2010年4月15日(木)
第八十六番志度寺(しどじ)
この日は朝からあいにくの雨だが、出来るだけ歩くことにした。
出発地点は前夜宿泊した道の駅「源平の里牟礼」、八十六番志度寺までおよそ3Kmのところである。
国道11号線の両側に鉄道が走っている珍しい場所だ。
志度寺に向かって左側が琴電志度線、2両編成である。
志度寺に向かって右側はJR高徳線、1両編成である。
出発から約1時間ほどで、志度寺に着いた。
志度寺仁王門は、寛文十年(1670)に建立されたもので三つ棟木の工法が使われ日本3大名門の一つといわれているそうだ。
仁王門の両側には大きなわらじが奉納されている。
金剛力士像は運慶の作といわれ、長曽我部軍が志度に侵攻したとき、
仁王門の前で馬が動かなくなり金剛力士像から後光が差し、伽藍の焼き討ちを止めた、とのこと。
仁王門をくぐると直ぐ左手に五重塔がそびえている。
昭和50年の建立である。
志度寺本堂
平成の大改修の最中で、本堂の前には解体した石灯籠などが並べられていた。
本堂の右隣に太子堂がある。
納経を済ませていると、裏の庭園を案内された。
立派な石庭であるが、草があちこちに生えていた。
岩を配置した曲水式庭園にも草が生え放題である。
池塘仙木の幽寂雅味は、室町時代の趣を伝えて余りある名園、だそうである。
近いうちに草取りを行うとのこと。
庭から納経所越しに五重塔を望む。
志度寺から長尾寺までの約7Kmは歩きだ。
雨の中傘をさし、約2時間で長尾寺に到着した。
第八十七番長尾寺(ながおじ)
八十七番長尾寺の仁王門
でっかい草鞋が奉納されている。
仁王門に直接梵鐘が吊り下げられているのは珍しい。
本堂ではちょうど団体のお遍路さんがお経を唱えていた。
こちらは太子堂
境内には樹齢800年の楠木の大木が植えられている。
この日も昼食はうどんである。
この店のお奨め、しっぽくうどんとバラ寿司、おでんなどを注文した。
冷えた体にしっぽくうどんは美味しかった。寿司は味付けがやや甘過ぎ。
長尾寺から大窪寺へ向かう途中、かみさんが『重要文化財に指定された建物があるから見て行きたい』と言うので、付き合って寄り道をした。
細川家住宅
昭和41年、この地の民族調査で発見された、江戸中期の代表的な農家である。
2年後の古民家調査によって、香川県東部山間地の農家としての地方色を持った建物として認められた。
昭和46年に国の重要文化財に指定され、同52年に解体修理を行い、元の姿に復元された。
細い道を登っていくと、土壁に塗られた物置小屋がある。
中は土間になっており、昔の農業用道具が並べられていた。
こちらは住居となっている。出入口以外は全面土壁に覆われている。
囲炉裏の回りは莚が敷かれている。
筵の下には寒さ凌ぎのためかもみ殻が敷かれていた。
居間の奥には座敷のような間があるが、家財道具は質素なものである。
座敷も畳ではなく、筵である。
筵の下は、竹が敷かれている。板を作るのに比べて入手が容易なためだったようだ。
夏は涼しく、冬は温かいのだろう。
これまでいくつも見てきた豪農の家を想定していたが、江戸時代の一般農家の建物だったことが却って新鮮だった。
一見の価値はあると思う。時間があれば立ち寄ってみてはいかがだろうか?
細川家住宅から大窪寺まで残り約5Km、ここから再び歩くことにした。
最後は歩いて辿り着きたい。
途中に道標代わりの丁石が置かれている。
左に曲がると大窪寺である。もうすぐだ。
第八十八番大窪寺(おおくぼじ)
大窪寺の大きな仁王門が見えてきた。
近くで見るとその大きさに圧倒される。しかし、これは正門ではない。
あらためて山門から入り直す。やはりこちらの方が風格がある。
山門をくぐると、正面に本堂が見える。
本堂へのお参り前に梵鐘を撞く。
大窪寺本堂
太子堂では、団体お遍路さんが、先達の後に従って結願した感謝の言葉とお経を長々と唱えていた。
お経が終わった後、顔をくしゃくしゃにしてこれまでの苦労を讃えあっていたのが印象的であった。
私も最後の般若心経を唱え、無事結願したことを感謝した。
結願を終えた遍路はここで金剛杖や菅笠を奉納することになるそうだが、記念に持ち帰った。
来年は、高野山奥之院のお大師様の所に御礼参りをすることにしている。
この後、道の駅「塩江:しおのえ」へ車を走らせ、「行基の湯」に浸り、これまでの汗を流すことにした。
道の駅と行基の湯の間に小さな清流が流れている。
道の駅の川向こうに行基の湯の建物がある。
行基橋を渡る。
浴槽は木造りでお湯はさっぱりとして実に気持ちが良かった。
愛車セレンゲティもよく走ったものだ。
行基の湯で汗を流した後は、道の駅「香南楽湯」まで車を走らせ、ここで一泊である。
明日は、名庭園「栗林公園」を見物することにしている。
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第八十六番志度寺(しどじ)
この日は朝からあいにくの雨だが、出来るだけ歩くことにした。
出発地点は前夜宿泊した道の駅「源平の里牟礼」、八十六番志度寺までおよそ3Kmのところである。
国道11号線の両側に鉄道が走っている珍しい場所だ。
志度寺に向かって左側が琴電志度線、2両編成である。
志度寺に向かって右側はJR高徳線、1両編成である。
出発から約1時間ほどで、志度寺に着いた。
志度寺仁王門は、寛文十年(1670)に建立されたもので三つ棟木の工法が使われ日本3大名門の一つといわれているそうだ。
仁王門の両側には大きなわらじが奉納されている。
金剛力士像は運慶の作といわれ、長曽我部軍が志度に侵攻したとき、
仁王門の前で馬が動かなくなり金剛力士像から後光が差し、伽藍の焼き討ちを止めた、とのこと。
仁王門をくぐると直ぐ左手に五重塔がそびえている。
昭和50年の建立である。
志度寺本堂
平成の大改修の最中で、本堂の前には解体した石灯籠などが並べられていた。
本堂の右隣に太子堂がある。
納経を済ませていると、裏の庭園を案内された。
立派な石庭であるが、草があちこちに生えていた。
岩を配置した曲水式庭園にも草が生え放題である。
池塘仙木の幽寂雅味は、室町時代の趣を伝えて余りある名園、だそうである。
近いうちに草取りを行うとのこと。
庭から納経所越しに五重塔を望む。
志度寺から長尾寺までの約7Kmは歩きだ。
雨の中傘をさし、約2時間で長尾寺に到着した。
第八十七番長尾寺(ながおじ)
八十七番長尾寺の仁王門
でっかい草鞋が奉納されている。
仁王門に直接梵鐘が吊り下げられているのは珍しい。
本堂ではちょうど団体のお遍路さんがお経を唱えていた。
こちらは太子堂
境内には樹齢800年の楠木の大木が植えられている。
この日も昼食はうどんである。
この店のお奨め、しっぽくうどんとバラ寿司、おでんなどを注文した。
冷えた体にしっぽくうどんは美味しかった。寿司は味付けがやや甘過ぎ。
長尾寺から大窪寺へ向かう途中、かみさんが『重要文化財に指定された建物があるから見て行きたい』と言うので、付き合って寄り道をした。
細川家住宅
昭和41年、この地の民族調査で発見された、江戸中期の代表的な農家である。
2年後の古民家調査によって、香川県東部山間地の農家としての地方色を持った建物として認められた。
昭和46年に国の重要文化財に指定され、同52年に解体修理を行い、元の姿に復元された。
細い道を登っていくと、土壁に塗られた物置小屋がある。
中は土間になっており、昔の農業用道具が並べられていた。
こちらは住居となっている。出入口以外は全面土壁に覆われている。
囲炉裏の回りは莚が敷かれている。
筵の下には寒さ凌ぎのためかもみ殻が敷かれていた。
居間の奥には座敷のような間があるが、家財道具は質素なものである。
座敷も畳ではなく、筵である。
筵の下は、竹が敷かれている。板を作るのに比べて入手が容易なためだったようだ。
夏は涼しく、冬は温かいのだろう。
これまでいくつも見てきた豪農の家を想定していたが、江戸時代の一般農家の建物だったことが却って新鮮だった。
一見の価値はあると思う。時間があれば立ち寄ってみてはいかがだろうか?
細川家住宅から大窪寺まで残り約5Km、ここから再び歩くことにした。
最後は歩いて辿り着きたい。
途中に道標代わりの丁石が置かれている。
左に曲がると大窪寺である。もうすぐだ。
第八十八番大窪寺(おおくぼじ)
大窪寺の大きな仁王門が見えてきた。
近くで見るとその大きさに圧倒される。しかし、これは正門ではない。
あらためて山門から入り直す。やはりこちらの方が風格がある。
山門をくぐると、正面に本堂が見える。
本堂へのお参り前に梵鐘を撞く。
大窪寺本堂
太子堂では、団体お遍路さんが、先達の後に従って結願した感謝の言葉とお経を長々と唱えていた。
お経が終わった後、顔をくしゃくしゃにしてこれまでの苦労を讃えあっていたのが印象的であった。
私も最後の般若心経を唱え、無事結願したことを感謝した。
結願を終えた遍路はここで金剛杖や菅笠を奉納することになるそうだが、記念に持ち帰った。
来年は、高野山奥之院のお大師様の所に御礼参りをすることにしている。
この後、道の駅「塩江:しおのえ」へ車を走らせ、「行基の湯」に浸り、これまでの汗を流すことにした。
道の駅と行基の湯の間に小さな清流が流れている。
道の駅の川向こうに行基の湯の建物がある。
行基橋を渡る。
浴槽は木造りでお湯はさっぱりとして実に気持ちが良かった。
愛車セレンゲティもよく走ったものだ。
行基の湯で汗を流した後は、道の駅「香南楽湯」まで車を走らせ、ここで一泊である。
明日は、名庭園「栗林公園」を見物することにしている。
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