■■■「宮地神仙道道統論の虚構」のゴミ冊子では、
よしおの怪文書「声明書」の内容を一切検証せず、
ただ清水師を冒涜するために利用できる道具として使われ、論拠とされている。
よしおの言葉の一つずつを論理的に見ていけば、
よしおの頭がヤバい、「お前が言うな」で瞬殺される内容満載なのだが、
同じように頭のヤバい五郎とまゆ子にはそれがわからないのが痛い。■■■
(ゴミ冊子14-15P この文書転載部分は原文そのままに載せている。)
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★よしおこそ霊感ゼロ。こっくりさん・キューピットさんさえ寄り付かないレベルだった。
五郎もまゆ子も同じく霊感ゼロ。
「霊感・霊能」が条件なら、五郎とまゆ子こそ、速攻で教団を閉鎖すべきである。
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★神仙道誌を見れば一目瞭然なように、当時は機関紙は長期休刊もなかったし、
本部の住所は最初から一貫して変わっていない。
もし本当に取り壊して移転したなら、住所が変わっていたはずである。
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★しかも、「機関紙を長期休刊させた」と書きながら、その数行前では
「昭和30年以降、機関紙を俺の所に届けない」とかほざいている。
矛盾しまくり。
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★意味不明。
技術も許可もない人間がどうやって他人の家の水を止めるだけでなく、
その水を自分の家に流して利用できるのか。
水道の場合、
専用の工具をもって止水し、旧本部とよしおの神社までの間に勝手に水道管を引くほどの
工事をしたら、速攻でバレて逮捕される。
井戸の場合なら、毎日電動ポンプで吸い出し、吸い出した大量の水を車で運ばなければ無理だが、
清水先生には電動ポンプも車もなかった。
しかも、もしそこまでしたら「苦しめられる」レベルじゃなくて、「生きていけないから
移動しなくてはならない」のレベルになるのに、よしおが移動したという事は一切書いてない。
しかも、それほど大掛かりな断水と盗水をされたと言いながら、
その後どうしたかについても何も言ってない。
●総論:よしおの怪文書「声明書」は、「着ていたチマチョゴリを電車の中で切られた」
「電車の中でキムチを盗まれた」とマスコミに宣伝しながら、なぜか警察に行かない奴と同じ。
つまり捏造や自作自演。
よしおさんは仕方なく白羽の矢
がおりた人物で、本来は鹿児島の
神官U氏や元宮内庁掌典職H氏
他数名の者が候補に挙がっていた
が実現せず、当時清水先生は本来的に
そのような立場にたつ思いは更々無く
しかし流れとして自然にそのような形に
なったわけでありますが、あくまでも私的に
ではなく、公ということで襟を正されて
おられる。一求道の輩がとやかく言っても
仕方ないと思われるが、本部や硼酸会
田布施がなくても、道は存在している
わけでありまして、だから或る意味
心配御無用な次第なんだよね。
徒党を組んで赤信号皆で登れば恐くない
ではなくして、本部でも常々申されて
おられるように、得仙出来たとすれば
判令の保持者であったことがわかるが、
大抵は下手の横好きで終焉すると言われて
いるよね。コノ三次元の物質的世界に於いては
基本的に誰も判らないから、吹聴して
最高鮮度 最高千℃と叫べば、オナニーは
出来ると思うけどネ・・・・・・
|・)(オナニー…)
「よしおのジェラシー」って、本当にそういう曲がありそうばい|・)
この冊子の中で、五郎はこの怪文書を使えるから引用して利用したけど、最後に「よしおの人格についてはここで触れない」とポソッと書いていて、よしおが人格障害だったのを五郎でさえ認めていたばい。
よしおのやった事を認めたら、「宮痴神道」も結局立場がなくなるし、よしおの怪文書を利用したのも、結局五郎&まゆの地雷になったね。
神仙道誌の中でも、「よしおは水位先生の御帰幽の後20年経ってから入られた人で……」とあって、書き難かったようだけど、適任とは言い難かったみたい。
威夫先生がよしおの四代を認められなかったのも、よしおに原因があったっぽいばい。
判令の保持者は三次元的には中々判別が難しい気がするけど、御道で商売をしないという事が一つの見定める基準になりそう|・)
暫く十菱麟さん宅でお手伝いなど
されてた時期があるんだよね。
不思議といえば不思議なんだけど。当時
すでに麟さんアル中で躁鬱・・重くて入院
してた時期もあったようだね・・・
結婚離婚を繰り返し、お子さんだけで
10人以上子供がいるんだっけか?
何度かお会いしているけど、神秘家
的雰囲気は確かにあったね。父上の
トービスさんには会いたかったけど
縁は戴けなかった。かなり昔吐夢仙と
いう喫茶店で邂逅したんだけど、すべて
スクラップしてたね。一緒に食事して
いるシーンを弟子に撮影させて、その場
でノートに記載して、写真も貼り付けていた
の憶えてるけどね。でも山師的な部分も
あって良し悪しだと思ったね・・・・
日本に始めてエドガーケーシーを紹介した方
でもあるんだよね・・・・
掲載されている。その他至道の
親戚筋の木村某が纏めたものや
至道が直接書かれたものも伝わって
いる。基本的なブロットは同じだが
著者により美妙に言葉のニュアンスが違う
のである。勿論編集した方が違えば
美妙に変化していくわけでありますが。
ミ昔前本部在籍の方で、至道の伝を読んで
その仙境と思しき吉野に登られた方
もおられるようです。河野氏の話しに
よれば、方全先生のお話を大阪で拝聴
以後平田門下の岩崎某の書いた祝詞を
持参して何度か山に登り、五匹の鹿を
山の中でみたことが、神仙との邂逅に
繫がっている。もし河野氏が邂逅することも
なければ、また遭っても口外することが
なければ・・と思うと意味深だけどね。
個人的には・・・この物語は・・・
秘儀が漏れ落ちたと思ってるんだけどね
或る意味開闢以来・・・・でも多分その
部分は見過ごされていると思えるんだけどね。
ある魔法使いがいたと仮定して、その人が
これが魔道書ですよと指し示したとき・・
すでにそれは魔道書ではなくなっている
という認識・・・・面白いと思うね。
つまり荒唐無稽、奇想天外な中に
あるものが潜まっているんだよね。ホーホケキョ
|・)(エドガーケーシー…)
もみは彼の本は未読なんだけど、昭和オカルト界に実は深い影響を与えた人なんだよね|・)
弟子にも有名な占星術師がいるばい。
よしおの娘(仮称:よし子)は、その後どうしたんだろう|・)
彼の弟子の代まで有力な占星術師がいたけど、21世紀の現在、昭和から活躍していた人を除いて、別に有力な占星術師って出てない気がするばい。
癒し業との兼業で、若い女性受けする占星術をやる業者のような人はいるけど、本当の占星術師という格を持っている若い世代から出ている人はちょっといないかも|・)
流氏もかなりの占星術師だったけど、呪詛する相手のホロスコープを作成して、「呼吸器が弱い期間」など、相手の弱っているポイントをホロスコープから探り、そこで地流も利用しながら左道魔術でその相手の弱まっているポイントを一気に狙うなど、かなりのものがあったばい。
神秘の探究者にも、潔癖出家タイプから、山師っぽさがある人まで色々いて、十菱麟氏は後者のタイプだったんだね。
|・)(ホーホケキョ…)
五匹の鹿って、何か意味深ばい。
縁がなければ、単に鹿さんがいるというだけで、見過ごされてしまうかも|・)?
をじさんは霧島さまに御縁があるようだけど、違うばい|・)?
仙境って、行く人によってはただの自然の中、仙境から呼ばれる人にとってはとてつもない場所と知覚できるみたい。
神社や道場などの箱物を、神宮や天満宮の近くに作る事だけが目的になってしまっている五郎&まゆは、逆に手箱さまや霧島さま、吉野の方について何も言わないね|・)
のは、少なくとも同等またはそれ以上
でなければ判らないという。
骨董の世界でも、購うものは自分を
購っているという事らしいね。
少し前のことだけど、師がお亡くなりに
なり、其の時節道産子は、衣冠束帯を
つけられた清水先生と某界にて邂逅したと
言いつつ、暫くシテ彼は贋物だとホザイタ
この一言からも枯れの夢幻的人柄が把握
出来るね・・・主義主張がその場でゴロゴロ
変わってしまうんだからね・・・
残念ながら若き頃の師を知らず、年老いた
師しか存じ上げていない。師はある時期を
境にして、玄学的知識を突然忘却なされ
ておられた。おそらく道産子もその途次から
しか師を知らず、東都の西村峰山古参天行
との天秤を掛けたわけなんだろうけどね。
|・)(シテ…)
そう言えば、80年代の霊能者ブームの中で、「宮坂某」という人が出てきたね。
高齢ながら今も活動中みたい。
その人と同姓同名の人が本部にいたようだけど、同人物かな|・)?
よしお五郎まゆでは、清水先生の霊感は全く計れなかったんだろうね。
自分に憑依させたり契約して霊能を発揮する場合、やたらと人に誇りたがったり競いたがったりするけど、本物は人に知られたがらないね|・)…
正系から与えられる場合、本当に厳格で人の意思ではどうにもならないみたい。
そういう面もあって、本物は非常に少ない|・)…
私がいないと、悲しまないでね。
私はいますよ、私がついてます。
じいっと、見ていますよ。
あなたを
ずうっと、護っていますよ。
あなたを
ずうっと、護っていますよ。
私がついてますよ。
いつもあなたと一緒。
私がついてます。
さあ、元気を!
人は皆、母から生まれます。
子がこの世に生まれ出る前からずっと
母と子は命をともにしてるのです
ですから、この世にその姿があるかどうか
にかかわりなく、永久に子は母の姿を感じ
母の声を聴くことができるのです
母の想いを受け取ることがて゜きるのです
Dr 中松
中松義郎出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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なかまつ よしろう
中松 義郎
生誕 1928年6月26日(83歳)
日本 東京
出身校 東京大学
職業 発明家
子供 中松 義成(シンガーソングライター)
表示
中松 義郎(なかまつ よしろう、通称: ドクター中松、1928年6月26日 - )は、日本の発明家、実業家である。ドクター中松創研代表取締役、日本文化振興会会長[1][2]。
ただし自称している実績には、裏づけにとぼしいものが多い(詳細は以下の記事を参照)。
目次 [非表示]
1 人物
1.1 生い立ち
1.2 発明
1.2.1 発明品
1.2.2 「フロッピーディスクの発明者」との主張
1.3 商標登録
1.4 政治活動
1.4.1 頻繁な立候補
1.4.2 幸福実現党
1.5 イグノーベル賞受賞
1.6 平和活動
2 出演
2.1 CM
3 著書
4 参考
5 外部リンク
人物 [編集]発明家として多数の特許を取得しており、タレントとしてテレビに多く出演しているため、日本での知名度は高い。2006年(平成18年)に行われたインターネット世論調査では、「この人のおかげで今がある」とされる発明家として、第1位となったトーマス・エジソンに次ぐ2位となった[3][4]。
1989年(平成元年)にはニューズウィーク誌に掲載された『Who Said Talk Was Cheap?』という短い記事において、講演料が高額な人物のサンプル12人の中で唯一の日本人として、1時間あたり1万ドルと紹介された[5]。なお、この講演料は代理人が提示した金額をそのまま紹介したものであり編集部が評価したものではないが、中松の1時間1万ドルという額は12人の中で最も低額であった[6]。中松はこの記事を根拠に「ニューズウィークの選出した『世界12傑』に選ばれ、価値が1時間1万ドルと評価された」と主張している[7]。
また、これまでに数々の受賞歴があり、アメリカ合衆国の11の州で名誉市民となっているほか、「ドクター中松デー」という記念日が制定されている例もあるとしている。ただし、アメリカでは名誉市民賞や記念日は市に対して本人が寄付を行えば授与されるケースが多く、一般的な顕彰とは位置づけが違っている[6]。さらに、世界発明コンテストに11年連続でグランプリ受賞したとしているが、そのコンテストの主催者である国際発明協会(社団法人「発明協会」とは無関係の組織)の会長は中松自身である[6]。
工学・法学・医学・理学・人文学の博士号を持っていると、東京都知事選の選挙公報誌等で公表している[8]。しかし日本国内での博士号取得者のリストの中には「中松義郎」の名前は確認されていない。
中松は野球などのスポーツにも造詣が深く、1990年には日本人として初めてメジャーリーグ球団ピッツバーグ・パイレーツの始球式を行っている[9]。著書などではしばしば愛国心について語っており、本人の歌唱による「君が代」のCDも発売されている。
生い立ち [編集]東京府(当時)出身。母親は東京女子高等師範学校を卒業した教師であった[10]。学校は、はじめ麹町小学校に越境通学した後、東京・原宿の自宅から至近の青山師範学校付属小学校に4年生から編入した[10]。
その後は旧制麻布中学校、海軍兵学校舞鶴分校[11]、旧制成城高等学校理科甲類を経て、東京大学第一工学部石油工学科を卒業、直後に法学部に編入した。卒業後には三井物産にてヘリコプターの営業に携わり、この際にヘリコプターによる農薬散布を発案したという。
1959年(昭和34年)、イ・アイ・イに入社、専務、副社長を歴任した。1971年(昭和46年)、同社社長との対立から独立した中松はナコー(現在のドクター中松創研)を設立、自らの研究開発の拠点とした。
発明 [編集]これまでの発明件数は3,000件以上であり、エジソンの1,093件を上回り世界一だと主張している[7]。しかし、エジソンの発明が1,093件というのはアメリカ国内で取得した特許の件数であるが、中松による日本国内での特許出願件数は約600件[12]であり、公平な比較とは言いがたい(「出願」なので、取得できなかった発明も含む。3,000件以上という数字がどこから出てきたのかは不明)。また、ギネス世界記録では工学博士の山崎舜平が2004年に3,245件の特許を取得したとして世界一に認定(2011年には6,314件で再認定)されており、中松を大きく上回っている。
なお、1980年から1993年にかけては「発明件数2,360件」と主張していたが、『宝島30』1993年11月号に掲載された記事『「ドクター中松」という珍発明』(松沢呉一)において発明件数が10年以上も全く変化していないことを指摘されて以降は、現在の「3,000件以上」という主張となった[6]。
発明品 [編集]灯油ポンプ
いわゆる灯油ポンプではあるが[13]。「これは、中松が中学生の頃に母親が醬油を瓶に移し替えるのに苦労しているのを見て灯油ポンプを元に発明したものであるという。ただし、特許明細書13297号(1907年)で特許を得ている人は別人であり、特許庁で実用新案として登録されている「醬油チュルチュル」はまったく別の構造。
頭に良い物質を適当に配合したことを特徴とする食品
特許出願では、「頭が良くなる根拠が不明である」との理由で不採用となっている。その他「頭に良い~」シリーズの発明は膨大ながら、特許を得ているものはない。
原子力除雪装置
除雪車に搭載された原子炉の炉心に直接雪を送り込み、その熱で雪を溶かして一次冷却水にするというもの。ただし、放射性物質に汚染された排水の処理の仕方が明記されていないとの理由から特許としては不採用となっている[14]。
ドクター中松エンジン(エネレックス)
宇宙エネルギーによって動作すると言われる原動機であり、実際には太陽電池と同じく電磁波をエネルギーに換えるものであり、もしくはラジオメーター(ラジオメーター効果)とも解釈される[15]。
ハイドロジェン・オン・デマンド(HOD)
水に水素化ホウ素ナトリウムを混ぜて金属触媒によって水素を取り出して自動車の燃料する装置であり、原理としては燃料電池と同様のものである。2006年(平成18年)に発明して国際特許を取得。水素化ホウ素ナトリウムの単価が高いため、実用化には至っていない。
この発明を環境技術に関する映画を企画していた米国の製作会社「ダークホース・エンターテインメント」が注目、中松を主題としたドキュメンタリー映画「マスター・オブ・イノベーション〜ドクターナカマツ・ストーリー」の制作を2007年1月に発表した。制作発表ではこれは日本人として史上初の「個人」が扱われるハリウッド映画であり、年内に米国と日本で公開するとしていたが、映画雑誌「キネマ旬報」のサイトの映画データベース([1])に掲載されている中松に関する映画のデータは2006年(平成18年)に出演した『ヅラ刑事』のみであり、それ以外の情報は掲載されていない。
フライングシューズ(ピョンピョンシューズ)
底が板バネになっており、ピョンピョンと高くジャンプできる靴。中松の代名詞的発明であり、テレビ出演時にこれを履いて登場することが多い。このまま旅客機に乗り込もうとして、ピョンピョン跳ねた勢いで天井に頭をぶつけてしまい「頭が悪くなったらどうしてくれる!」と怒鳴ったというエピソードを持つ。
ラブジェット
中松が発明した「セックス方程式」に基づいて開発された性感度が3倍になるとされる香水。男女共用で若返り効果もあるとしている。
「フロッピーディスクの発明者」との主張 [編集]中松がフロッピーディスクの発明者であり特許を取得したと主張し、これが話題になったため、一時期盛んにテレビやラジオに出演した。五ツ木書房の「Selett」のテレビCMでは、「私の発明にはフロッピーディスクがある」という中松のセリフを流したことがある。また、2010年現在「ドクター中松 創研公認オンラインショップ」でも、「フロッピーディスクの発明者、ドクター・中松」として関連商品を販売している[2]。
しかし、中松が発明したのは「ナカビゾン」 もしくは「積紙式完全自動連奏蓄音器」[16]である。1948年(昭和23年)に特許申請され、1952年(昭和27年)に登録された。ナカビゾンは何枚も繋がった紙の横一行一行に譜面が記録されていて、自動連奏蓄音機の譜面読み取り部分が左右に振れることで、譜面を読み込み演奏するものである。簡単に言うと、「レコードジャケットに穴を開けて、中身を取り出さずにそのまま使えるようにする」という特許であり、多少は似たような部分はあってもフロッピーディスクそのものではない。
実際のフロッピーディスクはアラン・シュガートが率いるIBM社の開発チームが1970年(昭和45年)に開発し、1971年(昭和46年)より商品化されている。つまり、本当の発明者はアラン・シュガートで、特許を取得しているのはIBMである。IBMが日本でのフロッピーディスク販売に関連して中松の持つ特許の「非独占的特許使用契約」を結んだのは事実であるが、契約がされたのは1979年(昭和54年)2月である。両者の契約が行われたのがフロッピーディスクが既に商品化された何年も後である以上、中松の特許がフロッピーディスクの商品開発に直接関与していないのは確実である。
IBMは自社の特許を守るため、当時フロッピーディスクの構造に抵触しそうな他者の特許に対して契約を結んでいた。中松の特許もその一つに過ぎず、これは、IBMがフロッピーディスクを日本で発売する際に、中松との紛争を避ける目的である。その契約内容は技術的なものではなく、エンベロープの意匠に関するものであったとされている。
|・)…
この「お母様」の詞って、もしかしたら神さまの人間に対する心にも多少通じるかも|・)?
ドクター中松の特許とか受賞というのは、曖昧なものが多いという話しだね。
90年代に都知事選に出馬した際、住宅をピラミッド型にしたら光熱費の節約になるので、東京都にピラミッド型住宅を普及させたいとか言ってた記憶があるばい。
もちろんピラミッド型住宅が光熱費の節約になるかの客観的検証もなく、都政を単なる自分の奇抜な発明発表の場にされても困るね|・)
ああいった昭和キャラって、一人ぐらいいていいと思うけど、首長とか都政に干渉する立場ではいないで欲しいばい|・)…