3匹の子豚との日々 =DIAS CON MIS TRES CERDITOS=

スペインSpainのサラマンカSalamancaのラ・アルベルカLa Albercaから不定期につづります。

陰陽和合いろいろ

2011-04-18 06:46:06 | Hymne a l'amour
この間から「帰れ、ソレントへ」の曲が頭をぐるぐるしていて、
どうしてだろう・・・って思ったんですよね。

一応「ソレント」のこととかを検索して調べたりしたのですが、
イマイチ、理由が分からなくて、放置していたのですが、
今日このブログ記事を読んで分かったような気がします。。。 

上のリンクの歌詞を見ていただいたら分かるのですが、
2番に「シレン」ってでてくるのですが、これが「人魚」のこと。
英語で「サイレーン」スペイン語で「シレーナ」・・・。

おそらく、ヨーロッパ原住民の海の神じゃないかと思います。
最初は男の海の神だったようだけど、だんだん女性の海の妖精のような
位置づけになってしまったようです。
そして、その海を航海する船乗りを誘惑する・・・。
(要は、封印され貶められた・・・)

*人魚に関して、検索で見つけたサイト:
「ロマネスク建築における『双尾人魚』」
「双尾の人魚 と 悪魔崇拝?」
「スターバックスの成立と、そのロゴの変遷」
「人魚の話 南方熊楠」

「半人半魚」ということでは、こないだ出てきた「半人半獣」の
「ケンタウルス」にもつながるといえば、つながります。

そして、「ぽにょ」についてのサイトをリンク紹介したばかりだし・・・。

それにしても、一体どこをどう調べたらいいんだろう・・・?!

ギリシャ・ローマ以前の先住民と関係ありそうな気がして
先住民のことも調べているのですが、どうも、日本語になっている
情報は大雑把過ぎて、どうもつかみきれないです。

「ソレント」について気になったことは、熊野と姉妹都市ということ。
寄木細工が有名、先住民は、オスク人とかエトルリア人とか
サムニウム人とかあがってますが、はっきりとしません。

オーストラリアのメルボルン近くにソレントという町があって、
1804年そこからヨーロッパ人が入植したとか・・・。

前々からこれまた、気になっている「サン・マリノ共和国」も
関係あるのかな・・・とも思うのですが、糸口が見つかりません。

でも、半人半魚、半人半獣のキーワードって、ある意味、
陰陽和合につながっていますよね。。。。う~ん。。。

それと「サイレーン」、「シレーナ」は、「警報・サイレン」です。
何かの、警告を伝えたいと考えることもできます。
今の危機的状況に対して、と考えるのが自然でしょうか。


今日の午後は、以前見つけた、山羊を放牧している農場のほうへ散歩。
この間は、下の2人を連れていましたが、今日は、一番上だけ。

今日は、山羊のそばに、見張りの犬ちゃんがいました。



柵に近づいて写真を撮っていたら、じろっと睨まれたけれど、
吠えられなかったので、助かりました。
吠えられたら山羊が驚いて逃げちゃうでしょうから・・・。

そして、隣の区画には、白い羊達が、放牧されてました。
この間はいなかったんですけれど・・・。
子羊もいて、ぴょんぴょん跳ねるように走ってました。



黒い山羊に白い羊・・・陰陽ですね~。
山の羊と、普通の羊で、これも対になっているし・・・。


さてさて、昨日の昼ごはんは久しぶりに「陰陽和合餃子」でした。
我が家特性の手作り餃子なのですが、命名は天音さん。。。

何故「陰陽和合餃子」となったのかというと・・・。
皮は夫の担当、具と包みは私担当、と夫婦の合作だから。
そして、食べるときは、いつもまず水餃子をして、


その後、焼き餃子をするから・・・。


昨日は全部で87個作りました。87=花(鼻)です!



気になるブログ記事のリンクをいくつか・・・。

◆飄平さんの、【原発シンドロームに対する、楽観論と悲観論・・・・。】

◆サムライさんの、【東日本大震災とツラン】

◆武山祐三さんの、【原発推進学者が次々自己批判!】

◆めぐみさんの、【ちゃんと呼吸していますか?】

◆ナンジャモンジャさんの、【負の連鎖を止める方法】

◆ミントティーさんの、【カゴメ歌は祝い歌?】【三元性らしい】

◆ルナ☆さんの、【紫色の歌姫 (4/17)】

◆雫さんの、【かぶと虫女と牛人間 (4/17)】



今日のお散歩の帰り道、馬が2頭、放牧されていて、どうやら
お母さんと仔馬でした。
立ってなかったのではっきり分かりませんでしたが、去年生まれた
仔馬じゃないかと思います。
お母さん馬はどうやら、またお腹が大きいみたい・・・。


テレビで、ナバホ族の地を旅したドキュメンタリー。
ナバホ族は、「死」について考えないそうです。
先祖から「死」について考えるなと伝えられているそうです。
その瞬間まで生きているのだから、今生きることだけを考える。
悪いことは考えない、ポジティブに良いことだけを考える。

美の中を晴れやかに私は歩く。
正面の美と共に私は歩く。
背後の美と共に私は歩く。
頭上の美と共に私は歩く。
足下の美と共に私は歩く。
私の歩みは美の中で終わる。


すごく素敵な詩。

単に全てを美化しているのではなく、現実に即した美。
この美って、「偽りのない自分」のことじゃないかと思います。
等身大に、どの視点からも自分を真摯に見つめて・・・。
日本的にいったら、「お天道さま」でしょうか。。。

これって、なんか今日私がtweetしたことにつながるような気も
するけれど、もっと突き抜けてる感じかな・・・。

ただただ、経験を積み重ねて、今を見つめて歩く・・・。
先日の記事「光と色と浄化」にも重なります。

善きも悪きも全て受け入れ、ただただ歩く・・・。
これこそ究極の陰陽和合なのかもしれません。


一番上の写真は、今朝の日の出。
日の出の場所が、日々どんどん北に寄っているし、日々早くなってます。
木の陰になっているので日の出の瞬間は今見えなくなってしまいました。
今朝は、雲が出ていたので、太陽と雲の微妙な光がきれいでした。
放射状に光の矢が広がってました。


こちらは、昨日の東の空の夕焼け。


去年見た階段状の雲に似てます。。。
こんな風にちょうど夕暮れ時に、一直線になるのって、珍しいです。




17/04/2011
晴れ
風があって、ちょっと肌寒い感じ。
復活祭の初日、ドミンゴ・デ・ラモの日。

明日18日、満月。

東京電力の勝俣会長が、今後の工程表発表。

3.15
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7 コメント

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Unknown (satori)
2011-04-18 16:13:18
こんにちは。
いつも、拝見する度、様々な分野、事柄を探究されているので、尊敬致します。
なんか古今東西を問わず、多くの人の意見に目を凝らすと、沢山のギフトがありますね。
原住民って、何かキーワードのような気がします。
寄木細工って、年末に箱根に行った時も沢山売っていましたよ。そこの名物らしいです。
仙石高原のススキが見たくて行ったのですが、その帰り、元箱根の逆さ富士地区で、箱根神社の鳥居から降りていって芦ノ湖の水の揺らぎを見ていると、とても不思議な気持ちになりました。ここから昇って行ったのかなって。ポニョみたいに。ポニョで、乗り捨てられた車は、ナンバー333で、東京タワーと同じ数字だそうですが地震の時、スカイツリーより高い部分が曲がったそうです。スカイツリーは、そこに建つことで、皇居を囲む結界が星型からカゴメ紋になったらしく、△と▽の融合を示していますね。って事は、かごの中の鳥、って・・・。
カゴメ=kagome=omegaで、夜明けの晩を、始まりから終わり、そして、後ろの正面を、終わりから始まり、いつも、それを繰り返しているのかもしれませんね。その中で、ルナさんの書かれていた、
腐った種はよい畑にまけない
腐った畑に良い種もまけない
っていうのは、とても心に響きます。畑だけのせいでも、種だけのせいでもなく、って事ですよね。
支配されていたものが、次の時代には、支配していて、支配していたものが、次の時代には、支配されている。
そういう繰り返しのつけが、きっと回ってくるし、将来に回ってしまう気がします。
お天道様に恥じないようにしたいですね。それでたまには、よく見えない所で支えてくれてるものに、お陰様、とも思っていたいです。


闘いの呪いが解けた
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Unknown (satori)
2011-04-18 16:16:08
すみません。途中で、投稿していまいました。
雫さんの、闘いの呪いが解けた、も感動しました、と書く前に投稿してしまいました。
返信する
satoriさんへ (ひろみ)
2011-04-19 18:27:18
気になると調べたくなる性分なんで・・・。ついつい・・・。

最近いろいろな人の記事とリンクするような内容が多くなっているような気がします。
別にまねをしている訳ではないのですが・・・。
多分、あちこちで同じような現象が起こっているのではないかと思っています。

>カゴメ=kagome=omega
なるほど~!
残りの「k」が気になりますが・・・。(笑)

箱根と言えば、昔母方の親戚一同で強羅に行ったことがあります。
仙石高原と近いのでしょうか・・・。
都内の小学校に通っていたのですが、区の施設が箱根にあって5年生と6年生の時にいきました。箱根ニコニコ学園っていう名前だったと思います。
satoriさんのコメントで昔を思い出してしまいました。。。

昨日書いた記事で△と▽とあわせたような
白い花の写真を載せました。
この記事の内容も、以前の記事とつながっているんです。

世界が動いていることを表しているんだと思います。
アメーバのように・・・きっと私達はこの危機を乗り越えるんだと思います。
3766
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Unknown (satori)
2011-04-23 14:38:25
こんにちは、ひろみさん。

kagomeのKについてですが、
“K”は、英語圏において「黙字: silent letter」としても機能する。もともとゲルマン系の言語において発音された“K”(特にイニシャル)の幾つかは発音されない“K”として英語圏に輸入された。このように英語圏において「発音されない音」の文字が用意されたことは興味深い。
というような事もあるようですが、他にもKがアルファベットの11番目、というのにも興味があるんです。11を陽=△=火という5つに分かれた形状と、陰=▽=水という6つに分かれた形状の融合とするという考えもあり、ただ単に11を漢字にしても十一としてプラスとマイナスが揃った状態になるような。
どちらにしても、流行歌のようなものでなくわらべ歌として、それを子供たちから広める事で、大人になっても記憶に残り、それが現在まで人に知られているっていうだけでも、とても良く考えられている気がします。その簡素に思える詞の内容に、六芒星、陰陽、円相、ローマ字、アルファベッド他、色んな意味を絡めて1つの事を伝えているのだとしたら、この世界は、あれが良いとかこれが悪いとかいった断片的理解とは違った所で、すでに総合的理解に基づいている、確固とした流れがあるのかもしれません。
強羅と、仙石高原は結構近かったんじゃないでしょうか?私は強羅には足を運ばなかったのですが。箱根ニコニコ学園っていい名前ですね(笑)
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satoriさんへ (ひろみ)
2011-04-23 22:57:05
"k"が英語で発音しないときもある、ということ、すっかり忘れてました!
そうでした、そうでした。。。

アルファベットの11番目・・・これもなんだか意味ありげですね・・・。
スペイン語は、"CH"があるので、12番目です。そして、"k"から始まる単語は、ラテン語系では皆無。。。"C"か"QU"なんですよね。。。

>、色んな意味を絡めて1つの事を伝えているのだとしたら、この世界は、あれが良いとかこれが悪いとかいった断片的理解とは違った所で、すでに総合的理解に基づいている、確固とした流れがあるのかもしれません。

もしもそうだとしたら、一つの見方だけでなく、いろいろな方面から物事を見れるっていうことは、素晴らしいことですよね。
私達のこういう興味の幅がひろい、ということが真理の解明に役に立つことがあるかもしれません・・・。

私は、宗教とか民族とか国とかそういう制約を越えた向こうにある、平和な世界の実現を目指しているんです。。。私達の代では無理かもしれないけれど、そういう心を子供達にも伝えていきたいと思っています。
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Unknown (satori)
2011-04-28 14:15:25
>私は、宗教とか民族とか国とかそういう制約を越えた向こうにある、平和な世界の実現を目指しているんです。。。

本当にそれだけを望みます。それがなければ真理の解明も私には意味がない気がするのです。
でもそれがきっと一番難しいのでしょうね。個人でさへ、相手をやりこめあってる訳ですから。そういう相手に対する排他性が実は、自分への制約にもなっているんじゃないかと思います。
総合的理解、真理と言った、法則というのは、本来、善悪のない、ただの法則なのだと思います。でも、その法則が独占されたり、どのように使われるかで、善悪というものが生まれるのだと思います。独占する為に、排他性や禁忌を沢山作って、真理の解明から遠ざける事で法則の独占も可能となるような気がします。
でも、その法則が、独占されなければ、この世界が今より平和になる、という確信は今の所ないです。相殺せずに排他するというのが個人レベルでもあるように思うからです。
返信する
satoriさんへ (ひろみ)
2011-04-29 09:57:01
>そういう相手に対する排他性が実は、自分への制約にもなっているんじゃないかと思います。

そうなんですよね。相手の中に自分を見て反応している部分があると思います。

例えば、嘘つきで人を騙すことをなんとも思わない人は、相手も嘘をついて騙そうとしていると思い込んでいることが多いです。

そういう人たちが多い集団は常に猜疑心が飛び交っているようで、ギスギスして、ピリピリした感じがします。

心から人のために発する言葉や行為を信じることができないようで、最終的には自分の意に添わない人を排除して安心するようです。

もう、地球上で人類同士が争ったり対立したりしている場合じゃないんですけれどね・・・。いつになったらそのことに気づく人がもっと増えるのでしょうか・・・。時間はもう迫っているのに・・・。
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