Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

NYで味わう日本 (Brooklyn, NY)

2005-06-30 | RUGlad2BInAmerica?
「桜まつり」にあわせて、ブルックリン植物園のあちこちで日本の伝統文化を紹介する催しが行われていました。暫く日本を離れてニューヨークに住んでいる日本人なら、いろいろ反応したりするんでしょうけど、昨晩日本からやってきたばかりの日本人としては気恥ずかしい限りです。どこか日本に似た作り物の世界に紛れ込んだような気分でもありました。


特設テントで太鼓のショーの開始を「まだかまだか」と待つ人々


お弁当。ハワイで「Bento」という単語は人口に膾炙していましたが、ニューヨークではまだそこまで至っていないのでしょう。むしろ弁当の中に入った「KIKKOMAN」の方がよく知られているようです。緑茶もブームらしいです。


盆栽。思わず沼田元気さんの顔が浮かんでしまいました


お茶会。殆ど見世物と化しています

櫻花爛漫 Cherry Esplanade (Brooklyn, NY)

2005-06-29 | RUGlad2BInAmerica?
たった二日間の「桜まつり」。初日の4/30日は雨、二日日5/1日も朝方は雨が降って心配していたのですが、天気は持ち直したようです。少し肌寒く、花見客の出足はいまひとつです。


桜はまるで牡丹のように大ぶりなので、緑の葉が混じるのも、あまり気になりません


八重桜と聞いて大阪の造幣局の通り抜けのようなものをイメージしていましたが、ここブルックリンの桜の木は、年輪を重ねているのか、どれもずっと背が高いです


雨の後のため、芝生の緑が綺麗


花見客も少なく、桜を独り占めできます


ピンクの桜と白い桜が混ざると、また綺麗です


ここはいったいどこなんだろう

5/1日 ブルックリン植物園の「桜まつり」

2005-06-28 | RUGlad2BInAmerica?

ブルックリン植物園の入口、向こうにブルックリン美術館が見えます。
「Matsuri」と「Matsui」は一字違いでもある

ニューヨークでもお花見をしよう。ということで、タイムリーにも「桜まつり」が行われていたブルックリン植物園 (Brooklyn Botanic Garden (BBG))へ遠征しました。マンハッタンからサブウェイを乗り継いで Eastern Parkway 駅で下車、地上に上がると、植物園の入り口はもう目前です。

「桜まつり」は今年で24回目、既に春の祭典としてニューヨークを彩る恒例行事になったようです。今年は4/30日と5/1日の二日間の開催で、両日、日本の伝統文化を体験できるパフォーマンスやイベントが行われていました。4/30日はあの矢野顕子さんのミニコンサートもあったそうですが(行きたかったな)、Tomotubby の訪れた5/1日は、太鼓、舞踊、尺八、琴、三味線、茶会、俳句、生け花、盆栽など日本人としては見慣れた内容のものが多く、興味津々のニューヨーカーをよそに、素通りしてしまいました。太鼓の音はよく聞こえましたが、日本伝統音楽からは程遠く、何故かシタールを奏でる音まで混ざり、インド音楽のようでした。プログラムの題名を見ると、なんと「Taiko Masala」と書いてあり、変に納得してしまいました。

植物園には42種類、実に200本もの桜の木が植えられていて、訪問客の目を楽しませてくれました。特に Cherry Esplanade に立ち並ぶショッキング・ピンクの大ぶりな八重桜は、この上なく派手で、日本におけるお花見とは一味違った趣でした。


Cherry Esplanade

Brooklyn Botanic Garden
1000 Washington Avenue, Brooklyn, NY 11225
TEL: 718-623-7200
Homepage: http://www.bbg.org

2005-06-27 | Japan 日常生活の冒険
最寄り駅の近くに老朽化して棲む人もまばらになった公団住宅がある。袋小路のようになった敷地の中に足を踏み入れることがなく、その存在について知らなかったのだが、そこには見事な桜の老木が植わっていた。私鉄の架線の効果に伴って駅前が再開発され、今年になって団地の裏手を通る近道ができた。そして春が訪れ、桜が満開に咲いたことで、ようやく気づいたのである。その日から、毎晩、団地の敷地に足を踏み入れ、桜の下で花を仰いで見惚れていた。桜花の下で夜宴を開くものもなく、僅かに灯の点る団地に棲む住民の姿もついぞ見なかった。静かな夜は永遠に続き、満開の桜はいつまでも散ることなく咲き続けて欲しいと思った。しかし例外などなく、一週間ぶりの雨で花は散り、葉桜となった。水溜りには妖しく光る桜色が満たされていた。

それが最期であった。葉桜になってからは団地を通ることもなく、かりに脇を通っても見上げることはなく、桜の存在など忘れていた。入梅後のある日、気づいて驚いた。見慣れた団地の建物が、半身だけ崩れ落ちたかのように、醜い断面を剥き出しにしているのを見た。傍らには、あの老木はなかった。

東京で味わう新加坡 台南担仔麺系列のシンガポール料理店が出店予定 !!

2005-06-26 | 「東京で味わう」シリーズ
台湾料理の「台南担仔麺」水道橋店にシンガポール名物の「海南チキンライス」のメニューがあり、それがかなり美味しいらしいと聞きつけ、行ってまいりました。本格的な海南チキンライスを出すお店としては、西荻窪「夢飯」六本木「海南鶏飯食堂」に続く三軒目です。「台南担仔麺」といえば、お手頃価格メニュー。安くて美味しいチキンライスに期待が膨らみます。

メニューを開くと「海南チキンライス」には「蒸し鶏」と「揚げ鶏」の二種類があります。そして嬉しいことに「海南鶏飯食堂」で食べ損ねた「ラクサ」、台湾の味を捜し求めてはや半年の「豆花」のメニューまであるではないですか。


海南チキンライス(蒸し鶏)。メリタス・マンダリン・ホテルのものと似ています。


海南チキンライス(揚げ鶏)


ラクサ


紫芋アイスと豆花(しかし香港風でした。がっかり)

当日面白かったのが、偶然にも店内にシンガポールからの日本団体ツアー客が溢れていたことです。公用語の英語ではなく中国語の飛び交う円卓では、彼らが供された台湾料理を鱈腹平らげ、その傍らでは何故か Tomotubby たちが、看板料理の台湾料理ではなく、彼らの母国の名物料理に舌鼓を鳴らしているわけです。シンガポリアンの一人が私たちの食べている海南チキンライスを目敏く見つけ、添乗員に「どうしてあの料理が出ないのか」と難癖をつけているようでした。

帰り際に聞いたところでは、8月になったら、同じ水道橋、吉野家の上階にシンガポール料理専門のお店を出店するそうです。それと同時に台南担仔麺からシンガポール料理のメニューが消えるようですが、新しいお店ではシンガポールのいろんなローカルフードが味わえるのではないかと、今からたいへん楽しみです。

6/25日 眞夏日ノ晝間ニ見タ夢

2005-06-26 | 夢日記
ホテルは吹き抜けのある採光のよい近代的なビルで、そこには現代美術館が併設されています。或いは美術館にホテルが併設されているのかもしれません。そして常設展示のみは宿泊客は夜間も鑑賞できるのです。それもお風呂上がりにバスローブにサンダル姿で鑑賞できるのです。

最近、海外のホテルに滞在する夢をよく見るのですが、どれもこれもホテルとして実在するものではなさそうです。今回は夏風邪気味で昼寝していたときに見た夢ですが、ホテルの建物はどうやらニューヨーク近代美術館(MoMA)だったような気がします。昨日、本屋で Casa BRUTUS のバックナンバーを立ち読みしていて、今回の増築部を設計した谷口吉生の記事が出ていたのでした。


紫陽花が見頃 (北鎌倉その6・浄智寺)

2005-06-25 | Japan 非日常生活 遠征篇


名月院まで引き返すと、再び尋常ではない人の波です。先ほど寺に入るのに並んでいた人たちが、ちょうど見物を済ませて帰ろうとしているようです。少し急ぎ足で人の波をすり抜け、往路にチェック済みの「紫芋ソフトクリーム」をしっかり買って食べながら、本日最後の紫陽花の見どころ、鎌倉五山第四位臨済宗浄智寺に向かいました。

浄智寺の「じょうち」を変換していて「情痴」の字が出たので、山上たつひこを思い出してしまいましたが、「たつひこ」違いで、そこは澁澤龍彦のお墓のあるお寺です。澁澤の隣には磯田光一のお墓もあるそうです。この二人は三島由紀夫繋がりだ。と思いましたが、改めて龍子さんの「澁澤龍彦との日々」を読むと、澁澤が磯田の死について書いている一文が載っています。

この私の文章、さきごろ亡くなった磯田光一にぜひ読んでもらいたかった。ぜひ読ませたかった。磯田は私のこういう種類の文章をつねづねもっとも好んで読んでくれた批評家だったからである。磯田が死んで私は百万の読者を失ったような気がしている。

癌と闘病中の澁澤龍彦が悲しんだ磯田光一の死は1987年2月5日、奇しくも丁度半年後の8月5日に澁澤は亡くなり、同じ墓所に葬られることになったのでした。





浄智寺の緩やかな参道を上がり、かわいらしい山門に着いたのが16時30分、明月院が17時まで開いていたのでここも同じかと思っていたら、なんと迂闊にも閉門時間は16時30分でした。再び澁澤龍彦を偲ぶスポットに辿り着けず、がっかりして帰途に着きました。帰路、一日遅れになりましたが、父の日のプレゼントに京漬物を買って送りました。

二週間後、江ノ島と長谷でも紫陽花を見ました

紫陽花が見頃 (北鎌倉その5・山ノ内明月谷戸)

2005-06-24 | Japan 非日常生活 遠征篇
実は明月院界隈はずっと前から訪れてみたい場所でした。どうせ訪れるのなら、紫陽花の綺麗なシーズンがいいな。と思い、今回の小旅行となりましたが、目的はもうひとつありました。

北鎌倉の駅から明月院に向かってしばらく歩き、生垣に沿う小道をたどって左に折れ、急な坂道を登りながら右手を見上げると、張り出した岩の上に、白い壁とペパーミントグリーンの南京下見の建物が建っています。玄関に通じる階段に近づくころには、きっと犬が吠え始めるでしょう。耳ざとく足音を聞きつけたわが家の番犬、柴犬のぼたんです。

18年の結婚生活に終止符を打ち他界されてから、さらに18年が経ちました。龍子未亡人が在りし日の夫の回想を綴った「澁澤龍彦との日々」からの一節です。澁澤邸は北鎌倉山ノ内にあるのです。その建物は、澁澤の友人、有田和夫氏の手によるもので、その建築に際して澁澤は次のような要求を行ったそうです。

当世流行にのらざること。材料、仕上、色彩などをできるだけ制限し華美ならざること。人間空間、クラシック家具および調度に耐えられるインテリヤ。ただし食事や衛生のための諸設備は最新の便利さを存すること。総じて古いものへの郷愁におちいらず、その良さを再発見し、さらに新しいものを正当に評価する態度

明月院を左手に折れると、それまでの混雑とは打って変わって道行く人も少ない閑静な住宅街、山ノ内地区です。篠山紀信が撮影した澁澤邸の写真を記憶に留め、坂道の多い街を彷徨いました。しかし見つかりません。住所を調べずに来たのが無謀だったと悟り、もと来た道を帰りかけました。すると前方から、帽子にサングラス、手には紀伊国屋の袋を持った上品な女性が向かってきます。すれ違うと坂道を上がって行くではないですか。その姿は、澁澤龍彦の三人の妹の一人、最近「キプロス島歴史散歩」を上梓された澁澤幸子さんにどこか似ているような気がしました。思わず回れ右して、後をつけてしまいました。これってストーカーかも。どきどきして見ていると、彼女はゆっくり坂を上がり、道の脇から、とある階段を上がって、門扉を開けて白い家に入っていきました。


少し遅れて階段を上り表札を確認したのですが、そこには柴犬のぼたんはおらず、「澁澤」とは全く別の苗字が書かれていました。どうやら他人の空似だったようです。というか、幸子さんとお会いしたこともなく、お姿は写真で拝見しただけなので、似ているかどうかも自信がないのですが。

結局、白い壁の澁澤邸は見つけられず、紫陽花の咲く道をとぼとぼと戻りました。生前、澁澤もこの小道を歩き、ふと足をとめて紫陽花を見ていたんじゃないかな。と思いつつ。