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No.5091 悲しい報せ

2020-08-31 | 写真
8月某日 予期せぬ報せが届いた。
それは、同級生Sが亡くなったという、あまりにも悲しい報せ。
 
《この記事は、同級生の死という悲しい出来事を事実と受け止め、その事実と同級生という存在をこれから先も忘れることのないよう、個人的な思いで書き綴るものであり、決して他の者に対し、悲しみの共有及び同情を強要するものではない》
 
Sとは特別親しいという関係ではなかった。
それでも保育園、小学校、中学校、高校を一緒に歩んだ同級生だった。
特別な関係はなくても、ありふれた感情でいられるはずがないのが同級生というもの。
悲報は、小学校の同級生同士で繋がるLINEグループに届いた。
グループを仕切る男子からの発信であった。

「Sが7月3日に亡くなってしまい、昨日が四十九日法要だった」とのこと。
 
“報せにしては、かなり遅いな…”

悲しみよりも先に、無意識にそんな言葉が浮かんだ。
真っ先にそんな言葉が浮かんだのは、同級生の死というものを信じられない、あまりにも衝撃的なことで受け入れられない、そういうことからだったのかもしれない。
 
報せが遅れた理由はわからないが、今となってはそんなことはどうでもいい。
 
Sがなぜ亡くならなければならなかったのか。
その理由はとても気になった。
 
まさかコロナ?なんて思ったりもした。
病気かもしれないし、事故かもしれないし、自殺かも。
もしかしたら事件に巻き込まれたのかもしれないとも思った。
そう思ったのは、死と向きあった時に「オレも、もうそんな歳なんだよな…」なんて、まだまだ思えない人生半ばの40代だから。
 
中学時代の同級生からの情報により、気になっていたことが解消されたのは翌日のこと。

癌を患っていたと。

癌といえば、ひと昔前までは不治の病の代表格。
しかし、近年の医療技術の進歩により、昔に比べ完治するケースが増えている。
とはいえ、進行具合や転移等により治療困難な場合は死に至る確率が高く、とても怖い病気である。

人が病気で死ぬとき、苦し叫びながら死ぬことはないという。
(人に限らず、動物全般に言えるかもしれない)
眠るように逝くのが一般的らしい。
きっと亡くなったSも苦しむことなく静かに逝ったのではないかと思う。
そうであってほしい。(闘病中の苦しみは、想像を絶するものだった思うが)

個人的に思うことだが、「死ぬ」ことは「眠る」こととあまり大差がないのではないかと。
人は死ぬと、天国もしくは地獄に行くと言われるが、おそらく魂そのものがそこに向うのであり、亡くなった人の感覚的なものは、ただ眠っているだけなのかもしれない。
ただ眠っているいるだけなのかもしれないけど、生きている者と死んだ者の違いは、生きている者は目覚めるが、死んだ者は起きないということ。
先ほど、あまり大差がないのではないかと書いたが、もとい、この違いは大差以外の何者でもない。
 
話は逸れてしまったが、Sについて少し書くことにする。
 
冒頭でも書いたが、特別親しい関係ではなく、お互い、クラスメートという大きなカテゴリでの存在だった。

保育園の頃は、正直、ほとんど記憶がない。当時の園内で撮った集合写真などを見返してみると、確かにお互いが存在している。それくらいのものである。誰しもその頃の記憶なんて、そんなものではないだろうか。同級生の始まりなんてそんなものだろう。
小学校では、6年間で同じクラスになったのは何度かある。当然、話をしたことがないわけではなく、むしろクラスメートとしてのコミュニケーションは取れていた記憶がある。その頃のSの印象はと言うと、明るく活発で何事にもポジティブ。少し調子に乗るようなところもあったが、人気者グループに籍を置き、良い意味で間違いなく目立つ存在であった。
中学では、同じクラスになったのは1年の時だけだった。中学生になると、小学生の頃以上に友達も増え、誰もが仲間意識を強く持つようになる。グループ内であれば、とことん仲良しになり、そうでなければ、ほとんど口を聞くことがない。小学生の時に大親友だったとしても、それは例外ではない。Sは中学でも、小学校時代と変わらず、明るくポジティブな路線を進んでいたので、同性異性関係なく友達は多かったと記憶している。
そして、高校はというと、今まで以上に接点はなくなった。同一校舎内であっても、専攻するするクラスが違った(専攻するクラスの配置がフロアで分けられていた)ため、顔を合わせる機会は少なく、その頃の状況や印象的な事をここに書き記すことは難しい。でもきっと、相変わらず明るくポジティブな性格で、友達や仲間も多かったのではないかと推測できる。
 
高校を卒業後の足取りは不明。
その後、25年以上経った頃、小学校の同窓会で顔を合わせる機会があった。しかし、会話らしい会話をした記憶はない。その時、隣に座るようなことでもあれば、大人の対応くらいはあったと思うが。結局のところ、お互いの存在意識というのは、それくらいのものだったのかもしれない。それでもSは、当時仲良しだった何人かと楽しく盛り上がっていたような気がする。高校卒業後も変わらず明るくポジティブな人生を送ってきたことが伺えた。

以上が、私の見てきたSである。
 
こうして記憶を遡り、過去を振り返ってみると、ありふれた同級生の関係というよりも、むしろ、同級生ということ以外、繋がりや接点がなかったことに、それはそれで驚き、そして寂しくも感じる。
過去に密な関係にでもなっていれば、ここに書き記すことは、ある意味、容易であると思うが、同級生という大枠のカテゴリでしか共通点がないため、これ以上のことを記憶から呼び戻すのは難しいというのが本音である。
それでも、亡くなって悲しい、亡くなって残念という感情は、他人事ではなく、それは同級生だからこそ必要以上に強く感じるのだろう。
同級生が亡くなったということで、これまでの人生、これからの人生に深い傷を負ったのは確かである。
同級生という名の絆は、それだけ偉大なものだと改めて感じた。

これで同級生が亡くなったのは、自身の知る限りでは4人となった。
決して、元気いっぱいの若さで満ち溢れているという歳ではないが、逝くにはあまりにも早すぎる。
これから先、家族や友達や知人といった存在は増えることがあるかもしれないが、同級生というかけがえのない存在が増えるということはない。歳を重ねていけば、それは必ず減るというのが世の常である。

少しネガティブな考えかもしれないが、人は生まれた瞬間から死に向かって生きると言われる。例え、死を迎えるまでの時間が短かったとしても、それまで生きたことの証を残すことができたのなら、それは人生を全うしたと言ってもいいのではないだろうか。
Sがどんな証を残したか想像することはできないが、家族はもちろんのこと、同級生たちの心には、これからも存在し続けるだろう。もしかしたら、それも証のひとつなのかもしれない。と同時に、残された同級生たちにとっては、Sと同級生だということが生きている証のひとつなのかもしれない。

同級生の突然の訃報に大変驚いております
ご遺族皆様に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、故人の安らかなるご永眠を心よりお祈り申し上げます

 


No.5090 MacBook Air 2020

2020-08-30 | 写真

Air 2020…ゲットです♪

カラーは、迷いに迷って…シルバーにしました!
ミーハーなゴールドは選択肢にありませんでしたが、ダークグレイは重厚感あって魅力的でした。
でも、やっぱりMacといえばシルバーですね♪

今まで使ってたAirは2011年に購入したので、ここまでよく頑張ってくれました!
本体自体にトラブルはなく、SSDも64Gから250Gに換装していたので、まだまだ使えるのですが…バッテリーがヤバい上にACアダプターもイカレポンチになりつつあったので、思い切って新調しました!

秋には、カメラとレンズを購入しようかと思っていたのですが、それは少し先送りになりそうです。
カメラ&レンズに比べると半額で済んだのは、それはそれで良かったかなと。