江戸東京博物館にて復元
常設展示→開館当時からの展示です。
勿論橋を渡ることが出来ます。
江戸東京博物館常設展示・・・・日本橋
新選江戸名所 日本橋雪晴図 歌川広重
道の起点としての日本橋
日本橋は古来街道の起点として広く親しまれ現在も交通の要衝として知られている。
慶弔8年(1603)に日本橋が仮設されて以来、
火災などによって改築すること19回を経て、明治44年(1911)3月石橋の名橋として
現在の橋に生まれ変わった。
日本橋から銀座にかけての中央通り一帯は近代的な街並みで
日本経済の中心地として、今なお活況を呈している。
余 談
日本橋の上に、首都高速道路の都心環状線ができたのは、
前回の東京五輪開催を翌年に控えた1963年だった。
それから50年以上が経過し、2020年五輪の東京開催が決まったいま、
日本橋の上に首都高は無用ではとの意見が高まっている。
現在はコンピュータや機材 いろんなものを駆使して
何でも作れますね。
でも江戸時代 400年も前 日本の技術は素晴らしいですね。
藤沢周平の「橋物語」の出会い・別れ 思い出します。
ドラマに・・・・・橋は欠かせませんね。。。
さっ 今から会社です。。。 がんばんべ~
日本橋と言えば、東野啓吾の「麒麟の翼」を思い浮かべます。
橋の欄干の中央に、この像が立っていますが、この小説に出会うまでこの像に気がつきませんでした。
五街道の起点である日本橋ですが、昔の人はすべて歩いて旅をしたのですね。
今更ながら、昔の人は偉かったですね。
木組みによる日本橋の復元素晴らしいですね~
現在は上に首都高速が乗っているので 昼なお暗く せっかくの景観が台無しです。
早く撤去してほしいです。
道路の真ん中にある道路指標は車から見たことがあります。
車の往来がひっきりなしで危ないので 近くにレプリカがありますけどね。
≫藤沢周平の「橋物語」の出会い・別れ 思い出します。
ドラマに・・・・・橋は欠かせませんね
読んだことがあります。
あちこちの橋が一杯、そこにまつわる人情物語。
東野啓吾の「麒麟の翼」
そうですか、今度全編を読むまでには至らないでしょうから、拾い読みを・・・・・・・・・・・・。
日本人は、今までにこよなく”木”をこよなく愛してきた民族なのでありましょう。
木はぬくもりを感じます。
≫現在は上に首都高速が乗っているので 昼なお暗く 。
そうなんです。
50年前のタイムリミットオリンピックまで
そんなこんなでしたでしょうが、経済大国日本高速道路は目の上のタンコブです。
遮られてしまったのは
痛恨の極みですよね。
あの当座はそこまで考える文化の土壌が
しっかり根付いていなかったのかも知れませんね。
覆水盆に返らず、とは言いますが
日本橋、景観が蘇ればいいですね。
作られていましたね。今は屋内に作られて(展示)いるので焼失したり
台風で流される事もないでしょう。
今の日本橋上に高速道路が架けられて行くのを私はよく見ていました。
勤めていた会社が日本橋本町にあったので近くの三越に行ったりした時
三越の傍から高速道路の工事がよく見えました。工事がどんどん進み
明るかった日本橋がどんどん陰になっていく。暗くなるな~と思っていました。
オリンピックを控えた高度成長時代景観など「お呼びじゃない」という
時代でしたね。日本橋を元の日本橋戻そうという運動もあるそうですが、
どうなる事か、です。
どんこさんなら江戸博物館に入場されてみたことでしょう。
たまたま写真撮影okでしたので、blogのネタにとカメラを・・・・・。
開館当時、
都庁が新宿に移転したので、下町への置き土産・・・などささやかれました。
、
目新しいものではありませんが、関東近辺の方なら1度や2度。
総武線一直線ですから。
≫会社が日本橋本町にあったので
そうですか、地元では建設の進捗状況の一部始終を、なるほどなるほど。
あまり薀蓄を語ると・・・この辺で駄洒落を申して・・・・・・・・・・・・・・・・。
日本の真ん中東京です
東京の真ん中日本橋
人の真ん中お臍です
お臍の中には何がある、ハイ・・ゴマです。
最近は、おれ俺サギが多いようです。
お互いに”ゴマ”化されないよう 御用人ご用心。