時代のウェブログ

イマを見つめて
提言します

坂東真砂子「子猫殺し」へ。その1

2006年08月24日 02時58分04秒 | 社会・経済
ソース・資料はこちら→

坂東さんのエッセイにあれこれ言う前に、まず自分自身のことから語るのが自然だと思うので、うちの猫の話を書きます。
うちには雌猫が1匹います。素性は2才まで野良猫(正式には「地域猫」)でした。地域猫というのは、餌遣りされている野良猫です。猫擁護ばかりになっては公平ではないので、まず地域猫(ある人たちにとっては、ただの野良猫)問題から入りたいと思います。
猫好きさん達にとっては、地域猫は可愛い存在です。猫が飼えない環境に住んでいる猫好きさんたちにとっては、野外で地域猫に餌遣りしてる時間が至福のひとときだったりします。しかし地域猫が被害を与えているのも事実です。庭への糞尿、花壇などを荒らす、猫同士の喧嘩、発情期の鳴き声、あるいは自宅敷地内で死なれるのさえも猫好きでない人たちにとっては迷惑な行為でしょう。さらに猫アレルギーなどの疾患を持つ人にとっては深刻な健康問題にもなります。
筆者個人の考えでは、地域猫は減らして行くべきだと思います。本来、愛玩動物である猫は、野生にはいなかった動物です。ツシマヤマネコやイリオモテヤマネコとは違います。地域猫といっても、元は野良猫で、ペットが捨てられたか、その後に繁殖した物です。これは減らして行くべきだと思います。実現不可能かもしれませんが、0を目指すべきだと思います。
しかし駆除・殺処分による根絶には反対です。「絶対に飼い主が捨てないこと」と「すでにいる野良猫に不妊処置をして繁殖させないこと」の2つを柱として減少させていくべきだと思います。因みに筆者の住む地域にいる餌遣りおばさんたちは、自費で雌猫に不妊手術をしています。筆者が雌猫を一匹拾って飼っているのも、微力ながら野良猫を減らすためです。もちろん不妊手術済みです。2匹以上は飼えないので、たった1匹だけですが、それでも猫の生涯出産数を考えれば、数十匹の野良猫を減らすことはできたと思っています。

さて、筆者宅で飼うことになった雌猫ですが、不妊手術をする時、実は坂東氏と同じような悩みを抱えました。「獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか」の部分ですね。いや、雌に限らず、すべての生物にとって、これは真理だろうと思います。

動物は、なんのために生きているか?
多分、子孫を残すためでしょう。生命に限りがあり、子孫を残すという形で「種を保存」する意味は、「遺伝子のスクランブル」だと考えています。「進化論」は、このようなシステムが有るから成り立っています。仮に種が単純再生産されていけば、環境変化などに対応できません。気温が下がれば低温に適したように進化する、上がれば高温に適したように進化する。そういう個体を作り出すために、動物は自分自身が生きながらえるのではなく、自分は死して子孫を残すという生命活動を繰り返していると思います。
それなのに生殖能力を奪ってしまうのは、「生」の意義を奪ってしまうのではないか?
ここまでは坂東氏と同じです。
しかし、その後、別の考えが浮かびました。この論理が当てはまるのは、純粋な野生動物だけだろうと考えました。これは「自然の摂理」です。「自然の摂理」が適用されるのは野生動物であって、野生でない動物には適用されないのではないか?と考えるようになりました。それは以下の理由によります。

最も野性的でない動物とは何か? それは人間です。
上記の「動物は子孫を残すために生きている」という論理を、人間に適用したらどうなるか?
子供を産めない女性は生きている価値がない――極論ではこうなります。もしも坂東さんが、そこまで考えているのでしたら、「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」として書いて頂きたい。
筆者は、この種の保存原理は、野生ではなくなった生物には当てはまらないと考えます。すべての人間は、生きる価値があります。
ですから、人間と関わるようになってしまった動物たちにも、これは当てはめられると思います。例えば家畜(牛・豚など)です。人間の都合によって大量繁殖させられて大量にされています。ここに野生の原理は当てはまりません。
ペットとして飼われる(依存させられる)犬や猫にも、もはや坂東氏の考える自然の摂理は当てはまらないと考えます。牛・豚・犬・猫は、自然の摂理の下で種の保存のために子孫を残してはいません。人間が「生産」という管理下において繁殖が行われているのです。坂東氏は妊娠・出産において管理者の葛藤に直面しているように書いていますが、すでに坂東さんが猫を飼った時点で、その猫は坂東氏の管理下の置かれています。ならば管理者(飼い主)として繁殖にも責任を持つのが当然です。それ以上、面倒を見切れないのであれば繁殖調整、つまり不妊処置を取るべきです。
もちろん、犬・猫は不妊手術を望んではいないでしょう。しかし子孫を殺されることも望んでいません。もしもムツゴロウさんのように広大な土地を所有して動物王国でも作る気ならば、自由に交尾させて繁殖させても構いません。しかし、そんな余裕が無い場合は、どちらかを選ぶしかありません。筆者は繁殖させない不妊手術を選びました。それは手術しないことによって誕生する数十の生命を無残にも殺す事態を回避するためです。子種を断つのも子猫も殺すのも同じと坂東氏は書いていますが、全く違います。不妊手術は「殺害」ではありません。
完全に野生であれば、「生」の意義であった「繁殖」を奪う代償として、筆者は雌猫に誓いました。「子を産む権利を奪う代わりに、お前の生命は最後まで見届ける。筆者の力でできる最大限の努力として、1日でもお前を長生きさせてやる」と。
おかげ様で、当家の雌猫は11才になりました。野良猫の平均寿命は、だいたい3~4年と聞きますから、もう3倍くらい長生きさせてやることができました。もちろん、だから「子を産む能力」を奪った代償を果たしたとは考えていません。これから高齢になっていくほど、さらに責任は重くなると思っています。

なんだか猫の話になると、いつもの調子が出ませんね。話も全然まとまっていない(汗)。
でも、こんなに書いても、まだ言いたい事の1割も言った気がしません(爆)。これについては、またどんどん書いて行きます。
興味が無い方は「坂東エントリー」は、全部無視でお願いします(笑)。

【おことわり】
「なぜ動物を殺してはいけないのか?」という議論は、ディルレヴァンガー事件前から2ちゃんねるのムツ板あたりで延々と行われ、未だに続いております。結局、極論の応酬で水掛け論になるしかないんですよね。時間の浪費はしたくないので、当コメント欄で、その議論をするつもりはありません。違うお考えをお持ちの方は、このエントリーを無視してください。


最新の画像もっと見る

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
同感です。 (さら)
2006-08-24 12:17:20
私はこの話を聞いてから、はらわたが煮えくり返ってご飯が食べられません・・・

うちにも4匹猫がいます。全員野良出身です。もちろん避妊・去勢済み。

もちろん、自分の事情もあります。(生まれても飼えない等)しかし、私もこの子達にそれ以上に幸せにしてあげると誓ってきました。

友人には「この子達以上に幸せな子おらんやろう」とか、「君の家は行くたびに猫が増えていそうで怖い(拾ってくるから。そして人の通り道に腹出して寝ているから)」とか言われます。かといってこの子達が幸せかどうか。それはわかりません。私は幸せを願って努力していくだけです。

当たり前の話ですが、全員生涯看取ってやる覚悟です。

そうでなければ、「飼い主」である資格はないと思います。
返信する
コメントありがとうございます (ブログ主)
2006-08-24 13:09:28
逆説的に問題提起するつもりだったのかとも思いましたが、また変な続編を発表したみたいですし……。良く解らない展開ですねえ。プラスはひとつもないように感じるのですが……。タヒチって仏領ですよね。日本よりも更にこの手の問題にはナーバスなんじゃないかと思えるんですが。日本人がみんなこの人みたいに思われたら大いに迷惑ですよねぇ……。全く困った事です。
返信する
Unknown (通りすがりですが・・)
2006-08-25 00:15:15
こんばんは。通りすがりです。

本文、読んでモヤモヤしていたものがすっきりしました。

当方、結局、気持ち悪い人ということに落ち着きました。

本文のほうにも書かれていますが、

この話は、結局、「生きるとは殺すとは」という難しい

問題を避けては通ることはできないんですよね・・。

返信する
コメントありがとうございます (ブログ主)
2006-08-25 00:57:42
「生きる」ことの自然界での意義は、本文中にも書いたように「種の保存=子孫を残す」ことだと考えています。しかし、人間はこの摂理から逸脱してしまったんですね。

すなわち、人間にとって「生きる」ことの意義は、第一に「自身の生を全うすること」になったと思います。もちろん「種の保存」も大事ではありますが。

こうしたWスタンダードが「生の問題」を複雑にしていると思います。

本文中では「家畜など」と限定しましたが、既に人間はかなりの数の生命に影響を及ぼしている。ある種は滅ぼし、ある種は絶滅を回避させている。タネなしブドウやタネなしミカンを作り出すことは、本質的に生殖能力を奪った生物を人工的に作り出すことであり、あるいは将来、繁殖能力を無くしたペットすら作りだされるかもしれません。そんな問題について、宗教や倫理で論じても、結論は出ないと思います。なぜならば、宗教や倫理は真理の探究ですが、人間はすでに「生の意義」という自然の摂理すら、人間用の人工的な摂理を生み出しているのですから。

今後とも宜しくお願いします。
返信する
Unknown (rin)
2006-08-26 05:46:22
いろいろなところで実に多くの意見を読みましたが、こちらで拝見した意見が一番納得できました。よかった、こういう方がいて。



イエネコにとっての「自然」は、人間が発生から関わってしまった以上、「人為的な自然」しかありえないと私は考えています。だから育てられないことがわかっているなら、いまもっとも確実な手段である不妊・去勢手術をすることは人間の背負ってしまった義務なのだとも思います。



私自身はアレルギー持ちで資力もなく、猫が飼えません。

どうか飼ってらっしゃる猫さんをお大事になすってくださいませ。ご健康を祈ります。
返信する
Unknown (セン)
2006-08-26 06:21:33
トラックバックをありがとうございました。

生命と種族、立場や状況といった境界の明確化が無くては、混乱を統制できませんね。(といっても、私の場合、自己満足の範疇でしかないのですが・・・)

人間の生き易いように、コントロールしていく事の苦悩は無くならなそうです。

地球規模、社会単位、個人的理由と何段階もある壁に扉をつける事はたやすくないのですね。

とても勉強になりました。

記事を読ませて頂き、とても勉強になりました。

ありがとうございました。
返信する
コメントありがとうございます。 (ブログ主)
2006-08-26 06:22:45
簡単に言っちゃうと「動物を飼う時は責任を持て」の一言で終わるんですがね。愛護側も「かわいいんだから大目に見て」というだけでは理解を得られないと思います。そして何よりも「好きなら、ちゃんと面倒を見ろ」ということですね。うちの猫も可愛がりますが、余所の猫も可愛いです。「親は可愛がるけど、子供は平気で殺せる」というのは猫好きとは言えないでしょう。自分が楽しむ為の「おもちゃ感覚」なんじゃないかと思います。
返信する
とても納得できました (なるみ)
2006-09-27 00:29:10
 Uesamaのご意見にすごく納得しました。私も坂東眞砂子氏の選択には疑問を感じるという所では、uesamaや、ここにカキコまれた皆さんと同じです。現在、子猫の時に拾ってきた雌と雄の猫を飼っていますが、随分前にそれぞれ避妊と去勢をさせました。現在彼らは15歳と13歳です。



>>違うお考えをお持ちの方は、このエントリーを無視してください。



ということですね? 違う考えではないのですが、こちらのカキコミの趣旨と少しずれるかもしれません。しかし今、誰かにどうしても聞いて欲しくて、つい書かせていただきました。

先日のことです。知人(断じて友人ではない)が、他の人たちと坂東氏の話をしていて、「ひっどーい!猫ちゃん達、カワイソウ。」と言っていたのです。

この人は以前、あまりにも身勝手な理由で、飼っていた猫を山に捨てに行った事を私は知っています。その事を世間話の様に私に話して聞かせたのです。今でも全く罪の意識は感じていないというか、完全に忘れているようです。

 別の話ですが、今年の春、近所の公園のゴミ捨て場に、生まれて間もなくて目も開いてない子猫が数匹、箱に入れられて捨てられており、最初に見つけた人が箱を開けてから20分くらいの間に1匹を残して全部カラスに食べられてしまったそうです。その様子を(ただ)見ていたらしい近所の人たちからそう聞きました。最後の1匹はなぜか後から来た私に押し付けられ、「可哀想なんだから、あなたが世話をしてあげて」と言って、彼らは去って行きました。そのうちの一人が、「俺んとこのは雄だからいいけど・・・」と言っているのが聞こえました。

 押し付けられた私はしばらく悩みましたが、「うちのマンションはこれ以上猫は飼えないし」と自分に言い訳をして、「ごめんなさい・・・」と言いつつ、目も開かず、ミューミューと弱々しく鳴く10センチくらいのその子猫を箱に戻し、公園を去りました。子猫がその後カラスに食べられたのか、凍えて死んだのか、あるいは誰かに拾われたのか、私には分かりません。私本人が、なんだかんだ言いながら、最も責任を回避する道を選んでいました。



長々と書いてごめんなさい。でもこの世の中は、ここにコメントを載せておられるような、動物に愛情と責任を感じる人ばかりでなく、

「捨てる事は、時には殺す事より悪質だ」

ということを理解していない人が結構多いです。彼らは何の罪の意識も持たずにペットを捨てたり、見殺しにしたり、「オスだから関係ない」と言ったりします。

 再度言いますが、私は決して坂東氏に賛成したり擁護したりするつもりはありません。

しかし個人的意見ですが、上記の人達は、坂東眞砂子氏のやってる事と大して変わらないことをやっているという事に気づいて欲しいと思っています。

 私は捨てられてた子猫を見捨てたという件で、自分自身は坂東氏を非難する資格を持たないと思っています。
返信する
コメントありがとうございます (uesama01)
2006-09-27 07:55:48
ソースの記事に、alive-netという愛護団体のリンクを付けていますが、そこを読むと、やはり無責任な飼い主の責任が大きいなと痛感します。

なるみさんは御自分を批判する必要は全く無いと思います。人には、それぞれ限界があります。その中で精一杯やってらっしゃるようですから。自分も、たった1匹の野良猫を飼っただけです。本当に大した事はできていないと思っています。

なんか坂東氏が弁解じみた見解を発表したようですが、全く納得できません。取って付けたように色々な飛躍的見解を述べてる感じです。予想以上の反響に慄いてる感じです。作家にしてはイマジネーションが乏しい人間なんだなと思います。
返信する

コメントを投稿