高校野球監督は辛いよ

 私が高校野球を見始めた70年代に強かったのが、千葉県
代表の銚子商。
 特に73年と74年はエース・土屋と篠塚利夫を中心にした
黒潮打線と呼ばれる強力打線は、圧巻だった。
 73年の夏の2回戦で怪物・江川卓のいた作新学院と対戦し、
雨中の決戦となった延長12回に1アウト満塁から押し出しで
サヨナラ勝ちをした。
 翌74年の夏に悲願の初優勝を飾るのだが、当時小5だった
我々は‘銚子商が優勝したのは、調子がよかったから’など
とふざけて言っていた。

 事実それぐらい銚子商の圧勝だった。
8・13:2回戦
 PL学園000 010 000 1
 銚子商020 001 02X  5

8・16:3回戦
銚子商201 001 100  5
中京商000 000 000  0

8・17:Qファイナル
 平 安 000 000 000 0
 銚子商010 120 11X 6

8・18:Sファイナル
 前橋工000 000 000 0
 銚子商100 221 00X 6

8・19:ファイナル
 防府商000 000 000 0
 銚子商000 006 01X 7

 3試合で4本のホームランが出るし、初戦のPL戦の5回に
2アウト満塁から押し出しで1点を取られただけ。タイムリー
ヒットすら打たれてない。
 当然1度もリードされず圧勝したのだ。
 
 ところが優勝して凱旋した今頃、新聞の記事に‘銚子商・
斉藤監督入院’というのがあった。
 最強チームを作り上げた斉藤一之監督が、急性胃潰瘍で
吐血して入院したというのだ。
‘あんな凄いメンバーで、圧勝したのに・・・・’と思ったが
考えてみると、凄いメンバーだからこそ‘優勝して当然’と
いうプレッシャーたるや尋常ではなかったろう。
 ましてや銚子商の地元は港町で、ただでさえ熱い所だから
‘勝てば神様、負ければテメェ呼ばわり’されるという。
 胃潰瘍にもなろうもの。
 
 先ごろ亡くなった栽弘義・沖縄水産監督や盟友の蔦文也・
池田監督、小嶋仁八郎・津久見監督らは大酒飲みで有名だっ
たらしい。
 考えてみると高校野球の監督は、正月休み以外は練習漬け
だし家族と過ごす時間も殆んどないだろう。
 気分転換といえば、酒を飲むぐらいしかできないと思われ
酒量も増えるのは当然だ。
 好きでないと、半端な覚悟では絶対にできない仕事である。
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