以前に紹介した西長洲八幡神社ですが、左側の堤燈の左側、木陰の中に注意書きがあります。
自動車・自転車は入ってはいけないと注意している訳です。
それはそれで別段構わないのです。
神社では昔から馬も乗り入れてはいけないほど、神聖さを保っていましたから、当然の注意だとは思います。(神社が神聖であることを当然だと思ってるわけではありませんので、あしからず)
ではこれは何だ!?
軽自動車が2台停まっている。
カバーを掛けてある車も・・・埃が溜まってるから置いたままなんでしょうね。
普通車もまだ2台乗り入れています。
5台も注意を無視する車が存在しているわけです。
しかも神社自身の車である可能性が高い。
神社が自らの敷地に自動車を入れさせないのは、神社側の自由です。
しかし堂々と5台もの車が停まってるというのは、どういう自由だろう。
自由という概念について考えてしまいます。
かつて自由は勝手・気儘という概念も含んでいた頃もあったそうです。
それは封建主義時代までのことで、現代民主主義の日本で自由=勝手などということが罷り通れば、法治国家は成り立たなくなるのですが、未だに勝手も自由と同じなどと考えている輩が少なくないようで、いろいろと事件やゴタゴタを起こしています。
秋祭りが近いのか幟が立てられています。
おやっ?拝殿の左にも軽らしき車が停まってるぞ。
いや台数の問題ではありません。
それにしても小寺という姓が多い地域なんですね。
自動車・自転車は入ってはいけないと注意している訳です。
それはそれで別段構わないのです。
神社では昔から馬も乗り入れてはいけないほど、神聖さを保っていましたから、当然の注意だとは思います。(神社が神聖であることを当然だと思ってるわけではありませんので、あしからず)
ではこれは何だ!?
軽自動車が2台停まっている。
カバーを掛けてある車も・・・埃が溜まってるから置いたままなんでしょうね。
普通車もまだ2台乗り入れています。
5台も注意を無視する車が存在しているわけです。
しかも神社自身の車である可能性が高い。
神社が自らの敷地に自動車を入れさせないのは、神社側の自由です。
しかし堂々と5台もの車が停まってるというのは、どういう自由だろう。
自由という概念について考えてしまいます。
かつて自由は勝手・気儘という概念も含んでいた頃もあったそうです。
それは封建主義時代までのことで、現代民主主義の日本で自由=勝手などということが罷り通れば、法治国家は成り立たなくなるのですが、未だに勝手も自由と同じなどと考えている輩が少なくないようで、いろいろと事件やゴタゴタを起こしています。
秋祭りが近いのか幟が立てられています。
おやっ?拝殿の左にも軽らしき車が停まってるぞ。
いや台数の問題ではありません。
それにしても小寺という姓が多い地域なんですね。
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