風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

渡し舟

2006年10月28日 | 雑感
昨夜、酔っ払って布団に入る時、ふとある気がかりな人のことを思い浮かべましたら、
なんというかある種異形な人間みたいな生き物の映像がぽかりと頭に浮かびました。
黄色い皮膚をした妖怪というか悪魔じみた容貌をしていましたが、その細部はまったく覚えていません。
ただ、ああなるほど、こいつの影響であの人はああなっているわけなんだなと、酔った頭で深く納得しました。
ある人というのが誰で、何が気にかかっていたのかはまったく覚えていないんですが。
何言ってるか、さっぱり分かりませんよね?(笑)

今日は海峡を渡し舟で渡って、何か美味しいものでも食べて、神社での平安時代を再現した祭りを観に行きます。
そこの神社には壇ノ浦で死んだ平家の一族が祀られているのですが、神社の奥というか横手に苔むした墓がずらりと並んでいます。
以前行った時は、祀られているという感じよりは、そこに怨霊が封じ込められている感じがしました。
それ以来、その神社に行くことはありませんでした。
根拠は無いのですが、今年で何回目かになるその祭りで、怨霊たちもかなり慰められているような、そんな感じが漠然としていますし、
そうならいいなと思います。

渡し舟に乗るのも初めてです。
秋の夕暮れ、海峡を渡し舟で渡る。
字面からは大変ロマンチックな香りがしますが、さてどうなんでしょう。
その辺り住む人から渡し舟の噂を聞いたこともありませんから、おそらく味気ないものなのかもしれません。
でも、船から平家が滅んだ壇ノ浦をまじかに眺め、潮の香りをかぎ、神社で和楽を聞きながら平安絵巻を鑑賞するというのは、
なかなかおしゃれです。

船というのは昔憧れた乗り物です。
小学生の頃のなにかの文集に将来の夢として船の無線技師と書いた覚えがあります。
何の影響でそんなことを書いたのかは忘れてしまいましたが。
でも、今考えてみますと、船の無線技師というのはぼくの性格にもっとも適していない職業の一つです。

ということで、そろそろ出かけます。








無為無策

2006年10月27日 | 雑感
ここ数日飲みごとが続いて、今日も明日も飲みごとがあります。
ヨーロッパでも飲んでましたから、21日間の行は何だったんだとなりかねないわけですが、
やめようと思えばぴたりとやめる自信は無いようであります。
飲みたいのか飲みたくないのか分からないうちにぐいぐい飲んでしまう癖はやめなければなりません。
意味がありません。

そうは思っているのですが、お客さんが次々とワインだのお酒だの焼酎だのを持って来てくれます。
ありがたいのですが、まぁ、あれです。

もうすぐ11月、昔で言えば初冬になろうとしているわけですが、今が秋みたいな感じの天候です。
空は高く澄んで、風が心地いいです。
陽射しの中にいれば、半袖でも大丈夫そうです。
温暖化だ何だと口で騒ぐ割には誰もなにもしていないようです。
自動車は世界中で作られ続け、緑は切り倒され続け、極地の氷は解け続けます。
通勤は原則自転車か公共交通手段を使い、割り箸は禁止などという条例を施行したりすれば、意識も高まるでしょうけども、
石油会社やら自動車メーカーやら割り箸輸入業者やらが黙っていないんでしょうね。

無為無策というのは、何かにチャレンジして失敗するよりもタチが悪いです。
失敗は課題を整理して再チャレンジすれば成功につなげることが出来ますが、無為無策は無責任と怠惰を生みます。
イジメ問題や受験のために必修科目の履修を省く問題やらに対する学校や教育委員会の対応などはまさに無為無策です。
5年間で合計8日間しか出勤していなかった男に満額給与を支払っていた清掃科の役人に対する役所の対応も、
長年の無為無策体制が染み付いた責任感と使命感に欠けたものです。
特定の組織や役所に限らず、ある程度の規模以上の組織は、軒並無責任体質に侵されているような気がします。
そういう体質の延長線上に、温暖化やら環境問題やら教育問題に対する無為無策があるのでしょう。

無為無策というのは、いわば精神的なぬるま湯にどっぷり使っている状態ですから、抜け出るのが難しいです。
ぬるま湯を一気に捨て去る勇気はなかなかもてません。
組織になると、ほかの人もそうだから、自分ひとりが頑張ったってという心理が働き、なおさら抜け出ることが難しくなります。

これからいろいろな膿が出てくるのでしょうが、膿を出すなら出し切ればいいのです。
膿を隠すと、症状が悪化して致命傷になりかねません。
それよりも、まず病んで膿んでいるのだという自覚がなさそうなのが、一番あれなんですが。





課題

2006年10月25日 | 雑感
今朝、五時に滝場に着きました。
もちろん空は真っ暗です。
参道にはぽつんぽつんと街灯があり、お堂も24時間電灯がついているのですが、滝壺が真っ暗です。
ロウソクを何本か灯しましたが、ロウソクに暗闇を照らす力はありません。

入念に作法をして、真っ暗な滝壺を手探りで進んで、音を頼りに滝の下に入ります。
滝に入ってしまえば、暗かろうと明るかろうと関係ありません。
水はずいぶんと冷たくなっているのですが、寒いという感じはしませんでした。
緊張感を持って入ったせいか、いい感じで集中できました。

滝から出て滝つぼから出るとき、二度ほど転びました。
足元がまったく見えないのですから、まぁしかたがありません。

真夜中の滝というのは何度か経験しましたが、そのときは大量のロウソクで滝場を照らし出しますから、
まったくなにも見えないということはありませんでした。
でも、暗闇の中で入る滝というのもなかなか奥深い経験でした。

時差ぼけもどうやら抜けかけてきたみたいです。

今回の旅行は基本的にはぼく個人が経験したことに留めておりますが、
いろんな人のいろんなエピソードがまだまだたくさんありました。
でも、いろんな人について書くのは遠慮しておきます。

アイカさんとネネさんに関してはまぁ不特定多数の人を相手にしている人たちですからさらっと触れていますけど。

ということで、そろそろ日常に戻って前に進もうと思います。
前に進んでいると思っても、ぐるぐる同じところを回ったりしているわけですが。
回りながら上昇すれば、螺旋状に進化したことになります。
上昇というのがポイントになりますが、身も心も軽々としていなければなりません。
軽々とするためには、喜びが無ければいけません。
その喜びに嘘があってはなりません。
ウソをウソと気が付くための正直さと勇気が必要です。

こうやって上昇するためにはいろんな課題が次から次とあるわけです。
喜んで課題を受け止めていくためには、なんというか、自分の生命への信頼が基本的にはなければなりません。
信頼が何処から生まれるかというと、課題を正直に受け止めクリアしていく過程で生まれます。
初めから喜んで課題を受け止めることなど誰ににも出来ません。
課題の一つ一つが心が臆すると克服不可能なものに見え、嫌なものに見え、怖いものに思えます。
まず目の前の課題の一つに勇気を持って体当たりすることからすべては始まるのでしょう。
課題に体当たりして失敗ということはありえません。
唯一の失敗は課題から目を逸らし、逃げてしまうことです。
課題というのは体当たりした瞬間に課題ではなく、成長の過程になるからです。

ま、そんなことを考えながら、明日からも頑張ります。

ネオ・ジャパネスク

2006年10月24日 | 雑感
今朝も強制的に目が覚める感じで夜明け前に起きたので、思い切って滝に。
滝に打たれて時差ぼけも吹き飛ばそうと思っていましたが、頭は依然と朦朧状態。
まぁいいです。

さて、アイカさんの公演に付いて少しだけ。
「NEO JAPANESQUE 2006」という国際文化交流事業の柱となる公演で、文部科学省やら外務省がバックに付いています。
ウエストミンスター寺院やビックベンから程近い官庁街にあるバンケティングハウスという宮殿の一部で行われました。
ルーベンスの手による天井画が見事です。

ネネさんたちは着物、ぼくはタキシードで参加しました。
ロンドン在住の日本人とか日本文化に関心を寄せる英国人が観客のほとんどでした。
レセプションではワインや焼酎のカクテル片手に、着物の着付けやミニ茶席といったパフォーマンスがあり、寿司の実演もありました。

内容はなかなか難解でした。
端折ってぼくなりに解説しますと、始めに日本を象徴する女神(アイカさん)が登場し、そのたおやかな美を歌い上げます。
やがて異質な文明・文化が流入し、日本かもがき苦しみながらも、日本という国の底に流れる本筋を手放しません。
異質な文明・文化が隆盛を誇って行きますが、やがてその本筋が復活して、異質な文明・文化を吹き払います。
その過程でたくさんの文化的・精神的残骸があとに残りますが、それを掃き清めます。
そして、再び日本の女神が復活して、たおやかな美を歌い上げる。

すべて歌とダンスパフォーマンスだけで表現されたものでしたので、ぼくの解釈が当たっているかどうかは皆目分かりません。
ぼくがタキシードを着ていたものですから、何かを勘違いした(笑)何人かの英国女性から解説を求められました。
いい加減に答えましたが、何とか納得しようという感じで話を聞いてくれました(笑)
それぞれのシーンの簡単な解説を書いたパンフレットでも用意していれば、観客もより楽しめたのにと思いました。
西洋人にとっては日本という国自体が何かの象徴みたいなもので、その象徴みたいなものをさらに歌とダンスという象徴だけで、
表現するというのは日本人が見ていても甚だ難解だったといわざるを得ません。
アイカさんの歌は相変わらず澄み切って天空に染み込んでいく感じでしたが、その意味が伝わらないのは惜しいことでした。
しかし、大胆不敵な試みではありました。
型にはまった日本情緒を前面に出すことは一切無く、神話的な構成で一気に押し切りました。

フィレンツェでのパフォーマンスは、ルネッサンス時代に建てられたピッティ宮殿の中庭で執り行われました。
篠笛と和太鼓が響く中、日本の女神(アイカさん)が歌で四方の西洋の神々に祝福を祈り、場を清めます。
イタリアの夕暮れの紺碧の空にアイカさんの日本語の歌声が吸い込まれて行きます。
その後、日本の男神が祝福を得、清められた舞台で力強い踊りを披露します。
その後お茶を振舞うパフォーマンス(日本の神が西洋の神々にお茶を振舞う意か?)があり、
続けて来客の方々に実際のお茶が振舞われたようです(お茶を飲むのは遠慮して帰りました)。

ぼくの解釈はあくまでもぼくが思ったことですから、そういうつもりで読んでください。
いろいろ他にも思うことやらなんやらがあったのですが、なんせ情報不足です。

とにかくも、両方のパフォーマンスは力技ではありました。
傍から見ていても、スケジュール的にも予算的にもエネルギー的にもぎりぎりの状況で敢行しているのがよく分かりました。
参加した皆さんに(当然ながら大勢の裏方さんがいます)心から拍手を送ります。

余談ながら、ピッティ宮殿の裏は小高い丘になっていて、丘全体が公園になっています。
時間を作って一人で行ってみました。
一巡りするのに3時間くらいかけました。
丘の頂上に陶器の博物館があります。
その博物館の庭から見た丘の向こう側、つまりフィレンツェの町とは反対側の郊外の景色は絶景でした。
森があり、城があり、堂々とした農家があり、青い空がありました。

それから丘からぶらぶら降りていくと、大きな古めかしい石造りの池があり、
そこを抜けると3~40メートルはあるでしょうか、高いポプラ並木に囲まれた草原がありました。
メインコースから外れているせいか、人気がまったくありません。
あまりにも気持ちがいいので、草原に寝転んで空を見上げました。
ポプラの枯葉が風に煽られ枝から離れ宙を舞います。
枯葉は意思を持って飛んでいるように、水平方向にすい~っ、すい~っと舞います。
何処に着地しようか考えながら飛んでいるみたいです。

ちょっと疲れましたので、今日はこの辺で。








時差ぼけ

2006年10月23日 | 雑感
今日も深夜の2時過ぎに目が覚めてしまって、眠れそうにもなかったので思い切って水を汲みに行きました。
いつも行く神社に向い、モヤの深い中をヘッドライトをハイビームにして行きました。
この頃、車の運転が変です。
反応がおそろしく鈍いのが自分でも良く分かります。
以前は車の運転に関して何一つ気にかけたこともなかったというか無意識状態で運転していたのですが、今は夜の運転は少し不安です。
感覚が妙にふわふわ宙に浮いた感じです。

6時前頃神社に着いたのですが、驚いたことに数台の車がとまっていて、水場は人だかりがしています。
普段から人気のある水場で、休日などは並んで順番を待たなければならないほどなのですが、夜明け前から人がいるとは予想外でした。

ということで、今もの凄く眠いです。

今回の旅行のメインイベントであったアイカさんのロンドンとフィレンツェでの公演のことを書きたいのですが、今は無理そうです。
明日にします。





ハイドパーク

2006年10月21日 | 雑感
時差ぼけがあるみたいです。
今日も昼過ぎに目が覚めてしまいました。
明日は休日、ちょっといろいろ整えたいと思います。

さて、今日はロンドンでの話です。
その日はちょっと予定が明き、疲れを取りたいという人もいたので各自フリーな時間を午前中に取ることになりました。
ぼくはホテルから徒歩圏にあるハイドパークに一人で行きました。
その日は休日、空は快晴で、家族連れやらカップルで賑わっています。
連れてこられた犬たちが鎖を解かれ、芝生の上ではしゃぎまわっています。
公園に住むリスを全速力で追いかける猟犬もいます。
犬たちは概ねしつけは行き届いていますが、中には飼い主の呼びかけに応じず勝手気ままに走り回っている犬もいます。
かんしゃくを起こして大声で犬を呼びつけている飼い主を見るのはとても楽しいです(笑)

ぼくは池の傍らまで行き、どこか適当なところに腰を下ろそうと場所を探しました。
見回すと、適当な場所に素敵な布張りのデッキチェアが並べてありました。
さすがロンドン、行政も粋な計らいをするなぁ~といたく感心して腰を深々と沈めました。
すると何処からとも知れずにアラブ系の男が現れて、1ポンド50ペンスを要求します。
腰には集金用のバックまで下げています。
座るだけなのにちょっと高いかな~と一瞬躊躇しましたが、あんまり気持ちのよい天気だったので、払って座り続けることにしました。
考えてみれば、行政がそこまでしませんね、椅子が盗まれるかもしれませんし。
道理で池端のベンチには満杯なのに、気持ちのよいデッキチェアにはちらほらとしか人が座っていません。
なるほどと思って、目を池に戻します。

一組のグループが帆船の模型をリモコンで操縦して着順を競っています。
帆船ですから、風の力だけで動いています。
日本などで見るリモコンのボートはエンジン搭載のやつでけたたましい音を立ててますが、まったく音を立てず水面をスイスイ動いています。
その時々の吹く風を敏感にキャッチして帆の向きやら舵やらをリモコンで操縦しているのでしょう。
おしゃれで、高度なシュミだな~とまた感心しました。

子供連れもたくさん目の前を通ります。
子供は世界中どこでも共通で、傍若無人です。
池に向ってよたよた真っ直ぐ走りこんでいこうとしたり、鳩を蹴散らかしたり、嬌声を上げながら父親に体当たりしています。
池にすんでいる白鳥はとても大きく、池から歩道へ上がって身体を休めたりしていますが、自分より大きな白鳥に対しては、
さすがの傍若無人君も手も出さずに大人しくじっと見ているだけです。

池には白鳥だけでなく、鴨やらなんやらの水鳥が入り混じってたくさん泳いでいます。
人に対しての警戒心はまったくなく、追いかけっこやえさ探しやなんやらを思い思いに楽しんでいます。
カップルを組んでいる白鳥は普段はいたって大人しいのですが、他のカップルが領分に侵入してきたときだけはやかましく鳴き叫んで威嚇します。
水上では分の悪いカラスは遠くの大きな木上に群がっており、池の方の様子を伺っています。
水鳥にパンやらスナックやらを投げる人がいるので、そのおこぼれを狙っているのです。

気持ちのよい時間がゆっくり過ぎます。
空には19世紀の絵画で見るそのままの雲が棚引いています。
ハイドパークは昔貴族が狐狩りを楽しんだ場所だったというような話を聞いた覚えがあります。
ロンドンの真ん中にありながら、街の喧騒はまったく聞こえてきません。
付近の住人が気軽にランチを食べに来たり、芝生に寝転がったり、犬を放したりしています。
勤め人も朝夕ハイドパークを横切って、会社に向ったり、行きつけのパブに行ったりします。
どんな格好で、何をしているのか、だれも注意を払わないように見えます。
好きなことを、おのおのの自覚と責任を持って楽しんでいるだけのように見えます。

ハイドパークに余計な手を加える必要はなにもありません。
目新しい施設も要りませんし、子供用遊戯用具も要りませんし、回転木馬も必要ありません。
植えられたそのままの場所で大きく育った木々と、手入れされた芝生と、リスと鳥たちがいれば季節季節に訪れる人の心が和らぎます。

なんでもかんでもコンリートで埋め尽くさないと気がすまないような現代日本から来たぼくとしては、
うらやましく思いながらも少し寂しい感じになりました。






アッシジ

2006年10月20日 | 雑感
アッシジはイタリア半島のほぼ真ん中の小高い丘の上にある町です。
12世紀に聖フランチェスコが生まれでたキリスト教徒にとっての聖地です。
ローマ時代の遺跡の上に中世の町並みがそのまま築かれ残っています。
アッシジに行くと決まった時、ネネさんはアッシ寺という寺に行くのだと思っていたそうです(笑)

小さな街なのですが、街中いたるところに教会があります。
大聖堂からこじんまりした地元の人が通う教会まで、ヴァラエティーに富んでいます。
一種独特の清清しい空気に満ちています。

街の背後には山並みがせまっており、はるか遠くまでオリーブ畑やらこじんまりした町やらを見渡すことができます。
空が広いです。

みなでいろいろな教会を参拝しました。
案内役はアイカさんで、こまめに調べ、こまめに人に尋ね、熱心にわれわれを案内してくれます。
前日までピッティ宮殿でのパフォーマンスでとてつもない責任感と緊張の中で大役を果たした人とは思えません。
呑気なわれわれは、アイカさんのあとをぞろぞろ付いて行きます。

中世の町奈の中をそのまま歩くのですから何処をとっても絵になります。
天気も快晴です。

到着の翌日には現地在住の二人の日本人の女性とその夫たち4人も合流し、更に教会巡りを続けます。
フランチェスコが瞑想した僧院がある山では、木立の中に街では見慣れぬ白い鳩ばかりが群れていました。
みなで少しの時間でしたが瞑想もしました。

最後の夜、ルルドのマリア像を模造したというマリア像がある教会で、アイカさんが「アベ・マリア」を歌いました。
そういう予定があったわけでは当然なく、ネネさんなどがこの教会で歌って欲しいなと朝方思っていた願いが、
いろいろな流れの中で実現しました。
ミサのために集まった地元の信者さんがいる中で歌うことになったのですが、ちょっとありえない展開ではありました。
教会というのは、おそらく最高に歌声を効果的に響かせる場所です。
神父さんも信者さんもわれわれもジーンとしながらアイカさんの歌声に魅入ってました。

翌朝、日本に立つだけとなりました。
ロビーでの皆との待ち合わせの時間まで少し時間があったので、ホテルのバルコニーにある二人乗りのブランコに乗って、町並みを眺めていました。
日は昇っているのですが、山影になっているので町並みは青白い静寂に包まれています。
山影から外れた遠くの町の教会の尖塔が朝日を浴びて金色に輝いています。
ホテルの隣の民家の屋根の上は野良猫たちの溜まり場になっているらしく、そこの住人をにゃーにゃー鳴いて起こし始めます。

ふと見上げると、紺碧の空にピンクゴールドに輝くの雲の塊ぽっかり浮かんでいました。
見ているとその雲の塊はすごい勢いで動いています。
流されて動いているというのではなく、場所は同じところにあるのですが、渦を巻くようにダイナミックに形を変えながら、金色に輝いています。
なにしろ見たこともない勢いで雲の内部で雲が動き回っています。
ちょっと言葉を失います。

そんなこんなでわれわれはフィレンツェへの列車に乗り込みました。
列車に乗り込むにもアイカさんが時間やホームを確認するのに5人の人に確認する必要がありました。
バスの発車時間でも、4人に聞いたら4人が違う時刻を平然と答えました。
ホテルのフロントでさえもにこやかに間違った時刻を言っていました。
イタリアはそういうところですが、なんにしろ奥行きのある土地でした。












フィレンツェの夜

2006年10月19日 | 雑感
一昨日の夜帰ってきて、昨日出勤するはずでしたが、目覚めたのが夕方近くだったので、今日店に出てきました。

ロンドン(4泊)→フィレンツェ(4泊)→アッシジ(2泊)の旅行でした。
いろいろあって、まだ頭がまとまらないのでおいおい書いていこうかと思っています。

仕事を兼ねて行ったのですが、買い付けに要した時間は正味30分ほどだったでしょうか(笑)
現地からインターネットカフェからでもブログを書いていれば臨場感のある報告ができたと思いますが、
そういうマメなタチではありませんから、印象深かったことを思い出しては書いて行きたいと思います。

書こうと思えばいくらでも出てくる旅行ではありました。
今日はそのうちの一つ。

フィレンツェの最後の晩、ホテルで夕食を食べたあと皆と別れ、夜の街をうろうろ歩き回りました。
ホテルの前の広場では、ジプシー音楽だのジャズだのヴァイオリンだの、玄人はだしのストリートミュージシャンが技を競い合っています。
観客は通りすがりの観光客やら暇をもてあました住人ですから、反応が素直です。
質が高ければ拍手やチップを惜しみませんが、凡庸なら見向きもしません。
ぼくはそんな広場の様子をベンチに座ってうっとり眺めていました。
なんせすぐ傍では電飾華やかなメリーゴウランドまで回っています。
子供の歓声に混じって、大人たちが時折上げる歓声やら拍手やらが広場にこだまします。
風はひんやりと心地よく、広場を行き来する人々の顔も幸せそうです。

やがて夜も更け、メリーゴウランドも店じまいの支度を始めました。
ストリートミュージシャンを取り囲む人の輪もだんだんと小さくなってきました。
夜も更けるに従い、風も冷たくなってきました。
その時、背後でとても透明感のある歌声が聞こえてきました。
シューベルトの「アベマリア」です。
一瞬誰かがレコードをかけたのかと思うほど、完成された歌声です。
振り返ってみると、広場の隅で立った女性と、椅子に腰掛けた男性の演奏でした。
立ち上がって、集まりかけた人の輪に加わりました。

決して大柄ではないスレンダーな若い女性が、その身丈に合わない声量で決して嫌味にならないほどの情感をこめて歌い上げています。
伴奏は若い男が弾く使い古したアコーディオンのみです。
男は顔も上げずもくもくとアコーディオンを弾いて行きます。
広場を取り囲む回廊の下で、二人がひっそり身を寄せ合って、オペラやカンツォーネを次々と歌って行きます。
広場は回廊も建物の壁も何もかもが石造りで、ヘタなコンサート会場よりも音響効果が抜群で、音に深みと透明感があります。
人の輪はたちまち大きくなります。
一曲歌い終わる度に大きな拍手が沸きあがり、誰かしらチップを投げに行きます。
何曲かをじっと聞いていたカーキ色の夏物のスーツを着て、ステッキを持った老紳士が、何度も頷いてその女性に握手を求めました。
女性は恥ずかしげに頬を染めてにこっと微笑みました。

ぼくも数曲聞いて、すっかりそのCDが欲しくなりました(この辺りで演奏する奏者は皆質が高いのでCDを用意して売ってます)。
誰かがCDを買うタイミングを見計らって、ぼくも2枚買いました。
一枚買うと15ユーロでしたが、二枚買うと25ユーロでした。
30ユーロ渡しました。
彼女が5ユーロの釣りをくれようとしましたが、取って置いてくださいと言うと、はにかんでにこっと笑いました。
昔の小説かなんかに、売れない歌手に惚れるというような話があったように思いますが、その気持ちがすごく分かりました(笑)

この2枚のCDはぼくの宝物になりました。
一つはカンツォーネのCD、もう一つはアリア集でした。
どちらにも何曲かアメリカの古いポップスも収録されていますが、ポップスはいただけません。
彼女のピュアな歌声にもう一つマッチしません。
CDの安っぽいジャケットには二枚ともその若い男と若い女性がぎこちなく仲良さげに並んで写っています。
その容貌とウクライナの民謡が入っていることから、ウクライナ出身のカップルなのでしょう。

なんかいろいろな意味で、とても素敵なフィレンツェの夜でした。








・・・

2006年10月05日 | 雑感
今日、いろいろ明日からの旅行の準備をしようと思っていたのですが、
どういうわけか今日に限って朝からずっとお客さんが来ていました。
ま、そんなものです。

で、いろいろ不安はあるのですが、行くからには楽しんできます。
それでは18日にまた!

ススキ

2006年10月04日 | 雑感
というわけで、いろいろ慌しいです。
航空券は明日届くはずです(前日!)。
宮殿みたいなところでコンサートがあるので、タキシードも持って行かなければなりません。
ちょっと腹回りが出てきたので、非常に窮屈な思いをしてタキシードのズボンをはかなければなりません。
タキシード用のシャツを買ったら2万円もしました。

泊まるところはまだ分かりません。
明日届く航空券と一緒にホテルの予約確認書が入っているみたいなんですが。
まぁ、何とかなることは何とかなっているんで、あれなんですが。

今日も空を見上げたら秋晴れでした。
今年の秋は今のところとても気持ちがいいです。

ぼくが子供のころ、秋になり、家並みを抜けるとそこら中にススキが揺れていました。
ススキを見ると子供心にももの寂しさを感じたものです。
ススキって見るからにもの寂びしげですよね。
首をうなだれてふわふわ風に揺れています。
初めから枯れているようなその色もパッとしませんし。

その頃になるとトンボもコオロギなどの虫も姿を消しています。
音のしない殺風景な風景の中で、ススキは揺れているわけです。
時折、渡り鳥だかカラスだかが空を渡って行きます。
田んぼの稲も刈られた跡で、どこもかしこも茶色っぽいです。
まもなく霜が降り、雪がちらつく日が来ます。
ふと顔を上げて西の空を見ると、形容しがたく鮮やかに燃え上がった夕焼け雲なんかが見えたりします。

どうしてそういう寂しい風景が好きな子供だったのかはわかりません。
たぶん前世の虚無僧時代にでも、そういう風景の中をさまよっていたからなんでしょう。
「夢は枯野をかけめぐる」だったか、芭蕉の句があったかと思いますが、そういう句に共感してた子供というのもあれですね(笑)

で、昨日お酒を飲んでいるついでに煙草を一本吸ってみました。
くらくらぐらぐらおいしく吸いました。
でも、あと一本吸おうとか思いません。
一本で止められます。
大成功です。
飲み屋で気分転換に一本だけ吸うというのが可能です。
これはちょっと嬉しいです。
今だって別に吸わなくても平気です。

なんでもハワイでも全面禁煙になりそうです。
近いうちに麻薬と同じ扱いになりそうな勢いですね。
それならそれでかまいませんが。←余裕の発言



秋晴れ

2006年10月03日 | 雑感
先日、ヨーロッパ行きの飛行機のチケット取れたと書きましたが、ウソでした。
今日、席が取れました。
出発の三日前です(笑)

ロンドン→フィレンツェと回ります。
いろいろすごい話満載なのですが、実際どうなるのか分かりませんので、旅行が終わってみてから報告します。
大風呂敷広げて、後で語るに語られぬ状況にならないとも限りませんから。

今日も秋晴れ、すがすがしい一日でした。
城の堀端のスターバックスで夕日を浴びながらコーヒーを飲んできました。

なんか疲れてますので、今日はこれで帰ります。
また明日!


行明け

2006年10月02日 | スピリチュアル
昨日は解禁デーで、ジンギスカンを食べ、お酒も飲みました。
一本目のビール、高校生の頃飲んだビールの味がしました。
煙草はどうでも良くなるまで吸わずにいようと思います。

夜中も起きだして、いただいていた練り味噌を肴に、日本酒を飲みました。
また元の木阿弥じゃないかと思われましょうが、解禁日ということで大目に見ました。
じゃあこれからは大目に見ないのかというと、それは分かりません(笑)

まぁ、キリなくだらだら飲む癖は止めたいと思います。
上手い酒を飲みたいときにビシッと飲む。
そういう者に私はなりたい。

とにかく、行が明けました。
自分の中ではいろいろあった行でした。
年に一度くらいは、自分の総点検のため、ステップアップのため、いらぬもののそぎ落としのため、
禁酒のため、等々いろいろなもののために行に入るのはとてもいいことだと思います。
仕事を続けながらできる行というのはそうそうあるものではありません。
大抵の行は日常生活を打ち捨てて、道場やなんかに篭ってするものです。
滝行は、行ってみれば瞬間の行ですから、朝の数時間を使ってできる行です。
また、滝行に適した滝というのは日本固有のものでしょう。
ナイアガラやイグアスの滝に打たれるわけには行きません。
ここ九州では真冬の滝も凍ることがありません。
め ぐ ま れ て い ま す 。

いろいろな意味で、恵まれていることにも気が付くのも、行です。
ここにこうしていれるということが、どれほどの恵みなのかということを気付くのも、行です。
そうやってせっかく気が付いたことも、酒飲んで、ぐちゃぐちゃ生きているうちに忘れてしまうんですが、
忘れても、また滝に行けばいいんです。
滝に思い切り打たれればいいんです。

ま、そんな感じです。