宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「迦陵頻伽(かりょうびんが)の加持を受ける」

2016年10月20日 | Weblog



(迦陵頻伽)


胸の前で 左右の手のひらを前方に向けて
左右の親指同士を絡めて 残りの指を広げて
鳥のような形にする。

そして 目の前に阿弥陀仏がおられ
阿弥陀仏の周りを 色とりどりの鳥達が飛んでいる様子を観じ

それから 阿弥陀仏が自己に光を注がれているのを視覚化しつつ誦す。


「オン・カラヴィンカ・ソワカ。」(何遍も誦す)




「無上天尊に懺悔する」





「至心朝礼(ししんちょうらい)上清霊宝天尊(じょうせいれいほうてんそん)
至心朝礼(ししんちょうらい)九幽抜罪天尊(きゅうゆうばつざいてんそん)
至心朝礼(ししんちょうらい)高上通明天尊(こうじょうつうめいてんそん)
至心朝礼(ししんちょうらい)空恵凝常天尊(くうけいぎょうじょうてんそん)
至心朝礼(ししんちょうらい)方便善救天尊(ほうべんぜんきゅうてんそん)
至心朝礼(ししんちょうらい)通眞感応天尊(つうしんかんのうてんそん)
至心朝礼(ししんちょうらい)衆善恵施天尊(しゅうぜんけいせてんそん)
至心朝礼(ししんちょうらい)和光忍辱天尊(わこうにんじょくてんそん)
至心朝礼(ししんちょうらい)凝神玄覚天尊(ぎょうしんげんかくてんそん)
至心朝礼(ししんちょうらい)転輪運行天尊(てんりんうんこうてんそん)

乞懺○○(きつざん 自分の名前)
自従無始以来(じじゅうむしじらい)
至於今日(しじんこんじつ)
師資父母(ししつふぼ)
存亡眷属(そんぼうけんぞく)
無量慳貪愛吝之罪(むりょうけんぞんあいりんしざい)
或見人教化(こくけんじんきょうか)
作善建功(さくぜんけんこう)

或見貧窮疾病(こくけんひんきゅうしっぺい)
不能臧割(ふのうぞうかつ)
方便扶持(ほうべんふじ)
種種不能布施慳貪等罪
無量無辺(むりょうむへん)

今日虔誠(こんじつけんせい)
咸乞懺悔(かんきつざんげ)
次復回向(じふくえこう)
中元地界一切眞聖(ちゅうげんちかいいっさいしんれい)
帰依帰神(きえきしん)
帰身帰命(きしんきめい)
大慈大悲無上天尊(だいじだいひむじょうてんそん)。」



「菩薩瓔珞経」






「菩薩瓔珞経」は他者に伝えたり 誦したりする事で二十種の功徳が得られるとされます。
「菩薩瓔珞経」は長文の経文であり 以下は その中の「聞法品」です。




「爾時(じじ)
有菩薩(ゆうぼさつ)
名文殊師利(みょうもんじゅしり)
即従坐起摂持威儀(そくじゅうざきしょうじいぎ)
前至仏所長跪叉手白仏言(ぜんしぶっしょちょうきさしゅびゃくぶつごん)
云何世尊(うんかせそん)
名曰聞法得成(みょうわつもんほうとくじょう)
無上正眞之道(むじょうしょうしんしどう)
聞如空等空無所聞(もんにょくうとうくうむしょもん)
亦無善悪諸法相貌(えきむぜんあくしょほうそうぼう)
法無形相(ほうむぎょうそう)
云何世尊(うんかせそん)
言受持諷誦本末空慧(ごんじゅじふうしょうほんまつくうけい)

爾時(じじ)
世尊黙然不対(せそんもくぜんふたい)
時文殊師利復更白仏(じもんじゅしりふくこうびゃくぶつ)
夫聞法者(ふもんほうじゃ)
為有言教乃得聞法(いうごんきょうだいとくもんほう)
為無言教乃得聞法(いむごんきょうだいとくもんほう)

爾時(じじ)
世尊黙然不対(せそんもくぜんふたい)
文殊師利三白仏言(もんじゅしりさんびゃくぶつごん)
法有生滅法無生滅(ほううしょうめつほうむしょうめつ)
一切諸仏所転法輪(いっさいしょぶつしょてんぽうりん)
為有転耶為無転耶(いうてんやいむてんや)


爾時(じじ)
世尊告文殊師利(せそんこくもんじゅしり)
云何族姓子(うんかぞくせいし)
一切諸仏皆転法輪(いっさいしょぶつかいてんぽうりん)
亦有転亦無転
汝今所問為問有転為問無転

時文殊師利白仏言(じもんしゅしりびゃくぶつごん)
世尊(せそん)
今所問者(こんしょもんじゃ)
亦問有転亦問無転(えきもんうてんえきもんむてん)

仏言(ぶつごん)
族姓子(ぞくせいし)
諸仏正法(しょぶつしょうほう)
亦不有転亦不無転(えきふうてんえきふむてん)

文殊師利復問(もんじゅしりふくもん)
云何亦不有転亦不無転(うんかえきふうてんえきふむてん)

仏言(ぶつごん)
諸法如空(しょほうにょくう)
故無有転故無無転(こむうてんこむむてん)

文殊師利又問(もんじゅしりゆうもん)
今日如来(こんじつにょらい)
為有転耶為無転耶(いうてんやいむてんや)
此諸菩薩衆生(ししょぼさつしゅじょう)
為聞法耶不聞法耶(いもんほうやふもんほうや)

仏言(ぶつごん)
族姓子(ぞくせいし)
諸法清浄(しょほうしょうじょう)
衆会菩薩亦復清浄(しゅうえぼさつえきふくしょうじょう)
以是之故亦不有転亦不無転(じぜしこえきふゆうてんえきふむてん)

文殊師利又問(もんじゅしりゆうもん)
云何有転無転(うんかうてんむてん)

仏告文殊師利(ぶっこくもんじゅしり)
衆生無転(しゅじょうむてん)
本末空慧乃謂為転(ほんまつくうけいだいいいてん)
一切衆会我身及汝皆謂無転(いっさいしゅうえがしんきゅうじょかいいむてん)
本末空慧乃謂為転(ほんまつくうけいだいいいてん)

文殊師利又問(もんじゅしりゆうもん)
云何有転云何無転(うんかうてんうんかむてん)

仏言(ぶつごん)
有断無転無断有転(うだんむてんむだんうてん)
生滅無転無生滅者乃謂有転(消滅無てんむしょうめつじゃだいいうてん)

文殊師利又問(もんじゅしりゆうもん)
云何有転無転(うんかうてんむてん)

仏言(ぶつごん)
有返際縛著乃謂無転(うへんさいばくちゃくだいいむてん)
無辺際縛著是謂有転(むへんさいばくちゃくぜいうてん)

文殊師利又問(もんじゅしりゆうもん)
云何有転無転(うんかうてんむてん)

仏言(ぶつごん)
一切世間見然熾法是謂無転(いっさいせげんけんぜんしほうぜいむてん)
一切世間不見然熾法是謂有転(いっさいせげんふけんぜんしほうぜいうてん)

文殊師利又問(もんじゅしりゆうもん)
云何有転無転(うんかうてんむてん)

仏言(ぶつごん)
浄無量福福祐衆生是謂無転(じょうむりょうふくふくゆうしゅじょうぜいむてん)
見浄無量福福祐衆生是謂有転(けんじょうむりょうふくふくゆうしゅじょうぜいうてん)

文殊師利又問(もんじゅしりゆうもん)
云何有転無転(うんかうてんむてん)

仏言(ぶつごん)
浄無量衆生根本成一切智是謂無転(じょうむりょうしゅじょうこんぽんじょういっさいちぜいむてん)
見浄一切無量衆生是謂有転(けんじょういっさいむりょうしゅじょうぜいうてん)

文殊師利又問(もんじゅしりゆうもん)
云何有転無転(うんかうてんむてん)

仏言(ぶつごん)
亦不有転亦不無転(えきふゆうてんえきふむてん)
故謂有転無転(こいうてんむてん)

爾時(じじ)
世尊与文殊師利説(せそんともんじゅしりせつ)
有転無転時(うてんむてんじ)
有八千比丘三千比丘尼(ゆうはっせんびくさんぜんびくに)
逮得本末空慧心不退転(そくとくほんまつくうけいしんふたいてん)
復有無数衆生(ふくゆうむすうしゅじょう)
聞此未曾有法(もんしみぞううほう)
皆発無上正眞道意(かいほつむじょうしょうしんどうい)
于将来世悉皆成仏同一名号(いしょうらいせしつかいじょうぶつどういつみょうごう)
精進勇猛与我無異(しょうじんゆうもうよがむい)。」
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虹の足 (贈るうた)
2016-10-20 01:27:49
            虹の足

雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直ぐな
陽差しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽりと抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は
見えない。

ーおーい、君の家が虹の中にあるぞオ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが

       花神社   贈るうた  吉野弘
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ダイアナ妃の扱い (もみ@東京五輪(非公式)テーマソング)
2016-10-20 05:31:18

|・)…

アメリカの 三流ゴシップ誌では
未だに ダイアナ妃のスキャンダル
事故死当時 彼女は妊娠していた!などをトップで載せていて

一方 カミラ夫人に対しては
「そんな人もいたっけ」程度の扱い

イギリスでは どういう風に扱われているか知らないけれど
アメリカでは そういう具合ばい。
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