれは何度も経験済みです。
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自分も前に同じように線香の匂いがした時があります。
その時に決まって未浄化霊や先祖霊が近くにいて
供養を求めてる場合だったりします。
(下水工みたいな匂いもグソーらしいです)
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薬師如来様は名護にある屋部観音にあります。
向かって真ん中から左は健康祈願で拝んでも良いと思います。
向かって右は延命だそうです。
最初はビンシーを持っていくと良いそうです。
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薬師堂とは屋部寺のことでしょうか??
あそこには病気を治してくださる神様がいると聞いた事があります。
名護です。正式名称?は凌雲院です。
地図検索したら出てくると思います。
ウガミをするときに、市販のペットボトルの水の蓋をあけておいて、
そのあと、その水を飲むとご利益があるとか言ってたような・・・。
おぼろげながら知ってるけど、具体的には
まったくの門外漢・・・・二昔ほどまえ
分裂病のA君と知り合いに也・・・変な空間
に誘われそうになった事があるけど・・あれは
沖縄と言うより琉球的だったのかな?
以下ウイッキ こぴぺ 感謝
琉球神道
琉球神道(りゅうきゅうしんとう)は、琉球(現在の沖縄県)を中心に信仰されてきた琉球固有の宗教である。琉球王国時代には事実上の国教として祭政一致体制に編入され、現在も民間信仰として定着する、琉球固有の多神教宗教である。ニライカナイ信仰、御嶽信仰とも称される。
解説[編集]
民俗学者の折口信夫は著作「琉球の宗教」の冒頭で、琉球の宗教を袋中以来の慣用によつて琉球神道の名で話を進めたいと断った後、琉球神道は日本本土の神道の一つの分派、あるいはむしろ巫女教時代のおもかげを今に保存していると見る方が適当な位であると述べた[1]。
鳥越憲三郎は『琉球宗教史の研究』の中で、琉球宗教の二大潮流をなすものは御嶽信仰と火神信仰であるとし[2]、やがて火神(ヒヌカン)は日神(テダ)と同一視され、按司(アジ)や国王の実権の所在を表徴する役割を持つに至ったと述べている[3]。
宮里朝光「琉球人の思想と宗教」によれば、琉球の固有宗教は、個人的な幸福を祈願するのではなく、社会及びそれを支える生活や生産について祈願し祝福するもので、社会が平和になれば個人は幸福になれると考えたのだと言う。その固有信仰は、祖霊神、祖先崇拝、火神、ニライ・カナイ、おなり神、水のセジ、万物有霊などがあるが、拝む対象の日月星辰を通して現世に益をもたらす祖霊に報本反始するものであると述べている[4]。
このように琉球は特有の信仰を有している。以下、その固有信仰などについて解説する。
信仰の由来[編集]
琉球神道は琉球で自然発生的に生まれたと考えられている。いつ頃発生したかは史料が皆無であるため明確ではないが、7世紀にはすでに原型はあったと考えられている。[要出典] ノロ、ユタが原始的な世襲型、召命型のシャマニズムであること。御嶽は古代集落が原型と考えられ、御嶽信仰は祖霊崇拝が変化したものと考えられること。また、おなり神信仰は、古代の母系社会や女性上位社会の変化と考えられること。これらのことから、専門家の間では、琉球神道は古代信仰の形式をとどめていると考えられている。
セジ[編集]
琉球にはセジという言葉がある。
仲原善忠『おもろ新釈』によればセジは霊力を意味し、セジが剣につけば霊剣に、石につけば霊石となり、門、港、舟、社、城等にもつき、人についた場合は超人となると述べている[5]。
仲松弥秀『神と村』では、『おもろ新釈』の説明を受けてさらに考察し、セジすなわち霊力とは「人間としては不可能なことを成し得る能力」を指しているであろうと述べている。そうであるなら「人間としては不可能なことを成し得る能力」は機能的に際限無く分類できるため、その能力を持つもの、即ち「神」は琉球において八百万も居るということになるであろうと述べている[6]。
神[編集]
仲松弥秀『神と村』では、全知全能のセジの具備者なる存在を古代琉球人が考えていたか否かについては研究不十分であるが、種々の機能を各々分担したセジの保持者は想定していたと考えられると述べ、人間は自己の欲するものを顕現してくれるセジを期待するのが至極当然であろうから、琉球における神とは「人間に善をもたらすセジの顕現者」と言う観念に傾斜していくことになるだろうと述べている[7]。
また、琉球の神は主に「来訪神」と「守護神」に分類でき、守護神や来訪神のいる異界・他界に豊穣を祈り、特に太陽神を最高神として崇める多神信仰である。[要出典]来訪神は異界の神であり、平時には人々の集落に存在しないか、御嶽にのみいると考えられる。しかし祭りの時になると異界から集落や集落の御嶽に訪れると考えられており、来訪神と人間の関係は極めて近しい。特に著名な神は、琉球の創造神であるアマミキヨ(アマミク)とシネリキヨや、ニライカナイの最高神である東方大主(あがりかたうふぬし)、国王就任の際に現れるという君手摩(キミテズリ)などであるが、この他にも多数の神がいると考えられている。来訪する神は世界的に島嶼民族に共通して見られ、一般に海を神聖視するが、これは琉球においても同様である。[要出典]これに関連して、折口信夫は「まれびと論」を展開した。 一方、守護神はもともと地域集落の死者の魂=祖霊であり、ニライカナイで神となって集落に戻ってくるとされ、この神は平時に拝所や御嶽にいると考えられている。また、過去の偉大な功績を残したノロが神とされ、墓地が御嶽となる例が確認される。
御嶽[編集]
琉球の村落には必ず御嶽(ウタキ)と呼ばれる聖林があり、そこには村人の保護者であり支配者である神が住み給っている[8]。御嶽に祀られる神は、その村落の構成員と血縁関係を持つ氏祖で、村落構成員に対し絶対的守護の義務を負っている[9]。
御嶽は日本本土に見られる神社の原初的形態である神籬の形式を伝えるものである[8]。鳥越憲三郎は、琉球の村落成立の重要な因子として、生活資料が確保できるかの経済的条件、気候や住環境の良し悪しの自然的条件、御嶽を創立する場所が選定できるか否かの宗教的条件の3つをあげ、村落成立にはこの3つが満たされる必要があったと述べている[8]。
なお琉球では偶像崇拝はせず、集落ごとに祖霊神や来訪神が訪れる自然の聖域である御嶽を拝所として設け、神の来訪を祝う神事としての祭りを行い、安全や豊作を祈願したり感謝する。[要出典]
(詳しくは御嶽 (沖縄)参照)
ヲナリ神[編集]
琉球の女性一般は全て巫女的ないし神的素質を生得的・本有的に持つものと信じられているが、その好例がヲナリ神信仰である。「ヲナリ」とは琉球語で姉妹(ウナイ)を意味し、同胞の姉妹は、その兄弟(イキガ)の守護神であると信じられている。従って琉球の全女性は兄弟を持つ限りにおいてヲナリ神となるわけである。ヲナリ神の信仰は琉球宗教の基本概念の1つとなっており、『おもろさうし』の中にもヲナリ神を詠ったおもろが数多く見られる。琉球においては、政治的実権者とその姉妹から選ばれた巫女による祭政一致の政教二重主権が見られるが、これはヲナリ神の信仰に基礎付けられたものである。ヲナリ神信仰は他の民族では既に見られなくなったが、古くは何れの民族もかかる信仰を持っていたのではなかろうか、と鳥越憲三郎は述べている[10]。
(詳しくはおなり神参照)
巫女[編集]
琉球の民間社会において、民衆の宗教的機能を担う職能者は、女性司祭者のノロ等の神人(カミンチュ)と、シャーマンとしてのユタ等の類に別れる。前者が主として御嶽やグスク等の聖地・御願所(ウグヮンジョ)や拝所(ハイショ)においてや村落の公的祭祀や共同体の祈願行事の司祭をするのに対し、後者はや村落の個々の家や家族に関する私的な呪術信仰的領域に関与している。桜井徳太郎は、この両者とも沖縄民間信仰の底辺を貫流するシャマニズムの根の上に立ち、沖縄の民間信仰を支える車の両輪と言えると述べている[11]。
堀一郎は、シャーマニズムとシャーマンの概念は学者によって異なる定義づけがなされ、諸学者間に一致した見解は現状もたれていないと述べ[12]、桜井徳太郎もこれと同様のことを述べている[13]。しかしまた桜井徳太郎は、シャーマンになるための入巫動機が、生計を立てるためとか世襲継承の原理に基づくとかにあるのではなく、心身異常の巫病に罹り、苦悩のすえ神霊の召命を受けてそれを克服し、ついにシャーマンへと成巫するという過程が最も自然なシャーマン的プロセスであるとするなら、沖縄シャーマンの成巫過程はその典型的タイプであると述べている[14]。
ノロ[編集]
前述のとおり、琉球には御嶽などにおいてや村落の公的祭祀や共同体の祈願行事の司祭をおこなう祝女(ノロ)と呼ばれる女神官が存在する。 御嶽の節で述べたように、村落は守護神となる氏祖が祀られた御嶽を中心に形成されたが、その最も近き血縁者にして神の代弁者である家が根所(ニードゥクル)と呼ばれ、村を支配指導する実権を掌握した。根所は御嶽の神の代弁者として実権を代行する機関となったため、神託を受ける者と、その神託によって村を治める者が必要になった。この時、神託を受けたのは根所の女子から選ばれた根神(ニーガン)で、神託をもとに政治的実権を行使したのは根神の兄弟であり根所の戸主である根人(ニーチュ)であった。ここに妹(或は姉)の神託をもとに兄(或は弟)が治める政教二重主権が生まれた。この政教二重主権はヲナリ神信仰を基定として成立したと考えられる[15]。 やがて村々を併合した按司と呼ばれる地方的実権者が現れるようになるが、按司もまた彼の姉妹から宗教的実権者たる巫女を選出した。これが祝女(ノロ)である。あるいは尊称を付してノロクモイと呼ばれた[16]。しかし、さらに時代が進むと地方実権者の1つである中山国により琉球統一がおこなわれ、その中央集権化政策によってノロは聞得大君を頂点とした官僚的神官組織に組み込まれることとなる[17]。この聞得大君も王の姉妹から選ばれ、統一王国においても兄妹による政教二重主権がおこなわれた[15]。 ノロや根神など神人は、神が降臨する聖地の御嶽で神懸りしながら神意を霊感し、それを地域社会の住民に伝達した[18]。鳥越憲三郎は、琉球において巫女は神の顕現として、具象的な神の姿において民衆の前に現れ、しかもその時は自他ともに神そのものと認める存在として託宣を聞いたと述べている。すなわち神が憑依した者としての巫女に先行して、神そのものとしての巫女が存在しており、琉球の多くの文献に見られる神々の出現は、神そのものとしての巫女を指してるのだとしている[19]。 (詳しくはノロ参照)
小さな緑色のものが落ちてて、拾おうとしたら
毛糸の手袋にくっ付いて、よく見るとキリギリスだ
なんとか生きてて虫の息・・森の中へ置いて
その足で其の近くの書店へ行き・・・背表紙を
たくさん読んできたんだけどね・・・・
1947年版映画DVD三十四丁目の奇跡を購い
今鑑賞したけれど、ある意味深深・・・・
基本的人のテーゼは不変的と思えたね。
ではここから敷衍してリクエスト ユーチュー感謝
【Cover Tune】そうだ京都、行こう~My favorite things theme 【Improvisation】
ペリーコモ/My favorite things
もみさん1曲 挿入
赤坂達三ーMy favorite things
もみさん1曲 挿入
ジュリーアンドリュース/My favorite things
もみさん1曲 挿入
Gontiti My favorite things
もみさん1曲 挿入 etc
|・)…
琉球神道の祭祀を解説する本やサイトは幾つかあって、
個人的には
神道と道教の中間的なものとして感じられたばい。
また 祭祀は 血縁とか共同体に関わるものが多いようで、
そういった繋がりを持たない人が
個人で行おうとする事は まず無理であるみたい。
また 案内もなく琉球の霊場に入っていた人が
急に精神異常を起こしたり
普通の人生を歩めなくなったという話しもあって、
精霊達は 今なおそこにいるみたい。
|・)…
そちらには未だキリギリスがいるんだね|・)
琉球神道で使用される 独特の線香などは
ネットでも購入できるようばい。
琉球神道には 道教や仙道の影響も感じられる所があって、
あとは縁があるか否かという事になるかも|・)?