皆さん、たいへん申し訳ありません。昨日1月4日に投稿したブログを、誤って消してしまいました。バックアップしていなかったので、原文通り復元はできませんが、同趣旨の内容を書き直しましたのでご了承ください。
なお、本ブログの内容はあくまで豊田個人の私的な意見であり、豊田が所属する機関の見解ではないことをお断りしておきます。
前回のブログでは、交付金削減、総人件費改革、法人化による大学運営の負荷、教育改革、大学病院収益増圧力、臨床研修制度などの様々な負荷により、地方国立大学のような余力の小さな大学の人的インフラ(研究者・補助者数×研究時間)が損傷したことによって、学術論文数、つまりイノベーション力が低下したのではないかという仮説をお話しましたね。
そして、科学技術政策研究所の神田由美子さんのデータでは、研究者数に研究時間の割合を掛け合わせて計算したFTE教員数が減っているが、旧帝大ではそれほどは減っていないが、他の大学では大きく減っており、それが、論文数とも概ね相関するということでしたね。そんなことで、私の仮説は、かなり裏付けられたのではないかと思っています。
では、今後、日本の研究機能やイノベーション力はいったいどうなるのでしょうか?
私はとっても悲観的な見方をしています。
まず、国の財政が厳しいことは皆さん百もご承知ですね。国の借金が世界一となっている上に、高齢化が進んで社会保障費が毎年約1兆円増え続けており、多少消費税を上げたところで、とても持続可能な財政になるとは思えません。したがって、社会保障費以外の政策的経費には削減圧力が引き続き強く続くと思われます。
科学研究費や高等教育費についても、2011年度予算から10%のマイナスシーリングがかけられ、特別枠(要望枠)で復活するということになっています。2010年には要望枠をめぐってパブコメが募集され、科学研究や大学の予算には、非常に多数のパブコメが集まったことは皆さんもご記憶のことでしょう。この時は幸い、政治判断で科学研究費や大学予算はかなり復活しましたね。でも、科学研究費と大学予算の削減圧力はこれからも長く続くと考えられます。
研究力やイノベーション力、つまり注目度(質)の高い論文数については、大枠としては研究開発投資額と相関すると考えられています。海外の質の高い論文を多く産生している国では、どこの国もそれなりに研究開発費を増やしているのです。私は、研究費の総額を減らしつつ、しかも、注目度(質)の高い論文数を増やすことは、言うは易しくして、実際にはきわめて困難と考えています。少なくとも現状維持をしない限り、不可能であると思います。
次には、為政者の多くが「選択と集中」や「傾斜配分」をすれば競争力が向上すると考えていることです。
研究の場合、まず、広く研究の種を蒔いて、有望と思われる芽がでてきたら、集中的に投資をして、世界的な競争に勝とうとすることは一つの戦略です。iPS細胞の研究への「選択と集中」は、まさにこれを地で行くもので、研究の国際競争の戦略として成立するものだと思います。
しかし、「選択と集中」や「傾斜配分」は両刃の剣であり、大学間格差を単純に拡大させるだけの「選択と集中」では、むしろ、逆効果になることは、私の今までのブログを読んでいただければ、ご理解していただけると思います。今起こっている、わが国の注目度(質)の高い論文数の減少は、主として地方大学の疲弊によるものですからね。
また、基盤的な大学予算は現在削減され続けていますが、それがたとえ同じ削減率であっても、余力のある大学と余力のない大学とでは、ダメージの程度が違います。たとえば外部資金の余力のある大学では、特任教員を多数増やして、研究力の低下を補うことができますが、余力のない大学ではそれができません。その結果大学間格差が拡大します。これは、無意識に大学間格差拡大を生じさせる政策ですね。
競争的資金も削減されつつありますが、予算削減下では、限られた競争的資金をどうしても実績のある上位の大学に措置してしまいがちになります。これは、半意識的に大学間格差を生じさせる政策になりますかね。
このようにして、今後も大学間格差がさらに拡大し、地方国立大学がさらに疲弊をして、ますます日本全体の競争力が低下すると思われます。
英米の大学間格差は富士山のようななだらかな傾斜ですが、日本の大学間格差は東京タワーのような急峻な傾斜であることを、先のブログでお話しましたね。それが、今後は、さらに進んで、スカイツリーのような極端に急峻な傾斜になり、(実際のスカイツリーのように高さが東京タワーよりも高ければまだしも、あまり高さが変わらないスカイツリーになると思われる)、その結果、日本の研究力やイノベーション力が低下すると思われます。
さらに、国立大学法人の会計制度にもとづく懸念材料を下に説明します。
国立大学法人は、苦しい苦しいといいつつも、毎年黒字(剰余金)を計上しています。これは、もちろん各大学の経営努力や経費節減努力のたまものです。
たとえば、国家公務員総人件費改革(非公務員の国立大学法人にも適用されている)では、5年間に5%の人件費削減が義務付けられましたが、実際には各大学は10%も削減しているのです。
しかし、剰余金は、一般の人や財政当局からは”余っているお金”とみなされます。そうすると、国立大学への予算を削減してもやっていけるだろう、ということで次の年も予算が削減されます。
大学の現場がどう対応するかというと、予算が削減されても、必ず黒字にします。しかも、法人化後の大学への予算が不安定であり、見通しが立て難いことや、私学のように経営危機になった時に取り崩せる留保金の積み立てが制度上難しいことから、余裕をもって黒字にします。
どうやって黒字にするかというと、収益は限られていますので、物件費も削減しますが、余力の小さい大学では人件費を削減していくことになります。人件費はいったん増やすと減らすことが難しい(下方硬直性が強い)ので、余裕をもって減らします。つまり、5%減でいいものを10%も減らしてしまう。
いずれにせよ、大学の機能を低下させて黒字にするわけです。この場合、まず研究機能から低下していきます。大学は教育ということで存在が認められている機関ですからね。
そうすると、黒字になるので、また次の年も交付金が削減されます。このサイクルがどんどん続いて、気が付いた時は、大学の機能、特に研究機能が破たんすることになります。
私はこれを勝手に「黒字ー縮小サイクル」と名付けました。
このようなことを考えると、日本の将来が絶望的になりますね。
果たして、このような状況をくい止めることのできる妙案はあるのでしょうか?読者の皆さんからのアイデアを期待します。
次回につづく
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