以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
+++++++++++++++++++++++++++
思い出したのは高校2年ぐらいのとき
時代は1970年代初頭ぐらい
生まれたのは辺鄙な田舎の団地。
15歳のときまでそこに住んでた。
小さな部屋だったがお金はあった。
赤いカラーテレビが印象的でそれで野球とか親父と一緒に見ていた
なぜ金があったかわかるというと
8歳ぐらいまでは地元の子供たちとメンコやコマで遊んでたが
10歳ぐらいになると一眼レフカメラだけが友達になっていた(当時はカメラは高価だったらしい)
それでテレビや家族や部屋の中を撮っていたが外でとりたくなった俺は
外に撮りに行こうとすると母親が
「絶対人にみせびらかしちゃダメよ」「悪い子に取り上げられないようにしてよ」と厳しく言われた。
だから俺は恐々公園とか駄菓子屋とかを撮っていたが、
本当にワルガキとかに取られないように隠れたりして大変だった。
アイドルよりは情熱が少し落ちるが小学生から勉強にもハマっていた
レコードを聞きながらちゃぶ台で勉強しているのを覚えている
15歳になったとき、それまで住んでいた団地から引っ越し、東京都荒川区の一軒家に住むことになった
もっと詳しい住所を思い出したいがここまでしか思い出せない・・・。
悲劇が起きたのは26歳、1991年だった
俺は「もう少し物理学を勉強したい」と思い25歳で大学院へ進学した
親は「もう年が歳なんだから就職しろ」と言われたが親を説得してなんとか行かせてもらった
その当時は学者になるか、テレビ局に就職するか、お笑い芸人になりたいな~とぼんやり思っていた
その日俺はいつも通りコンビニでカップめんと袋麺を大量に買い、
帰りは物理学の授業を思い出してニヤニヤして横断歩道を渡っていたそのときだった
信号を無視したトラックが猛スピードでこっちへ走ってきてそれにはねられて死んだ
不思議と死ぬ直前は痛くなかった
自分が死んだとわかったのははねられてハッと気がついたときだ
自分の遺体が横たわっていてその横で母は大号泣していた
そのとき「俺は死んだのか」と思いまたそれから意識をまた失った
それからまた記憶を失い気がつけば赤ちゃんになっていた
これを読んでる人はチート人生じゃないのかとか思うかもしれないが世の中そんなに甘くなかった
神様に記憶を消され学んだこともすべてがパー
ちょっと良いところは0歳のころ新聞の文字が読めたぐらいだ(この記憶はしっかりとある)
芝のくさのにほひに
夏の日光り、
幼年のころに
わしわし*啼く。
伴(つれ)にはぐれて
うつとりと、
雪駄ひきずる
真昼どき。
汗ばみし手に
羽虫きて、
赤き腹部(はら)すり、また、消ゆる、
藍色の眼の美しや。
つかず離れぬ
その恐怖(おそれ)
たらたら坂を
またのぼる。
芝くさのにほひに
夏の日光り、
幼年のこころに
わしわし啼く。 *註 わしわし。油蝉の方言。
河出書房 道ぐさ 北原白秋の詩
現代詩歌集 日本文学全集別巻2
|・)…
+++++++++++++
【米国】中国・ロシア企業などに制裁 対北朝鮮、過去最大規模
米イージス艦のダブル事故といい
こりゃ第二次太平洋戦争が近いな