えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

かすかな希望を抱いて幸せを自慢する尊大な手紙。重複掲載御免。造花仏花の造花輸入卸売問屋ニューホンコン造花提供

先生だからこそ君が代起立斉唱拒否の権利を与えたい

2011年06月01日 14時46分18秒 | ドンキホーテ
 昨日の毎日新聞朝刊、一面トップで「最高裁初判断 君が代起立命令合憲 公務員は従うべき地位」と報じています。

 元都立高校教諭が「卒業式の君が代斉唱命令は思想や良心の自由を保障した憲法に違反する」などと都を訴えた訴訟の判決で、最高裁は30日、「校長の教職員に対する起立斉唱命令は合憲」とする初判断を示しました。

 起立斉唱を教員の日常業務に含まれないとした上で「国歌への敬愛表明を含む行為で思想と良心の自由に間接的制約となる面がある」と位置付けましたが、卒業式での起立斉唱は「慣例上の儀礼的な性質を有し、個人の歴史観や世界観を否定するものではなく特定の思想を強制するものでもない」と判断。校長の命令を合憲としました。

 歴史を振り返れば、あの戦争では天皇の名の下、日の丸の旗印の下、君が代の大合唱の下、「どこかおかしい」と思った人をも有無を言わさせず侵略戦争に駆り立てました。あの時、一人ひとりの教師が、公務員が自らの信条に基づいて「おかしい」と言える環境であったなら、日本の侵略の歴史はその様相を変えていたんじゃないでしょうか。国民学校の先生が子どもたちに「この戦争はおかしい」と一言言えていたら、どれだけの子どもの命が救われたことでしょうか。
 そんな権利を奪う今回の判決は非常に残念です、反対です。もちろん橋下・大阪府知事が進める「君が代起立斉唱条例案」にも大反対です。

 君が代起立斉唱に出くわした時、起立しないか若しくはその場を離れるかの選択をしている民間人の私が、今後不利益を被ることのないよう願います。今回のような判決に出くわすと一抹の不安がよぎります。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画「プリンセストヨトミ」... | トップ | 喜田りえ子著「失敗しない自... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぽんちゃん)
2011-06-03 16:30:57
私はそうは思いません。
子供たちはどうでしょう。
卒業式の君が代斉唱の時に立たなければ、怒られますよね。恐らく。。。
「皆が立ってるのだからお前も立てと。」
思想の問題ではなくて、しつけの問題だと思います。
生徒はだめで先生は許されると言うのはおかしいのではないでしょうか。
この先生は子供たちに、「君たちには思想や良心の自由が憲法で保障されているので、校則など守らずに自分の好き勝手にしなさい。」とでも言うのでしょうか。
サッカー場での国歌斉唱では立たなくてもいいけれど、教師なら卒業式では立つべきです。
子供たちの模範となってもらわないと。。。
場を乱す行為というのであれば、最高裁の判断は適切だと思うのですが。
返信する
RE:Unknown (ぽんちゃん)さん (司元)
2011-06-04 08:30:32
難しいテーマなのに、あえてコメントをくださり本当にありがとうございます。私とは違った意見を聞き勉強になります。この話はたいへん長くなりますので、出来るだけかいつまんで私の考えをお伝えします。そのことで余計に誤解を招いたらすみません。

まず最初に、私は「君が代」が法律で国歌と決められていても、その歌詞を国歌としてどうしても許容できません。そこが私の考え方の出発点です。

「子どもは立たないと怒られる。生徒はだめで先生は許されるのはおかしいのでは」とのご意見ですが、それはその通りだと思います。立ちたくない生徒は立たないでいい、立たない生徒を怒ったらだめです。

「この先生は子どもたちに『君たちには思想や良心の自由が憲法で保障されているので、校則など守らずに自分の好き勝手にしなさい。』とでも言うのでしょうか。」のところですが、この先生は生徒がする全てのことに対してそういうようなことを言うわけではないと思います。個別な問題に対して、そういう事情なら校則を破ってもいいと言うことがあるかもしれませんが。君が代斉唱の起立に関しては、そう言ってもいいと思います。もちろん、もっと穏やかに歴史や民主主義のこと国民主権のこと、天皇制のこと、日本には「日本民族」以外の方もたくさん住んでいらっしゃるということを生徒に説いた上でしょうが。ただ、そのことさえ学校現場では難しくなってきていると思います。

「子供たちの模範となってもらわないと。」については、皮肉な言い方になって申し訳ありませんが、それこそ、子供たちの模範となってもらうためにも立たないで欲しい、と思います。自分の思想信条、良心に基づくものに反することには逆らえと生徒に伝えて欲しい。もちろん、他人を傷つけたり、だましたり、迷惑をかけることはだめですが。
式の場の空気を乱すことが迷惑をかけることになると仰るかもしれません。ここは傲慢な考えで申し訳ありませんが、周りの人が立たない人を許容する社会であって欲しいと望みます。

少し話が飛びすぎで申し訳ありませんが、ぽんちゃんさんからのコメントをもらって、まず思い浮かんだのは、「プリンセス・トヨトミ」の真田大輔君です。彼は自分の信条、真情と言ったらいいのでしょうか、肉体的精神的な欲求からセーラー服で登校することを決めました。彼の行動はある面、学校の秩序規律を乱しました。その結果、彼はつらい目に遭いました。それでもあえてその真情に従って生きることを選びました。まだまだ彼にはたいへんな未来が待ち構えているでしょう。ちょっと例が悪いかもしれませんが、学校の秩序を乱したからといって、彼の行動を罰するべきではないのと同じように、君が代斉唱時の不起立も「場を乱す行為だから罰する(懲戒)」ではないと思います。

この問題、ネットでのやり取りでは限界があると思います。気に障った書き方のところがあったらごめんなさい。私自身は機会があればぽんちゃんさんとこの問題をお話したいと思っています。

長文、最後までお読み頂きありがとうございます。
返信する

コメントを投稿

ドンキホーテ」カテゴリの最新記事