3匹の子豚との日々 =DIAS CON MIS TRES CERDITOS=

スペインSpainのサラマンカSalamancaのラ・アルベルカLa Albercaから不定期につづります。

苦難を乗り越える・・・

2013-10-14 05:57:58 | Hymne a l'amour
昨日の記事にも書きましたが、3年前の今日、チリの鉱山で起こった、
盤事故で、地価に閉じ込められた人々が救出されました。
『奇跡の救出・・・!』

それも、521年前のコロンブスによる新大陸発見の祝日の翌日に。。。
私は当時、この事象は、未来へとても大きな影響があると感じました。
そして、明るい未来への希望を感じました。

そのことは、昨日の記事『521年前の今日・・・』に書きましたが、
もう少し説明したいと思います。


個人にとっても、国にとっても、民族にとっても、歴史的に分岐点という
ものがあると思います。

私場合、個人的には、以前書いたことがありますが、一番大きな分岐点は、
阪神大震災そして、その後スペインへ引越ししたことでしょう。。。
でも、スペインへ引っ越すのは、結婚相手の希望によるものでしたから、
その人と結婚していなければ、発生しなかった事象なので、出会いの時期に
までさかのぼったら、大学入学でしょうか。。。

この大学入学も、本当は、第一志望の大学ではなかったので、今考えたら
第一志望に落ちてしまったことが、私の運命を変えた出来事だったのかも
しれません。
第一志望の大学を決めたきっかけの一つが、高校2年生のときに、数学で
ギブアップしてしまったことなので、あのとき、もっと必死になって数学を
やっていれば、別の大学へ行く可能性があったので、数学をあきらめてしまった
ことが、私の運命を変えた決断なのかも。。。っていう気がしてきました。

高校2年の時のクラスは、完全文系ではなく理系だったんですよ。
学科は決めてなかったのですが、理系にもいける授業選択をしていたんです。
でも・・・数学でつまずいてしまって、共通一次までは何とかがんばるけど、
2次試験に数学がないところ・・・って大学を絞ったら、はっきり言って
ほとんどなくて・・・(笑)

第一志望は東京の私大で、かなりレベルが高かったので、合格する確率が
50%以下じゃないかと推測していたら、案の定、玉砕・・・。
で、国公立で絶対に落ちるわけにはいかない、ということで、最終的に
通った大学に落ち着いたわけでした。。。

まぁ、そこで、日本で結婚した最初の前夫に出会ったんですよね。
学生時代は、お付き合いしていたわけじゃなく、単なる友達だったんです
けれど、いろいろありまして、卒業後、3年めの時に、結婚することに
なってしまったんです。。。(まるで他人事のようですが・・・)

このあたりの経緯に興味のある方は、『私小説【人生、波瀾万丈】』
お読みください。。。



と、前置きが長くなりすぎました。。。
私語りをして、どうする・・・って感じです・・・(笑)

亡き夫の月命日が明日なので、いろいろと、過去について思いを
巡らしていたのと、このところ人生の岐路ということを考えたりしていた
ので、ついつい、自分のことを例として書いてしまいました。

3年前の今日、落盤事故で救出された人々は、その後幸せに暮らして
いらっしゃるんでしょうかね。。。
あの事故で、運命の歯車が狂ってしまった人もいるのでしょうかね。。。

たくさんの人々が被害に合う事故や災害があるとその度に、被災された
方々のその後の人生に思いを馳せてしまいます。。。
大きな人生の岐路だったんだろうな・・・って。。。

亡くなってしまった人々に対して追悼の思いもさることながら、生き残ったり
残された人々に対する応援の気持ちというか、悲しみや辛さを乗り越えて
前向きに生きて欲しいという思いが強いような気がします。。。

私たちの祖国、日本という国は、古代から、火山の噴火、地震、津波
など、何度も何度も、大災害に遭遇し、政変、戦争などの人為的な
厄災を何度も経験してきています。

その度に、私たち日本人は、悲しみや辛さ、困難を乗り越えて、生き
延びてきたんですよね。
そういう、不屈の精神をDNAに刻んできているんです。。。

最近では、今から68年前、昭和20年8月15日に、運命の日を迎え、
その前とその後で日本という国はがらりと変わってしまいましたよね。。。
表面的に。。。

もちろん、私は、その日をリアルタイムで経験しているわけではありません
から、小説や映画、ドラマなどを見て感じるだけなのですが・・・。

いつも感じるのは、人は、日々をただ一生懸命生きているだけ・・・という
ことで、戦争に翻弄された人々の悲しみ、それを乗り越えて、前向きに
より佳き未来のために、子供たちのために、命を大切にして次の世代へ
繋げていこうという強い意志です。

その強い意思の根底にあるものは、何なのか・・・。



先日からちらりちらりとリンクで紹介している、世界情報戦略「みち」
昨年から年間購読しているのですが、読んでいると、じわじわと分かって
きたような気がしています。。。

特に、8月1日号、9月1日号、9月15日号、10月1日号と4回に
わたって『巻頭言』で連載された、天童竺丸氏の論文を読んで、あの日、
天皇陛下が託した思いを、名もない普通の人々がとぎれとぎれの音声にも
関わらず、しっかり汲み取ったからこそなのだ、ということがはっきりと理解
でき、私の中でパズルのピースがカチッとはまった気がしました。

あぁ、天皇陛下がいらっしゃる日本に生まれてよかった・・・って。。。

私は天童竺丸氏の4回連載された論文を読んで、感動して、毎回涙があふれ、
これはたくさんの人に読んでもらって、感じてもらって、これからどう生きるか考え、
行動してもらいたい、と強く思ったんです。

戦争終結を決断され、国民に対しお言葉をラジオで放送された昭和天皇と
2年半前の3月11日の東北大震災の数日後に、異例ともいえる
ビデオメッセージを公開された天皇陛下の思いが重なったからなんです。

天童氏の4つの巻頭言を読み終えた後、私は、このページを検索して探し、
天皇陛下のお言葉を確認してしまいました。。。

『東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば
東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことばのビデオを視聴することができます。
(5分56秒)また、おことば全文を読むことができます。
宮内庁ホームページより



最初の部分に、
「また,現在,原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ,
関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。」

という言葉を見つけ、直接的に意見を言うことができない立場でいらっしゃる
天皇陛下が言外に込められた思いを、福島の原発事故の所有者である企業や
政治家達は、きちんと理解しているのだろうか・・・?!今の状況をどう考え、
そして各種対策を胸を張って行っているのだろうかと疑問に感じてしまいました。。。

さらには、最後の部分・・・。
「被災者のこれからの苦難の日々を,私たち皆が,様々な形で少しでも多く
分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を
捨てることなく,身体からだを大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう,
また,国民一人びとりが,被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ,
被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より
願っています。」


今、2年半が経ち、私達は、この天皇陛下のお言葉に込められた意を汲み取り
行動しているのでしょうか?
一人一人が自分の胸に手を当てて、自分自身に問いかけなければいけないと
思います。

今回も名も無き一般国民のほうが天皇陛下のお言葉を真摯に受け止めて行動
しているのではないでしょうか。。。
そうでないのが、情けないことに、国のリーダーであるはずの多数の政治家の
皆さんと、経済界の方々、その他、エリートと呼ばれている官僚や大手企業の
人達なのではないか、って気がします。。。

昭和20年8月15日の昭和天皇のお言葉を拝聴して、先人達は、戦後の
日本を高度成長に導き、世界有数の経済大国まで引き上げてくれました。
その先人達のバトンをしっかり受け取り、次の世代に引き継がなくてはいけない
のですが、先人達、そして天皇陛下に恥ずかしくないくらいに、立派に役割を
果たしているのでしょうか?

世界情勢が不安定だし、今まで当たり前だと思っていたことが崩れつつある
世の中、さらには、地震や災害、前代未聞の原発事故が起こっているので、
現在の状況は、昭和20年8月15日よりも過酷な状態かもしれません。

でも、私達は、絶望したくなるような現在の危機を乗り越えて、未来に希望を
見出し生き続けなくてはいけないのです。
天皇陛下が普通なら定年して第一線から退いているであろう高齢にも関わらず、
私達の幸せを願い、日夜祈り続けてくれているのですから・・・。

日本の天皇陛下は、ヨーロッパや他の地域におけるような支配者ではなく、
統治者なので、国民のことを自分の子供のように気にかけてくれている、
そういう有難い存在なのですから・・・。

私達一人一人は天皇陛下の親としての思いに応えるべく、できることを
一生懸命続けることが、それぞれの幸せにつながっていくのではないで
しょうか。。。
日本人にとって、天皇陛下と国民の関係というのは、そういうもんなんじゃ
ないかって、気がしています。



もしかしたら、上記の私の感想は、天童竺丸氏が伝えようとされたこととは、
少し違うかもしれませんので、『巻頭言』の4つの論文をを是非お読みなって、
天童竺丸氏が長谷川三千子女史の著書『神やぶれたまはず』の書評という形の
論文に託した思いを直接感じていただければ嬉しいです。


みち387号(平成25年08月01日)
昭和二十年八月十五日の御放送直後の一瞬


みち388号(平成25年09月01日)
「耐ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」


みち389号(平成25年09月15日)
近代の欠陥とジレンマを超克された御聖断


みち390号(平成25年10月01日)
昭和二一年正月「年頭の詔書」は「現御神宣言」だった



参考のために・・・
10月1日号で言及されている、『昭和二一年正月「年頭の詔書」で
冒頭に用いられた五箇条のご誓文について以前書いた記事。
「五箇条の御誓文を考える」

<10月18日追記>
たまたま、目にした、桜の花びらさんの記事。
「天皇陛下とは何ですか?」


13/10/2013
9.9

今日の午前中は、ロラのいとこが所有しているソト・セラーノの
オリーブ畑で、オリーブの実の収穫のお手伝い。。。
生まれて初めての経験でした♪
テーブルオリーブを家で作るそうです。
まだ実が小さいので、来週あたりまた収穫するかも。。。

最初曇っていたのですが、途中から、お日さまが出てきて
いい感じで日光浴しながら、労働ができました(笑)

ぶどうもいただいたし、途中で湧き水も汲んだし、
体をいっぱい動かしました!

オリーブ収穫中のロラ♪
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4 コメント

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無題 (ミラクル)
2013-10-14 18:13:33
ティーパーティーでヤバイとか…
返信する
苦難を越えて (天童竺丸)
2013-10-14 19:34:25
チリの鉱山事故についてはテレビでも詳しく報道されましたので、よく覚えています。事故に遭った方々がその後どういう暮らしをし、どういう気持ちで生きているのか、他人事ではありませんね。昔は門口を一歩出ると追剥に遭うやら辻斬りに遇うやら何があるか分からない不穏な世の中だったろうと想像しますが、現在も基本的には同じです。人生はある意味では理不尽で非道いものです。正義が踏み躙られ悪がのさばるように感じます。「死んだら終わり」という考えに立つ限り、「勝てば官軍」の論理に対抗する術はありません。かといって、未来や来世での不確かな救済によって現世の不幸を慰めることも転倒した考えであると思います。発展であるか衰亡であるかは知らず、世界は大きなサイクルを、特定の節目を境にして、繰り返しているのだろうと感じます。そしてすべての生命は階層的に繋がりながら、生命というものの本質である「秩序形成」にむけて日々刻々に活動しているのであろうと想います。「目糞鼻糞」という言葉がありますが、私はよく「爪と甘皮が喧嘩をするだろうか」と想い出して、自らの慢心を戒めるkとにしています。爪は爪でアリ、甘皮は甘皮であることに意義があるので、数学ができる人もあれば、林檎三個と蜜柑三個を足して六箇にナルという最初の所で、蜜柑と林檎は足せないと想ってしまった人間には、「抽象」や「捨象」ということがどうしても納得いかないのでしょう。「こんな私が」と常に想い、「オレほどの者が」とたまに思い上がっては吃驚するような日々であります。そんな不惑どころか大惑の日々ですが、毎月一回のまほろば会という勉強会で同志が毎回詠み上げてくれる御製を聴くと、歴代の天皇は常に皇祖皇宗に対し、徳が尠いのではないか、民への想いが足りないのではないかと、そればかりを想っておられることがよく分かります。まことに教育勅語にいうように、「上下心を一ニシテ」ですね。路傍のお地蔵さまの赤いよだれかけ、あれを見る度に、わが子を縊り殺した母の、決して癒えることのない悲しみの記憶のように感じられてなりません。わが日本人はわが子を殺しながら、その苦しみを乗り越えて、生きてきました。それでも、路傍に石の地蔵を刻み、赤いよだれかけを手向けることだけは忘れなかったのです。苦しくなるたびに、お地蔵さまの微笑みと、あの赤いよだれかけを想い出すようにしています。まだまだ弱音を吐くわけにはいきません。光の中を歩むこの人生に、あとどれほどの時が許されているのか分かりません。しかし、jedoch(独)=にも拘わらず、という気持ちで、まだしばらくはやれそうです。われわれは古来、「言挙げせぬ国」ということを大切にしています。筆舌の徒であればあるほど、言葉にならない思いというものを、大切にしていきたいと想います。昭和20年8月15日正午のあの一瞬は、本来言葉にはならない性質のものでした。それを長谷川さんが無理を承知でわれわれ日本人のために言葉にして下さったのだと想います。「耐え難きを絶え忍び難きを忍び」と仰有った昭和さまのお言葉を、その時まだ生を享けていなかったわれわれも、この身に沁み込ませています。
この度は過分の御感想をお寄せ下さり、望外の喜びでありました。深く感謝致します。 天童拝
返信する
ミラクルさんへ (ひろみ)
2013-10-15 22:43:34
アメリカ、どうなるんでしょうね?!
いつもの騒いでいるだけなのか、それとも・・・?!
返信する
天童さんへ (ひろみ)
2013-10-15 22:59:51
拙文をお読みいただき、そしてコメントまで頂き、ありがとうございます。

長谷川女史の著作は読んでいない状態でしたので、天童さんの巻頭言を拝読し、共感いたしましたので、私が今まで感じていたことを、この機会に書かせていただきました。

「言葉にしなくても以心伝心・・・」だった時代じゃもうなくなってしまったんでしょうね。。。
もちろん、今でも、以心伝心で伝わる人もいますが、そうでない人が本当に多いです。
何が日本を日本人をそのように変えてしまったのか・・・。
もちろん、外的要因もあるでしょうが、その外的要因に心理的に負けてしまっていることが一番の原因なんじゃないかと思うのです。。。

結局どんな問題でも、自分で解決しようという強い意思がなければ、誰かに依存したところで、表面は取り繕うことはできて、解決したように見えても、根本的には、何も解決していないので、また問題が表面化してきます。そして、そのときには、以前よりもより深刻な問題となって現れてくるのです。

天童さんが書いて下った、お地蔵さまの例など、そのことをよく表しているのではないかと思います。
かつての日本人はそうやって、自分がやったことをキチンを覚えていて、折りあるごとに手を合わせていたのでしょうが、今を生きる私達はどうなんでしょう?!

死と隣り合わせの過酷な日々を送ってこられた先人達と、戦後の高度成長期以降をぬくぬくと暮らしてきた私達では、やはり、人生における経験度が違いますから、そうなってしまうのは当たり前なんだろうと思いますが、家族の中で伝えなくてはいけないことを、きちんと伝えていれば、ここまでひどい状況にはならなかったのではないかな・・・って思うんです。
だから、今、気づいた者から、折に触れ、いい続けていかなくてはいけないのだろうな、と感じます。

長谷川女史が昭和20年8月15日に昭和天皇が言外に込めた思いを文字にしたように、天童さんが、その著作を紹介する論文を書かれてネット公開されたように、今度はそれを読んだものが、もっと分かりやすい言葉で、興味を抱いてもらえるように紹介するのも、意味があることなのだと感じたので、僭越ながらこのような記事を書くことのいたしました。
バトンの受け渡しを続けていくことができれば・・・と思います。。。

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