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河野良和氏の心理療法⑤~“この、思うことの強力な作用”

2020-09-08 | 二つの心理療法について
 ブログ更新がままならなくなってきた。
 昨年度までは通勤電車や昼休みでスマホ執筆の時間も一定取れたのだが、今年度は異動による自転車通勤で、加えて子供の保育園の送り迎えもあるので、そうした時間もなくなってしまった。
 また、どの現場でもそうだろうが、世の中の複雑化に合わせて、その小さな一角である私の職場でもそんな余裕はなくなりつつあるように実感する。

 そんな日常で心理的にはごまかせているが、それにしてもこの気候変動はただ事ではない。気候変動は2020年をもって全地球的な破局に向けた新たな段階に入った、といっても過言ではあるまい。後世歴史を語る人がいるとすれば、そのように記すだろう。
 にもかかわらず世界そして日本の政治・経済のリーダーは、せいぜい新たな状況への「適応」は語っても、エコロジカルな持続可能性という真の「解決」については全く目に入っていないようだ。

 こういうふうに考えると、先日3歳を迎えたばかりのわが子の将来は一体どうなってしまっているのだろう、などとおのずと暗い気持ちにもなる。
 私たち現役世代は、この罪なき子どもたちに、とんでもない世界をもたらしてしまっている。


 ……いま「気持ち」と書いたが、もし心というものが自分でもほとんど制御できず、周囲に影響・翻弄されるだけ、言い換えれば要するに「脳みそだけ」なのだとすれば、確かにこの状況は絶望的だ。
 ことは個人のみの問題ではない。社会の成員のほとんど全てがそう思い込んでいるのだとすれば(そして上から下まで、常識的にそのように観念されているように見える)、どれほど優れた代案のコスモロジーや、それに基づく政治的理念やビジョンが示されようが、根本のところで「どうせ変われっこない」というふうにならざるを得ないからだ。
 そのことは、「気」持ちという言葉がいみじくも表している。自分にも見えない、制御できない、空気に同調し、周りの風にかき乱される「気」――

 しかし現状を絶望的なものにしているのは、まさにそうした私たちの心の捉え方自体なのではないか?
 その集積がもたらしているのが現在の政治・経済的限界状況、とりわけリーダー層の体たらくなのだとすれば、まず第一に必要なのは、「自分の心はどうすることもできない」という、私たち一人一人の内なるぶ厚い思い込みの打破にあるのではないか?

 以前から書き始めた河野良和氏の心理療法には、まさにこの思い込みの壁を突破する実践的な希望のメッセージがある。
 いや、心理療法にとどまらず、河野氏も「これまで哲学で論じられてきた実在論や認識論とは何か異なる感触のテーマとして、いま、私はおののくような興味をかき立てられています」と書いておられるように、これはむしろ人の心・内面に関する真の意味での哲学的基盤になりうるものだと思われる。

 前置きが長くなったが、引き続き『悩みに負けない!――心が強くなる新逆転発想法』(河野良和)を引用していきたい。



この、悩むということで、おまけのように出てくる感情や考えなど、そのときの心の働きをひっくるめた二次の心に注目して取り組む中で、私は、この、思うことの強力な作用に気づきました。

普通は、この不快なマイナスの二次の心の働きで、悩みの不快さ、つらさは、転がる雪ダルマのように大きくふくらみます。そして、いろいろと害になりがちです。

でも、害になることを心から望む人はいません。悩みをうまく解決し、よくなることを望んでいます。
そのプラスを求める気持ちを活用するのが、思いの作用に注目する私の心理治療です。

Ⅲ章までで実習してきた二重モニタリングは、二次の心による対応法でした。この対応の仕分けで、悩みを役立つものへと運転できます。

二十年ほど前から、私はこの二次の心にとくに注目し、関わってきました。ここ数年来、まだお互いに通じ合いにくいもどかしさを私は感じていますが、それでも目には見えない「心の働きとしての体験のしかた」に注目する心理治療の専門家が増え始めました。悩みの問題に、この「心の働き」が関係しているのは確かなようです。

そして、これまで私が「思い」と呼んできたものの核心が、その強力な作用です。不安や恐れなどの感情や、おまけのように出る二次の感情ばかりでなく、考えも、期待も、願望も、何もかも、心に浮かぶさまざまな「思い」が、自分の心に強い影響を生じています。

いきなり言うと信用をなくしかねないので、少し言うのをはばかるような、でも、実際に強い影響を持つ、大変な事柄のことです。いよいよ、その話に入ります。
(『悩みに負けない!』202頁)




 誤解はないと思われるが、しかし一見するとよくある「プラス思考」や、あやしげな「ポジティブシンキング」に似ている言葉といえるかもしれない(なお、ここで言っているのは深層心理に根差したキリスト教精神の真のポジティブシンキングではない)。

 実際、かなり以前に、極めて優れた恩師の心理学者に、河野氏の洞察を伝えたいと思い、一度直接それを伝えてみたことがあるが、「そんなこと知ってるよ」と、不機嫌に一蹴された経験を思い出す。
 なぜこれほどシンプルにして重要な洞察が伝わらないのかと当時は訝しんだものだ。

 が、いまにして思えば、もともと自信に満ちた人物は、おそらく生涯にわたり河野氏の言う「思うことの強力な作用」、すなわち「言葉の力」を実感してきたのだから、「思いの力」「言葉の力」を生来薄弱なものとして感じてきた私のようなほとんどの凡人の心理が、実感的には理解できなかったのだろうと気づかされる。

 河野氏も、「(専門家の間でも)まだお互いに通じ合いにくいもどかしさを私は感じています」「いきなり言うと信用をなくしかねないので、少し言うのをはばかるような」と書いているように、むしろ既存の心理学の枠組みでは、この単純な事実が見えなくなってしまうのだろう。

 結局、「できる人にはわからない」のだ。
 それを心理的にはなかば病み上がりのような私が言うのだから、なおさらであっただろう。


 思い出話はともあれ、河野氏の暗示論は、例えばいわゆる「プラス思考」が、なぜある人にとって有効で、しかし多くの人になぜ無効であるのか、その事情をよく説明している。そのことはおいおいさらにはっきりしてくるので、後に譲ろう。

 それにしても、最近では主に河野氏の暗示論のおかげで全くなくなったが、私にとっても「普通は、この不快なマイナスの二次の心の働きで、悩みの不快さ、つらさは、転がる雪ダルマのように大きくふくらみます。そして、いろいろと害になりがちです」というきつい心理状態は、かつて実にそうだったと実感されるところである。
 多くの方にとっても同様と思うが、いかがだろうか。

 しかし、「これまで私が「思い」と呼んできたものの核心が、その強力な作用です」とあるように、マイナスの思いが雪だるま式に大きく膨らむのと全く同じく、プラスの思いも「自分の心に強い影響を生じ」、心理的な大逆転・大革命が生じるのだという。

 どのようにすれば、そうした逆転の「好循環」が生まれるのだろうか。
 「実際に強い影響を持つ、大変な事柄のこと」を、続いて見ていきたい。

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