風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

求めないということ

2011年11月28日 | 

いつの頃からか、何かを求めてはいけないような、そんな気分を引きずった
何かを求めれば、求めた瞬間にその何かが壊れるような気がしたからだ
そうして何も求めないまま年月を経た

我が子を授かったときでさえ、自分が求めたわけではないと、言い訳をした
ぼくが求めるものは必ず壊れる
だから決して子を求めるわけにはいかなかった

何も求めずとも、周囲に人々の往来はあり、四季は移ろっていく
笑い声もあり、恨み言もあり、怒鳴り声もある
なるべく目立たぬように物陰に隠れ、人々の感情のおこぼれを拾って生きていた

求めないことに慣れ親しむと、毎日の空の色の移り変わりや、時々の風の匂いに敏感になる
求めずとも常にそこにある世界
なにものにも絡め取られない解放された五感の世界

それでも周囲の人々はぼくに何かを求めるように助言し続け
ぼくのなかに何か求めるものはないかを探り続けた
求め、求められるのが人の世だとぼくを説得し続けた

すべては与えられているじゃないかと言い返そうとしたが
あまりにも自分の実感にそぐわず顔を赤らめた
ぼくの、ただ求めないなどということは、宗教的境地にはほど遠いのだ

誰にも何をも求めないという態度は、周囲の人々を苛ただせる
誰一人価値というものを創造するチャンスを奪われてしまうからだ
お金を作る価値、優しくする価値、綺麗でいることの価値、料理の旨いことの価値

自分という人間の価値を創造するように人は仕込まれた
そうではあるのだが、価値というのはそれを求める人がいなければ、ただのゼロになる
つまり、求めないという態度は、限りなく世界の存在価値をゼロにしていくことではある

でも、世界は求めようが求めまいが、世界は常にそこにある
風が吹き、雲がちぎれ、鳥が鳴き、人々が苦しむ
価値を離れたときに、世界は世界のありのままでそこにある

 


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