風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

跡形

2011年08月02日 | 
ある日の夕暮れ、五〇〇羽以上の雀が一本のケヤキの木に寄り集い、
その日一日の出来事をピーチク喋っているその下を、
年老いた雌の野良犬が険しい顔してトットと通り過ぎた。
3匹産んだその最後の仔が前日に死んだのだ。
それでも雀たちはピーチクを止めはしない。

雌犬は悲しさをとうに通り越していた。
暗い闇の中を、さらに深い漆黒へとトットと向かっていた。
トット、トット。
そこには一切の感情が排除された。
トット、トット。
彼女の足は虚無に向かって進み続けた。

その他にその日そのケヤキの下を通ったのは、一人息子に先立たれ、
くたびれた茶色のビニールの買い物かごを抱えた老婆と、
青黒く痩せた顔をグラグラ揺らせながら歩いているアル中と、
中途半端に欠けた月のように憂鬱な顔をした妊婦だけだった。
憂鬱な妊婦?

もちろん、ケヤキはいろいろなことを感じながらも、
何も感じないふりをして葉を風にそよがせていた。
感じれば感じるほど幹がギュッと縮み上がり、樹皮が乾燥し、
根は先端でグルリと巻き上がるのを感じていた。
そんなそぶりを見せれば、雀たちが脅える。
そんなことをするケヤキではなかった。

それから数週間もすると、雌犬の姿を見る者もなくなり、
雀の賑やかな鳴き声も消え、ケヤキも立ち枯れていた。

さらに数年も経つと、人もいなくなり、コンクリートを割る雑草ばかりになったら、
しつこいカラスたちも消えた。
街から音が消えた。
いや、音はあった。
風の音がした。
むっとするような草と土の匂いがした。
あらゆるエキスが充満した風が吹き始めた。
見たこともない虫たちが動き始めた。

コンクリートがすっかり土塊になるのには七六〇年ほどの時間を要した。
人類がいたという痕跡は、沼地の底に沈むペットボトルくらいのものだった。
かつての道路沿いにケヤキが植えられていた辺りには、亜熱帯性樹林で覆われていた。
見たこともない鳥たちが飛び交い、見たこともない猿たちが吠え合い、
見たこともない猫科の動物が獲物を探した。

雌犬の見た漆黒はどこにも跡形もなかった。
人間の恐れたあれやこれやもどこにも跡形もなかった。
ただ、あいもかわらずひたすら生命の連鎖が広がっていた。

生きる意味などを問うことを、せせら笑うように生命は豊穣に広がっていた。


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