2009年3月16日(月)
「尚仁沢」への水汲みの途中、17番札所「満願寺」にお参りした。
満願寺の山門は徳川時代享保20年(1735)の建立。
一対の仁王尊像は足利時代の作。目の前で見るとかなり迫力がある。
変った屋根の形をした鐘楼だが、鐘の音はなかなか良かった。
本堂は、筑波山の大御堂(現在の筑波神社本殿)、奈良の輿福寺大御堂と共に日本三御堂の一つと称せられている、とのこと。
「満願寺奥の院」は、本堂右手から約15分ほど山道を登ることになる。
お腹も空いた頃なのでここで引き返そうと思ったが、せっかくなので見て行くことにした。
入山料として300円が必要。
奥の院への途中の道端には、数十m間隔に処世訓に似た看板が建てられている。
数字は順々に小さくなり、最後は1で「奥の院」に到着するようになっている。
途中、歴代住職の墓などが建てられており、歴史を感じさせる。
沢伝いに流れる出流川の源泉となる「大悲の滝」は落差8mの可愛いらしい滝だ。
一年を通じて滝修行をする信者が絶えないそうだ。
断崖絶壁に建てられている「奥の院」。急な石段を登ってやっとたどり着いた。
よくもまあこんな処に建てたものだと感心する。一見の価値ありである。
「奥の院」拝殿は色鮮やかな朱色に塗られている。
左側にご本尊の十一面観音像が祀られている。
右奥には洞窟があり、十一面観音の後姿と言われる天然の鍾乳石がある。
「満願寺」の門前町の出流町は、こじんまりとしているが、蕎麦屋が目に付く。
お腹も空いていたので、蕎麦を食べて帰ることにした。
”野菜天ざるそば”は950円で、なかなか美味しかった。
大盛は200円増しである。
”2009坂東33観音霊場巡りの目次”
「尚仁沢」への水汲みの途中、17番札所「満願寺」にお参りした。
満願寺の山門は徳川時代享保20年(1735)の建立。
一対の仁王尊像は足利時代の作。目の前で見るとかなり迫力がある。
変った屋根の形をした鐘楼だが、鐘の音はなかなか良かった。
本堂は、筑波山の大御堂(現在の筑波神社本殿)、奈良の輿福寺大御堂と共に日本三御堂の一つと称せられている、とのこと。
「満願寺奥の院」は、本堂右手から約15分ほど山道を登ることになる。
お腹も空いた頃なのでここで引き返そうと思ったが、せっかくなので見て行くことにした。
入山料として300円が必要。
奥の院への途中の道端には、数十m間隔に処世訓に似た看板が建てられている。
数字は順々に小さくなり、最後は1で「奥の院」に到着するようになっている。
途中、歴代住職の墓などが建てられており、歴史を感じさせる。
沢伝いに流れる出流川の源泉となる「大悲の滝」は落差8mの可愛いらしい滝だ。
一年を通じて滝修行をする信者が絶えないそうだ。
断崖絶壁に建てられている「奥の院」。急な石段を登ってやっとたどり着いた。
よくもまあこんな処に建てたものだと感心する。一見の価値ありである。
「奥の院」拝殿は色鮮やかな朱色に塗られている。
左側にご本尊の十一面観音像が祀られている。
右奥には洞窟があり、十一面観音の後姿と言われる天然の鍾乳石がある。
「満願寺」の門前町の出流町は、こじんまりとしているが、蕎麦屋が目に付く。
お腹も空いていたので、蕎麦を食べて帰ることにした。
”野菜天ざるそば”は950円で、なかなか美味しかった。
大盛は200円増しである。
”2009坂東33観音霊場巡りの目次”
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