Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

「城隍廟」の算盤

2005-02-28 | 九分、台湾のポジターノ!?


老人に指摘されて気づいたのですが、九分の城隍廟には二階にも祠があり、吹き抜けから城隍夫人などが祀られているのが見えました。面白かったのは、入り口の内側の壁に大きな算盤がかけてあったことです。城隍爺はこの算盤を使って亡者の生前の善行・悪行をプラス・マイナスで計算して、最後の審判を下すわけです。

日本は、台湾を統治していた時代、台湾住民を日本人と同化(皇民化)することを目的に、台北の北、現在、圓山大飯店の建つ場所に「台湾神社」を建立しましたが、神道がいっこうに台湾で広まらないことを嘆いている一文が残っています。たしか、台湾人は土着の神である媽祖や城隍爺を祀り、各地でそれらの祭りを盛んに行っているが、台北神社にあまり参拝には来ない。やって来ても、二の鳥居あたりから社殿を見ているだけだ。というような内容だったと思います。

日本は中国と同様に多神教を奉じる国ではありますが、そのストイックなまでの信仰の様式は台湾の人にとって理解できないものだったに違いありません。閉ざされた社殿、神像の姿は見えず、そこにはいったいどんな神が祀られているのかがよく判らないのです。台湾では神のイメージは、極彩色とともに過剰なまでに溢れています。その姿は、簡単明瞭、誰にでも区別がつきます。

城隍爺の祭りでは、ガラスケースに入れられていた謝将軍・范将軍の被り物を着た人が外を練り歩くということです。親たちは、悪行をはたらくと、あの恐ろしげな将軍たちに地獄に連れて行かれるぞ。と子供たちに言い聞かせるのでしょう。城隍廟にかけた算盤も子供たちを戒める明瞭な道具に違いないのです。

ところで、この算盤、日本のに比べて珠が多いですけど。どうやって使うのでしょう??

Bootsy’s New Rubber Band 「Live in Japan 1993」

2005-02-27 | RUGlad2BInAmerica?
Pet です。新宿タワーレコードでCDを漁っていたら、パーラメント/ファンカデリックのコーナーに、ジョージ・クリントン率いるPファンク・オールスターズが最近行った欧州ライブのCDR3枚組というのを見つけて唖然。これを手にしつつ、最近、Pファンクやプリンス一派のウォッチをサボっているので、ひょっとするとブーツィ・コリンズも何か新譜のライブとか出ているんじゃないかな?最近もファットボーイ・スリムのシングルに、あの特徴的な声が聞こえたりしていたし。とブーツィのコーナーに行ってみると、標題のライブDVDを見つけました。1993年川崎クラブ・チッタでのライブ。P-VINE から2002年末にリリースされていて、これは単に知らなかっただけ。

このときまだ40代前半の怪獣ブーツィは、シンボルの星型サングラスにブーツ、そして派手なスペース・ベースをブンブン言わせ、まさに油が乗りきっている感じ。キーボードには、天才バーニー・ウォレルが参加しているし、ギタリストのディーディー・ジェームスも、この人のこと詳しいことは知りませんが(今は亡きエディ・ヘイゼルやマイケル・ハンプトンに負けないくらい)ロックしてくれてます。演目は当時の定番曲で揃えてあり、長く引き伸ばされた I'd Rather Be With You でベース・ソロ、最後はブーツィが立見客の間を練り歩いて Touch。ワンパターンですが、また観たくなる行きたくなるライブ。子供にも人気があったのがよく判ります。

1. Ahh... The Name Is Bootsy, Baby
2. Psychoticbumpschool
3. The Pinocchio Theory
4. Hollywood Squares
5. Body Slam!
6. Mothership Connection
7. Cosmic Slop
8. I'd Rather Be With You (Muiti Angle Bass Solo)
9. Sacred Place (R.I.P.)
10. Stretchin' Out (In A Rubber Band)
11. Touch Somebody

Bootsy Collins (Space b, vo)
Bernie Worrell (kb)
Joel "Razor Sharp" Johnson (kb)
Gregg Fitz (kb)
Gary "Mud Bone" Cooper (vo)
Michael Gatherwright (vo)
Henry Bennifield (vo)
Gary "Dee Dee" James (lead g)
Lawerence "Flip" Cornett (rhythm g)
Frankie "Kash" Waddy, Jr. (ds)


「黒無常」Bernie Worrell と「白無常」Bootsy Collins

======================================
Tomotubby の台湾旅行記に割り込んで、唐突にブーツィ・コリンズを出したのは、DVDでライブの一シーン、剽軽な長身のブーツィが、ピアニカを弾く小柄でアブなそうなバーニー・ウォレルをステージ中央に呼んで、仲の良さを見せつけているシーン。これが「謝将軍・范将軍」のコンビにたいへん似ているのであります。城隍神を置くなら、さしずめジョージ・クリントン。長らく行われていない三人揃い踏みのステージを是非見てみたいものです。

「謝将軍・范将軍」の正体

2005-02-25 | 九分、台湾のポジターノ!?
シンガポールで見た怪物の像が、何千kmも離れた台湾にもあり、その名前が謝将軍、范将軍であることが判りました。二人の将軍が祠られていたシンガポールのシアン・ホッケン寺院は、ホッケンつまりは福建省からの移民が集う寺の中に祀られていたのですが、考えてみれば台湾本省人の祖先もまた、台湾海峡を挟んだ対岸、福建省出身者が多いのです。明・清の時代には、「媽祖」と同様に「城隍神」に対する民間信仰も福建省に根付いていたのだと思います。恐らくは福建省を拠点に台湾やアジア各国に移り住んだ人たちは、自分たちの神を連れ出し、落ち着いた先で祠を作って祀ったのでしょう。その後、「媽祖」や「城隍神」に対する民間信仰は、中国大陸では内乱と共産革命のせいで廃れ、大陸よりむしろ海外において生き続けたのでしょう。

帰国後、老人から聞いた話や「謝将軍・范将軍」の名を頼りにネットや書物を調べた結果、二人の将軍についていろいろなことが判りました。

「謝将軍・范将軍」の本名は「謝必安・范無救」で、二人一組で「七爺・八爺」もしくは「大爺・二爺」「高爺・矮爺」「捉神・拿神」「白無常・黒無常」などとも呼ばれるようですが、なんとその正体は、亡者の中から悪人を検挙して護送する怖い鬼なのでした。長い舌を出しているのは、首を吊って死んだ過去があるためとのことです。長身の謝将軍の大烏帽子に書かれた「一見大吉」の文字は、謝将軍に会っても、うまくやり過ごしさえすれば、幸運が得られるという意味です。どうすればやりすごすことができるのかは知りませんが、他に会うとお金が儲かるという「一見生財」というヴァージョンもあるようです。短躯の范将軍の方は、もっとおっかない鬼で、手に持った軍配のようなものには「見悪便拿」と書いてあります。悪人は会ったら最後捕まえられて、地獄に連れていかれてしまうという意味です。范将軍の容貌からして、妥協はいっさい無いタイプのように見受けられます。その点、謝将軍は隙がありそう。

金庸の小説「書剣恩仇録」で、主人公陳家洛が総帥を務める「滅満興漢」の秘密結社「紅花会」の一員として、常赫志・常伯志という、そっくりな双子の侠客が出てきます。二人合わせて「西川双侠」、兄の赫志が「黒無常」、弟の伯志が「白無常」の仇名で呼ばれていました。でも本当の「黒無常」と「白無常」って、ちっとも似てませんよね。

「白い犬とブランコ」のリアリズムと「故郷の香り」のリリシズム

2005-02-24 | 映画・ロケ地訪問


莫言の小説「白い犬とブランコ」の中で、十年ぶりに偶然出会ったぼくに子供のことを聞かれ、暖は、三人いると答えます。一人っ子政策下で、農村といえど子供を持つのは二人が限度なのに、どうして三人も子を持てたのかと、ぼくは疑いますが、三つ子だったと聞いて納得します。そして三人とも男の子と知らされますが、唖巴のことすら知らないぼくは、三つ子すべてが聾唖者だとは想像だにしません。農村で将来働き手となる男の子が三人もいるとは頼もしい限りと考えるのが普通でしょう。

暖は、自分が「半分畜生になった」と自虐的に語り「一度に三人もズルズル、犬の子を産むみたいだった」と言います。バーバリアン亭主、アオアオと叫ぶ唖巴の遺伝子を持つ仔唖巴が、獣のように三人も産まれる。これは「畜生」の仔を宿し、自らも「畜生腹」と化してしまった暖の悲劇なのです。三人の仔唖巴は暖の負担に過ぎなく、将来も働き手になるどころか、唖巴を超えることはないのでしょう。暖の家庭では未来永劫言葉は交わされることはなく、恐らくは貧乏が続くのでしょう。暖の家で飼われている雌牛が仔を産んで痩せ細ってしまった姿は、暖の今と行く末に重なり合います。

莫言は、中国の農村部において、身体障害者一家の厳しい境遇を真っ向から表現する訳ですが、霍建起監督「故郷の香り」では、この厳しい境遇を「貧しいながらも幸せな家庭」に置き換えてしまっています。そこには、唖巴の暖に対する変わらぬ愛があり、言葉より先に手話を覚えた可愛い娘もいて、美味しそうな料理を囲んだ家庭の団欒もあるというわけです。(唖巴はいったいどこで手話を覚えたのだろうか?)

原作は、暖がぼくの体を求め、ぼくの遺伝子を持つ聾唖ではない子を求めるところでフェイドアウトして、余韻を残したまま終わるります。しかし映画では、「貧しいながらも幸せな家庭」の設定が、小説にはない「届かない手紙」の悲劇の回想シーンを挟み、やはり小説にはないラスト5分のクライマックスを演出しているのです。「幸せな家庭」という綺麗ごとへの改変は、映画として、クライマックスの修羅場を生むために必要不可欠だったのでしょう。このあたりが、原作を読んだ読まなかったにかかわらず、映画を観た人の「違和感」に繋がっているのではないかと思いました。

「故郷の香り」の原作「白い犬とブランコ」のあらすじ

2005-02-23 | 映画・ロケ地訪問
莫言原作の小説の内容が映画「故郷の香り」でどのように変わるのか、興味のある方は映画館で確かめてみてください。


山東省高密県東北郷 (映画ロケ地は江西省上饒市務源県)。 何一つ変わらない10年ぶりの故郷。

北京の大学で教鞭を執り、婚約者もいる(映画では結婚していて息子がいる)ぼくは、大学に合格して村を出たきり、一度も帰ることはなかった。旧暦七月の末(映画では秋)、夏休みをとって帰郷したぼくは、コーリャン畑(映画では棚田)に囲まれた川にかかる橋で、全身真っ白な老犬と出会う(映画には犬は出てこない)。犬は誰かを待っているようで、暫くしてコーリャン畑からコーリャンの葉の大束(映画では芝)を背負った女を連れてきた。汗と土埃に汚れ、まるで別人のような姿だったが、その女性は間違いなく、かつてぼくが淡い恋心をいだき、ブランコでの失敗で右目を失明させた(映画では片足に障害を負わせた)幼馴染の暖(ヌアン)だった。

思わず彼女を呼び止めたものの、ぼくはしどろもどろで「暮らしは悪くないんだろう?」と尋ねる。「悪いはずがない。おまんまも着る物も、亭主も子供もいて、片目が欠けているほか何もそろっているのだから」と答え、悠然と川の水で乳房の汗を流す暖は、無愛想な口調ながらも、夫と三つ子の息子たち(映画では、娘一人)と暮らす家を訪ねてくれと誘う。

叔父の家に泊ったぼくは、叔父から暖が聾唖の男、唖巴(ヤーバ)と結婚したことを聞く。翌日、ぼくは雨の中、暖の家を訪ねる。昨日の白い犬。ぼくを見て呆然と立ち尽くす唖巴。つるつる頭で同じ顔の、凶暴な雄の雛のような三つ子。遅れて現れた暖は、虚ろだった眼窩に義眼をはめ、こざっぱりとした紺染め木綿の上着を着ていて、その姿にぼくは懐かしさがこみあげた。

唖巴はお土産に持参した飴を食べてようやく笑顔を見せ、僕と強い酒を酌み交わし暖の作った餃子を食べる。暖は、雨が上がったので、ぼくをおいて隣街まで外出してしまった。アオアオと叫ぶ唖巴は、ぼくを義兄弟として認めたようだ。別れに際して、ぼくは唖巴に自動折畳み傘を贈った(映画では、一人娘に渡す)が、唖巴はお返しに鋭利な小刀をくれたのだ。

帰り道、昨日の橋で、暖の連れていた白い犬が現れ、ぼくをコーリャン畑に案内する。そこには、暖が隣町に行かず、ぼくを待っていた。暖はぼくが白犬に連れられてやってくれば、二人の縁は切れていないと、賭けをしたのだった。ぼくは、唖巴が嫉妬深く暖に暴力をふるうこと、三つ子はみんな聾唖だったこと(映画では、娘は健常で可愛げ)を聞かされる。そして、おめかしをした暖は、物のいえる子供が欲しいと、ぼくの体を求めるのだった(映画の暖はこんなに大胆ではない)。

莫言 「白い犬とブランコ(白狗秋千架)」

2005-02-22 | 映画・ロケ地訪問
映画「故郷の香り」については、前回ご紹介しましたが、そのあらすじが、莫言の原作「白い犬とブランコ(白狗秋千架)」とは全く違っていて驚きました。監督・霍建起と監督夫人の脚本家・秋美によって美化されていて、莫言の持ち味が見えてしまったようにも思えます。原作はもともと邦訳しても30ページ足らずの短編ですから、全編109分の映画にするには、当然脚本家がイマジネーションを働かせて話を膨らませないといけませんが、原作者・莫言の描いた唖巴と暖の家庭は、鑑賞後に清々しさなど感じさせてはくれません。救いようがないほど暗く、皆がバーバリアンなのです。あまりに違いすぎて如何なものか。原作者は腹を立てていないのかな。と感じましたが、映画のプログラムを読むと、原作者は映画を見て涙したとのコメントがありますので、ここは、映画と原作は全く違う芸術作品として受容するべきである。との結論に達しました。パチパチパチ。

原作のあらすじは、ここに書いても映画のネタバレにはならないと勝手に判断して、次回、紹介したいと思います(これから小説読む人はどうするのよ?)。なお、莫言「白い犬とブランコ(白狗秋千架)」の邦訳は、

藤井省三・長堀裕造訳「中国の農村から-莫言短編集」(宝島社 1991年)
吉田富夫訳「白い犬とブランコ-莫言自選短編集」(NHK出版 2003年)

の両方の本に載せられています。

江西省上饒市 「暖(Nuan) / 故郷の香り」

2005-02-21 | 映画・ロケ地訪問
2003年の東京映画祭でグランプリを獲ったこともあり、ずっと気になっていた映画ですが、銀座の映画館でひとりでこそっと観てきました。原作は「紅いコーリャン」で有名な莫言(モー・イェン)の初期短編「白い犬とブランコ(白狗秋千架)」。内容は相当ソフトに変えられていて一安心。原作をそのまま映画化されると、かなりきつい内容になるでしょう。Pet 君曰く「そりゃ、ミラクルカンフー阿修羅だな」(意味不明) ま、原作を読んでから観にきた人は殆どいないと思いますけど…

東京グランプリを獲ったときは映画の原題が「暖(ヌアン)」で、李佳(リー・ジア)演じるヒロインの名前でしたが、日本公開に際して「故郷(ふるさと)の香り」などという、月並みで、さらにソフトというか、呆け呆けな題名が付けられています。「暖」のままで良かったんじゃない。と思いました。「応援している」スポンサー全日空の意向なのかもしれませんが。

個人的には、暖の夫の唖巴(ヤーバ:生まれつき物の言えない人の意)を演じる香川照之の演技に興味がありました。カンヌ映画祭グランプリを獲った「鬼が来た!」(そういえば、監督の姜文(チアン・ウェン)は、俳優として「紅いコーリャン」に出ていました。「紅いコーリャン」の張藝謀(チャン・イーモウ)監督もいろんな映画に出ています)での日本兵の演技が買われての出演だと思いますが、今回の役は中国の農民、それも聾唖者を演じます。中国語が話せないから聾唖者の役を演じるというのは、「悲情城市」で北京語が話せないから聾唖者を演じた広東語圏の梁朝偉(トニー・レオン)と共通しています。ただ、トニーの役柄は憂いを浮かべた視点で時代を見つめるインテリ林文清でしたが、香川照之が演じる役はまさしくバーバリアンで、対照的です。言葉が聞こえても言葉が判らない異邦人のもどかしさは、言葉が聞こえない聾唖者のもどかしさと共通しています。幼馴染である主人公の井河(郭小冬(グオ・シャオドン))と暖が会話しているのを、不安げに窺う唖巴の表情には演技+αの生々しさを感じました。勿論、香川照之の演技は並々ならぬもので、この人が知性ある日本人とは思えないくらいに物凄いのですが。




ライステラス


霍建起(フォ・ジェンチィ)監督は映画美術の出身なので、ビジュアル的には大満足でした。舞台は江西省上饒市の山間の農村。まだこういう風景があるのが嬉しい。それも陶磁器の故郷、景徳鎮からも近い場所で、杭州のあたりからも近そうです(スポンサー全日空は杭州便飛ばしてるもんね)。是非訪れてみたいです。高みから見たライステラスが美しく、去年観光しましたバリ島のライステラスを思い出してしまいました。


二人は北京電影学院の同窓生で、郭小冬は彼氏のいる李佳に片想いだったとか


主人公の井河が、足を傷めた初恋の女性暖をおんぶするシーン。
一年前に観た韓国映画「ラブストーリー」にも似たようなシーンがありました。



見所はやはり最後の5分間でしょうか。ここは泣かせてくれます。ネタバレになるので詳しくは書きませんが。この物語も「届かない手紙」が引き起こす悲劇のひとつなのです。唖巴だけが「届かない手紙」の秘密を10年間に亘って隠していたことがわかります。バーバリアンの愛の行方がひたすら悲しくせつないのです。

最近は中国も携帯電話が普及して、既にユーザー数が3億人超、昨年1年のメール数が 2,177億件、旧正月の1週間のメールだけで 110億件にのぼったとのことで、これは喜んでいいことか、悲しんでいいことか、既に「手紙」を用いたロマンなど描けなくなりつつあります。

映画で、主人公の井河が暖の住まいを訪れ、どうして唖巴のような男と結婚したのかと問うシーンがありましたが、暖は、はぐらかして「割れ鍋にとじ蓋というでしょう」と答えます。これは中国語でどう表現されているのか?と気になりましたが、「人民中国」のサイトに出ていました。「弯刀対着瓢切菜」(曲がった包丁でも瓢箪なら切れる)というそうです。

======================================
なお今回は、テーマサロン「訪ねてみたい映画のロケ地」への投稿なので、実際江西省上饒市を訪れた訳ではないです。お隣の江蘇省や浙江省へは何度か行きましたが、江西省は未だ足を踏み入れたことがないです。

>テーマサロン
>訪ねてみたい映画のロケ地
>映画が好きな人って「○○のロケ地に行ってみたい」とか
>「このシーンの○○を観てみたい」って思う事ありませんか?
>実際足を運んだロケ地やこれから訪ねてみたいロケ地、
>行ってみたかった場所などあったら教えて下さい。

「城隍廟」の二将軍

2005-02-20 | 九分、台湾のポジターノ!?
城隍神の左側には、ガラスケースに入った長身で眉が長く舌の長い、例の人が二体並んでいましたが、城隍神の右側に回ると、シアン・ホッケン寺院にもいた、もう一人の、全身黒い膚のがっしりした短躯の男性が、やはり二体並んでいました。この四体は城隍神のような Solid な塑像ではなく、Soft というかハリボテのような材質で、サイズも城隍神を圧倒するくらい大きいのです。


ちょっと怖い

廟には管理人と思しき老人夫婦がいました。どうやら既に廟を閉める時間を過ぎているようで、老婦人はなかなか出て行かない訪問者に苛立っているように見えました。こちらもせっかく異国で「怪物たち」と再開したのに、その名や来歴を知らないまま、このまま追い立てられて出て行くわけにはいきません。温和そうな男性に筆談で聞いてみました。真ん中に「城隍神」と書いて、両側に「怪物たち」四体の輪郭を描いて「名?」と書いたら、趣旨は理解してもらえました。老人は「怪物たち」の入れられているガラスケースの上方を指差しました。

よく見ると、長身の方は「謝将軍」、短躯の方は「范将軍」と書いてありました。


謝将軍。らぎさんのHPでお借りした「インターネット書道」で作成しました

「城隍廟」の「城隍神」

2005-02-19 | 九分、台湾のポジターノ!?
「城隍廟」とは、城で囲まれた都市、つまり城市、の守護神「城隍神」を祀った道教の寺廟です。元々、中国大陸津々浦々、都市には必ず城隍廟があり、盛大なお祭りが行われていたそうです。しかし大陸では、共産党政権下でこのような伝統は迷信と見做され、文化大革命時には多くの寺廟や神像が破壊されたことから、城隍神信仰は衰えた観があります。例えば、上海の「豫園商場」は有名な観光スポットですが、その中心は、そもそも名園「豫園」ではなく「城隍廟」でした。「商場」は「城隍廟」の周りに自然発生した門前市だったのです。1990年代に「城隍廟」は再建されましたが、それまでは荒れ放題で店舗スペースとして活用されていたそうです。ということで、信仰の空白期間のあった大陸より、断絶の無かった台湾で城隍神信仰の伝統が大切に遺されているようです。

城隍廟には、現存しそれぞれの街で貢献した人物が城隍神として祀られています。人々からは「城隍爺」とも呼ばれていて「城隍夫人」も一緒に祀られていたりします。道教にあって人々とは縁遠い、元始天尊、太上老君、玉皇上帝のような神々と比べると身近な親しみやすい神様なのかもしれません。街を外敵から守り、疫病と戦い、街に住む人間の生前の悪事を見張って死後に裁きます。悪事を行っていた人間の霊魂は地獄へ送るといわれ、冥界の知事、裁判官のような存在です。


九分の城隍神。バックはベトナム・フエのカイディン帝廟みたい...

台湾では、台南と新竹にある城隍廟が規模が大きく歴史もあり有名なようです。実は、Pet 君が「新竹科学工業園区」というサイエンス・パークを訪れた際、夜に城隍廟を訪れたらしく、そこで、Tomotubby がシアン・ホッケン寺院やタイガーバーム・ガーデンで見たのと同じような舌をべろりと伸ばした「怪物」の像を見たような気がする。と教えてくれました。

それで九分の地図に「城隍廟」の文字を見つけたとき、ここへいくとあの「怪物」に会えるかもしれない。是非ここへ行って「怪物」の素性を確かめたい。と思ったのです。