萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

長月朔日、天蓋百合―savage Elysium

2020-09-02 23:59:55 | 創作短編:日花物語連作
山海楽土、君となら 
9月1日誕生花オニユリ(別名:天蓋百合)


長月朔日、天蓋百合―savage Elysium

ありのままでいい、のは幸せだ。

「ふぁ…ぁーあ、」

腕伸ばして背骨が伸びる、あくび深く息を吐く。
ほろ甘い香やわらかに肺満ちて、頬なぶる風そっと涼しい。

「…秋になるなあ、」

唇に季節ふれる、こんな言葉ずっと久しぶりだ。
こんな言葉、風、匂い、温度、懐かしくて慕わしくて、ずっと帰りたかった。

「帰って来たんだ…ほんとに、」

ひとり声こぼれて空が眩しい。
はるか青い高い空、透ける風きらめいて草木が光る。
光る緑きららかな雫たち、朝露やわらかな故郷に呼ばれた。

「おーまえ、やあーっと起きたな?」

低いくせ明るい声が笑ってくれる。
昔馴染みの声ほがらかで、なにか嬉しくて振り向いた。

「おはよ、もしかして漁に行ってきた?」
「もしかしなくても行ってきたさ、本職だぞー?」

日焼け顔ほころばす口もと、歯が皓い。
すこやかな幼馴染に嬉しくて、そんな自分に笑った。

「いいな、そういうの、」
「いいだろー?」

肯いて笑って、Tシャツ姿から潮が薫る。
ほろ甘い辛い、懐かしい香からり言ってくれた。

「午後になったら海また出んぞ、おまえも行くか?」
「うんっ、行きたい、」

即答うなずいて、こんな自分に可笑しい。
こんなにも「行くか?」が嬉しいのは、故郷を離れて初めてだ。

『あなたを嫌いな人なんていないでしょう?こんなにいい子、みんなに好かれて居られるなんて贅沢よ、』

そんなふう言われるたび「行きたくない」本音が澱みこんだ。
どうして「居られるなんて」が「贅沢」だと言われたのだろう?

『嫌いな人なんていないですよ、こんなにイイやつですから、』

そんなふう言われるたび「いいやつ」のフリただ巧くなった。
そうして外せなくなった仮面に息止められて、何も誰にも言いたくなくなった。
そうして沈みこんだ孤独の底、いきなり連れ帰ってくれた瞳が覗きこんだ。

「どしたあー黙りこんで?もしかして熱あんのか?」

底抜けに明るい瞳が自分を映して、節くれた手そっと額ふれてくれる。
ふれる肌荒く分厚くて、その温もりに笑った。

「おまえの手のが熱いよ、ぼーっとしただけだから平気、」
「そかー?」

掌あつく額くるんで、明るい眼まっすぐ見つめてくれる。
肚底から明るい、そんな眼差しに息が楽だ。

「なんだー?なーに笑ってんだよーおまえ、」

ほら?明るい眼が笑いかけてくれる。
まっすぐ裏表ない視線は健やかで、素のままに笑った。

「なんか笑っちゃうんだ、おまえだと楽だなあって?」

楽だ、この幼馴染といる時間が。

まっすぐ肚底から明るい眼、飾り気どこにもない。
いつも素顔のまま生きている、そんな空気の真中が笑った。

「俺もだぞー?おまえだと楽、」

からり呑気に笑ってくれる。
昔から変わらない笑顔で、そのまま素直に微笑んだ。

「そっか…ほっとした、」

ほっとした、こんなふう今も変わらなくて。
昔のまま風ほろ甘い辛い、海香る丘の空。

※加筆校正中

鬼百合:オニユリ、別名「天蓋百合」花言葉「純潔、飾らぬ美」「賢者」「富と誇り・富の蓄積」「軽率、侮蔑・嫌悪」「荘厳、華麗、陽気・愉快」

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葉月二十四日、金盞花ー never despair

2020-08-24 23:47:01 | 創作短編:日花物語連作
炎天の涯に、 
8月24日誕生花キンセンカ


葉月二十四日、金盞花ー never despair

太陽、黄金に灼けて沈む。

海風が髪ふきあげる、頬なぶる潮が甘く濃い。
睫かすめる風吹きよせる涯、金色まばゆい朱夏が水映る。
辛い甘い風、瞳染める赤い熱い黄金、きらめく光の雲が海に凪ぐ。

「…きれいだ、」

吐息こぼれる声ただ、風光を讃える。
この風に光に放たれていく、この匂いに熱に逢いたかった。
逢いたくて、帰りたくて、そうして募らせた涯に幼馴染が笑った。

「きれーだろー?オマエのふるさとだぞー」
「うん、」

素直に肯いて、頬かすめる香あまく熱い。
踏みしめる砂まだ昼が名残る、熱くるむコンバースを透かす。
足裏やわらかに温かい、砂ふむ靴底、熱、からい甘い香、それから朱い黄金。

ずっと帰りたかった、ずっと。
その風が頬ふれて撫でて、懐かしい寂寥ごと今をくるむ。

金盞花:キンセンカ、花言葉「誠実、変わらぬ愛、初恋、忍ぶ恋」「失望・絶望、悲嘆、寂しさ、別れの悲しみ」

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葉月十九日、胡瓜ーrefined germination

2020-08-19 20:26:03 | 創作短編:日花物語連作
粋、辛苦にこそ、 
8月19日誕生花キュウリ


葉月十九日、胡瓜ーrefined germination

港の波しずかに空映る、青深く八月の藍。
つたう汗ぬぐう風、やわらかに潮が熱い。

「よっーぅ…」

腕つきあげ背骨を伸ばす、屈まった腰ぐっと反らされる。
そのまま肩ぐるり回して潮が匂う、その指まとう白い粒子と皺に微笑んだ。

―あーあ、オヤジの手と似てきたなあ?

ぱん、掌はたいて懐かしくなる。
もう死なれて何年になるだろう?数える年月と網を畳む。

『自分の手で繕うからいいんだ、命をもらう礼儀だな、』

網ふれるたび聞こえる、父の声。
ただの記憶だろう、けれど網目ごと籠められる。
こんなふう父も背を屈め手入れした、あの背中に自分もすこし成れたろうか?

―なーんて俺が考えるなんてなあ…俺も親父になったせいか?

心裡ひとり笑いたくなる、こんな今があるなんて?
こんなこと35年前は思いもつかなかった、だから思う、生きることも面白い。

「よぉーいせっ、」

網を持ちあげて、腰ぐっと張る。
いつもの場所へ納めて、一息ほっと呼ばれた。

「ありゃ?坂もっちゃん、今日は一人だったか?」

どうしたんだ?そんなトーンが隣船から訊いてくる。
口の中ひそかに舌打ちして、昔馴染みに口曲げた。

「ひとりで充分だ、」
「あははっ、アレだけ穫れてりゃ充分かもなあ?」

からから明るい眼が笑ってくれる。
からり屈託ない幼馴染に、ため息つい吐いた。

「あのな…ウチの悪タレ見てねえか?」

つい訊いてしまう、ただ心配で。
あの息子が今日は漁に出なかった、なぜ?

「タカちゃんかい、今朝は見てねえなあ…船もあるな?」

赤銅色の顔かしげて、大きな眼ぱちり瞬かす。
いつもの考える貌しばし、節くれた指ばちり鳴らした。

「おうよ、昨夜なら見たぞお?」
「どこでだ?」

すぐ訊き返して、つい舌打ちしたくなる。
こうも気にするのは恥ずかしいだろう?けれど友だちは言ってくれた。

「ここだよ、夜釣りのとき見たぞ?バイク乗ってたなあ、」

そんな時間にバイク?
あいつ何やってるんだ、唇そっと噛んで尋ねた。

「あの悪タレ、どんな感じだった?」
「なあんか張りつめたカンジだったよ、おまえさんケンカでもしたか?」

だから今日は一人なんだろう?
そんな視線にタメ息ひとつ、呼ばれた。

「お父さぁーん、」

澄んだ声が海風を透ける。
やわらかい呼び声に、つい破顔して応えた。

「とよぉー!船にいるぞおーっ、どおーしたあ、」

娘を呼んで唇くすぐったい。
どうしてこんなに弱いのだろう?ふり向いた先、白一点あざやかに駆けて来た。

「おとぉーさんっ、せんせーが、お話あるって!」

パンツのびやかな脚あざやかに駆けて、白衣姿が息を吐く。
娘が「先生」と呼ぶのは?意味と様子に船から跳んだ。

「どうした!タカになんかあったか?!」

だから今朝、今、息子はここにいない?
張りつめた視界の真中、ナース服のまま娘が笑った。

「あははっ、なんでタカちゃんのことって思うの?」

ころころ可愛い瞳が笑いだす、細めた眼つい可愛くて笑いたくなる。
けれど事態に呑みこんで、勤め先そのまま来た娘に言った。

「あいつ漁にも来なかったんだ、変だと思うだろが?」
「そうよねえ、あの釣りバカちゃんがねえ?」

長い睫ぱちり肯いてくれる、この仕草は妻ゆずりだ。
そしてマイペースなのも妻と似ている、いつもの温度差に尋ねた。

「なあ豊子、それで先生は何の御用なんだ?」
「まあ、タカちゃんのことでもあるよ?お昼休みのうちに早く来てね。鈴木のおじさーん、お話し中にすみませんでしたー、」

頭ぺこり下げて踵返して、まとめた黒髪ふわり海風が梳く。
もう行ってしまうんだ?いつもながらの娘に幼馴染が笑った。

「いい子だなあ、トヨちゃん。かわいくって仕方ねえだろ?」
「おうよ、」

つい肯定して、ほら気恥ずかしい。
こんなに子煩悩な自分だ?自覚にまた言われた。

「なあ、トヨちゃんはお相手いるのかい?いい年ごろだろ?」

いちばん嫌な質問だな?
舌打ちひとつ、けれど向き直った。

「豊子はしっかりした娘だ、」

あの娘を信じている、それだけ立派な人間だ。
想い陸から見あげた先、船上の幼馴染は笑った。

「そのとおりだよ、坂もっちゃん。タカちゃんもシッカリしたもんだぞー?大丈夫だ、」

塩辛声ほころばせて、右手ひらひら振ってくれる。
言われた言葉ほっと一息、右手ふり返した。

「ありがとよ、」

礼一言、踵返して歩きだす。
歩く港を潮あまく辛い、この風を息子は飽きず喜ぶ。

『いい風だなあ、なあオヤジー、海の神サン笑ってくれてるなあ、』

笑って笑って、底抜けに明るい瞳。
あの眼どれだけ愛しいか、なんて言えるわけがない。

―こっぱずかしすぎんだよなあ俺も、息子で下の子なダケになあ?

第一子ならまた違ったかもしれない。
けれど「下の子」で、また可愛かった。

―アレがあんな逞しくなっちまうとはなあ…まあ、やんちゃ坊主は変わらんがなあ?

生まれた日、元気な息子だと、後継ぎができたと嬉しかった。
笑った日、あんまり明るい笑顔まぶしくて可愛くて嬉しかった。
あれから大人になって今もう三十、髭も生えるオッサンだ。

―オッサンなんだよなあ、あいつも三十…って、あいつが生まれた齢じゃないか?

息子の年齢と昔の自分、重ねた潮風そっと目に沁みる。
もう自分が二児の父だった齢、それなのになぜ今こんなに心配するのだろう?

「…なあ、オヤジはどうだったよ?」

ひとり父に語りかけてしまう、今、話したい。
こんな時こんな自分に父は何を言ってくれるだろう?
もっと話しておけば良かった、いまさらの後悔に潮が薫る。

「お…いい風だ、」

辛い甘い、けれど涼やかに額なぶる。
海から背をぬける風、登る坂道の肩を推して門をくぐった。

「おっ、」

広がる空、海はるかに町を見る。
庭木立ゆらす風なびく、夏の花ゆれて光る。

―すみちゃんが生きてたころと変わらねえなあ…大事にされてる庭だ、

丘の上の診療所、庭あふれる花と緑。
ささやかな菜園には夏野菜が実り花つける、地味なようで、そのくせ爽やかな黄色まぶしい。
きれいなだけじゃない実ある庭、そんな変わらない風光は穏やかで、懐かしさ見つめるまま呼ばれた。

「すまんなあ坂本さん、来ていただいて、」

野太い声おおらかに呼んで、診療所の扉が開く。
作業着の衿もと正して、昔馴染みの医師に頭下げた。

「娘から息子のことでと聞きました、何かご迷惑を?」

何を言われるのだろう?
胃の腑から迫りあげる、こんな異常事態おぼつかない。
見つめる地面のぼらす熱の中、医師の声が笑ってくれた。

「迷惑とかありませんよ?」
「じゃあ先生、アイツどっか悪いんですか?」

頭上げて訊ねて、肺ぎしり痛くなる。
自分の方こそ「どっか悪い」かもしれない?けれど医師の瞳ほころんだ。

「健康そのものですよ、今朝も元気に東京のパンを買ってきてくれました、」

なんだそれ?
安堵がっくり肩から抜けて、笑ってしまった。

「あいつ、東京に行ってパン買ってきたんですか?あの悪タレは、」
「おいしかったですよ?ごちそうさまでした、」

野太い声ほがらかに答えてくれる。
どこにも暗さは無い、そんな貌が笑ってくれた。

「心配させてすみません、ほんとうに息子さんが大事なんですね?」

ああカッコつかないな?
見せてしまった姿に困って、けれど我ながら可笑しくて笑った。

「コッチこそすみません、バカなとこ見せて。三十の息子にこんなのはカッコつかないですね?」
「親なら当たり前ですよ、でしょう?」

穏やかな瞳が笑ってくれる、その言葉に息つける。
こんなふう言えるあたり、この医師には適わない。

―あいかわらずカッコいい先生だよなあ、幾つになってもさ?

この医師がこの町に来た、あの日から想うこと。
あれから四十年近く経って、あの日より深くなった瞳が微笑んだ。

「なあ坂本さん、親なら当たり前だと言えることは幸せですよ。けれど、言ってあげられない子どもさんもいます、」

このことか?
言われた言葉に息子と、その隣にいた顔すぐ浮かぶ。

「先生、あの子と息子に何かあったんですか?」

浮かんだまま声になる、答えが組まれだす。
息子の「なぜ」その答え。

“夜釣りのとき見たぞ?バイク乗ってたなあ”
“なあんか張りつめたカンジだったよ”
“東京のパンを買ってきてくれました”

そして息子は今朝、漁に出なかった。
そんな行動の理由たぶん唯一つだ、推定に医師が肯いた。

「息子さんは救ったんですよ、坂本さんも助け船を出してくれますか?」

助け舟、そんな喩えこの自分に言うんだな?
感想つい可笑しくて、自分のまま笑った。

「先生、漁師なら当たり前だろ?」


胡瓜:キュウリ、花言葉「洒落、粋」

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葉月十六日、女郎花― firm promise

2020-08-17 23:59:24 | 創作短編:日花物語連作
儚くとも、勁く 
8月16日誕生花オミナエシ


葉月十六日、女郎花― firm promise

ひさしぶりに見た、それは初恋の面影。

「おや…」

古木ふる緑影、海風きらめく墓石に青年ふたり。
日焼たくましい背と並んだ長身、その白皙に黄金ゆらす花あわい。
どこか儚い、こんな漁師町にめずらしい貌は、その追憶ゆらせて花に透かす。

「…何年ぶりかのう?」

ひさかたぶり帰ってきた、もし現実ならば。
こんな疑いもつほど見なかった貌、それでも忘れえぬ面影はどこか幻のようだ?

「ふん…わたしも修行が足らんなあ、」

ひとりごと佇む玉砂利の道、草履かすかに熱けぶる。
蒼い煙やわらかに線香くゆる、潮からい甘い風おだやかに駆けてゆく。
こんなふう暑い熱い盆の季、遠く遠く、けれど慕わしい追憶そっと寄りそわれる。

「四十年…と、七年…」

追憶たどる年月ふわり、潮風あまく渋く線香くゆる。
もう陽が高い樹影こまやかな蒼、明朗あざやかな声ふりむいた。

「あー和尚さあーん!おはよーございまーす!」

低い声、そのくせ伸びやかな声が手を振ってくれる。
あいかわらず日焼すこやかな笑顔に、ただ微笑ましく笑いかけた。

「おはようさん、今日は漁に出んのか?」
「はい、こいつの迎えにいったんで、」

からり底抜けに明るい眼が笑って、隣の青年をふりかえる。
長身さわやかなパーカー姿、その切長い瞳は面影ゆらせ微笑んだ。

「おひさしぶりです…ご無沙汰を申し訳ありません、」

どうも幻ではないらしい?
歳月隔てた忘れ形見に、ただ懐かしく笑いかけた。

「そうさなあ、暑い中よう来た、よう来た、」

うなずきながら眺めて、白皙の笑顔かすかに薄紅そまる。
あいかわらずの恥ずかしがりらしい、何年も見ていない貌に微笑んだ。

「本当によう来たなあ、無縁仏にせにゃならんかと思っとったぞ?」

こんな言葉、ひさしぶりの相手には厳しいだろう?
それでも青年は瞳ゆっくり瞬いて、真摯な眼ざし肯いた。

「本当に申し訳ありませんでした、溜まっている管理費お支払いさせてください、」

やはり大人になったな?
それでも意地悪だった自覚つい可笑しくて、生真面目な青年に笑った。

「はっはあ、あいかわらずマジメだのう?意地悪してすまんかったなあ、」

苦労しても、きれいな子だ。

―母親とはずいぶん違うな、アレはあの男そっくりだが…この子も苦労しているだろうに、

彼のひとの娘は似なかった、けれど青年は面影あざやかに映す。
こんなふう彼のひとの血は遺っている、想い見つめる真中で青年が頭下げた。

「意地悪なんて、こちらこそ申し訳ないです。ご迷惑たくさんおかけして、本当に申し訳ありません。」

白皙の顔かたむけ謝ってくれる、その仕草なつかしい。
こんなふう彼のひとも謝ってくれた、追憶の木蔭に明るい声が笑った。

「こいつは墓参りに来て具合悪くなったんです、それでイイですよね?和尚さん、」
「ほう…?」

どうにも「訳あり」だな?
そんな貌した青年二人に、ふたり幼い日のまま笑いかけた。

「まあ茶を飲んでいきなさい、うまい菓子があるぞ?」

笑いかけ庵へと歩きだす、その背に足音ふたつ付いてくる。
ひとりは元気いっぱい、もう一人は軽やかなくせ遠慮がち。
遠い昔あのひとも同じだった、そのままに忘れ形見が映す。

―この子は隔世遺伝だな…幸せになってほしいものだ、

美しさは時に、人を怠惰に誘惑する。
その涯に哀しい瞳は今もまた、この目の前に自分を映す。
彼のひとに似た美しい眼、だからどうか今度こそ、今こそ幸せな約束を。


女郎花:オミナエシ、花言葉「親切・心尽くし、美しさ、美人・佳人、はかない恋、永久、忍耐、約束を守る」

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葉月十五日、蓮― calm wind

2020-08-16 23:45:00 | 創作短編:日花物語連作
なつかしい聖域で、 
8月15日誕生花ハス


葉月十五日、蓮― calm wind

草いきれ、潮風あまく熱い。

「…はあー…」

深く息吐いて、熱くすぶる。
肺ふかく深く熱くなる、こみあげる熱が息を吐く。

ああ、生きている。

「おーい、そっちどうだあ?」

のんびり低い声が呼ぶ、おおらかな空気ゆるく熱い。
この空気ただ嬉しくて、深呼吸やわらかに笑った。

「もう終わるよー、抜いた草どこにまとめるー?」
「おーう、袋もってくー」

呑気な声おおらかに近づいてくる。
緑のびやかなトウモロコシなびく、トマト青い香たつ。
瑞々しい甘さスイカの匂い、青くほろ苦いピーマン、すこし酸っぱい渋いキュウリが甘い。

「…ほんとに帰って来たんだな…」

つぶやいた唇あわく青く香る、くすぶる熱が土を匂う。
土匂いたつ青い夏の熱、ふるさとの風やわらかに幼馴染が笑った。

「だぞー、帰って来たんだぞお?」

麦わら帽子ひるがえって、頬ぱたり紐ふれる。
潮からい甘い風くすぶる熱、日焼たくましい笑顔ほころんだ。

「すげー汗かいてんなあ、おまえ。麦わらもタオルもサマになってんぞお?」
「そっちこそ似合いすぎ、」

笑い返して青空まぶしい。
白い雲はるかな光る空、ライダージャケット巻いた腰が屈んだ。

「コレ小屋に運んだらさー墓参り行くぞ?」
「え、」

声つい詰まって風なぶる。
額ひるがえす熱に雫つたって、鉢巻タオルの笑顔が覗きこんだ。

「は・か・ま・い・り、行かねえとケン兄ちゃんを嘘つきにしちまうべ?ちょーど盆なんだしさ、」

朗らかなまま答えてくれる、その眼が底抜けに明るい。
何も心配なんかないよ?そんな温もり軽やかに立ちあがった。

「あっちぃーだろお、タオル貸してみ?」

日焼あざやかな笑顔が手を伸ばしてくれる。
衿元するりタオルほどかれて、歩きだす背に歩きだした。
踏みだす一歩、コンバース染みる熱くゆる。

「…土、熱い、」

ラバーソール透かす熱、靴下も透かして肌ふれる。
懐かしい感覚やわらかな足もと、のんびり幼馴染が笑った。

「あっちいーけど気持ちイイだろー?」
「うん、」

素直に肯いて一歩、熱くるんで足裏ふれる。
くるまれる熱じわり肌ほぐれて、懐かしい感覚に呑気が笑った。

「だろー?足湯とかさー足つぼマッサージみたいな効果あるんじゃね?とか思うんだよなあ、」

呑気な声のどかに笑う、その言葉も呑気だ?
あいかわらず可笑しくて、つい笑ってしまった。

「あははっ、そこまで効果ある?」
「あるかもだろー、だから俺こーんな元気なんじゃね?」

のんびり応えてくれる背中、Tシャツ透かす汗まぶしい。
一歩ごと汗きらめいて背筋うねる、頼もしい背こぼれる歳月まばゆい。

「うん、ほんと元気だね、」

肯いて眩しい、羨ましくなる。
こんな背中に自分もなれたら?想いに木洩日きらめいた。

「だろー?でも熱中症は勝てねえーから涼むぞおー?」

低い声おおらかに笑って、ラバーソールの底ふわり涼む。
踏みこんだ木立ひそやかに風ふれて、岩を踏んだ。

「わあ…」

声こぼれて唇涼む、やわらかに口ふくんで深く香る。
かすかに渋い甘い水の空気ながれて、かきわけた緑に飛沫が響いた。

「きれいだ、」

想い声こみあげて息をする、流れる水音きらめき射る。
瞳ひろがる光、音、額に頬に風ふれて涼んで、鼓動が沁みた。

「きれいだろー?なーんも変わらんまーんまだろお、」

幼馴染の声が笑ってくれる、鼓動ふかく息をつく。
変わらない何も、そんな故郷ただ眩しくて深呼吸した。

「うんっ…」

うなずいて呼吸して、唇ふかく肺が澄む。
沁みる空気さわやかに徹りゆく、額ゆれる樹影きらめいて青い。
光きらきら緑におちて、清流はじけて砕ける銀いろ笑った。

「ほんっと、きれいだ!」

笑った唇から息が澄む、涼やかさ瑞々しい。
緑あふれる青い翳きらめく、水面ながれる翠に銀いろ透る。
光あふれる真中、ふるさとの手に腕つかまれた。

「わっ」

声に水音はじける、足さらり冷たく満ちていく。
ラバーソールの底からり石ふれて、チノパンくるむ涼が膝も浸す。

「あははっ、冷たくて気持ちーだろお?」

清流の端、日焼すこやかに弾ける。
低いくせ明朗おおらかな声、悪戯小僧な瞳が笑った。

「寝不足ちょっと覚ますぞー?」
「え?」

どういうことだろう?
首傾げた目元、飛沫はじけて首すじ凍った。

「へゃっ?!」
「あっはは!変な声でたなぁっ、」

幼馴染からから笑って、首すじ冷たく凍みる。
滴る冷水ぽたり、肩から胸もと零れて息ついた。

「タオル…びっくりするよ?」

濡れるタオル首すじ浸す、冷たい。

「びっくりするよなあ、あははっ、」

朗らかな瞳どこまでも明るい、悪びれない。
あいかわらず「悪戯すぎる予告なし」なんだ?呆れて唇つい尖った。

「こんな悪戯ホント三十歳でする?びっくりして転んだらどうするんだよ、石で頭ぶつけんだろが、」
「あ、そうだよなあ?ごめん、」

すなおに謝って、日焼あざやかな顔ちょっと傾げてくれる。
その瞳にっこり笑って、悪戯小僧の声は言った。

「ごめんなあ?もうちょい深いとこでヤルべきだよなあ、」

深いとこでやる、って何を?
問いかけ声になる前に、ざぶり水音きらめいた。

「ぷ、はあっ!?」

髪したたる冷く頬ふれる、肩きらめく清流パーカー沈む。
ラバーソールの底は硬く、光砕けて揺らす水面に黒い瞳きらめいた。

「なあなあーこのままさー沈んじまうかあ俺ら?気持ちいーかもなあ、川底ゆらゆらぁー」

銀色くだける水、幼馴染の瞳が笑う。
笑って、けれど深く哀しくて、鼓動くだけて声はじけた。

「死んじゃうだろバカっ!」

肺ふかく鼓動が咆える、水面はじいて声が響く。
これが自分の声?

「あははっ!死んじゃうだろなあっ、戻んぞ?」

幼馴染の声はじけて、掴まれたままの腕ひっぱってくれる。
曳かれて水面あざやかに下がって、膝丈の川瀬にパーカー脱がされた。

「ほら脱げよ、重てえだろ?」

ばしゃり水音はじけて、肩ふれる風に軽くなる。
肌を梳く光やわらかな風、隣もTシャツ脱いで絞った。

「うわーすげえ水出んなあ、あははっ」

飛沫はじけて笑顔こぼれる、パーカーとTシャツ絞られる。
ふたつ一緒に絞られ広げて、風はらんだ光に腕つかまれた。

「ちょっと座れよ、」

水瀬ざぶり歩いて、揺れる木洩日を踏む。
陽だまり岩に腰おろして、一息ほっと唇動いた。

「ほんとああいうのやめろよ…いたずらが過ぎるよ?川底に沈んだらどうなるか知ってるだろ、」

悪戯が過ぎる、あんな悪ふざけ。
あんなの哀しい苦しい、そして今どうしようもない安堵の陽だまりに隣が言った。

「おまえさあー死んじゃうだろバカって言ったよなあ?」
「言ったよ?」

即答して振りむいた隣、視界のまんなか見つめ返される。
黒い瞳あかるく燈らせて、真直ぐ言われた。

「それさあ、俺もおまえに言いたいから。」

低い声すらり鼓動を挿す、挿される想い眼の底くゆる。
疼きだす心臓ふかく深く、見つめるまま滲んで腕つかまれた。

「おまえさあ、俺に死んでほしくない思ってんだろ?違うか?」

捉まれる肌が熱い。
腕つかんでくれる大きな手、ふれる掌やわらかに硬い熱い。

「どうなんだよ?」

問いかけられる腕、掴んでくれる掌が熱い。
誤魔化しなんて通用しない、ただ真直ぐな眼に唇ひらいた。

「そうだよ、死んでほしくなんかない、」

死んでほしいわけがない、この瞳は。
ただ願うまま黒い瞳は自分を映し、問いかけた。

「なんで死んでほしくないんだよ?」
「笑ってるの見たいんだよ、」

声になる、何も考えないまま。
どうして?なんて理由ありすぎる、そのまま見つめて言った。

「おまえが笑ってると俺は嬉しいの、あっけらかんに笑うの見てると幸せになれんの、死なれたら嫌だ、」

想い声あふれてしまう。
ずっと想っていた、幸せだった歳月あふれて声、こぼれだす。

「おまえが笑うと幸せなのはさ、おまえも、おまえん家も幸せだからなんだよ…俺の家は幸せじゃないの知ってるだろ、だから、」

だから見ていたい、幸せの顔を。
ずっと見つめていた想いそのまま、ただ声になる。

「おまえが笑うと、幸せはほんとにあるんだなって思えんの。だから、死なれるとか嫌だ、」

こんなこと言葉にするのは恥ずかしい、気持ち悪いと言われて仕方ないだろう?
それでも本音そのまま軽くなって、ほっと息吐いて笑った。

「気持ち悪いこと言ってごめん、でも…おまえが来てくれて嬉しかった。救われたって想ったんだ、」

真夜中、この幼馴染は迎えに来てくれた。
ふるさと離れた遠い遠い街、それでも連れ帰ってくれた。

「窓を開けて、おまえがいて嬉しかった…先生にも、ケン兄ちゃんにも、おばちゃんにも会えて、笑ってくれて俺うれしくて、」

マンションの深夜、鳴ってくれた電話から開けた窓。
そうして会えた故郷、笑顔、ただ救われた今に微笑んだ。

「俺さ…ほんと昨夜はだめで、すごい墜ちてて…おまえが来てくれて救われたんだ、」

真っ暗な部屋、暗い空、星もない。
そんな世界から今、光あふれる水と緑のほとりにいる。
そうして息つける風のはざま、見つめてくれる瞳に笑った。

「変わらないまま笑ってくれて、俺すごく嬉しかったんだ。しあわせって、こういうのかな?とか…ごめん気持ち悪いよね、」

変わらないでくれた、この幼馴染は。
変わらない笑顔ただ嬉しかった、嬉しくて幸せで、そうして今ここにいる。
だからショックだった一瞬に唇そっと震えた。

「だから怖かったんだよさっき…おまえ川に沈みそうで、なんであんなことするんだよ?」

水砕ける渦、黒い瞳まっすぐ深く笑っていた。
あの深淵ふかく沈みこむ、穿たれる哀しみ声こぼれた。

「気持ち悪いかもだけどっ…大事なんだよっ笑っててよっ、死んじゃうとか冗談でも言うなよっ!」

嫌だ、この瞳が消えるなんて。
この眼が笑ってくれないなんて嫌だ、そんな絶望なんかいらない。
どうか笑っていてほしい、ただ願いたい幸せに黒い瞳きれいに笑った。

「それさあ、俺もおまえに言いたいから。わかるだろ?」

大きな手しっかり腕つかんでくれる、掌ふれてくる肌が熱い。
熱の肌そのまま肌ふれる、ただ熱くなる肌しずかに声が徹った。

「だから生きろ、」

捉まれる肌が熱い、見つめられる瞳に燈される。
瞳の底ふかく熱やわらかに湧いて、零れそうな想い瞬いた。

「…、」

声にならない、熱く温かく浸される。
浸るまま鼓動あふれて熱い、熱く篤く喉せりあげて灼く。

『それさあ、俺もおまえに言いたいから。わかるだろ?』

幼馴染が言ってくれた「それさあ」は自分が言ったこと。
だから解ってしまう、どんな想いさせてしまったのか?

大事なんだよ、
笑っててよ、死んじゃうとか冗談でも言うなよ、
そしてその前に言ったこと「だから怖かったんだよ」そのまま「言いたい」のなら?

「ぁ…」

声にならない、あふれているのに?
あふれる想い、伝えたい言葉、あふれて溢れて熱い。
ただ熱すくんだ陽だまり岩の上、木洩陽ふれる額ぱちり、幼馴染の指が笑った。

「いたっ、」

弾かれた額じわり痛んで、ふれる風するり和らぐ。
驚いて瞬いた視界の真中、黒い瞳きらり笑ってくれた。

「さて、墓参り行こっか?ご先祖様にきっちりアイサツすんぞー生きてるモンの礼儀だかんな、」

腕つかんで引っ張って、絞ったパーカー羽織らせてくれる。
まだ濡れて、けれど風はらんだ涼感に微笑んだ。

「うん…ありがとう、行こう?」
「おう、足もと気ぃつけろよー濡れた靴は滑んぞお、」

笑って腕つかんで支えてくれる、その手が大きい。
大らかな掌やわらかに勁くて、清々しい熱くるまれるまま救われる。

この掌が自分の楽園かもしれない?

こんなこと想うなんて可笑しいだろう、でも自分はここにいる。
ただ生きてここに歩く、ただ微笑んで歩く青い森、潮あわい甘い風おだやかに息をつく。


蓮:ハス、花言葉「清らかな心、神聖、雄弁、休養、沈着、救ってください」「estranged love 離れゆく愛」

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葉月十三日、 瑠璃虎の尾― sacred promise

2020-08-14 06:25:00 | 創作短編:日花物語連作
漁師町の聖女は、 
8月13日誕生花 瑠璃虎の尾ベロニカ


葉月十三日、 瑠璃虎の尾― sacred promise

残暑の候、また近くなる。
迎え火を焚く夜の今日は、そして。

「あらまあまあ、ケンちゃん帰ってたのね?」

海風ふわり、呼んでくれる。
潮やわらかい甘い故郷の盆、花鋏ぱちり笑いかけた。

「朝一で帰ってきたとこです、おはようございます、」
「おはよう、また立派になったねえ?いいお医者さま、」

白シャツ軽やかに笑う目もと、笑い皺が温かい。
齢なり重ねた笑顔やわらかで、そんな母の友人に微笑んだ。

「あいかわらず見習いですよ、」
「あらご謙遜、聴いてるわよお?先生のご自慢だものねえ、」

笑い返してくれる瞳、底抜けに明るい。
裏も表も無い、こういう眼を母も好きだったろう?
想い見つめる潮風の庭、母の友人だった瞳が海を見た。

「ほーんと、ここは良い眺めねえ…港と、海と空、」

瑠璃色はるかな海と空、笑い皺きらきら朝陽はじく。
その瞳やわらかに青が映る、静かで、優しい穏やかな眼に微笑んだ。

「母も同じこと言っていました、いつも、」
「ねー、すみこちゃん言ってたねえ?」

母を呼んで笑ってくれる、変わらない。
変わらないまま朗らかな声は、庭花に微笑んだ。

「今年もきれいに咲いてるねえ、お母さんに摘んであげてたの?」
「はい、」

肯いて左手、摘んだばかりの花ゆれる。
薄紅、白、青紫、やさしい色どれも母が愛していた。

「すみこちゃん喜ぶねえ、ケンちゃんがこんなふうに大事にしてくれて、」

笑い皺やわらかに母を呼ぶ、温かい明るい声。
こんなふう母は今も生きている、温もりに微笑んだ。

「俺は帰って来たとき水やってるだけです。おばさんこそ、草取りしてくれてるでしょう?」

そんなふうに母を大事にしてくれる、今も。
そんな瞳ちょっと瞠って、白い襟ちょっとすくめた。

「ごめんなさいねえ、おせっかいして?つい、ね?」

悪戯を見つかった、そんな眼差しが見あげてくれる。
母もこんな貌を見ていたのだろう?なんだか可笑しくて笑った。

「俺こそすみません、正直ホント助かってます。お礼しないとダメなくらいです、」
「あらあら?お礼なんて…何ねだっちゃおうねえ?」

応えて朗らかに笑ってくれる、こういうところ気楽だ。
だから息子もなのだろう?今朝の再会と笑いかけた。

「おばさん、大丈夫ですよ?」

気になって来たのだろう、この誠実なひとは。
その真直ぐな瞳が口ひらいた。

「ケンちゃんも診てくれたのね、ウチの子が連れて来たんでしょう?」
「はい、父と診断書を出しました、」

肯いた先、笑い皺ふっと唇ゆるめる。
ほんとうは緊張して来たのだろう、同じ祈りに微笑んだ。

「あいつの職場には俺が主治医として話つけてあります、ウチの診療所で入院ってコトになってますよ?」

強引なやり方だろう、でも放りだせない。
この今は必要とくだした判断に、誠実な瞳が瞬いた。

「入院って、あの子そんなに悪いの?嘘でしょう?」

信じたくない、たすけて?
すがるような視線が心臓すっと刺して、けれど笑いかけた。

「小松菜とか緑の濃いものや酸っぱいモン食べさせて、のんびり暮らさせてやれば元気になれますよ?」

本当のことだ、でも「そんなに悪いの?」を逸らしている。
けれど告げ方なんて解らない、それでも優しい瞳ほっと笑ってくれた。

「…よかったぁ…あの子ひどく痩せてたから、ね?」

気が緩んだ、そんな笑顔やわらかに明るむ。
ほころんだ笑い皺きれいで、不安そっと呑みこみ笑った。

「山でも海でも好きに歩かせてやれば、腹も減ってシッカリ食いますよ。酒は飲みすぎアウトですけどね?」

ただ歩いて、食って、寝て。
そして笑ってくれるなら生きられる、心も。

『神経性の皮膚炎に肝硬変の兆候とでも書いてくれ、片頭痛と瞼の痙攣ありだ、』

夜勤明けの5:00、父が架けてきた電話。
あの意味を見つめる真中で、日焼ほがらかな手が紙袋さしだした。

「これねえ、先生とどうぞ?」
「あ、すみません、ありがとうございます、」

受けとって紙袋が温かい。
日盛りの坂道を上がってきてくれた、その温もりに微笑んだ。

「おばさんのキュウリ漬だ、」

紙袋の底、タッパー透かす緑が瑞々しい。
故郷の色だな?懐かしいまま母の友人が笑った。

「夏のモノだからねえ、あとこれもね、すみこちゃんにあげてくださいな、」

夏のもの、そんな言葉もう一つさしだしてくれる。
素直に受けとった袋の底、薄紅色まるく笑った。

「立派な桃ですね、もしかして坂本さんちの庭の?」
「あらあ、憶えててくれたのねえ、ありがとう、」

底抜けに明るい瞳がことこと笑う。
この眼が叱って笑ってくれた記憶と笑いかけた。

「そりゃ憶えてますよ、叱られましたから。すごく笑われたし?」
「あははっ、そんなことあったねえ、」

朗らかに笑い皺ほころぶ、あの時もそうだった。
あの頃のまま潮風あかるい実家の庭、父が呼んだ。

「賢吾ぉー、誰かいらしてるのかい?」
「はーい、坂本のおばさんです、」

返事とふりむいた先、窓からポロシャツ姿が乗りだす。
その衿もと聴診器に陽ざし映って、明るい優しい声が頭下げた。

「ごめんなさい先生、うるさくしてすみませんねえ、」
「今ちょうど、患者さんいないから大丈夫だよ、」

野太い声おおらかな窓、半袖の腕が頬杖をつく。
ひるがえるカーテンの笑顔に、紙袋ふたつ掲げて見せた。

「父さん、これ頂いたよ?キュウリ漬と桃、」

告げながら時間が遡る、去年の夏、その前からの夏。
訪れる季めぐる時間に、朗らかな優しい声が頭下げた。

「今朝、ウチの子たちがお世話になって。よろしかったら召し上がってくださいな、」

うちの子たち、

そんな言葉ひとつ「他人事」では済まさないひと。
そんなふう言ってくれたと知ったら、あの幼馴染はどんな貌するだろう?

『神経性の皮膚炎に肝硬変の兆候とでも書いてくれ、片頭痛と瞼の痙攣ありだ、』

明け方の電話、父が告げた幼馴染の現実。
まだ30歳、自分より5歳も若い、それなのに白皙ふかく青灰色よどむ疲労。
それだけ苦しい孤独に生きて、それすら救おうとする手が父と笑う。

「あの子たち、朝ごはんまで頂いてしまって。申し訳ありませんねえ、」
「息子さんがパンを買ってきてくれたんですよ?僕のほうがご馳走になりました、」
「まあまあ、それでもお邪魔してしまって。すみませんねえ、今日もお忙しいのでしょう?」

朗らかな優しい声が頭下げる、その髪きらきら木洩日が梳く。
海風きらめく瞳まっすぐで、いつも、ずっとこのひとはそうだ。

『ケンちゃんも、ごはん食べてって?甘えて頼っていいの、』

いつも笑って呼んで、笑顔が言葉が自分を温めた。
あの時どれだけ救いだったろう?

『頼って甘えること知らないとねえ、誰かをホントに頼らせてあげられないでしょう?お医者になるなら大事じゃないかなあ、』

母を喪った日、それから何度も、いくども。
重ねられる温もりと花たずさえて、勝手口から台所に戻った。

「…うまかったよなあメシ、いつも、」

微笑んで水桶に切花つける、受けとったばかりのタッパーひらく。
緑あざやかに唐辛子の紅色ぷかり、なつかしい味一本つまんだ。

「うまっ、」

ぽりり、塩味はじけて涼やかに香る。
ただ微笑む、ふるさとの夏味。


瑠璃虎の尾:ルリトラノオ、英名ベロニカ「Vetto-nica」が変じて「Veronica」聖女ベロニカに因む花言葉が多い。
花言葉「誠実な女性、明るい家庭、人の好さ、堅固、忠実、名誉、貞節、神聖、常に微笑みをもって」「female fidelity女性の忠誠」
聖ベロニカ:十字架を背負いゴルゴタの丘へ歩くキリストが額の汗を拭くために、身につけていたヴェールを差し出した聖女

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葉月十日、 留紅草―maternal affection

2020-08-11 22:59:00 | 創作短編:日花物語連作
祈る、ただ君の笑顔を 
8月10日誕生花 留紅草ルコウソウ(縷紅草)


葉月十日、 留紅草―maternal affection

初嵐、なんて難しい言葉はわからないけど。

「たーだーいまーっ、」

ほら?悪戯小僧が帰ってきた。
もう高くなる陽きらめく垣根、朱い花ごし呼びこんだ。

「おかーえーりー、どーこでナーニしてたのお?おとーさん怒ってたわよおー」

本当に怒っていたな?
夫の顔つい思い出しながら、洗ったシーツぱんと叩いて息子が笑った。

「あははーそりゃーオヤジ怒っちゃうだろなあ」
「あらまあーまあったく懲りてないわねーアンタ?」

呆れ半分もひとつパタン、シーツ叩いて笑いたくなる。
こんなに呑気な息子、それでも漁師の腕がいいのは不思議だ?

―やっぱり海に愛されているのかしら?ねえ、

こんなこと息子に言えば夫は「調子に乗る」と怒るだろう?
つい可笑しくて笑ったシーツ越し、低い綺麗な声が言った。

「あの、俺のせいなんです、ごめんなさい…おばさん?」

聞きなれない声、
けれど懐かしいようで、シーツの影から日向に出た。

「なーぜ謝るのー?あらぁ…」

声そっと息をのむ、予想外で。
けれど本当は解っていたかもしれない、納得ふわり笑った。

「まあまあ、おかえりなさい、すーっかりイイ男になっちゃったわねえ?ごはん食べていきなさいよ、ね?」

ほら昔のまま言葉あふれる、この子だから。
懐かしい顔に笑いかけて、かたわらの籠を手に息子を小突いた。

「ほらほら、アンタちょっと畑で野菜とっといで、今日は魚獲ってこないんだからねえ?」
「うわーソレ反論できねえー」

日焼けほころばせ息子が笑う、健やかだ。
でも瞳深く何か抱いている、その理由は隣の青年だろう?

「しっかり働いて食べるのがイチバンでしょお、シッカリ畑やっといで。おいしーものいっぱい、こさえてあげるわよお?」

息子の腕ぽかり叩いて、隣の青年の腕そっと敲く。
パーカー透ける肌どこか儚くて、哀しさ呑みこみ笑いかけた。

「アンタたち、朝ごはんはどーしたの?こーんな時間じゃスーパーもまだ開いてなかったでしょー?」

朝9時半、今、やっと開店時間だ?
それでも朝には高い陽射しの庭、日焼け健やかな息子が言った。

「せんせーんトコでパンとコーヒー食ったよ、診療所のせんせーんち、」
「あらまあ、まあ?オジャマしちゃったの?」

呆れて相槌うって、今、さわったばかりの感覚が心臓つかむ。
今ふれたパーカーの腕は?鼓動きしんで声が出た。

「シュッとしていいけどねえ、痩せすぎじゃあない?」

腕もう前に出る、てのひら青年の腕つかむ。
パーカー越し触れる肌どこか儚い、弱い、喉せりあげ声あふれた。

「ごはんちゃんと食べてないんでしょお?ウチで食べなさいな、毎日いらっしゃい、」

おせっかいだ?それでも声あふれてしまう、放りだせない。
だって今ここで自分が放りだしたら、この青年は、この子は、おふくろの味どこで食べられる?

「毎日なんて…申し訳ないです、そんな、」

ほら遠慮する、こういう子だ。
だから今こうして息子は連れてきた、その想い自分のまま微笑んだ。

「なーにが申し訳ないのお?いいーんだから食べなさいよお、毎日いらっしゃいな?」

いつだって来て良い、ずっと居ればいい。
想いあふれだすまま儚い腕つかんで、見あげて、ただ愛しく笑った。

「遠慮なんかしないの、私にとっちゃ子どもなんだもの?」

ただ「子ども」だ、この青年も。
もう30年になる我が子の幼馴染、その瞳が長い睫ゆっくり瞬いた。

「こども…俺がですか?」
「そうよお、そこの悪ガキと同じなの。おせっかいごめんねえ?」

見あげて笑いかける真中、長い睫あわく光が燈る。
昔のまま見つめてくれる少年に、鼓動やわらかな痛みと微笑んだ。

「こーんなにイケメンになってもね、いくつになっても、私には子どもなの、ごはん食べさせたくなっちゃうのよお?ウチの子と変わんないの、」

笑いかけながら自分でも呆れる、おせっかい過ぎるだろう?
それでも放りだせない願い見あげて、背の高い大きな子どもに微笑んだ。

「おばちゃん何回でも、何日でも、ごはんこさえたげるわ。食べて?」

ほら?昔のまま声あふれてしまう、放りだせない。
腹を痛めた子ではない、それでも愛しい哀しい瞳が微笑んだ。

「そんなの…甘えすぎですよ、そんなの俺、」
「甘えていいの、」

答えて笑って、見つめる視線が高い。
こんなに背が高くなった、けれど澄んだままの瞳に微笑んだ。

「甘えて頼っていいのよお、甘えること知らないとねえ、誰かをホントに甘えさせてあげられないでしょう?ほんとに優しい人になるなら必要よお?」

甘えられない、そんな家庭環境に彼は育った。
その事情どの家もこの町なら知っている、私も知っていた。
それでも差し伸べきれなかった手を今、この今どうしても掴まえたくて笑った。

「わたしはねえ、ウンと優しいひとが好きなのよ?だから甘えときなさいな、ごはん食べて?ウチにおいで?」

笑いかけて腕つかんで、こんなのお節介だと解っている。
それでも離せない放りだせない、ただ差し伸べたい願いに彼が微笑んだ。

「ありがとうございます、甘えさせてください、」

きれいな笑顔そっと、頭さげてくれる。
パーカーの背は高くなった、それでも変わらない寂しさに潮風ほろ甘い。

―ほんとに独りだったのね、ずっと…家すら消えて、

彼の家は消えた、この町から。
消える前から寂しい眼だった、今は大人びて、なおさら疲れた貌。
それでもどうか健やかに、ただ願い笑った。

「はい、ウンと甘えなさいよお?私も甘えるからねえ、野菜ちょっと採ってきてね?暑いからコレ首に巻いときなさい、」
「ありがとうございます、」

笑ってタオル手渡して、澄んだ瞳も笑ってくれる。
すこし明るんだ眼に陽が射して、息子が呼んだ。

「じゃーかあさん、俺ら草むしりもしてくんなー明日は海に出っからさあ、」
「はい、ありがとねーいってらっしゃいなー」

笑いかけ手を振って、畑へ送りだす。
いつもながら息子の横顔は日焼たくましい、ただ成長に微笑んだ。

「やるわねえ、ウチの悪ガキも?」

夜、眠る瞬間に聞こえたエンジン音。
あのときから本当は解っていた、二人こんなふう帰ってくること。

―あの子を迎えに行ったのねえ、やっぱり…

どこへ行くのだろう?とは思わなかった。
ただ予感が微笑んだ、ただ「そうなのだ」と思えてしまった。
それくらい哀しい孤独で、それでも今ここで、海の町で彼が笑う。

「あらまあまあ、いい顔してるわ?」

強い風が吹く、海から押し寄せ髪なぶる。
あの子たちの髪なぶられ梳かれ、黒に茶色にきらきら光る。
それだけ強い向い風、それだけ髪きらめいて艶めいて、けれど願ってしまう。

「もっと明日はいい風ねえ…きっと、」

どうぞ風、穏やかに吹きよせて?
あの子たちの背を押して、ただ笑顔の時へ運んで。
ただ幸せの海へ吹きよせ運んで、愛し子たちに吹く風は。
初嵐:秋のはじめの強い風、陰暦七月末~八月中旬ごろまでに吹く風


留紅草:ルコウソウ、別表記「縷紅草」花言葉「世話好き、おせっかい、元気、常に愛らしい、繊細な愛」

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葉月朔日、朝顔―Morning glory

2020-08-03 22:27:00 | 創作短編:日花物語連作
光の朝へ 
8月1日誕生花アサガオ


葉月朔日、朝顔―Morning glory

笑い声が聞こえる、何年ぶりだろう?
母が亡くなってから初めてだ、こんな実家の朝は。

「おっ、帰って来たな?」

野太い声おおらかに笑って、朝顔の窓光る。
今年も咲いたんだな?懐かしい夏の窓に笑いかけた。

「ただいま父さん、誰が来てんの?」
「いつものヤツと、なつかしいヤツだ、」

父が笑う窓、潮風ふわり頬ふれる。
海の町に帰ってきた、実感に幼馴染の声が笑った。

「おはよーケン兄ちゃん、まだ結婚しねーの?」

ほんと余計なお世話だな?
そんな感想も懐かしく笑って、勝手口から実家に入った。

「おはようさん、おまえこそ彼女もいねーだろが?」
「俺は海が恋人だよー」

低いくせ朗らかな声が返される、なんて誇らしげなんだろう?
自分の仕事に誇らかな漁師、自分だって誇りある仕事だ。
でも同じようには返せない、

―病院が恋人、は無いよなあ?

心裡ひとりごと、返す言葉もない。
あいかわらず口達者だな?感想と靴を脱ぐ背中、父の声が笑った。

「最近の医者は縁遠いらしいぞ、賢吾のヤツ不器用だしなあ?」
「大学病院は忙しいらしいねー」

のんびり低い明るい声が笑っている、こういう会話も「あいかわらず」だ?
あいかわらずな故郷の台所、コーヒーくゆる香かすかな薬品の匂いに言われた。

「東京の大学病院にいるんだね、ケン兄ちゃん?」

低いくせ澄んだ声、遠慮かすかに自分を呼ぶ。

「お、」

こぼれた声むこう、白皙の笑顔がはにかむ。
何年ぶりだろう?

「そー、東京にいるんだぞーおまえのマンションと遠くないんじゃね?」
「そうだったんだ…ちゃんと聴いておけば良かったな、」

コーヒー芳ばしい香、かすかな消毒薬の匂い、そして幼馴染ふたりの声。
こんな空気は十五年ぶりだ、ただ懐かしく笑いかけた。

「なんだよ、俺が東京にいるの知らなかったのかよ?」

きっと知らなかったろう、この幼馴染は?
それほど縁遠くなっていた、けれど今ここにいる瞳が微笑んだ。

「大学のことは聞いてたよ、でも病院のことまでは聞いてなくて…ごめんね?」

ほら?またすぐ謝ってしまう。
こんなところ変わらない昔馴染みに、なんだか嬉しくて笑った。

「なに謝ってんだよ?俺も連絡ぜんぜんしなくてゴメン、」
「ううん、俺こそだから、」

素直に微笑んで応えてくれる、その目もと隈が蒼い。
その蒼さに明け方の電話ひとつ映った。

『神経性の皮膚炎に肝硬変の兆候とでも書いてくれ、片頭痛と瞼の痙攣ありだ、』

夜勤明けの5:00、父が架けてきた電話。
あの意味を見つめて十五年ぶりの顔に言った。

「おまえ、このままウチで入院しろよ?いいな、」

なんて顔色しているのだろう?

「…入院?」
「着替えが必要なら俺の着てもいいよ、俺の部屋も使っていい。いいよな父さん?」

反論なんか許さない、今もし休ませなかったら?
推定と見つめる患者に父が言った。

「わかったろう?賢吾も同じ意見だ、東京の大学病院の医者に言われて養生するんなら、君の職場も納得するだろ?」

ぽん、

父の手が幼馴染の肩を敲く。
大きな武骨な手、そのくせ細い長い指ながめながら口ひらいた。

「納得されなくても休めよ?過労死どころか精神が殺されそーな顔しやがって、」

告げる真中で澄んだ瞳が困ったよう笑う、その目もとが蒼い。
端整な白皙ふかく蒼が沈む、じき黒ずんでしまうだろう?
こんなになるまで追いつめられた、その現実に続けた。

「これからは緑が濃い野菜しっかり食えよ、小松菜、ほうれん草、にらとか毎日な。あと酸味があるもん食べておけ、」

言いながら鞄ひらいて、取りだした診断書にペン奔らせる。
どうやっても1ヶ月は休ませたい、その延長も可能なよう加筆する。

「とにかく、今はここで休めよ?反論は許さねえ、」

患者に告げるペン先、哀しくなる。
なぜ幼馴染はこんな貌になったのか?廻らす想いに漁師の声が言った。

「ほらなーケン兄ちゃんも休めってさ?おまえ今ちょっと電話しろよ、」
「今、ここで?」
「ケン兄ちゃんにさー主治医ですーとかナントか言ってもらえばイイんじゃね?」

低いくせ明るい声のんびり響く。
潮風かすかなダイニングテーブル、ペンを置いて顔を上げた。

「すぐ電話しろよ、主治医として話してやる。父さん、カルテもう書いたんだろ?」
「診療所にある、」

父の手が鍵ひとつ渡してくれる。
受けとって、診断書たずさえ奥の扉ひらいた。

かちん、

開錠して一歩、ほろ苦く匂い刺す。
薬品くゆる空気に懐かしい、勤務先とまた違う。

―病院なら同じゃないんだよな…置いてる薬の違いとか?

白いタイル清々しい診療所、昔馴染みの空気どこか柔らかい。
朝陽ふれるデスクの上、ファイル一冊ひらいて息吐いた。

「…15年ぶりか、あいつ?」

カルテ綴られる年月日、その隔たり痛む。
こんなにも帰郷できなかった幼馴染、その涯に崩れそうな今がある。

『神経性の皮膚炎に肝硬変の兆候とでも書いてくれ、片頭痛と瞼の痙攣ありだ、』

明け方の電話、父が告げた現実は隣室に座る。
まだ30歳、それなのに白皙ひそむ青灰色は疲れ切った日常だ。
たぶん酒量も多いだろう?予想とめくるページ、今朝の日付に声が出た。

「呑みすぎだろ…」

カルテ記される酒量を二度見する。
男性なら1日の純アルコール摂取量が40g以上、それが生活習慣病リスクのライン。
けれど記される酒量は3倍を超えている、そこまで呑んでしまった現実にタメ息こぼれた。

―あいつ家が消えたんだもんな…東京で独り、泣いてたのか、

泣き虫だった。
自分より年少の二人、ひとりは闊達でもう一人は内気。
内気のまま大人になって東京に独り、不似合いな日常を生きていた。
そうして酒に呑まれかけた命ひとつ、鼓動しずかに響いて微笑んだ。

「それでも生きてきたんだ、あいつ…」

微笑んで吐息こぼれて喉仏が疼く、後悔じくり刺す。
こんな痛みもうたくさんだ、ペン奔らせたカルテをファイルに戻した。

「ふあぁ…」

あくび一つ腕を伸ばして、背骨ぐっと伸ばされる。
夜勤明けに睡眠は満ちていない、母が今いたらなんて言うのだろう?

「…俺より今は、あいつのことかな?」

ひとりごと欠伸また一つ、窓ガラスに自分が映る。
朝陽きらめく花の窓、見つめ返す瞳は母と似ていた。


朝顔:アサガオ、花言葉「愛情、結束、朝の美人」白「あふれる喜び、固い絆」青「儚い恋、短い愛」紫「冷静」

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文月三十日、松虫草―mislay

2020-07-31 10:22:00 | 創作短編:日花物語連作
忘却、その先へ 
7月30日誕生花マツムシソウ


文月三十日、松虫草―mislay

ほろ苦い香が刺す、いつもの薬品棚の匂い。

「ふあぁ…」

あくび一つ腕を伸ばし、背骨ぐくっと伸ばされる。
肩かすかな鈍い痛みに齢つい数えた。

「30、68…38年、か?」

指折る窓のガラスはくすむ、38年前からそうだ。
それでも磨かれたタイルに朝陽が白い、まだ穏やかな診察室に腰下した。

「さて、午後の往診は…木村のばあさんからだな」

ひとりごとカルテファイル広げた手、白衣の袖口ほつれている。
すこし縫ったほうがいいだろうか、それとも買うべきか?
相談したくて、けれど今もう彼女はいない。

「僕が決めないと、だなあ…」

ひとりごと唇ほろ苦くなる、応えてもらえなくて。
ほんの少し前まで「決めないと」は君の役目だった、この朝も。

『あなた、また朝ごはん前からお仕事?わーかーほりっくねえ、』

ほら?耳深くまだ君が笑う。
瞳の底でも君が笑って、今ふりむいたらエプロン姿が微笑むだろう。
それでも君を看取ったのは僕で、主治医も僕だ。

「…朝メシなあ、」

ため息ひとりごと、応えてくれない君が苦しい。
こんな孤独まだ慣れなくて、このまま慣れそうにもない?
それでも肚の底ちいさく鳴いて、がたり、診察室のデスクを立った。

「パンがあったかなあ…コーヒー、」

ひとりごと棚を開けて、パン籠ひっぱりだす。
竹細やかに編まれた籠、これも君の気に入りだ。
このコーヒーカップも。

「まいったなあ…」

本音こぼれて唇ほろ苦い、孤独が疼いてしまう。
こんなに君は君ばかり遺して、こんなに君で包んで、それでも触れられない。
こんな孤独もっと先だったら良かったと、こんな願い、医者のクセに未練だろうか?

「だが君も、医者の妻のクセに不養生すぎるぞ?」

ひとりごと話しかけてしまう、愚痴のような後悔ほろ苦い。
こんな朝もう何度くりかえしたろう?数えたくない月日の涯、窓ガラスこつり鳴った。

「せーんせっ、おーはーよぉーお!」

ガラス透って響く声、低いくせ朗らかに緩ませる。
あいかわらず長閑な声に、つい笑って振向いた。

「おはようさん、またコッチから来やがったな?」

あいかわらず悪戯小僧だ?
可笑しさと窓ガラス開いて、潮風ふわり香る。
ほろ甘い風の真中、ライダースジャケット腰に巻いた青年が笑った。

「朝っぱらからごめんなー先生、ちょっとさーこいつ診てくれねえかな?」
「ん、どした?」

言葉に窓から乗りだして、もう一人が視界に映る。
長身さわやかなパーカー姿、その涼やかな眼に瞬いた。

「おお…ひさしぶりだなあ、」

何年ぶりだろう?
驚きの先で白皙の青年が微笑む、すっかり大人になった。

「ごぶさたしています、急にすみません、」

透るまま低くなった声が頭さげる、一見は爽やかで、けれど寂しい。
これを「診てくれねえかな?」なのだろう、出生から知る二人に勝手口の扉ひらいた。

「まず入んな、朝飯はどうしたんだ?」
「あーこれからっすねー」

のどやかに低い声が笑って、のそり勝手口にブーツを脱ぐ。
いつものミリタリーパンツ姿の笑顔は、紙袋ひとつ差し出してくれた。

「せんせー、これトーキョー土産のパンです、どぞ、」
「東京?」

訊き返しながら受けとった袋、麦の香ふわり芳ばしい。
きちんとした店で買ったのだろう?そんな一袋に推論ニヤリ笑った。

「ふん?土産というより口止め料なんだろう、何があった?」

この悪戯小僧が「東京」で買ってきた、その隣でパーカー姿の微笑かすかに燻む。
もう30年ずっと見てきた命ふたつ、日焼あざやかな笑顔が口ひらいた。

「せんせー、こいつが休める理由つけてくんねえかなあ?頼むよ、」

なんだサボりの片棒か?
なんて普段なら言ってドツく、でも今、白皙の微笑は脆く切ない。
子どものころも繊細だった、けれど今もう崩れそうで、だからこそ敢えて嘲笑った。

「なんだサボりの片棒か、ワケ話さんとカルテは書けんぞ?」

巻きこまれるなら、理解して巻きこまれるほうがいい。
それくらいの義務と責任とプライドはある、そんな想いに白皙の唇がひらいた。

「先生、俺…このまま東京にいたら限界でした、」

端整な唇つむぐ声、知るころより低くなった。
けれど透明なままの声は、まっすぐ自分を見つめた。

「でも辞めさせてもらえなくて、親も金のために辞めるなと言いました、だから親と絶縁しました、」

絶縁、この子が?

「君から親御さんと絶縁したのか?」
「はい、」

つい訊き返した真中、涼やかな瞳が肯く。
意志きらめく視線、けれど寂しい哀しい、底深くが昏い。
いつからこんな眼になったのだろう?軋みだす痛みに問いかけた。

「正直に言うがな?僕は君のこと、親の言いなりイイ子ちゃんだと思ってる。良くも悪くも優しい君だ、それが絶縁とは意外すぎるんだが?」

絶縁、なんて激しい言葉だろう?
激しさなんて似合わぬ記憶しかない、そんな瞳まっすぐ自分を見つめて言った。

「この町から家まで失くした親です、俺の帰る場所をとりあげた人は家族と思えませんから、」

ああそうか、君は帰りたかったんだ?

―それじゃあ許せねえだろうな、あの親じゃあさ?

この青年の親が何をしたのか?
この町では公然の事実で、だからこそ誰も何も言わない。
それだけ知られてしまった分ごと彼は利用すればいい、その権利と青年に向きあった。

「皮膚に痒いとこはないかい?」

問いかけた真中、切長い眼すこし瞠かれる。
驚いて、けれど澄んだままの瞳に瑕を見つめて尋ねた。

「内臓の病気や強いストレスが皮膚病の原因なこともあるんだ、未病ってやつも怖いぞ?ちょっとでも変なトコないかい?酒の量はどうだ、」

仮病に診断書は出せない、けれど未病なら虚偽でなはい。
なにより気がかりなのは目の前の顔、白皙の深く蒼が沈んでいる。

―肝臓がやられてんだろうが精神的に疲れ切ってるな、ひでえ顔色だ…家族のコトだけじゃねえな、

白い肌、その深く沈んだ青灰色が痛ましい。
目もと燻る隈も一日二日の寝不足じゃないだろう、そんな患者が口ひらいた。

「最近、この3年くらい増えています。」

かなり飲み続けている、そんな日常が肌深く青黒く沈む。
こんな貌は見たくなかった、切なさ蝕みだす鼓動と笑ってやった。

「ふん、大人になりやがったなあ?どーせワイン2本くらい空けちまうんだろ、ビールなら500を6本、それとも日本酒で1升か?」
「はい、…仰る通りです、すみません、」

素直に肯いて肩すくめて、その頬が白いまま青黒い。
こんなになるまで飲み続けてしまった、そんな日々が疼いて笑ってやった。

「謝るなら呑むなよ?まぁったく、とりあげた赤ん坊がこんな貌でくるのは堪らんなあ?ひでえ顔色しやがって、」

ほら本音こぼれて笑う、こんなことのために君は生まれたのか?
カルテにペン走らせながら、疼く痛みにあえて嘲笑った。

「男なら1日の純アルコール摂取量が40g以上でアウトだ、500のビール2本からヤバいんだよ?生活習慣病がヤバくなる、君はヤバいぞ?」

脅かして、その表情を見る。
どう変化するだろう?見つめる真中で困ったような微笑くすんだ。

「ヤバいんですね、俺?」

困ったような綺麗な微笑、その眉間よらせた皺くすんで青黒い。
もう体も心も限界なのだろう、それだけ飲みたい心の理由はたぶん一つじゃない。

「ヤバいな、コンナになるまで呑みやがってまったく。君はいくつ背負いこんでるんだ?」
「すみません、」

素直に謝ってしまう低い透明な声、こんなところ変わらない。
見つめてくれる瞳も澄んできれいで、だからこそ唇にやり笑ってやった。

「失恋でもしやがったか?君くらいのイケメンだと思ってたのと違うとか言われやすいだろ、仕事でもドコでもさ、」

30年前もきれいな赤ん坊、けれど性格は地味な子だった。
そのままに美青年だからこそ推測した真中で、澄んだ瞳そっと険くすぶった。

「失恋もあります、でも、それだけで呑んだんじゃありません、」
「ふん、そうかい、」

肯いて笑ってやる、何でも受けとめていけたらいい。
わずかに見られた感情を見つめて、青年を向きあった。

「君、足がつること多いんじゃないかい?頭痛が増えたり、瞼がビクビクしたりさ、どうだ?」

問いかけながら視診する。
白皙に沈みこむ青灰色、眉間わずかな皺の険、白い手の爪刻まれる縦線。
どれも血液の浄化機能が滞っている兆候、きっと春先は体調も崩していただろう。
病ただ見つめるまま、患者が言った。

「はい、頭が重かったり、瞼が変に震えることもあります。目が疲れやすくなったような、」
「なるほどな、口は苦くねえか?どっか皮膚が痒いとこあるかな?」

肯定に問いかけながら、カルテの抽斗ひらく。
15年前の一冊とりだし、眺めた既往歴に言われた。

「飲むとちょっと痒くなるときがあります、」
「おっ、いいねえ。どこらへんだ?」

つい笑ってカルテの過去、また「いい理由」ひとつ診る。
もう遠慮なく休ませてやれるだろう?つい微笑んだ肩ぽかり叩かれた。

「せーんせ、いいねえってさー縁起でもねーぞ?マジの病気とか嫌だぞー俺の船に乗せてやるんだからさー」

響く声しかめっ面、肩ぽんぽん叩いてくる。
この懐っこさが救うのだろう?三十路の悪戯小僧に唇にやり笑った。

「ふん、おまえはホントおバカちゃんでいいねえ?」

本当に善い、良い男だ。
こういう命を援けて世に送りだせた、誇らしさに漁師の青年は言った。

「俺はバカでいいからよーこいつ休ませてやってよ?もー好きにしてやりてえんだ、なーなーどうなんだよ?」

ほら「バカでいい」なんて普通は言えない、こんなに真直ぐだ。
こういう良い男だから今もここに連れてこられた、そのツレに笑いかけた。

「僕を身元引受にしていいぞ?気楽な男やもめの一人暮らしだ、遠慮なんかするなよ?たまーに息子も帰ってくるしな、」

言いながら思いついて、スマートフォンの画面を開く。
今ごろ当直明けだろう、自分の母校にいる息子のナンバー架けた。

「おはよ、なに?」

眠たげ、でも直ぐ出てくれる。
こんなところ優しい息子に笑って「片棒」を投げかけた。

「おはようさん。夜勤明けに悪いが、診断書すぐ書いてくれんか?」

田舎の医師よりも、東京の大学勤務医のほうが強いだろう?
思惑と信頼つなげた電話ごし、片棒が応えた。

「いいよ、病状は?」

応えてくれる声は低い、けれど穏やかで懐かしくなる。
男の声だ、そのくせ響く深み面影を見つめて微笑んだ。

「神経性の皮膚炎に肝硬変の兆候とでも書いてくれ、片頭痛と瞼の痙攣ありだ、」

応えながら心が息子の姿を描く、たぶん白衣じゃなくて手術着だろう。
今きっと大きな眼ゆっくり瞬かせて、妻そっくりの瞳は天井を見る。

「ストレス強いんだ?ゆっくり休むよう勧めて。今日はそっちに帰るよ、明日あさって休みなんだ、」

穏やかな声が告げてくれる、その予定に鼓動ふわり弾む。
あの瞳に会える、愛おしい追憶と一人息子に微笑んだ。

「おう、仮眠とってから来いよ?」
「ありがとう、電車で寝てく、」

穏やかな声やわらかに笑ってくれる。
この声に信じられる生きていく、僕は君を失ってなどいない。

※校正中

松虫草:マツムシソウ、花言葉「風情、私はすべてを失った、不幸な愛」
学名:スカビオサの語源はラテン語「scabiea疥癬」皮膚病の薬草として用いられたことに由来

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文月二十二日、撫子―innocent victim

2020-07-24 00:14:00 | 創作短編:日花物語連作
生まれくる日へ、
7月22日誕生花ナデシコ


文月二十二日、撫子―innocent victim

真夜中を超えて月わたる、そうして陽はまた昇る。

「風、ちょっと強くなった?」

海から風がくる、頬なぶって額を照らしだす。
大気おしよせる光ふれる、黒から色彩がうまれだす、風が甘い。

「おう、気持ちいいーだろ?」
「うんっ、すごいくいい、」

弾んだ声きらめく涯、甘く辛く潮せりあげ息をする。
澄んで満たされる胸ふかく潮なじんで、幼馴染が笑った。

「空、朱くなってきたね?」

おしよせる闇きらめく、墨色から紺青ふかくなる。
群青、藍色、紫ひろやかに朱色きらめく、そして風が太陽を生む。

「…、」

声はない、でも横顔きらめく。
隣ならんだ頬きらめく朱色、朝が君を染めあげる。
その真直ぐな瞳に陽が燈る、もう終わる夜に笑いかけた。

「お人好しだからなー、おまえはさ?」

ほんとうに、なんて不器用なんだろう?
そんな瞳ふりむいて、困ったよう笑った。

「うん…そうかな?」
「おう、ガキの頃からイイ子ちゃんすぎ、」

声つむぎだす喉じわり疼く、だって悔しい。
どうしてこの幼馴染は、こんな眼で笑うようになってしまった?

「お人好しも過ぎるとさーなんつーかなあ、罪なんじゃねえか?」

想い声にする真中、ほら?君の眼もう光ゆれる。

「罪、ってすごい言い回しだね?」

ほら?返してくれる声おだやかに笑ってくれる。
泣きたいくせに笑ってしまう、あいかわらずな瞳に痛くなる。
こんな痛みはもう終わらせたい、願いごと呼びかけた。

「おまえがイイ子ちゃんすれば、相手も喜ぶだろうけどさーでもそれってさ、ホントに相手のためになることなのか?」

喜ばせたい、だから「いい子」に囚われた。
そんな幼馴染が悔しい、哀しい、怒りたい、だって自由はどこだ?

「でも、相手も喜んでくれるし…」

ほら澄んだ瞳すこし伏せてしまう、こんな「見ないふり」覚えたのはなぜだ?
こうなってしまう前の君を知っている、ただ取り戻したい願い笑った。

「だろなー、こーしてほしーって通りになったらな、そりゃソン時は喜ぶだろーなあ、」

いいなりになってくれる、それは良い気分だろう?
けれど、そんな人間ばかりじゃないと知ってほしい。
祈るような想い口ひらいた。

「でもさー俺はそーゆーの嫌だよ?」

そんなのは嫌だ。
だから攫ってきた相手は困ったよう微笑んだ。

「なんで?」
「おまえが我慢するだろーが、」

即答と見つめる真中、朱色きらめく額に髪なぶる。
潮風ゆらされ踊らす髪、きれいで、けれど今は哀しくて笑った。

「相手のいーよーにするって褒められやすいだろ、だからオマエも楽ちんなんだろ?褒められて褒められて、イイ気になってさー裸の王様よりヒデーんじゃね?」

笑ってくれ自分の声、今、泣いている時じゃない。
だって明るく響かせなかったら、君の眼どこへ行くのだろう?

「…そのとおり、だけど…」

ほら、声そのまま濁らせてしまう。
伏せたままの瞳は「見ないふり」そういうところだ、こいつは?
こんなこと終わらせてやる、祈りひとつ笑った。

「そーゆーとこだぞ、おまえ?俺を信じろよー」
「…え?」

ほら長い睫があがる、こちらを見た。
途惑うまま澄んだ瞳に、呼吸ひとつ、肚底から笑った。

「言いたいことあるんだろーちゃんと言えよ?言ったら俺がナンカなるってバカにしてんのかよ?」

言いたいこと言ってほしい、ずっと。
言わなくても解るとか、察するとか、そんな詭弁もうたくさんだ。

「え…そんなんじゃないよ、」

ほら途惑う声が自分を見る、でも「見ないふり」は消えていく。
このまま見つめて言ってほしい、ただ願い笑いかけた。

「おまえが何言ってもなー俺はどーもならんって。俺、そこまでお人好しじゃねーもん?」

だから安心してほしい、たぶん君を支えられるから。
それだけ重ねた時間の丈に、明るむ海を指さした。

「だってよー海ってデカいだろ?おまえの住んでるセカイと比べてどーよ、」
「…それは海のが、ずっと大きいよね?」

素直に応えてくれる、相変わらず素直だ。
こんなふう「スレていない」だから傷だらけになった瞳に微笑んだ。

「こーんなデカい海に俺は毎日ずっといるワケ、だからさー?おまえは人の言葉に敏感だろーけどさ、俺がイチイチ気にするワケねーじゃん?」

狭い世界に生きている、だから幼馴染は傷だらけになった。
こんなことなぜ、どうして、なんのために田舎町から大都会に行ったんだ?

「海でっかいだろ?船で出ちまうとさ、エンジンと風と波しか聞こえねーだろ?おまえもココで育ったんだから知ってんだろが、」

思い出してほしい、ここで育った時間のこと。
それが多分きっと自由の鍵になる。

「うん…おまえん家の船、乗せてもらったとき聞こえなかった、」

きれいな低い声が応えてくれる、思い出してくれる?
このまま時間ごと攫いたくて、自分の日常から笑った。

「だろ?すげーデカい声じゃねーと聞こえんかったろ?あーんなカンジだからさ、ホント大事なコトしか聴いてるヒマねーんだ。雑音は気にしてらんねー」

大事なことしか聴かない、だから信じてほしい。

「だから俺は本音しか言わねーワケ。俺はさ、おまえがナニ言ってもナニやっても、友だち辞めますーとかはならねーよ?」

拒絶、それが君の恐怖だ。
それを知っている。

『こんないい子、あなたを嫌いな人なんていないでしょう?これで不満ならどこ行っても無理よ?』

なんだそれ?「どこ行っても無理」って、それドコの世界を言ってんだよ?
しかも自分の親が言ったとしたら、何を想う?
だって幼い子どもには「親=世界」だ。

『ほんとにこの子は、いい子なんです、』

悪意なんてない、ただの褒め言葉、でも自慢したいだけのエゴだ。
そんな親=世界に閉じこめられた友だち、そして、その隣で自分も一緒に生きた。
だからこそ言える想い笑った。

「ってかなー幼馴染でここまで続いてんのイマサラ辞められっか?」

拒絶なんてしない、おまえのこと。

「どーせクサレエンだろー?ナンでも吐きだしゃいーじゃん、そーゆー話はムリだとか俺が言うと思ってんの?」

無理なんて思わない自分だ。
だからどうか、もう諦めて「無理」なんかにするなよ?

『これで不満ならどこ行っても無理よ、他になにができるの?』

あんな言葉、自分の親から言われたら何を想う?
あのときの君の眼を忘れてなんかいない。

「悪いモンも良いモンも吐きだしゃいーじゃん、おまえはイイ子じゃなくってもいーんだ、無理とか思うなよ?」

あんな言葉を言われた、あのときの君の眼を忘れてなんかいない。
あのとき自分も知ったからだ。

「イイ子してなきゃ嫌われるとかホントはねえよ?おまえはイイ子じゃなくっていい、そもそもオマエの名前は“いい子”じゃねーだろが?」

いい子、だから嫌いにならない?

『あなたを嫌いな人なんていないでしょう?こんなにいい子、』

いい子だから嫌いにならない?
なんだよそれ?

「うん…違うよ、でも、」

応える君の声が哀しい、あのときの君の眼そのままだ。
あのときのまま隣の唇かすかに震えて、声こぼれた。

「でも…いい人じゃないと、そばに誰もいなくなるだろ?」

ほら?君は囚われている、あのときのままだ。

『あなたを嫌いな人なんていないでしょう?こんなにいい子、みんなに好かれて居られるなんて贅沢よ、』

あのとき君の眼は知ってしまった、それでも囚われている。

「誰もいないと寂しいよ俺は…いい人じゃないと、好かれないと、誰もいなくなっちゃうから、」

囚われたまま君が言う、でも自分は知っている。
だから告げられるのは自分だけ、ただ肚深く強く声を押しだした。

「そばにいるからって、おまえを大事にしてるワケじゃないだろ?」

傍にいる=愛している・ワケじゃない。

「…っ、」

ほら君が呑みこむ、知っているから。
傍にいる=愛じゃない、そんなこと君もとっくに知っている。
だから今もう告げるしかない。

「おまえはこの町を出たのはさ、おまえを利用したいヤツらにイイ子したせいじゃん?おまえが大事にされたワケじゃねえだろ、」

なぜ幼馴染がふるさとを出たのか?
その理由ぎしり心臓つかむまま、見つめる瞳に笑った。

「おまえは俺といつも一緒にいないよなあ、ソレってさ?おまえが俺のコトぜーんぜん大事じゃねーからソバにいないってわけか、」
「そんなわけないじゃん!」

即答すぐ見返してくれる、その瞳すこし見ひらかれる。
驚いて怒ってるな?そんな眼に笑いかけた。

「俺はオマエとイツモくっついてねーけど、ガキの頃のまんまナンも変わらねえよ?」

子どもの毎日、二人いつも遊んだ。
それでも離れてしまった幼馴染に、想い声にした。

「俺は俺の好きにしてーじゃん、だからオマエも好きに喋って食って寝てさー黙ってたいならそーしてくれてんのが楽。だからオマエとつるむんだろな、」

君のままでいいよ?
そうずっと想っている、昔からずっと。

「だから俺は、おまえがイイ子してんの見るとナーンカなーってなるし?イイ子してねえオマエのが楽でいいや、」

君のままでいてほしい、ずっと。
ずっと想っている、ずっとずっと伝えてきた・つもりだった。
でも伝わりきれないまま君は傷ついて、その空白へ唇にやり上げた。

「ソレともオマエさー?こいつバカだし不細工だし相手できねーとか俺のコト思ってんの?」
「思うわけないじゃん!」

叫んだ断言、海風に響く。
響いて鼓動ふっと和んで、そんな視界の真んなか澄んだ瞳が見返した。

「そっちこそ俺のこと…バカだ思ってんだろ?」
「うん、」

即答すぐ笑ってやる。
やっと気づいてくれた?

「え?」

紺青色ひろがる波、きらめく波濤うねらせ白くなる。
白きらめいて朱色さす、鉛色もう消えていく、今ひろがる海原に口を開いた。

「ほんとーバカだよ!おまえ!」

光ひろがる海、世界あざやかに照らしだす。
くすんだ隣の闇うすらいで、白皙の肌ふわり浮かびあがる。
あいかわらず綺麗で、けれど人形みたいな空虚に言葉を投げた。

「おまえさー、セーケーとかしたいワケ?」
「せいけい?」

きれいな涼しい眼ぱかんと大きくなる、意表つかれた貌だ?
ぽかん、そんな貌また懐かしくて笑った。

「ほら、女優とかさー顔イジルって言うじゃん?あれ、おまえもやりたいワケ?」
「したくないよ、恐いじゃん、」

即答して端整な眉ひそめる、この癖ずっと変わっていない。
こいつも子どものままだ、その時間ごと声を向けた。

「顔イジルのコワイんならさ、心イジルのは恐くないのかよ?」

大人の言いなりだった、君は。
そのまま大人になった君はどこへ行く?

「相手がこーしてほしーって通りにしてたらさー、オマエのこーしたい人生はどこ行っちゃうんだ?」

いつも相手のこと考えている、そういうのは「優しい」正しいこと。
けれど相手のままになってしまった自分は、もう「自分」だなんて言えない操り人形だ。

「おまえの周りはさ、こーしろ・あーしろって命令とか文句言うヤツでいっぱいなんだろなあ?でもソイツらの誰がオマエの人生に責任もつ気で言ってんだよ?」

責任とる気持ちなんてない、だって「操り人形」だ。
そんな世界に押しこめられた瞳が自分を見つめて、そっと唇ひらいた。

「…仕事には責任もって言ってくれてる、けど…人生まではわからないよ、」
「そりゃそーだ、アタリマエだろな、」

相槌うなずいた額を風かすめる、辛い甘い潮が薫る。
この風を駆って連れだしたい相手に、ずっと抱えた想いぶつけた。

「そーゆーさあ、オマエの人生に責任もつ気も無いヤツの言葉が、おまえの人生を幸せにしてくれるって本気で信じてイイナリになってんのかよ?」

そんなやつらに何故、おまえを盗られなくちゃいけない?

ずっとずっと想っていた、なぜこの幼馴染を攫われたのだろう?
どうして引き離されて、なぜ君は傷ついて、ただ幼かった非力の後悔ずっと積もる。

「どーなんだよ?おまえさー本気で信じてイイナリなまんまイイ子やってんの?そーゆーのがオマエの信じる人生なワケ?」

詰め寄るって、こういうのだろうな?
こんな台詞だなんて自分で可笑しい、けれど、こんなに言いたいこと積もってしまった。
これくらい言わせてもらってもバチ当たらないかな?我ながら感想つい笑った前、澄んだ瞳がすこし笑った。

「そうだね…信じてない俺、だから正直ここんとこ落ちこんでた、」

ほら、やっぱりそうだ?
肚底じわり呼吸せりあげて、息ひとつ声が出た。

「やっぱ落ちこんでたんだなーおまえ、」
「うん…やっぱって、なんで?」

訊き返してくれる声すこし揺れる、でも再会の瞬間より明るい。
たった5時間前、あの瞬間に崩れこんだ瞳を見つめて、ただ笑った。

「おまえさーここんとこ電話してこなかったろーが?ラインもなーんか変だったし、インスタとかナンカなー」
「そうなんだ…他の人には言われてないけど、」

不思議そうに首かしげてしまう、その眼は澄んだまま変わらない。
こんな子どもの眼のまま大人になった君、その心に笑いかけた。

「そんなさあ?おまえが信じられない人生なんてさー屁の足しにもならんのじゃねーの?」

ここでイッパツ巧く出ろよ?
願って力こめた腹筋の奥、立派にイッパツ轟いた。

「ふっ…あははっ」

隣ふわり、声ゆらして空気ゆれてゆく。
明るみだす声やわらかくなる、和らいだ瞳に笑いかけた。

「ほらなー俺なんかこんな立派なイッパツ出るんだぞ?人生どんだけ充実毎日ヤってるかわかるだろー健康第一だー」
「ちょ、野菜ジュースみたいに言わないでっははははっ、」

大笑い、破顔、そんな表情に白皙はじけて瞳ほころぶ。
いつも画面ごし見る他人じゃない、やっと戻ってきた親友に笑った。

「やーっとオマエの顔で笑えたじゃん、いい顔してんぞー」

ポケットからスマホ出して、かしゃり、破顔ひとつ記念する。
この顔でずっといてくれたらいい、願いごと写真を見せた。

「ほら見ろー?オマエこんな顔なんだぞー知ってってか?」
「うわっ、すごいくしゃくしゃ顔だ俺、あははっ、」
「なーなー、コレもジムショ通してくださいとか言う?オマエ言っちゃう?」

ほら、言葉ひとつ幼馴染の瞳こわばる。
こんな眼するほど追いつめられていた、想い見つめて指のばした。

「よーし、今度はコレどーよ?」

指ふたつ、笑いかけて目の前の頬ふれる。
その肌しんと冷えて、冷たさに心臓きしむまま摘まんだ頬ひっぱった。

「ひった、っふははっ」

頬ひっぱられたまま幼馴染が笑う、変な顔だ。
けれど瞳はきれいなまま明るんで、その真ん中に自分が映る。

「どーよ?イイー顔だろ?」

変顔ひとつ、スマートフォンの画面に笑っている。
頬ひっぱられ唇おおきく歪ませて、そのくせ幸せな写真に隣も笑った。

「うんっ、俺のベストショットじゃない?」
「だろー?送ってやんよ、」

応えながら写メール添付して、ボタン一つ、ほら隣が鳴る。
白い手すぐ画面ひらいて、もう辿りついた写真に端正な眼が明るんだ。

「俺こんな貌もできるんだね…ありがと、」
「こんな貌がオマエだよ、」

想い声にして、願いごと心臓めぐってゆく。
だって君?こんな顔のまま生きられたら、たぶん幸せになる。

「なーなー、オマエその写真すげー好きだろ?」
「うんっ、すごく好きだ、」

ほら素直に頷く、そういうところだ?
こんな無防備で都会の真中、他人事だらけの世界どうやって生きていられたのだろう?

「ほーんと、オマエってバカ、」
「なんだよ、おまえこそ成績すげー悪かったろ?なんど零点とったか覚えてんの?」

あ、言い返してくれた。
ホッと心臓ゆるまれて、唇ふっと上がった。

「ソーレはなー、おまえが知る中学までだ、」
「え?なにそれ、」
「おまえがトーキョー行っちまってからなあ、俺は高校時代そりゃー上ゲだったなー」

これは本当のこと、だって一番の遊び相手が消えたから。
なにより「最終学歴」だから精一杯したかった、そんな過去に一番の相手が溜息ついた。

「へえ…そんなの初耳なんだけど?」
「そりゃーそーさ?俺も喋ってねーもん、」
「隠し事みたいで寂しい…なんかショック、俺、」

哀しそうな声ため息こぼす、伏せた睫から翳がふる。
こういう貌するから囚われるのだろう?あらためての呆れに言ってやった。

「おまえも俺にカクシゴトいっぱいだったんじゃねーの?」

だから君、5時間前あんな貌をしていた。
それでも間に合った安堵の真中、きれいな眼は困ったよう微笑んだ。

「…うん、そうだね、」

素直に認めて肯いて、澄んだ瞳すこし逸らしたがる。
こんなふう嘘が吐けないくせに?親しい呆れに笑った。

「どーだ?俺が寂しかったって、ちっとはわかったろー」
「うん…ごめん、」

また素直に肯いて長身の頭さげてくれる。
ゆれる髪きらきら朝陽が梳いて、あらわれた天使の輪に笑いかけた。

「ごめん言うならさー?ケットウを受けてもらおーかい、」
「けっとう?」

どういう意味?そんなトーン見つめてくれる。
こういう無邪気な仕草そのままで、あいかわらずな幼馴染の腕つかんで笑った。

「暴露大会の決闘するかーってコト、今日から三日みっちりなー?」

こんな誘い、乗ってくれるでろうか?
もし乗ってくれるなら多分、きっと写真の貌のまま生きられる。
そういう時間が必要なこともあると、どうか気づいて、そして笑ってほしい。

「三日…」

切長い瞳かすかに伏せられる、ほら?考え込む。
長い睫かたどる陰翳はきれいだ、こういう貌を褒められてきたのだろう。
そして、こういうところが弱点だ。
だから壊してやればいい。

「なーんだーたった三日も俺にはくれてやれんてー?」

爆弾ひとつ投げる、こんな言い方は狡いだろう。
それでも今は遣いたい、願い唇にやり笑った。

「一年ぶりだろーが俺ら?一年を三日に換算してやろーってんだぞー120倍速オオバンブルマイに文句あんのかー?」

この一年、どうして会わなかったのだろう?
取り戻したい時間の想いに、ため息ひとつ幼馴染が笑った。

「でもラインとか電話ではよく話してたよね、それでも一年三日?」
「それくらい価値ある思わん?こーやって会って話すのはさー」

ぽん、肩に腕をまわして背を敲く。
こんなふう幼い日も並んで座った、その記憶ごと微笑んだ。

「おまえ、あいかわらず体温低いなー寒くねえか?」
「うん…おまえは温かいね、あいかわらず、」

笑ってくれる頬に朝陽きらめく、白皙ほのぼの朱が染める。
この頬と頬くっつき合わせた時間があった、ただ懐かしい想い笑った。

「俺はさ、暑いからオマエで涼んでるわけだろーおまえは俺で暖とってさーソレでイイんじゃね?」
「いいけど、この年齢でやるのもどうかなあ?もうオッサンだよ、」

すこし呆れたトーンで君が笑う、その声の底が明るい。
このまま懐かしい時間へ弾けられたらいい、願いごと今を笑った。

「さっき船に乗せてやるって言ったけどさ、俺の船に乗せてやるからなー自分の船を持ったんだ俺、」
「えっ、すごい!」

即答すぐ称賛すなおに見つめてくれる。
変わらない澄んだ眼ざしに、素直な自慢ごと笑った。

「すごいだろー?」
「うんっすごいすごい!いつ?」

尋ねてくれる瞳きらきら光る、こんな無邪気でどうして生きてこれたのだろう?
不思議と不安のはざま、それでも今この先へただ笑った。

「やーっと一年ってとこ、」
「すごい…それも言ってくれなかったよね、」
「ホントに俺の船って言えるまでさー言えんだろー」

だから一年、会いに行けなかった。
ただ働いて金稼いで、そんな日々に会えなかった自分は自己中心だったかもしれない?
そんな後悔ただ殴られた5時間前の貌きっと忘れられない、それでも今、幼馴染の眼は明るく笑った。

「あ、ローン払い終わったとか?」
「あたりー」

笑って応えて、目の前の瞳すこし伏せられる。
また考え込んでしまう、あいかわらず難儀な友だちの腕つかんだ。

「じゃーとりあえず俺んち帰るかー」
「え?」

どうして?そんな眼ざしが途惑う、揺れてゆく。
だからこそ離せない腕つかんで、唇にやり笑いかけた。

「ナニ?なんかあんのかー」
「とりあえずって…このまま町に帰るってこと?」

このまま町に帰る?そう問いかける瞳が途惑っている。
途惑って、けれど底ふかく燈る想いに心いっぱい、ただ笑った。

「いつかとオバケは滅多に見ないって言うだろーが?このまま帰るぞー行こ、」

もう決定事項、そう笑いかけた真中で瞳が途惑う。
いつかの迷子みたいだ、思い出ごと掴んだ腕と立ち上がった。

「帰るぞー、俺たち一緒にさ、」

おまえだけじゃない、そのこと気づいて?
だって一緒だった、幼い時間を一緒に育って今日がある。
転居、親の都合、そんな現実に離されても繋がり続けられたのは自分だけの意志じゃない、君の願いでもあるだろう?
だから今ここに並んで立っている現実に、澄んだ瞳が自分を見た。

「ほんとに迷惑かけるかもしれないんだよ、いいの?」

ほら、君の意志だ?

「メンドクサクなったら漁に出ちまえばいいだろーそれとも山の畑にするかあ、ウチの炭小屋で暮らせんぞ?」

海は広い、そして山は深い。
広く深く世界はある、そのどこかで生きられる。
そんな事実をその体で心で知ってほしい、もう無知のまま傷つけられないために。
だから今こそ一緒に生きよう?願いごと澄んだ瞳ゆっくり瞬いた。

「あのさ…免許証、置いてきちゃったかも、車も運転できないけどいい?」

身分証明が無いのは、ちょっと困るかも?
けれど何でもどうにかなるだろう、腕ひとつ笑った。

「いんじゃね?ウチの畑でなら私有地だから乗れるしさー保険証は財布に入ってんだろ?」

ほら夜が明けた、朝陽が光る。
光が満ちて海、空、はるかな雲きらめく朝が君に降る。

「うん、保険証はある、」
「じゃあ問題ねーじゃん、行こ、」

もう新しい日が昇った、この陽から生きていける。
だからどうか生きてほしい、君、素顔のままで。


撫子:ナデシコ、属名の学名「Dianthus=ゼウスの花」花言葉「無邪気、純愛、貞節、」
赤「燃えるような愛、boldness大胆」白「器用、才能」ピンク「純粋な愛」

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