語り得ぬ世界

現実逃避の発展場 Second Impact
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防人の旅、時々妖怪_36【第2日11】

2024-03-06 07:27:55 | 珍旅道中記
お次はこちらの市電です。客車の展示車両はこれが最後です。



12:47 丸みを帯びた流線型がシブいですけど、ボディの塗装はさらにシブい。砂漠仕様の戦車みたいな色の車両は、当時の最新鉄道技術が詰まった1500型1510号車でして、昭和26(1951)年に導入された20両のうちの1両です。昭和47(1972)年3月31日の市電廃止のときまで全車運用されていました。1500型としては野毛山動物園に1518号車が現役時代末期の塗装で保存されているそうです。見てみたいですなぁ。



やはりレトロ感は薄いです。



アートに撮ってみました。



ハイ、ドン!
珍得意の大首絵(笑)
特徴的な左右非対称、アンバランス感が逆に近未来的かもしれません。



ブレていますけど(フォトショップで補正するもこれが限界)車内は蛍光灯で明るく、やはりレトロ感がかなり薄いです。電灯の効果ってけっこう大きいですよね。



1500型にも吊り広告的ミニ歴史解説。横浜市電に限らず都市部の路面電車(併用軌道)は昭和30年代が最盛期から衰退期へ大きく降下していく10年だったのですね。人口急増とモータリゼーションの発展がまともに影響したわけですな。



思えば横浜市電の最盛期は昭和33(1958)年の横浜開港100年祭でしたね。ちなみに「花電車」は最近の路面電車では見かけなくなりましたけど(費用も嵩張りそうですよね)珍的には「花電車」というと、脊髄反射的に違う " あること " を連想してしまいます。ここでは書くことを控えますが…。



太平洋戦争末期における女子挺身隊の献身的な働きは日本各地で見られました。戦死されている方も少なくありません。広島、長崎の原爆に巻き込まれた方々の逸話を目にしたこともありますが、横浜市電でもこうした逸話があるのですね。強い気持ち、責任感がないとこうはできませんよね。
お次は珍しい車両です。



12:48 一つ目小僧を連想させる面構えのこの特殊車両は「電動無蓋貨車10号」です。シブいね。もともとは自走式の貨車ですが、横浜市電晩年期では貨物輸送は行われていないので、保線が主な用途だったようです。車両基地での入換などにも使われていたでしょうね。おそらく新造ではなく旧式車両を大胆に改造したものではないかと言われています。これが市電廃止時に残存していた1両だそうですけど、スクラップにされず、よい状態のまま保存されていたというのは驚きです。これも鉄道模型で欲しいなぁ。



電動無蓋貨車10号はこうした瓶ビールの運搬にも使われていたそうです。それにしても横浜が日本のビール発祥の地だったとはしりませんでした。恵比寿じゃないんですね。ビール瓶が割れないよう藁苞(わらづと)で1本ずつ巻いてある姿(復元品)は納豆そのもの(笑)



藁苞で巻かれたビール瓶を入れた箱がこちら。本牧のキリンビール工場からこれらを電動無蓋貨車10号で運んでいました。そのほかにもレールなども運んでいたそうです。働き者やな、電動無蓋貨車10号。



改造前の元車両が何なのかはわかりませんが(最初期のものでしょう)関東大震災で被災し廃車するしかない車両を再利用しているそうです。それにしも切り刻まれた感が半端ないですね(苦笑)



このチェーンブロックは新しいので市電廃止後に付けられたものではないかと思われますが、ビール運搬時代にも2tの荷物を動かせる手動チェーンブロックを積んでいたそうです。



電動無蓋貨車10号の運転台。おそらく客車時代からのものでしょうね。年季入ってます。



運転台後方から荷台を見たところ。貴重な車両です。



電動無蓋貨車10号の大首絵。展示車両のトレースはここまで。お次はパネル展示です。
(つづく)
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