名バイブレイヤー・木村拓也コーチを偲ぶ

巨人・木村拓コーチ死去=くも膜下出血、37歳-プロ野球(時事通信) - goo ニュース

 4月2日の試合前の練習中に くも膜下出血で倒れたジャイアンツの木村
拓也コーチが今日未明に倒れてから1度も意識が戻らないまま亡くなったと
いうニュースを今朝ネットで知った。

 享年37歳とは あまりにも若過ぎるし信じられない思いだ。

 昨年限りで現役を引退しジャイアンツのコーチになったのだがスター選手
上がりではないのに2軍ではなく1軍でのコーチキャリアをスタートさせると
いうのは よほどコーチとしての将来を嘱望されていたのだろう。

 木村拓也の名前を最初に聞いたのはカープ時代。
 もともと進学校の宮崎南からファイターズにドラフト外でキャッチャーとして
入団したものの、95年にカープにトレードされていた。

 当初は守備固めや代走要員で聞くぐらいだったが2000年あたりからレギュ
ラーに定着し、1番・2番を主に打ち始める。
 ピッチャー以外は どのポジションも守れるという事でアテネ五輪の日本
代表にも選ばれ銅メダルを獲得。

 サッカー日本代表の元監督フィリップ・トルシエは代表メンバー選考で

 1:最初から出て力を発揮できる者

 2:途中出場で力を発揮できる者

 3:試合に出る可能性は低いもののベンチのムードを盛り上げてくれる者

という3種類のメンバーが必要だが、最も重要なのが3のタイプの選手と
言っていたが、木村拓也は まさしく3のタイプの選手だった。

 更に驚いたのが06年の途中にジャイアンツにトレードされて1軍に定着した
事だ。
 バイブレイヤータイプの木村にとって34歳でジャイアンツに移籍しても試合
出場はおろか、1軍定着も厳しいのではないか?と思ったりしていた。

 ところが06年こそ代打の切り札的存在だったが、07年からはルイス・ゴン
ザレスやエドガルド・アルフォンゾら外人選手や脇谷ら若手との競争に勝って
セカンドのポジションを確保するなど活躍したのには驚いた。 

 スター選手揃いのジャイアンツで移籍してきて しっかり自分の居場所を
確保しただけでなく、絶対に欠かせない選手という地位を確立した経験が
コーチとして必ず生きるだろうと思っていただけに突然の死は残念でなら
ない。

 木村拓也氏の ご冥福を心より お祈りします。  

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
哀し過ぎますね (こうちゃん)
2010-04-08 20:13:11
木村コーチの急死は、球界は基より残された家族には哀し過ぎる事です。記録より多くの野球ファンにとって、記憶に残る名バイプレイヤーでしたね。
 
 
 
同感です (こーじ)
2010-04-08 23:28:56
>こうちゃん様{/plane_wel/
 まさしく記録より記憶に残る選手でしたね。
 こういう選手が どんどん出てきて欲しいと思いますよ。
 
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