語り得ぬ世界

現実逃避の発展場 Second Impact
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防人の旅、時々妖怪_40【第2日15】

2024-03-10 07:38:48 | 珍旅道中記
市電のおさらいをしながら出口に向かいましょう。



1500型1510号車。



1600型1601号車。



1300型1311号車。



1100型1104号車。



1000型1007号車の大首絵。



出入口に最も近いところにある500型523号車をアートに撮ってみました。
さて、鉄分・チン分の多い読者の方はここでふと疑問に思われたのではないでしょうか。
三桁車番は500型だけ?1200型、1400型ってないの?
最後に補足しておきましょう。
まず開業当時からしばらくは型式がなく製造通番による「電動客車」がありました。他市電・他社からの譲受車もありましたが(大阪市電からの車両もあったそうです)関東大震災で多くが被災するなどして、だいたい大正14(1925)年~昭和7(1932)年で廃車になりました。もちろん現存しませんが、撮り忘れましたけど(泣)24号車の模型がここ『横浜市電保存館』にあります。
次いで三桁車番は200・300・400・500・600・700・800型がありました(100番台がないのは上記電動客車が191号車まであったからだと思われます)。横浜市電は関東大震災で大きな被害を受け、保有車両のほぼ半分を失くしていますが、震災後は残存部品を新型車両に再利用しています。
トロッコ列車みたいなオープンデッキの200型(たぶん写真パネルにあった納涼電車)は横浜空襲では1両も被災しなかった奇跡の車両です。さすがにオープンデッキですので戦後は客車としてではなく、魚運搬や職員用に使用されたり、花電車などのイベントで活躍しました。昭和22(1947)年に全車廃車。残しておく余裕はなかったのでしょうね。その他戦争で製造が遅れから戦後初の新造車にして最後の三桁車番となった800型などもありましたが、ここにのみ保存されている500型523号車以外は現存しません。
四桁車番では10001100・1200・1300・1400・1150・15001600型がありました。赤字がここにある車両です。先日記事で書きましたが1500型1518号車が野毛山動物園で保存されています。1200型は昭和15(1940)年の紀元(皇紀)2600年を記念して製造されたもの(当初は2600型)、1500型とほぼ同型の1150型、日本貿易博覧会のシャトル輸送で活躍した1400型のうち、横浜市の都市公園「久良岐公園」で保存されている1150型1156号車を除き現存していません。



13:14『横浜市電保存館』を出てバス停へ。市電保存館は意外とよかったです。コスパは最高でしょう。なんせ市バスICカード利用割引で入館料は200円ですからね。次の目的地があるので少し駆け足でしたけど、市電の中でゆっくりするのもいいですし、見過ごした資料もありますので、また来たいです。てか、たぶん来ると思います。
さて、空を見上げると雲行きがかなり怪しくなって時折雨粒が落ちてきています。しかもかなり強い風が吹き始めました。



バス停から市電保存館を見たところ。根岸駅前行きのバスが来るまで10分ほどあり、雨も傘なしではいられない降りになりました。やむなく折り畳み傘を差すことに。しかし風が強く、傘が思い切り煽られて反転してしまいました(差せる状態でしたがかなり傷みました)。途中、上大岡駅(京急本線)行きのバスが来たのですが、上大岡駅は京急の特急停車駅でもあります。方向としてはこの後の行先に合致しますが、駅まで遠回りするルートの可能性もあり断念しました。でも、もしかしてそっちのほうが早かったかも…。入念に下調べしておくべきでした。



13:21 根岸駅行きのバスから。雨はまだ本降りになっていません。



13:29 根岸駅前で下車し、乗ってきた横浜市営バスを見送ります。



駆け足なら傘なしでJR根岸駅へ走り込める状態です。



13:30 JR根岸駅です。写っている同時刻発大宮行き快速にギリ乗れました。根岸線・京浜東北線で横浜駅へ戻ります。



13:42 JR横浜駅に着きました。この時点で珍旅程より1時間20分もの時短に成功。



JR横浜駅にて京急本線に乗り換えます。せっかく時短ができたので先を急ぎましょう。京急横浜駅へ向かいます。
(つづく)
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