教えられたとおり左内坂を引き返して下りきったところで右へ。
12:52 靖国通りです。ちゃんと「防衛省」って書いたぁるやん。富士そばに見とれてた?どこ見ててん、オレ(苦笑)
12:57 報道などで見かける防衛省正門に着きました。わが国の国土・国民防衛の本拠地の警備は委託なんですね…。守秘義務は契約で縛るとしても、C国のスパイとかいてまへんか?
集合場所はこの正門前でして、集合時間は13:10。ほぼ10分前に到着しましたので、正門と通用門で入口を間違っても結果的にまずまず余裕で間に合いましたけども、珍旅程を前倒しで消化していたのが最後に効きました。何事も余裕を持つことが大事ですな。
さて、10分前に到着はしましたけど、すでに見学者の受付待ちが10人以上いました。その並び方は無秩序な感じでどこが先頭で、どこが最後尾かもよくわからない状況でしたが、とりあえず何となく並んでいる人たちの列の方向から最後尾のつもりで並びました。
集合時間になり、案内係らしきオッチャンが点呼に現れましたけど、最後尾の珍からいきなり受付。って、ええの?先に並んでいる人おかまいなしやで…。本来なら並ぶ場所をロープとかコーンで示しておくのが親せつだと思いますが…周りの誰にも何もに聞かずにいきなり珍が声をかけられました。
氏名を尋ねられ「珍之助です」と名乗ると「ああ、一番に申し込まれた珍さんですね」
点呼も一番なら申込も一番でした。まあ実際のところ受付順は見学にまったく関係ありません。だから点呼のオッチャンも近場の珍に声を掛けたのでしょうね。本人確認のため免許証を提示し、入場料700円也を払い、ここで初めて先頭に並ばされまして、入館証を渡され隊列を組むように入場(ICカード方式でタッチで入場)。結局受付順はこの入場の順だけのことでした。
なんだか懐かしい匂いのする領収証書(注!領収証ではありません)ですね。役所か!(役所です)
収入名目(地方自治体では摘要?)が「大本営地下壕跡入場料」となっています。見学ツアー参加費なら「手数料」でもいいように思いますけど、そこは施設入場料なのですね。しかも使用料ではなく入場料。N市では「施設使用料」はありますけど「入場料」は確かありません(科目設定もなかったと思いますが自信はありません)。美術館・博物館を持っている市町村なら歳入に「入場料」があるのかな。
あと「収入官吏」もまあまあ古い感じがしますけど(自ら官吏と名乗るって…)地方自治体ならこの場合は施設所管部署の所属長だと思いますが、地下壕は広報課長ではなく、事業班長なのですね。係長級ですよね、たぶん。
ちなみに歳入の<項>国有財産使用収入<目>入場料等収入はありますけど<款><節>の記載がありませんね(あるけど省略してる?普通記載するでしょ)。N市の一般会計使用料収入の場合、この地下壕に施設の性格が近い社会教育施設(市民ギャラリー)では、<款>使用料及び手数料<項>使用料<目>教育使用料<節>市民ギャラリー使用料となります。<目>は施設の所管部局、<節>は施設名です。国費の歳入科目の構成ってまあまあ雑ですね(苦笑)
ほかに、今回地下壕以外にも「市ヶ谷記念館」の見学もありますが、そこは入場料無料扱いなんや…。
いろいろツッコミどころが多いな(笑)
いずれにしても、ツアーそのものは直営なのがわかりますね(だから防衛事務官のオッチャンが700円を徴収するわけです)。
なお、防衛省・自衛隊市ヶ谷地区見学(正式名称:市ヶ谷台ツアー)には午前と午後コースが違います。午前の部には「大本営地下壕跡」の見学は含まれません。なので無料だと思います。
事前に予約が必要なのですが、まず電話して参加可否を確認し、次にメールフォームで住所氏名等を書いて申し込みます。webでいっぺんにやってよね。地下壕入場料700円也は当日受付時に現金にて支払います(webにはおつりのないようにと書かれています)。お国もデジタル化を推進してませんでしたっけ?
当日配られたリーフレットです。
一旦見学者の出発前待機場所で待たされ、注意事項などの説明の後、最初の見学場所である「大本営地下壕」へ。
点呼を行ったオッチャン(防衛省事務官)と制服を着たアテンダントさん(見学コース案内のために民間委託で来ている人)のお二人が見学グループを挟むようにしてアップダウンのある敷地内を進み、「大本営地下壕」の入口に到着しました。
13:15 地下壕入口です。赤いダウンコートの女子は(この頃から曇って少し気温が下がってきました)40歳愛想よくてキュートなポチャ子さん。手慣れた様子で案内をしていただきました。
アテンダントさんが先導する形でいよいよ地下壕へ入っていきます。この時見学者にはヘルメットが配られました。そのヘルメット配布などを行うサブ的な立ち位置のもう一人アテンダントさんが地下壕で待っておられました。
雰囲気ありますねぇ。「大本営地下壕」は大本営陸軍部・陸軍省・参謀本部等が市ヶ谷に移転して際、昭和16(1941)年8月から翌年12月にかけて造られた防空壕です。その当時は陸軍大臣室や通信室、炊事場、浴場などを備えていて、現在は区画が辛うじてわかる程度ですけども、地下壕自体はかなり堅牢にできています。昭和20(1945)年8月10日当時の阿南陸軍大臣が陸軍省幹部を集め、前日の昭和天皇のポツダム宣言受諾の御聖断を伝えたのがこの地下壕だそうです。
戦後米軍に接収され、昭和34(1959)年に日本政府に返還されましたが、地下壕内はかなりの湿気と水漏れで使い勝手も悪いので(それこそ防空壕のような緊急時を除き通常は使えないので)米軍/GHQは結局持て余し気味だったらしく、ワイン貯蔵庫ぐらいでしか使っていなかったそうです。陸軍中枢の跡地ですけど、何とも言えない皮肉な話ですな。
見学コースは安全確保のため、通路板・手すりや照明、通気口などが整備されています。照明は灯っていますけど、それなりに暗いです。
ナニが撮りたいねん(笑)
ダンジョンっぽいですね。通信室跡です。ちゃんと写っていませんが、手前が陸軍大臣室跡。
けっこう奥が深いです。通気筒が向こうに見えていますが、その先がさきほどの大臣室・通信室だったかな。
地下壕全体は幅48m、奥行52mある鉄筋コンクリート構造です。
トイレ跡(笑)
壁に野郎用の小便器の跡があるのがおわかりいただけますでしょうか。
トイレの配管跡です。大便器だったかな…(苦笑)
「大本営地下壕」ではけっこう写真を撮りましたが、珍ブログに嬉々と掲載したとしても、どれも同じような景色なのでみなさんにスクロールされるのが関の山ですね。これぐらいにしておきます(泣)
(つづく)
12:52 靖国通りです。ちゃんと「防衛省」って書いたぁるやん。富士そばに見とれてた?どこ見ててん、オレ(苦笑)
12:57 報道などで見かける防衛省正門に着きました。わが国の国土・国民防衛の本拠地の警備は委託なんですね…。守秘義務は契約で縛るとしても、C国のスパイとかいてまへんか?
集合場所はこの正門前でして、集合時間は13:10。ほぼ10分前に到着しましたので、正門と通用門で入口を間違っても結果的にまずまず余裕で間に合いましたけども、珍旅程を前倒しで消化していたのが最後に効きました。何事も余裕を持つことが大事ですな。
さて、10分前に到着はしましたけど、すでに見学者の受付待ちが10人以上いました。その並び方は無秩序な感じでどこが先頭で、どこが最後尾かもよくわからない状況でしたが、とりあえず何となく並んでいる人たちの列の方向から最後尾のつもりで並びました。
集合時間になり、案内係らしきオッチャンが点呼に現れましたけど、最後尾の珍からいきなり受付。って、ええの?先に並んでいる人おかまいなしやで…。本来なら並ぶ場所をロープとかコーンで示しておくのが親せつだと思いますが…周りの誰にも何もに聞かずにいきなり珍が声をかけられました。
氏名を尋ねられ「珍之助です」と名乗ると「ああ、一番に申し込まれた珍さんですね」
点呼も一番なら申込も一番でした。まあ実際のところ受付順は見学にまったく関係ありません。だから点呼のオッチャンも近場の珍に声を掛けたのでしょうね。本人確認のため免許証を提示し、入場料700円也を払い、ここで初めて先頭に並ばされまして、入館証を渡され隊列を組むように入場(ICカード方式でタッチで入場)。結局受付順はこの入場の順だけのことでした。
なんだか懐かしい匂いのする領収証書(注!領収証ではありません)ですね。役所か!(役所です)
収入名目(地方自治体では摘要?)が「大本営地下壕跡入場料」となっています。見学ツアー参加費なら「手数料」でもいいように思いますけど、そこは施設入場料なのですね。しかも使用料ではなく入場料。N市では「施設使用料」はありますけど「入場料」は確かありません(科目設定もなかったと思いますが自信はありません)。美術館・博物館を持っている市町村なら歳入に「入場料」があるのかな。
あと「収入官吏」もまあまあ古い感じがしますけど(自ら官吏と名乗るって…)地方自治体ならこの場合は施設所管部署の所属長だと思いますが、地下壕は広報課長ではなく、事業班長なのですね。係長級ですよね、たぶん。
ちなみに歳入の<項>国有財産使用収入<目>入場料等収入はありますけど<款><節>の記載がありませんね(あるけど省略してる?普通記載するでしょ)。N市の一般会計使用料収入の場合、この地下壕に施設の性格が近い社会教育施設(市民ギャラリー)では、<款>使用料及び手数料<項>使用料<目>教育使用料<節>市民ギャラリー使用料となります。<目>は施設の所管部局、<節>は施設名です。国費の歳入科目の構成ってまあまあ雑ですね(苦笑)
ほかに、今回地下壕以外にも「市ヶ谷記念館」の見学もありますが、そこは入場料無料扱いなんや…。
いろいろツッコミどころが多いな(笑)
いずれにしても、ツアーそのものは直営なのがわかりますね(だから防衛事務官のオッチャンが700円を徴収するわけです)。
なお、防衛省・自衛隊市ヶ谷地区見学(正式名称:市ヶ谷台ツアー)には午前と午後コースが違います。午前の部には「大本営地下壕跡」の見学は含まれません。なので無料だと思います。
事前に予約が必要なのですが、まず電話して参加可否を確認し、次にメールフォームで住所氏名等を書いて申し込みます。webでいっぺんにやってよね。地下壕入場料700円也は当日受付時に現金にて支払います(webにはおつりのないようにと書かれています)。お国もデジタル化を推進してませんでしたっけ?
当日配られたリーフレットです。
一旦見学者の出発前待機場所で待たされ、注意事項などの説明の後、最初の見学場所である「大本営地下壕」へ。
点呼を行ったオッチャン(防衛省事務官)と制服を着たアテンダントさん(見学コース案内のために民間委託で来ている人)のお二人が見学グループを挟むようにしてアップダウンのある敷地内を進み、「大本営地下壕」の入口に到着しました。
13:15 地下壕入口です。赤いダウンコートの女子は(この頃から曇って少し気温が下がってきました)40歳愛想よくてキュートなポチャ子さん。手慣れた様子で案内をしていただきました。
アテンダントさんが先導する形でいよいよ地下壕へ入っていきます。この時見学者にはヘルメットが配られました。そのヘルメット配布などを行うサブ的な立ち位置のもう一人アテンダントさんが地下壕で待っておられました。
雰囲気ありますねぇ。「大本営地下壕」は大本営陸軍部・陸軍省・参謀本部等が市ヶ谷に移転して際、昭和16(1941)年8月から翌年12月にかけて造られた防空壕です。その当時は陸軍大臣室や通信室、炊事場、浴場などを備えていて、現在は区画が辛うじてわかる程度ですけども、地下壕自体はかなり堅牢にできています。昭和20(1945)年8月10日当時の阿南陸軍大臣が陸軍省幹部を集め、前日の昭和天皇のポツダム宣言受諾の御聖断を伝えたのがこの地下壕だそうです。
戦後米軍に接収され、昭和34(1959)年に日本政府に返還されましたが、地下壕内はかなりの湿気と水漏れで使い勝手も悪いので(それこそ防空壕のような緊急時を除き通常は使えないので)米軍/GHQは結局持て余し気味だったらしく、ワイン貯蔵庫ぐらいでしか使っていなかったそうです。陸軍中枢の跡地ですけど、何とも言えない皮肉な話ですな。
見学コースは安全確保のため、通路板・手すりや照明、通気口などが整備されています。照明は灯っていますけど、それなりに暗いです。
ナニが撮りたいねん(笑)
ダンジョンっぽいですね。通信室跡です。ちゃんと写っていませんが、手前が陸軍大臣室跡。
けっこう奥が深いです。通気筒が向こうに見えていますが、その先がさきほどの大臣室・通信室だったかな。
地下壕全体は幅48m、奥行52mある鉄筋コンクリート構造です。
トイレ跡(笑)
壁に野郎用の小便器の跡があるのがおわかりいただけますでしょうか。
トイレの配管跡です。大便器だったかな…(苦笑)
「大本営地下壕」ではけっこう写真を撮りましたが、珍ブログに嬉々と掲載したとしても、どれも同じような景色なのでみなさんにスクロールされるのが関の山ですね。これぐらいにしておきます(泣)
(つづく)