萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第48話 薫衣act.2―side story「陽はまた昇る」

2012-06-30 23:35:07 | 陽はまた昇るside story
理由、名残らす馨



第48話 薫衣act.2―side story「陽はまた昇る」

おだやかな朝の静謐が、額ふれたキスを包みこむ。
そっと離れて、見つめ合った黒目がちの瞳が、暁の光うつしこんで笑ってくれる。
どうか、この笑顔を護りぬけますように。願い微笑んだ英二に、そっと周太が訊いてくれた。

「ね、英二?お姉さんと関根のこと、すこし寂しい?」
「周太には、解っちゃうんだな、」

やっぱり解ってくれる、言わない理解が嬉しくて幸せになる。
ちょっと昨夜は複雑だったな?そんな素直な想いに英二は口を開いた。

「昨日、姉ちゃん本人も言っていたけどさ。姉ちゃんって恋愛に自信が無くて、ちゃんとした彼氏も居なかったんだよ。
モテるんだけど、3ヶ月位で別れちゃって。その間も、デートとかほとんど行かないまんま終わってね、意外と気難しいんだ。
だから俺、ちょっと安心してるとこあった、弟の自分が一番の近くにいられる、って。そんな感じで俺、ちょっとシスコンなんだ、」

シスターコンプレックス、当に自分はこれだろう。

いつも姉は真直ぐに見つめて、英二の本音に頷いてくれる。
ずっと、母の歪んだ愛から自棄になっていた自分、それでも姉は見守り受けとめてくれた。
そして周太のことを告白した卒業式の翌朝も、姉はすぐ味方になって援護の言葉を両親に告げ、笑ってくれた。
そんな姉が本当は大好きでいる、聡明で美しい姉を誇らしく思っている、だから昨夜はすこし複雑だった。
でも、こんな甘ったれた感じは恥ずかしいな?そんな想いに、ふっと純白の花の記憶が呼び起された。

砕け壊れていく大輪の百合の花、風に毀れた高雅な香。
空に舞った青いリボン、それから。

―…光一君、姉さんそっくりだね。同じように綺麗で、カサブランカが似合う…会えて、嬉しかった
 …ふざけんな!

光一の両親の命日、墓所に立ち竦んだ2つの傷痕の記憶。
よく似たテノールの声が呼応した一瞬は、11年ぶりに傷を抉りあう再会だった。
あの彼も姉を慕っていた、その想いが自分に重ね合わされ、切ない。

もし彼の様に自分も、姉が消えてしまったら?

そんな問いが哀しい、苦しい。
だから自分は幸運なのだと心から気づける、姉の相手が自分の友達で良かった。
けれど姉と関根も、親族達が順調に賛成するのかは難しいだろう。
そんな想いに心裡ため息こぼれかけた翳に、やさしい瞳が笑いかけてくれた。

「お姉さん、すごく素敵だから。シスコン?も仕方ないよ、寂しいのも…でも、英二?おれがいるのにふまんなの?」

最後の台詞、かわいいです。不満なんてどこにも無いです。

一瞬で恋の奴隷モードに切り替わって、自分で内心に笑ってしまう。
ほら、こんなに自分は可愛い婚約者がいて、この恋人の優しさが勁いことを知っている。
周太が傍にいるなら姉たちも大丈夫、だってあの母が変わる切欠を作ったのは、周太だから。
そんな信頼が自然と笑顔になって笑いかけた英二に、顔を赤らめた拗ね顔が文句を言ってくれた。

「外泊日だって、光一とずっといた癖に?光一と俺と、ふたりも好きにさせて傍にいる癖に、さびしがるなんて?よくばり、」

気恥ずかしがりながら、その台詞、そんなツンデレは困ります。

可愛い、どうしよう?
可愛くて色々したくなって困るよ、すでに昨夜は寝惚けた君に我慢大会だったのに?
ちょっと理性飛んじゃったら困るから、お願い、その反則の顔と口調は勘弁して?
ほんとうに困りながら英二は、ツンデレ女王様に懇願した。

「周太、ごめん、そんな顔しないでよ?」

そんな顔にはキスしたいです。
こうしてキス出来るだけでも、いつも離れている日々に比べたら、どれだけ幸せだろう?
幸せに素直に微笑んで、きれいな頬を掌でくるむとキスの許しを瞳でねだる。
けれど周太はくるり寝返り打って、ふとんに顔を埋めてしまった。

「キスなんてしてあげない、どうせ光一といっぱいしてきたでしょ?その癖、お姉さんとられた、寂しい、って悄気るんだから、」

その通りです。

キスしてきました、本音を言っちゃうと気持ちよかったです、こんな自分は「エロ色魔変態痴漢」で仕方ないです。
ほんとに姉を取られたようで悄気てます、正直なとこ結構へこんでもいます。
でも自分の心底から幸せ酔えるのは、あなただけなのに?

キスしたいのも、取られたくないのも、こんなに必死になるのは、君だから。
この想い素直に英二は、ちょっと必死になって愛するひとへお願いをした。

「そんなこと言わないで、周太?俺、周太にキスしたい、」
「もう朝だし、キスなんかしないの、」

布団に埋めた声が素っ気なく答えてくれる。
こんなに布団が邪魔だと思ったことない、本気で悄気そうになりながら英二は重ねて懇願した。

「どうして?一昨日の朝は周太、沢山させてくれたよ?ね、キスさせて?」

『一昨日の朝』

自分で言ったフレーズ、その記憶に首筋へと熱が昇りだす。
一昨日の朝このベッドで、この位の時間、白いサラシの猿轡とシャツの手錠。
あのとき自分のなかに新しい欲を見、誘惑に滑落した。

声が漏れたら困るから。
そんな理由で施した猿轡だったのに、別目的が心に芽生えていた。
この目的に誘惑されるまま両手もシャツで縛り上げて、自由を奪われた恋人に好きなだけ溺れこんだ。

―この記憶は拙いかも?

あの時間を今してしまったら、本気で困るのに?
いま自分で言った言葉の記憶に煽られそう、英二は後悔した。
どうしよう?困惑したまま見つめる先、くるり婚約者がふり向いてくれた。

「英二、7月の、お盆明けの週末って、川崎の家に帰って来られるかな?」

家に帰る。
この予定の誘いが嬉しい、家に帰れば幸せな時間が待っているから。
なにより自分を見つめて貰える「今」が嬉しくて、英二は素直に笑いかけた。

「うん、予定が先に解れば、大丈夫だと思うけど?」

大丈夫です、なんとか予定を合わせて帰ります。

心裡にも笑って答えながら、脳裏の手帳を捲りだす。
7月の山岳訓練は海外遠征も国内も日程は平日だったはず、だから大丈夫だろうな?
この確認結果と見つめてくれる純粋な瞳が嬉しい、嬉しく見つめ返す先で大好きな瞳が微笑んだ。

「あのね、お母さんが社員旅行で、金曜の夜から日曜の夕方まで留守なの、だから留守番お願い、って言われて。
でも俺、土日は大学のフィールドワークで留守番できなくて…英二に留守番、お願いしても良い?独りが寂しかったらね、
光一も一緒に留守番して貰えると助かる、って、お母さんが言ってるんだけど…金曜の夜は俺、家に居られると思うんだけど、」

―…この「記録」に気がつく前に物証は消したいよ、家が無人になる日

チャンスが来た。
すぐ穏やかに笑って、英二は頷いた。

「その土日はね、俺と光一は本庁で山岳講習会があるかもしれないんだ。だから、川崎に泊まれるなら、光一も助かると思うよ、」
「あ、それなら、ちょうど良かったね?」

安心したよう周太が笑ってくれる。
この純粋な笑顔は、父親の死の理由も、家に絡みつく謎も束縛も、何も知らない。
この謎も束縛も自分が肩代わりして全て壊すまで、どうか知らないでいてほしい。

どうか何も知らないままでいて?
なにも知らない事が君を護ることになる、だから気付かないでいてほしい。
どうか君だけは、ずっと幸せに笑っていてほしいから。

そんな願いと見つめる想いに目の奥で熱が生まれそうになる、けれど絶対に気付かせたくはない。
紺青色の表装『Le Fantome de l'Opera』が誘った、50年の束縛と哀しみの連鎖を生んだ「罪」を知る重荷。
この重荷には絶対に気付かせない、本当は肩代わりの重たさが苦しい時もある、けれどもう大丈夫だから。
この重たさを光一が共に背負ってくれている、頼もしい唯一のアンザイレンパートナーが、恋愛すら懸けて共に背負っている。
だから大丈夫、そんな安堵に微笑んだ英二に、ワガママ1つと周太は口を開いた。

「でもね?光一とふたり一緒には、俺のベッド使わないでね?たぶん光一は遠慮してくれるだろうけど、」
「うん、使わないけど。でも周太、なんで俺にそんなこと言うんだ?」

なにげなく質問と微笑んだ。
その質問に黒目がちの瞳はすこし英二を睨みつけて、正直に言ってくれた。

「英二?光一のこと、最近よく『はつたいけんもらう』とか言って、無理に組み伏せて、いじめてるでしょ?だから釘刺してるんです、」

いま、なんて仰いましたか?

それってばれてるってコトでしょうか、俺の恋のご主人様?
さあっと音たつよう熱が顔まで昇ってくる、途惑いと羞恥が自分を染めていく。
どうしよう?そんな途惑いに息呑んだ唇が、勝手に開いた。

「…それ、どうして、」
「昨夜、光一が電話で相談してくれたんです。どうしたら英二のこと止められるの?って訊かれたんです、」

きちんと答えながら周太は起きあがり、布団を抱きしめたままベッドに座った。
ほんとうに困っちゃうな?そんな視線が自分を呆れたよう見おろしている。
これってつまりそういうことだろうか、呆気にとられた声で英二は質問をした。

「光一が、周太に相談したの?」
「はい、そうです。光一は困っています、」

きっぱり言って周太は、ベッドの上にきちんと正座した。
けれど抱きしめた布団で顔をすぐ隠せるようにしながら、英二を見下ろして微笑んだ。

「どんなに好きな相手でも、親友でも、やっぱり不安なんだよ?だから光一、昨夜、電話で泣いちゃったんだから、」

光一が泣いた?

驚いて英二は婚約者を見つめた。
昨夜に電話した声は途惑いに揺らぐときがあった、けれど涙の気配は気付かなかった。
自分は何かまた見落としている?そんな想いに墜ちこんだ英二を、真直ぐ見つめて周太は明瞭に言ってくれた。

「されるのって不安で、怖いんだよ?でも好きだから、嫌われるの怖いから、強くは拒否出来ないでしょ?
それでも怖いの。されるほうは自分の体を、内臓の一部を本来の使い方じゃないことに使って、受入れるでしょ?
もし間違ったら傷もつくし、それが原因で病気になる事もあるよ。それも、自分のペースじゃなくて相手次第で受入れるなら、不安だよ?
本来と違う目的だから、痛いし負担もあるよね?それをね、相手のペースで受け入れるの、大変…特に最初は、すごく苦しいよ?」

心が、引っ叩かれた。

自分も周太のことを受入れる。けれどそれは、いつも自分のペースでするから「相手次第」の不安を知らない。
この不安は女性と男性とでも大きく違う、周太が言う通り男性は目的外で内臓器を使う以上はリスクもある。
この不安とリスクを自分は、まともに考えたことがなかった。
快感があるかどうか?それだけしか考えていなかった。

―やっぱり俺は、体への感覚が麻痺している?

体重ねることの快楽しか自分は見ていない?そんな本性に気付かされる。
相手の体を本当の意味で尊重しきれていない、体調と心理の配慮がしきれていない。
この鈍麻な自分が悔しい、こんな自分が本当に大切な人を愛していいのか、不安になる。
そんな不安に、ふっと吉村医師の言葉がふれた。

―…生きて笑って、傍にいてあげればいい。君が想う通りに、正直な心のまま隣にいればいい。
 体の繋がりを持つことも同じです。親友と恋人と違うとしても幸せな瞬間を望みたいと想い合えたなら、もう心は重なっているでしょう?
 お互いの体温に幸せを見つめたい、そう想い合った瞬間に心は繋がるでしょう?誇りと命をザイルに託し合う、この絆を結んだ君たちなら。

この言葉の「肯定」が温かい。
この「肯定」を、そして光一との絆を、自分は裏切ってしまう所だった。
いま気付けてよかった、見落としていたことを知れてよかった。心からこの気づきが温かい、いま気付かせてくれた人が慕わしい。
やっぱり君が恋しい。気づいた驚きと恋慕すがる想いに、恋人は優しい眼差しで言葉を続けてくれた。

「されるのはね、本当に気分がそうじゃないと、無理なの。するのとされるのは、全然違うんだと思うよ?だから光一は途惑って悩むの、」

大切なザイルパートナーで親友を、途惑わせ迷わせた。
この罪と自責に困惑が痛い、改めて思い知らされる「初めての夜」の自分の罪悪が苦しい。
この7ヶ月間ずっと想っていた懺悔を今したい、愛するひとを見つめたまま起きあがると英二は自責に微笑んだ。

「周太…最初、怖かったよな?苦しませて…ごめん、俺…あのとき、いっぱい周太を傷つけて、」

あの卒業式の夜、なにもかも初めてだった。
なにも恋愛のことは知らなかった周太を、ただ一夜でキスから肌深く繋がる抱擁まで浚いこんで。
けれど自分自身が男性を抱くことは初めてで、本当は繋がるまですることは無理矢理だった。
それでも自分は歓びと快楽とに溺れこんで、甘い誘惑のまま愛する心と体を離せなかった。
そして翌朝、純白のシーツには血痕が赤い花のよう乱れていた。純白に散った純潔の血は美しくて、そして心を傷みに刺し貫いた。
あの日の傷みを自分は忘れかけていた、そんな後悔と見つめる恋人は穏かに微笑んだ。

「ん、痛かったよ、あのとき。でもね、俺はなにも知らなかったから、逆に怖くなかったんだと思うよ?
それに痛いのもね、英二の気配が残ってるみたいで…俺にとっては全部、幸せだったから。でもね、光一は、また違うの、」

痛いのも気配が残る、全部幸せだった。

どうしてそんなふうに言ってくれる?
あの夜に自分が犯した罪を君は、そんなふうに愛情で受け留めて清めてくれる。
どうしてそんなに君は純粋で、深い勁い温もりを持っているの?
このひとに嫌われたくない、ずっと傍にいて遠くに行かないで?
どうかお願いと見つめる困惑に、黒目がちの優しい瞳は穏かに笑んで諭してくれた。

「光一は純情なの、英二のこと、すごく一生懸命に恋愛してるの。だから光一、えっちすることも一生懸命に悩んでます。
大切な唯一のアンザイレンパートナーを失いたくなくて、でも恋愛になって…ほんとに途惑ってるんだよ?からかうのも加減して?
なによりね、英二?光一は山ヤで山っ子だから、すごく体は大切でしょ?だから俺よりも光一の方が、ずっと覚悟がいるはずだよ?
英二にとっても光一は、大事な『唯ひとり』でしょ?きちんと大切にして?それが出来ないようなひとが婚約者だなんて、俺は嫌です」

数多の鮮血の花に、自分が相手を求めすぎ傷つけた事を悟った、あのとき。
あのときと同じ過ちを繰り返し、無垢な山っ子を傷だらけにする。これは赦されない罪だろう。
それでも光一は優しい恋のまま自分を赦す、けれど自分も山ヤならば、山の申し子を穢すことはきっと「山」が赦さない。
そうなれば今度こそ周太も赦さない、そう告げて自分を諌めてくれる。

―こんなふうに俺を、真剣に諌めて正してくれる…離れたくない

こんな自分をストレートに叱ってくれる人は、2人しか知らない。
いま光一の為にも周太は叱ってくれる、あの冬富士の過ちに光一が周太の為にも怒ってくれたように。
こんなふうに2人はいつも自分の愚かさを戒めてくれる、このどちらも失いたくは無い。

赦されるチャンスを、まだ残してくれている?
ほんとうに気付いていなかった、解かっていなかった、こんな愚かな鈍感な自分でも赦される?
いま自分への悔しい途惑いと後悔が痛い、傷み喘ぐよう息呑んで英二は口を開いた。

「…ごめん、周太…そんなに困らせてるの俺、解ってなかった…ごめん、俺、ダメだね?でもお願いだから、嫌わないで、」

お願いだから嫌いにならないで?
どうか置いて行かないで、捨てないで、傍にいると約束して?
自分への戒めと哀しみに途方に暮れたまま、英二は切ない溜息と微笑んだ。

「周太、俺はね?本当に光一も大切だよ、恋とは違うけれど愛してる。でも…つい光一のこと虐めたくなるんだ。
今まで散々、あいつに悪戯されて、からかわれたからかな?つい仕返しみたいに、あいつの体に悪戯してやりたくなる。それに…」

ため息こぼれて、一瞬のためらいが心に翳す。
それでも英二は正直な本音を、言葉に変えて口を開いた。

「それに、本音を言うと俺、最近、光一を抱きたいなって感じる。だから半分は悪戯だけど…誘ってもいる、」

こんな俺でも、隣にいることを赦してくれる?

こんなふうに他の相手も抱きたいと願ってしまう、こんな自分でもいいの?
確かに君の願いでもあったこと、でも現実にその欲が自分に生まれても、赦される?
困惑と哀しみのまま見つめた英二に、抱きしめた布団に半分顔を埋めながら周太は、すこし拗ねた愛嬌に笑ってくれた。

「光一がしたくなってからしてください。でも、俺のベッドはダメです。無理強いも絶対ダメ、いじめすぎも禁止、」

全部の言うこと聴きます、だから捨てないで?
ただ素直に声と瞳を見つめている、そんな眼差し受けとめて黒目がちの瞳は微笑んだ。

「光一のこと、きちんと見て大切にしてあげて?…それで俺のことも忘れないで?お願い、英二、あいしてるのなら言うこと聴いて?
光一のことも愛してるんでしょ?なら大切にして。英二は、俺に恋してる、恋の奴隷なんでしょ?だったら俺の言うこと聴けるよね?」

『俺のことも忘れないで?』

どうしてそんなこと、言うの?

あなたを忘れられる訳が無い、だからこんなに求めて傍にいたいのに?
この言葉を告げる理由なんて、本当は自分は知っている、解かっている、けれど嫌だ。
いま告げながら周太は布団に顔を半分隠す、その隠された瞳から涙こぼれていると解かってしまう。
この言葉の想いに泣いてくれている、それでも片方の瞳は真直ぐ微笑んでくれる。微笑が愛しくて切なくて英二は願いを告げた。

「うん、ちゃんと言うこと聴くよ。だから俺のこと、嫌いにならないで?…いなくならないで、」

なんでも聴くから、お願い、いなくならないで?
真直ぐな想いと願いに見つめて、小柄な体に腕を伸ばす。
そして涙を隠している布団ごと引き寄せて、愛する婚約者を抱きしめた。

「お願いだ、周太。俺が恋して伴侶にしたいのは、君だけなんだから。昨夜、関根にも言った通りだよ…俺の嫁さんになってよ、約束して?」

どうかお願い、今ここで約束が欲しい。
祈るよう声に想いを込める、この声に婚約者は幸せに微笑んだ。

「言うこと聴いてくれなかったら、なってあげない、約束してあげない、」
「言うこと、なんでも聴くから。だからお願いだ、約束してよ、周太?」

即答して、約束への祈りを告げてしまう。
だって今なぜこの人が泣いているのか、自分にはきっと解かっている。
きっと今この時間が終わりを告げる、その後の時間への想いに泣いてくれているから。

この人はもう、父親の軌跡に立つ覚悟に微笑んで、澱む昏迷にすら希望を見出している。
この希望の為に昨夜も勉強をしてくれた、英二が作ってきたファイルに突っ伏すまで疲れも押して、努力して。
もう恐れ孤独に泣く姿は無い、ただ真直ぐに強靭な優しい勇気が佇んでいる。

けれど置いて行くことを心配して、泣いてくれている。
英二が泣いてしまう事を心配して、英二こそが孤独になる事を哀しんでくれる。
この孤独を本気で哀しんでくれるから、英二が光一との絆を結び繋いでいくことを、本気で望んでくれる。

どうして、そんなに優しいの?
どうしてこんなに俺のことを愛してくれる?想ってくれる?
俺の方こそ君を援けたくて、救いたくて護りたくて、ここまで来た。それなのに本当に救われているのは、いつも俺のほう。
この想いが熱になって涙こぼれてしまう、いま抱きしめた白いシャツの肩に顔を埋めて、英二は泣いた。

―ずっと傍にいて、置いて行かないで…離したくない、本当は少しの間も

いま毎日が寄添いあえる時間、けれど、これが最後になる可能性を否定できない。
この時間が終わって夏、そして秋になった時、ふたり立つ場所の距離はどこまで遠くなるだろう。
それでも自分は必ず取り戻してみせる、たとえ救う可能性が1%でも、この1%に全てを懸ければいい。
いつか永遠に幸福へと浚って、このひとに笑顔の日々を贈りたい。

けれど、一旦は引き離される日々が来る。
そのときには本当に「逢う約束」が出来るのかも解からない、「また次にね」が言えなくなる。
なにげない「またね」が言える幸せが消える、その予兆が怖い、悔しい、切ない。

本当はこのまま、遠くに浚ってしまえたらいいのに?

いつも、ずっと、そう想ってきた。
けれどそれは出来ない、それも解かり過ぎている。
だってこの人は気高いとしっている、誇り高い男として父親の真実を見据えるために、今、ここにいるのだから。

この今は初任総合、終われば夏の本配属が来る。
この今は毎日を隣で暮らせる時間、けれどもう1週間が過ぎてしまった。
この今が「またね」をなにげなく言える、最後の時になるかもしれない?その可能性を誰も否定できない。
けれど、お互いこの想いは言わない、この今の「またね」が言える幸せを曇らせたくないから。
だから今も笑っていたい。そう微笑んだ想いに、周太は幸せに笑いかけてくれた。

「ね、英二、来週は川崎に帰ってきて?夏みかん採るから、手伝って、」

―…和室の炉は、古いものだったよね?取り外されたような形跡が無ければ、たぶん掘り出していないと思う

光一と話し合った推理の確認、そのため帰りたいと考えていた。
いま周太から申し出てくれた、このタイミングの良さに胸元の合鍵へと心うち微笑んだ。

「うん、来週は帰るよ。土曜日の朝は青梅署にちょっと戻るけど、夜には川崎に帰る。だから日曜に手伝っても良い?」

こんなにタイミングが良い、だから馨が味方してくれている。きっと運命すらも。
そっと幸運に笑いかけながら、家に帰れる時間へのシンプルな幸福感が温かい。
帰ってきてと、言ってもらえて嬉しいな?
そう笑いかけた英二に、布団の陰に唇も片方の瞳も隠したまま周太は笑ってくれた。

「ん、それならいいよ?…もう光一に無理なちょっかい出さないでね?」
「はい、しません。だから周太、キスさせて?」

もう、涙は止まったかな?
頃合に見つめた先で、布団抱いた手をゆるめてくれる。
これは許してくれるシグナル、応じて英二は長い指を布団にかけおろした。

「愛してる、俺の未来の花嫁さん、」

祈りの言葉にきれいな笑顔咲かせて、婚約者の唇に優しい温もりのキスふれた。
やさしい唇から、そっとオレンジの香と幸せが口移される。
これは周太がよく口に入れている「蜂蜜オレンジのど飴」の香。

―…これやる、待っているから

卒業配置先に向かう朝、この飴を自分の口に放り込んでくれた。
そして8個残った飴を周太は、パッケージごと英二の掌に載せてくれた。
あれから自分で買い足して、いつも持っている。

遭難救助の現場で、高峰で、この飴を口にしてきた。時には救助者に光一にも、この飴を分けてきた。
そのたびに愛する面影を想いだして、励まされて、いつも心は穏やかに凪いだ。
この香に幾度も慰められ生きてきた、その幸福が今、切ない。



6時過ぎ、英二は中庭の流し場で蛇口をひねった。
勢いよく流れ落ちる水に朝陽きらめく、そこへ潔く頭を差し出した。

ざあっ、さああ…

水音が耳もと零れていく。
冷たい水が脳髄を醒まさせ、ゆるんだ心が締められだす。
口許からも水が入りこむ、そして零れだす時にはオレンジが香った。

「キスの香だ…」

あまい香の記憶が幸せで嬉しい、そんな自分に呆れと幸福と半分ずつ微笑んだ。
昨夜も今朝も考えごとに神経が高ぶっている、こんな高揚感は少し危ない。
そのうえ無意識の誘惑がくれる肩透しと幸福感が、ちょっと熱すぎた。

愛してる、俺の未来の花嫁さん。

そう告げて布団から顕わした唇にキスふれて、幸せを口づけに交わした。
口移されたオレンジの香に切なくて幸せで、泣きたい想いに微笑んで。
そっと離れ見つめ合って。そして黒目がちの瞳が、綺麗に微笑んだ。

「愛してる、英二。未来のはなむこさん?」

そう言ってくれた笑顔が、あんまりきれいで見惚れた。
きれいで見惚れて幸せで、ぼんやりしたまま抱きしめて、またベッドに倒れ込んだ。
そうしてつい長い指の手は、小柄な体の白いシャツの裾を掴んでを捲りかけた。

「だめっ、えいじ!」

ぴしゃり言って、同時に手も叩かれた。
きちんと叱ってもらって我に返って、これはダメだと今、ここにいる。
やっぱり自分は水でも被らないと「まとも」じゃない、だから文字通り素直に、この頭を冷やしている。

さああっ…ざぁ…

水が髪から頬伝い、冷たい肌感覚が意識を冷やしてくれる。
水重りが額から頬から雫になって墜ちていく、濡れた髪が重くなり頭はクリアになる。
そうしていつものように、明確に冴えた感覚が充たされた。

「よし、」

冷たい水流のなか微笑んで、蛇口を閉めた。
本当は普段どおり頭から全身に水を被りたい、けれど警察学校寮では浴室は自由に使えない。
それでも頭だけなら此処で水を被れる、お蔭でストイックも冷静も戻ってくれた。

―あのままだったら、本当に困ったことになったろうな?

すっきりした意識で自分に笑ってしまう。
自分に声無く笑いながら、手にしたタオルで首筋から拭いあげていく。
そして頭を上げようとした横顔に視線がふれた。

こんな時間に誰だ?

瞳だけ動かしタオルの翳から見た先から、仏頂面が歩いてくる。
そういえば昨夜の当直はこの人だったな?
でも何故ここに来たのだろう?
ひとつ疑問を考えながらも英二は、自分の担当教官に笑いかけ頭を下げた。

「おはようございます、」
「うむ、おはよう、」

無愛想な挨拶が英二の前に佇んだ。
相変わらず翳りの渋い眼差しが動くと、じろりと英二の頭を見遣った。

「宮田、おまえは何をやっている?」

やっぱりその質問からなんだ?
我ながら可笑しくて困りながら、英二は正直に答えた。

「水を被っていました、いつも朝はこうするので、」
「毎日か?何のために、」

ぶすりとした声、けれど微かな驚きがある。
この人が驚くほど変でおかしいかな?思いながらも素直に頷いた。

「はい、気持を締めたいからです、」

髪からこぼれた雫が頬つたう。
タオルで拭った向こう、ほのかに遠野教官が微笑んだ。

「…ふん、後藤さんが仰っていた通り、か」

後藤副隊長は、何を言ってくれたのだろうな?
敬愛する上司の俤に微笑んだ英二を、かすかに笑んだ目が見つめている。
その目が物言いたげに見える、何かを自分に訊くつもりで来たのだろうか?
何を訊かれるだろう?すこし予想を考え始めたとき、渋い声が低く尋ねた。

「宮田、『Fantome』の意味が解かるか?」

心裡、息を呑んだ。

―どうして?

どうして、その単語を遠野教官が、自分に訊く?
この単語を英二に訊く、それは「何に関わる」のか気付いているからだろう。
けれど、なぜ遠野教官が『Fantome』を知っている?
なぜ「何に関わる」のかに気付いた?

その理由と意図を知りたい。
この単語を今、ここで言った、その理由を知りたい。
この単語を自分に問いかけるため、自分を探しに来た。そんな確信が浮かび上がる。

なぜ今、ここに自分を探してまで、聴きに来た?

いま頭脳を廻っていく考えに透徹な判断力が目覚めだす、この今すべき行動はなんだ?
その判断に英二の唇が、静かに開かれた。

「その言葉を、どこで知ったんですか?」

冷静な声が自分の口から質問者に問いかける。その声に、ふっとオレンジが香った。




(to be continued)

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第48話 薫衣act.1―side story「陽はまた昇る」

2012-06-29 23:40:19 | 陽はまた昇るside story
馨、風の消えた先は



第48話 薫衣act.1―side story「陽はまた昇る」

22時30分。

壁の向こう、やさしい気配が温かい。
この今も勉強を進めている隣へと微笑んで、英二は携帯電話を開いた。
架ける番号を電話帳から探す、こんなことからも毎日一緒にいた相手なのだと思い知らされる。
架けてコール0、すぐ繋がった奥多摩の空へと笑いかけた。

「おつかれ、光一。ちょっと勉強を中座してきたよ、」
「…っ、」

電話の向こう、そっと息を呑む気配が伝わる。
ちいさな沈黙の後、声は想いを載せてくれた。

「ほんとに、架けてくれたんだね……英二、」

泣き出しそうなテノールが、名前を呼んでくれる。
切なくて、それでも透けるよう明るい声に微笑まされる、和らぐ想いのまま英二は微笑んだ。

「昨夜、約束しただろ?俺は約束、絶対守るよ、」
「だね、…ん、ありがと、」

ため息まじりにも嬉しそうに笑ってくれる。
そんな様子に慕ってくれる想いが愛しい、素直に英二は笑いかけた。

「可愛いな、おまえ。なんか、調子狂うよ、」
「ん…そりゃ、ね?俺は可愛いからさ。で、どんなふうに調子狂うわけ?」

ちょっと悪戯っ子の調子戻して笑ってくれる。
そうなるとつい苛めたい気持と本音が混じって、英二は正直に言った。

「抱きたくなるよ、キスの香とか思い出させられて…知りたくなる、」
「…、」

ふっと黙り込んだ静謐が訪れる。
それでもテノールの声は笑って言ってくれた。

「うれしいけど、まだダメ。生娘なんだから許してよね」
「まだ、って言うなら『いつか』があるんだ?」

さらり聞き返した自分に、本音が見える。
もう自分はこの親友にそんな望みを持ってしまった、この自覚が甘く傷みだす。
傷みにも素直に微笑んだ向こう、ためらいと含羞が頷いた。

「…うん、ある…ね、」

とくん、鼓動ひとつ胸を撃つ。

心ごと体を繋ぐこと。
もし光一が望んでくれるなら応えてやりたい、最初はそんな想いだった。
そんな想いにも「親友を失う可能性」が怖くて吉村医師に相談した、あの迷いは習性のよう今は馴染んでいる。
そして今の自分は婚約者を他に持ちながら、この親友を体ごと愛してしまいたい。
こんな想いは罪だと、自責が傷むけれど。

「うれしいよ、光一、」

傷み微笑んで、英二は想いを告げた。
告げた向こう気配ゆらいで溜息がこぼれだす、けれど透明な声は笑ってくれた。

「さっきさ、知りたくなるって言ったよね?何を知りたいワケ?」

この質問に正直に答えたら、また戸惑わせるだろうな?
そう解りながらも英二は本音を告げた。

「おまえの、肌の香、」

呼吸ひとつ、電話の向こうで止められる。
こんな雰囲気の会話になるのは予想外、けれど嫌じゃない。
でも光一は困っているだろうな?そんな心配の向こうは困ったよう笑ってくれた。

「ホントおまえって悪い男で、エロ別嬪だね?ソレは剣道大会の夜に知ったんじゃないの?…腰のとこ、キス、したときに…さ、」

笑った声の最後はすこし、ふるえた。
この最後の言葉の瞬間から自分は、いま話す相手の肌と体温を望み始めている。
けれど同じ瞬間から光一は途惑いを見つめ始めた、きっと今も困惑と緊張をしているだろう。
そう解るのに直情のまま言ってしまった。

「もっと深い、特別な場所の肌。光一が感じてくれる瞬間の、香を知りたい、」

光一は生来の香を持っている。
花のような高雅な香をいつも纏い、キスする唇からもこぼれだす。
その香は風呂で温まるとき、訓練などで汗かく時こそ豊かに昇ってしまう。
そして剣道大会の夜、悪戯心で捲りあげたカットソーから顕れた素肌は、まばゆい純潔と馥郁の香で心奪った。
もし体を重ね交わしたなら、どんなふうに香るのだろう?そんな正直な想いに、テノールが一言放り投げた。

「馬鹿、」

短いキツイ言葉を投げて、けれど電話は切らないでくれる。
今まで散々にエロトークと悪戯をしてきて、今だって悪ふざけを一部止めていない。
そのくせ英二から言われると恥ずかしがって、すっかり可愛くなって困惑してしまう。
きっと今ごろ雪白の貌は、きれいな桜色だろうな?微笑んで英二は親友に口を開いた。

「今朝も話した同期に、周太と俺のこと話したよ。でも大丈夫そうだった、」
「お姉さんの恋バナの件だね?じゃあ、うまくまとまったんだね、おふたりさん。良かったな、」

うれしそうにテノールが祝辞に笑ってくれる。
こんなふうに光一は素直に喜んで、けれど光一と自分の真実の関係は誰に言うことも出来ない。
例外は唯二人だけ、吉村医師と周太は繋がりを知っている。こんな公に出来ない関係を美しい山っ子が負う、それが切ない。
それでも「血の契」のもと互いの秘密にされることは、どこか誇らしく愛しい。
この誇りだけ見つめていけばいい、そっと覚悟また1つ見つめて英二は微笑んだ。

「うん、まとまった。ありがとうな、話すこと認めてくれてさ、」
「俺はね、おまえのこと信じてるからさ。でなきゃ生涯のアンザイレンパートナーなんて、やってらんないね、」

明るい声が率直に言って笑う。
こんなふうにアンザイレンパートナーとしての関係は安定が築けている、親友としても。
けれど「血の契」交わした相手としての関係は、まだ途惑いが残されてしまう。
この途惑いの素は、山っ子の純粋な恋愛なのだと知っている。
それが愛しくて早く安定したくて、すこしだけ焦りそうな想いに英二は笑いかけた。

「そんなに信じてくれてるのに光一、えっちしよ、って言わなくなったよな?」
「…だから、するのとされるのとは、違うんだって…馬鹿、」

きっとまた赤くなったな?
そんな途惑いの声が可愛くて、つい虐めたくなる。こんな自分はちょっと危ないかもしれない?

―周太のことは、虐めたくならないのにな?

周太はひたすら可愛くて愛しくて、恋するまま言うこと聴いて、本当に自分は奴隷のよう。
最近は光一も可愛いと思う瞬間が増えて、本音を言えば、きれいだと見惚れるまま欲しい時がある。
この差は「恋」の差なのだろうか?どうして光一だと虐めたくなるのだろう?
そんな疑問を想いながら暫く話して、静かに電話を閉じた。

そのまま消灯の静謐に暗い廊下に出て、自室の鍵を掛ける。
施錠の音を聴いて、すぐ隣を静かにノックすると気配が鎮まって動かない。
もしかしてそうかな?そんな予想と一緒に扉を開くと、デスクに伏せた寝顔が迎えた。

「やっぱり、寝ちゃったんだね、周太?」

寝顔に笑いかけながら英二は、閉じた扉に鍵を掛けた。
分厚いファイルのページに頬よせて、ペンも手に持ったまま眠りこんでいる。
やさしい夢に安らいでいる、そんな寝顔を邪魔しないようデスクライトを消すと、そっと抱きあげベッドに運んだ。

ぎぃっ…

ちいさな軋みがスプリングから響く。
眠る体を布団に包みこもうとしたとき、すこし小さな掌がペンを握ったままなのに気がついた。
やわらかく掌開いてペンを抜きとる、その長い指を恋人の掌は握りこんだ。

「…周太、」

呼びかけた名前と見つめる、握りこまれた指に記憶が懐かしい。
あの卒業式の夜も、そうだった。

―…『いざよい』って、どう書くんだ
 …なに急に?

英二の質問に、ぼそっと周太は答えた。
それからあの一室の、ベッドサイドに備え付けられたメモ帳に2つの漢字を書いてくれた。

「『十六夜』と『不知夜』、ためらい、って意味だったよな…」

あの夜に書いてくれたメモは、ほんとうは今でも手帳に挟んである。
あのときも周太はペンを持ったまま墜落睡眠に墜ちこんで、ペンを取ろうとした英二の指を握りこんだ。
そのまま抱きしめてベッドに横になって、けれど眠れないまま夜を過ごした。
あの夜と同じように周太の寝顔は、あどけなく清らかに安らいでいる。

「…可愛いね、周太?あの夜と同じに可愛くて…すごく、きれいになったね、」

あの夜の寝顔より、どこか艶やかな陰翳が美しい。
けぶるよう長い睫は相変わらず頬に翳落とす、かすかに紅潮した頬が愛らしい。
そして今は清楚な色香が艶めかしくて、つい惹きこまれ見惚れてしまう。
優しい眠り微笑んだ唇が愛しくて、そっと英二はキスをした。

「…ん、」

ふれたキスに恋人がすこし瞳を披く。
起きてくれるのかな?そう見つめた先で、黒目がちの瞳は幸せに笑った。

「…だいすき、えいじ…いっぱいしてね?」
「え、?」

いま、なんて仰って下さいましたか、俺の恋のご主人様は?

「して、って、周太?」
「ん…そんなのはずかしいでしょ、きかないでして…」

そんな台詞で、そんな瞳で見つめるって、そういうことですか?

きっと今もう首筋から顔まで自分は赤くなっている、嬉しいどうしよう?
でも明日から一週間が始まるっていうのに、やっぱり日曜の夜はダメだろう?
また痕つけたら困る、でも俺って恋の奴隷だから命令絶対、逆らえないし?

「でも周太?日曜の夜だよ、明日から一週間はじまるし…」
「いうこときかないの?…あいしてるなら…」

また命令してくれる?つい、そんな期待に心ときめいてしまう。
けれど恋人の長い睫は、眠たげに閉じられた。

「…周太?」

清楚な寝顔は安らいだまま、もう瞳は開けてくれない。
やっぱり寝惚けただけだった?やっぱり寝ちゃうんだよね、熟睡中だよね?
そんな想いと一緒に、がっくり恋人を抱きしめて、けれど可笑しくて笑ってしまった。

「ほんっと可愛くて、天使で小悪魔だよね?周太は、…好きだよ、もっと振り回して?」

笑いながら見つめる寝顔は清らかで、窓の月明りふる黒髪には光の輪が優しい。
その黒髪やわらかな生際を、そっと長い指で掻き上げ見つめる。
あわい闇を透かし見つめた真中、小さな傷痕が目に映った。

「まだ残ってる…懐かしいね、周太、」

微笑んで傷痕にキスふれる。
この傷痕に刻まれた記憶が懐かしい、愛おしい。
この傷を英二がつけてしまった、あの日は特別だから。懐かしくて今も現実の想いに、そっと笑いかけた。

「ね、周太…あの日に俺は、君への恋を知ったよ?…初恋だよ俺の…唯ひとつの、恋だよ、」

自分達には初めての外泊日、初めて一緒にあのラーメン屋に行って、いま周太が着ている白シャツを買って。
それから初めてあのベンチに座って、驟雨ふる木蔭で生まれて初めての恋を自覚した。
あの瞬間は幸せで切なくて、ずっと秘密にしようと覚悟して。
だから今こうして抱きしめられる幸せが、尚更に温かい。

そして、あの日は。

「…書店に行ったね、周太?…『Le Fantome de l'Opera』を、買って、」

『Le Fantome de l'Opera』

紺青色の表装、フランス語で綴られた恋愛小説。
あの小説の想いになぞらえて卒業式の日、公園で聴いてしまった想い。
あの想いの切なさに自分は呑もうと誘って、そして恋人の夜に浚いこんだ。

それから家の書斎で見つけた、壊された本。
あの本を壊した馨の想いを知りたい、この謎解く想いから自分は見つけ出してしまった。
あの愛する家を縛りつけている「50年の束縛」そして哀しみの連鎖に、気づいてしまった。

『宮田、知っているなら教えてほしい。なぜ湯原は、新宿署に配属されたんだ?』

初任総合の初日、遠野教官の問いかけに知った事実。
周太の新宿署配属は警察学校の意図ではない、もっと上層部で決められた。
そこに周太の意志は零、本人の希望ではなく「意図」が裁可したこと。誰がこの配属をしたのかは、直に解かるだろう。
けれど、なぜ周太を新宿署に配属させたのだろう?

周太を監視するだけなら、本庁の膝元に卒業配置すれば良い。
周太の狙撃を磨かせるなら、術科センターに近い場所に配置して本部特練にした方が良い。
それなのに「新宿」を選んだ理由は、何?

「…なんの意図で、選んだ?」

新宿

馨が銃弾に命消した場所。
馨を死なせた犯人が贖罪に生きる場所。
馨が卒業配置され、最後に射撃指導した警察署。
馨が機動隊配属当時には同期と共に派遣されていた場所。
それから、馨が最愛の女性と出逢い、恋し愛し、唯ひとつの幸福を掴んだ場所。

そんな馨の俤が多すぎる場所に、息子である周太を配置した。
その「意図」は、なんだ?

なぜ?

見上げる天井に考え巡らしていく。
いま懐には寝息が優しい、安らかな体温が腕を胸を温めてくれる。
いま愛するひとの眠りを抱きしめる、この幸せを壊されたくはない。

いま自分は光一と想い交し始めている、けれど、この腕のひとは「特別」に過ぎて。
いま自分を恋い慕う光一も、この人を護りたい願いのまま共に危険に立っている。
この腕に今抱くひとだけは救けたい、幸せな笑顔を咲かせたい。

どうか、最愛のひとに「自由」を贈らせて?

「…周太、君だけは…ずっと、」

想い、唇から言葉になって、眠るひとに微笑み向ける。
いま見つめる寝顔の長い睫へと、一滴の涙がこぼれおちた。



カーテン透かす光がやわらかい。
見上げた天井はすこしだけ仄暗い、まだ朝には早い時間だと解ってしまう。
すこし微睡んだだけ、それでも頭は冴えて眠気はない。

―緊張してるんだな、

ほっと、ため息こぼれて英二は自分に笑った。
考えごとに脳髄から緊張が奔っている、そんな感覚が冴えてしまう。
なぜ?
その疑問が心廻って、浅い眠りに夜を終えてしまった。
けれど腕に抱きしめている温もりが幸せで、寝不足のはずが充ちている。

「…周太、」

そっと名前呼んでも、愛しい人の眠りは醒めてくれない。
安らかな寝息こぼれる唇が、暁の光のなか見つめてしまう。
惹かれるまま唇を重ねて、キスに想いの口移しをした。

「…ん、」

キスをした唇から吐息がふれる。
かすかなオレンジの香やさしい唇が甘い、微笑んで離れると英二は婚約者を見つめた。
ゆるやかに長い睫が披いてくれる、きっと今度こそ起きてくれる?
大好きな人の目覚め見守るなか、黒目がちの瞳は眠たげに開いてくれた。

「おはよう、周太。俺の奥さん、」

笑いかけて唇にキスふれる、ふれる温もりが幸せで温かい。
嬉しい想い笑いかけた英二に、婚約者は穏かな微笑を見せてくれた。

「おはよう、えいじ?…きのうは、おつかれさま、」
「周太こそ。昨日、疲れたんだろ?ことん、って眠っちゃったもんな、」

答えながら見つめる貌に惹きこまれてしまう。やわらかな暁の光に微笑んだ瞳は純粋で、幸せに明るみ美しい。
うれしい気持に抱きしめた腕のなか、なめらかな首筋が薄紅いろ昇らせだす。
こんなときは気恥ずかしがっている、どうしたのかな?そう見ると恋人は困った顔で謝った。

「ごめんなさい、英二が勉強教えてくれていたのに寝ちゃって…英二こそ救助隊で、疲れていたのに、」
「こっちこそ、ごめんな?周太が勉強してる時に俺、光一に電話かけたりして、」

ほんとうに、ごめん。

心裡から贖罪の想いこぼれだす。
君という人がありながら、自分は親友を電話ですら誘惑した。
このことは君が望んだことだけど、それでも自分の想いが恥ずかしくもなる。
最愛の恋人で婚約者、唯一のアンザイレンパートナーで「血の契」結んだ親友。
どちらの想いも真実、けれど、ふたりを同時に愛することは、どちらも傷つけてしまいそうで怖い。
ほんとうは怖い、本当はいつも泣きたくなる。
それでも嘘が吐けなかった昨夜の電話、この傷みは甘すぎ、どこか蝕まれてしまう。

どこか狂わさそうな感覚を、今すぐ冷たい水を被って鎮めたい。
けれど警察学校寮では浴室も自由に使えない、こんな自分には必要なことなのに。
こんな自分の馬鹿正直が厭わしい。けれど困りながら微笑んだ懐で、優しい笑顔がちいさく首をふってくれた。

「ううん、電話してあげて?光一、待ってたでしょ?」

どうして君はこんなに優しいの?

この言葉のトーンは純粋で、正直な気持なのだと告げられる。
いま見つめてくれる瞳は凛と無垢で、優しい率直が温かい。
ただ大切で護りたい、そんな意志が綺麗で愛しくて、英二は微笑んだ。

「うん、待っててくれた。ありがとう、周太、」

名前を呼んで、生際の傷痕にキスをする。
この傷によせる記憶と想いに、こんな自分でも約束することを、どうか赦してほしい。
この傷をつけた日に自分が見つけた初恋を、どうか生涯かけて護らせて?



(to be continued)

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第48話 薫風act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-06-28 23:57:12 | 陽はまた昇るanother,side story
風光る、若葉くゆらす、



第48話 薫風act.2―another,side story「陽はまた昇る」

構内の街路樹ゆれる陽ざしのなか、緑の風が頬に心地いい。
すこし小走りで駆け寄って、すぐ追いついた周太に瀬尾がふり向いてくれた。

「あ、湯原くん?おつかれさま、宮田くん達は?」
「おつかれさま。さっき話し途中だったから、って言ってきた、」

笑いかけて並んで歩きだすと、優しい目が笑ってくれた。

「ごめん、なんか気を遣わせちゃったね?ありがとう、」
「いや、気を遣うとかないよ?」

素直に笑い返すと、優しい目が嬉しそうに笑んだ。
ゆっくり歩きながら瀬尾は、緑地帯の方を指さし提案してくれた。

「あそこのベンチで、すこし話していいかな?金曜日の話の続きなんだけど、」
「ん、聴かせて?」

微笑んで周太は素直に頷いた。
そんな周太に瀬尾は、にっこり笑って言ってくれた。

「さっき射場で俺、言いかけたけど。なんか宮田くん、ほんとカッコよくなったね、腰にホルスター提げてるのが様になってたよ、」
「あ、…うん、英二はね、拳銃を携行すること、意外と多いみたいで、」

婚約者の話題につい首筋が熱くなってしまう。
ちょっと気恥ずかしいな?けれど嬉しい気持ちと微笑んだ周太に、少年のまま優しい声が訊いてくれた。

「山岳救助隊って、拳銃を使うこと多いの?」
「ん、山に犯罪者が逃げ込んだりとかもあって。4月も、ハイカー狙いの強盗が秩父であって、奥多摩も警戒態勢になったらしい、」

ちょうど、光一の両親の命日の頃だった。
あれから10日程になるが、まだ犯人は捕まっていない。
そんないま英二が研修中のために光一は単独行が多い、ふと心配にもなってしまう。

…あの光一のことだから、大丈夫だろうけど

射撃の腕前は周太よりずっと上だと知っているし、逮捕術と剣道も強いと英二に聴いている。
先月末の奉納剣道大会でも、光一は全勝だったと美代も教えてくれた。
けれど今の光一はすこし不安定になっている、それが心配を起こしてしまう。
どうか何事もありませんように、祈りに空見あげた周太に瀬尾が笑いかけてくれた。

「宮田くん、今日は満点だったね?初任教養では満点ってなかったのに。きちんと訓練している感じだった、」
「たまにね、武蔵野署の訓練場に行くらしいよ?…救助隊の人達、射撃の巧いひとも多いみたい、」
「青梅署の救助隊副隊長さんとか、そうだよね?VIPが奥多摩に登るとき、ガイドと護衛官を兼務するって聴いたことある、」

緑地帯に歩いていきながら、警察好きらしい知識を披露してくれる。
ほんとうに良く知っているんだな?感心しながら周太は懐かしい面影に微笑んだ。

「ん、後藤さんのことだよね?本当に山のこと、奥多摩のことをよく知っていて、すごく良いひとなんだよ、」
「湯原くん、知っているんだ?会ったことあるの?」
「ん、あるよ?英二のとこに遊び行ったとき、お茶とか一緒させて貰って。父の先輩なんだ、後藤さん、」

父の友人の深い温かい目を想いながら、周太は微笑んだ。
その隣で瀬尾は納得したよう頷きながら、木蔭のベンチに腰かけた。

「そういえば湯原くん、お父さんと山登りに行っていた、って話してくれたことあるよね?お父さん、山岳会だったんだ?」
「そうみたい、だから奥多摩に登りに行くと、いつも交番に寄って挨拶してた、」
「じゃあ小さい頃から、知ってるんだ?」
「ん、そう、」

やさしい木蔭に笑い合って、素直に周太は微笑んだ。
こんなふうに木洩陽のしたで座ることは気持ちがいい、ほっと寛ぐ想いでいると瀬尾が口を開いた。

「土曜日、関根くんと昼ごはん一緒してきたよ。それで、お互いに想ってること言って、すっきり出来た、」

そう言った瀬尾の顔は言葉通りに、すっきりとしている。
こういう顔なら良いほうに纏まったろうな?そんな想いと笑いかけた周太に瀬尾は話しを続けてくれた。

「自分は兄妹がいるから家を守る責任も少ない、だから夢を目指せている。それなのに図々しいこと言って、ごめん。
そう言って関根くん、謝ってくれたんだ。新宿駅で湯原くんと別れた後、すぐにね。それで俺も歩きながら話したよ。
似顔絵捜査官として人間の弱い瞬間からも逃げずに向き合いたい、そうやって俺は心の背骨を作りあげたいくよ、って。
警察官になる夢が作ってくれた背骨と俺は生きていけるから、辞職しても夢は生き続ける。そう話したら、感心してくれた」

優しいけれど勁い眼差しが、木洩陽に笑っている。
この目に見つめられて逞しい意志を聴かされたら、きっと関根もよく解ったろうな?
ほっと嬉しい気持ち素直に、周太は微笑んだ。

「関根、すごく感心していたんじゃない?」
「うん、なんかすごく、褒めてくれてさ。ちょっと照れくさかったよ、」

嬉しそうに笑って瀬尾が梢を見あげた。
やわらかな風が木蔭を吹きぬけて、初夏の太陽を梢に揺らす。
きらきら光る木の葉がきれいだな?嬉しく見ていると、優しい声が教えてくれた。

「それでね、昼ごはん食べて、成城の駅まで一緒して。俺は実家、関根くんは成城署の独身寮に帰ったんだけどね。
駅着いたら、なんとなく関根くん落着かなくって。それで俺、つい聴いちゃったんだ。宮田くんのお姉さんのこと探してる?って。
そしたら関根くん、泣きそうな顔で真赤になってね?俺、悪いことしたと思って謝ったんだけど、すこし気持を話してくれたんだ、」

瀬尾にすこし話したことは昨夜、新宿からの帰り道で関根が話してくれた。
関根は英二と周太のことは完全に黙秘するつもりでいる、けれど英理との交際を隠すつもりはない。
だから瀬尾にも今夜、話すと言っていた。やっぱり関根の性格なら自分で話したいだろうな?そんな想いで周太は微笑んだ。

「きっとね、関根はまた、話してくれると思うよ?」
「うん、関根もそう言ってくれた。また話すよ、って。あ、もう5時だね?自主トレ行くよね、」

言いながら立ち上がった笑顔は明るい。
ほんとうに関根と話が出来たんだ?それが嬉しいと思いながら周太も瀬尾と歩き出した。

「湯原くんは救助隊の自主トレも行った、って言っていたよね?」
「ん、英二と光一のに混ぜて貰ったんだ…あ、光一って、英二のザイルパートナーなんだけど、」
「湯原くんの幼馴染、ってひとだよね?すごいクライマーだって藤岡くんにも聴いたよ、」
「そう、光一は本当にすごいよ?英二の先生でもあるんだ。その光一の幼馴染の人と俺、一緒に大学通ってて」

話しながら歩く道、植込みの木々から光が明滅にきらめいていく。
明るい影絵ゆらめくなか笑い合って、一緒に寮の入口を潜った。
そして互いの自室の前で別れてすぐ、ジャージに着替えると周太は廊下に出た。
その前をちょうどジャージ姿の瀬尾が通りかかって、気さくに笑いかけてくれた。

「あ、湯原くん、やっぱり一緒だったね?」
「そうだね、ちょうど良かったね、」

並んで歩いていくと、角を曲がった所で深堀が藤岡と歩いている。
声を掛けて4人一緒にトレーニングルームに入っていくと、活気が出迎えた。

「ちょっとマジ?これ、メーター壊れてない?」
「他のヤツ、ちょっと測ってみてよ?それで壊れてるかわかるだろ、」
「あ、平気だ、普通の記録だよな?じゃあ、マジなわけ?」

背筋力の測定器を囲んで賑やかになっている。
どうしたのかな?首傾げた向こうから、きれいな低い声が名前を呼んでくれた。

「周太、待ってたよ。スクワットするから、背負わせて?」

うれしそうに笑って英二がこちらに来てくれる。
けれど賑やかな輪から内山が呼び止めた。

「ごめん、宮田。もう一回やってみせてよ?」
「いいけど、でも、もうちょい間を空けてからにしてよ、」

すこし困った顔で答えながら「ちょっと待ってね?」と周太に笑いかけてくれる。
なにをするのかな?そう見ている先で関根がデジタル背筋力計の上に乗った。

「にぎやかだと思ったら、背筋力の測定してたんだね?」

みんなの様子から深堀が楽しそうに松岡へと笑いかけた。
興味深げにメーターを見ていた松岡はふり向いてくれると、笑って教えてくれた。

「うん、この7ヶ月で皆、どれくらい変化があったか見よう、ってことになってな、」

背筋力測定は測定時に背部から腰部、臀部、脚部、腕部と全身の筋群が稼働された状態となる。
そのため全身の筋量いわゆる除脂肪体重との相関性が高く、筋量の測定基準として幅広く利用されている。
ただし間違った姿勢だと腰部を痛めることが多く、同じ被験者の連続実施はしないことが原則とされる。
こうした体の無理を英二は山ヤとして警察医の補佐として避けるだろう、そういう英二のプロ意識が頼もしい。
だから「間を開けてから」と言うのも当然だろうな?納得しながら見ている賑やかな輪の中心で、関根が上体を起こした。

「関根、194.2Kg、」

デジタル表示を内山が読み上げて、みんなが軽くどよめいた。
日本人男子の20代標準が130~157kg、高くて183kgで野球選手でも190kg位だから関根はかなり高い。

「関根、すごいな。なんか運動やってたんだっけ?」
「運動とかしてないけどさ、俺、工場で働いてたから、重い物を持つこと多かったんだ、」

快活に笑っている答えに、昨夜の英理への告白でも話していた経歴を想ってしまう。
父親を亡くした関根は家計を援けるため高校卒業と同時に就職し、働きながら夜間大学で工学部を卒業した。
昼間の重労働と夜間大学の両立は決して安易ではなかったと、今の言葉と測定値から解かる。

…関根、ほんとうに努力家なんだ

きっと仕事で疲れ果てた日もあったろう、講義が眠たい時もあったかもしれない。
それでも関根は4年間できちんと卒業したから、周太たちと同期採用されてここにいる。
これは並大抵の根性では出来ない、本当にすごいな?素直に感心していると、今度は並んで見ていた藤岡がひっぱりこまれた。

「藤岡も山岳救助隊だろ?背筋力とか凄いんじゃない、」
「俺は身長も体重も無いからさ、そうでもないよ、」

からり笑って藤岡も背筋力計の台に乗ると、両足を15cmほど離して立った。
膝を伸ばしたままハンドルを順手で握り、背筋を伸ばして上体を30度前方に傾ける。
その前に片膝ついた内山が、背筋力計の鎖の長さを随分と調節した。

「関根の後だと俺、チビだってバレバレだよなあ?あはは、」

いつものよう人の好い顔で明るく笑っている。
周りも笑っているなか準備が整うと、きちんと膝を曲げずに上体を起こし上げた。

「藤岡、212.9kg」

体重における背筋力標準値の算式は、男子の場合「体重×2.25倍」
藤岡は周太と同程度の身長と体重だから135~150kg位が標準、だから相当の高記録となる。
背筋力計を囲む輪に、どっと賞賛の拍手があがった。

「すげえな、藤岡。自主トレ何やってんの?」
「じいちゃんの手伝いで畑やってたからだと思うよ?鍬で耕すのとか柔道のトレーニングになる、って言われてやってたんだ」

からっと笑って何でもない顔で藤岡は答えてくれる。
けれど「じいちゃん」は震災の津波で亡くなったと周太は知っている、そして卒配された藤岡の最初の行政見分は水死体だった。
それが酷い衝撃になって藤岡は拒食状態に陥り、それでも吉村医師の援助のもと立ち直ったことを知っている。
この「知っている」が明るい賞賛になって今、温かい。また隣に戻ってきた友人に周太は笑いかけた。

「すごい、藤岡、」
「ありがとな、でも、まだまだレスキューとしてはさ?」

同じ高さの目線から笑い返してくれる。
みんなの賞賛のなか照れくさげな笑顔は、ちょっと悪戯っ子の目で周太に教えてくれた。

「宮田の記録はさ、半端なく、すごいよ?」

卒業当時の英二は確か、背筋は185kgだった。
あれより記録が伸びたろうと予想はつく、いつも周太を軽々と抱きあげてくれるから。

…あ、そんな例を出しちゃダメだってば、

自分で自分に頭をふって「抱きあげて」を意識から追い払う。
だってこんなこと考えたら、首筋から真赤になってしまうに決まってる。
そんなの困るからダメ恥ずかしい、ほっと1つ呼吸して納めた先、英二が内山に促された。

「宮田、そろそろいけそう?」
「うん、いいよ、」

いつもの穏やかな笑顔で英二が背筋力計の台に乗った。
きれいな姿勢で構える足元で、また内山が鎖の調整をしてくれる。
セッティングが終わると英二は、規定通りの姿勢で上体を起こしあげた。

「宮田、319.8kg」

いま、なんて数値だった?

確か日本人だとハンマー投げのオリンピック選手が390kgとかで最高だったよね?
でもあの人は体重も90kgとかだから、英二の体重より重たい分だけ有利だし?
そんな考え廻らせ見ている先で、涼やかに端正な長身がこちらに歩いてくる。
きれいな笑顔で周太の前に立つと、嬉しそうに英二はお願いしてくれた。

「お待たせ、周太。背負わせてくれる?スクワットから始めたいんだけど、」
「…あ、ん、」

こんな背筋力だったら、60kgそこそこの自分を背負うのは簡単だよね?
そんな感想と頷いた周太を見ながら上野が首傾げて、英二に訊いた。

「あのさ、宮田?いつも誰か背負って、スクワットしてるわけ?」
「うん、そうだよ?署ではパートナー背負うんだけど、スクワット以外もそんな感じだな、」

なにげなく答えた英二を、驚いた顔で皆が見ている。
なんか変かな?そんな顔の英二の前から内山が藤岡をふり向いた。

「藤岡もそんな感じなのか?」
「うん、宮田ほど何でもじゃないけどね。いつも救助隊は訓練で、パートナー背負って岩壁登ったりするよ?現場でやるわけだし、」

答えて藤岡が、からり笑った。



消灯前の時間、ひとり自室で美代の質問メールに解答すると周太は電話を架けた。
2コールで繋がって、透明なテノールが恥ずかしげに微笑んだ。

「こんばんは、周太。昨夜はごめんね、泣いたりして、」
「ううん…話してもらえて、よかったよ?」

答えながら窓から見上げると、空に月がかかっている。
きれいだな?月に笑って周太は言葉を続けた。

「光一、英二と一緒にいるとき、もう不安にならないで?」

小さく息を呑む声が、送話口から伝わった。
意外なことに途惑う、そんな気配の向こうからテノールの声が訊いてくれた。

「もしかして、周太、英二に言ってくれた?」
「ん、…おせっかいかな、って、思ったんだけれど、ね?」

いくら婚約者が相手でも、夜の事情にまで口出すのは恥ずかしかったな?
なんだか今も首筋が熱くなりそう、ひとりの部屋で困っていると光一が尋ねた。

「なんて言ってくれたの?」
「無理強いは絶対ダメだよ、って言わせてもらったよ?…されるのは本当に不安だから、怖いんだから、ってはっきり言っちゃった、」

答えながら今朝の、呆気にとられ困惑する顔を思い出してしまう。
あんなふうに言ったことは無かったから、きっと英二は驚いただろうな?考えながらも周太は言葉を続けた。

「光一は純情だから真剣に悩んでるよ、冗談でも体のこと無理強いしないでね、そう話させて貰ったよ?…おせっかいならごめんね、」
「うれしいよ。だって俺のこと、守ろうとしてくれてるね、」

うれしそうなテノールがすこし笑ってくれる。
昨夜の涙を想うと、今この笑ってくれる気配が嬉しい。良かったかな?微笑んだとき遠慮がちな声が尋ねた。

「あのさ?…あいつ、なんて言ってた?」
「ん、絶対に無理強いしない、って言ってくれたよ?…愛してるから大切にしたい、って光一のこと言ってた、」
「そっか…うん。ありがとうね、周太、」

答えた言葉の向こう、安堵と嬉しそうな想いが気配伝わる。
きっとあとで英二自身が光一に謝るだろうな?そっと予想しながら周太は気になる事を尋ねた。

「あのね、光一?…例の強盗犯って、まだ見つからないの?」
「うん、まだなんだよね。いま藤の花が盛りでさ、ハイカーも多いから気になるんだけどね、」

本当に困る、そんなトーンで話してくれる。
元気そうな声は明るさが頼もしい、けれど周太はお願いをした。

「光一?くれぐれも気を付けてね?…光一なら大丈夫だとは、想うけど、」
「心配してくれるんだね、ドリアード?ありがとう、俺、気を付けるね、」

幸せそうな声が「山の秘密の名前」で周太を呼んで、笑っている。
こういう明るい声なら大丈夫だろうな?そんな安心とすこし話をして周太は電話を切った。
クライマーウォッチを見ると、ちょうど点呼の時間になっている。

「ん、ちょうど良かったね、」

デジタルの時間に微笑んで廊下に出ると、ちょうど場長の松岡が回ってきてくれた。
すぐに点呼は済んで、また部屋に戻ると周太は静かに窓を開けてみた。
そっと開いていく隙間から、ふわり緑含んだ風が頬を撫でてくれる。

「…風、気持いいね、」

夜の瑞々しい大気は木葉を薫らせ、やさしい初夏の宵を告げていく。
ゆるやかな夜風が心地いい、気持ちよくて窓を開けたまま周太はデスクの前に座った。
もう消灯時間、デスクライトだけに光を落とすと、部屋はあわくブルーふくんだ白い光に浮かび上がる。
夜の気配くゆらす光のいろに、活けた花菖蒲も眠りに入っていく。ライト艶やかな青紫の花びらに指ふれて、周太は微笑んだ。

「…きれいだね?一昨日の夜は、留守番ありがとう、」

そっと笑いかけて、抽斗からファイルを取出しページを繰る。
昨夜の続きから読み始めた静かな部屋に、かすかな話し声が隣から聴こえてきた。

「……ん、……ごめ…、…しんじていいよ?……だな…」

きれいな低い声の、壁越しの声。
この壁の向こうに大好きな気配は座りこんで、奥多摩に今を繋げている。
この壁の向こうも奥多摩の夜も、どうか幸せに笑っていて?そんな願い祈るよう微笑ながら、周太はペンのキャップを外した。
その手元を頬を、やさしい初夏の夜が窓から訪って、ふわり風に撫でてゆく。

露と樹木の香ふくむ風、ページを繰る紙ずれ、ときおりペン走らせる音。
かすかでもトーンだけは響くきれいな低い声の気配、あわいブルーの光の底の時間。
ゆらめくよう穏やかな時充ちて居心地いい、静謐の夜に勉強する時間が楽しい。

…こういうの、いいな、

壁ひとつ向う、見えないけれど気配はすぐ隣。
こんなふうにいつも傍で気配感じていられたら、きっと幸せだろう。
その幸せが今、ここで与えられている。その感謝が今ここで温かい。
きっと今この瞬間が、自分に送られた記憶のギフトだろうな?想い、微笑んだとき扉がノックされた。

「…あ、」

音に我に返ると立ち上がって、周太は扉を開いた。
開かれた隙間から予想通りの笑顔がのぞいて、すこし困ったよう微笑んだ。

「周太?今夜も俺、一緒にいさせてくれる?」
「ん、」

笑いかけ部屋に招じ入れて、そっと扉閉じて鍵掛ける。
かちり、施錠の音たったとき、長い腕が背中から周太を抱きしめた。

「ありがとう、光一に話してくれて…喜んでくれたよ、」
「よかった、」

ほっと笑って肩越し見上げると、切長い目が穏やかに笑んだ。

「周太、どうして…そんなに君は、優しいの?」

きれいな低い声が尋ねてくれる、そのトーンが切なくて心が刺されてしまう。
どうしてそんなに切ない声で訊いてくれる?今なんて答えたら良いの?
そんな途惑い見つめた想いごと、頼もしい腕は抱き上げてくれた。

「周太、」

名前を呼びながらベッドにおろして、キスふれる。
唇ふさがれる優しいキスに、瞳とじられて、抱きよせられて。抱きしめてくれる体温が全身をくるみこむ。
唇重ねたまま横たえられて深まるキス、強くなる腕の想いが軽くベッドを軋ませる。

きぃ…ぎし、き…

スプリングの音、シーツが黒髪の下に擦れる音、それからキスふれる唇のかすかな聲。
白いシャツもコットンパンツも脱がされない、けれど心ほどかれてキスと音に沈められる。
布越しの体温ふれる、やさしい腕の力強い温度が抱きこめる。ふれた唇のむこう絡まる熱が、求められ心融かして繋がれていく。
果てないキスの想いが口移しされて、あふれた熱は涙に変わり瞳こぼれおちた。




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第48話 薫風act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2012-06-27 23:45:38 | 陽はまた昇るanother,side story
時よ風、ゆるやかに



第48話 薫風act.1―another,side story「陽はまた昇る」

やさしい光が白い部屋に充ちていく。
あわいオレンジ色ほのかな暁は、ゆるやかな空間を作ってくれる。
まだすこし眠りの残滓が残ってしまう、けれど周太は目を開いた。

「おはよう、周太。俺の奥さん、」

きれいな低い声が笑って、唇にキスふれる。
ふれる温もりが幸せで周太は微笑んだ。

「おはよう、えいじ?…きのうは、おつかれさま、」
「周太こそ。昨日、疲れたんだろ?ことん、って眠っちゃったもんな、」

切長い目に笑われて、周太は昨夜のことを思い出した。
そういえば自分は勉強していたはずだった、いつのまに眠ったのだろう?
昨夜は英二が予約した店で英理と関根と食事して、帰寮したのは20時半だった。
すぐ風呂に入って勉強して、光一と電話して美代とメールして、点呼の後は英二が法医学を教えてくれた。
その最中に眠りこんだ?申し訳なくて首筋が熱くなってくる、ふとんの中で抱きしめられたまま、周太は素直に謝った。

「ごめんなさい、英二が勉強教えてくれていたのに寝ちゃって…英二こそ救助隊で、疲れていたのに、」
「こっちこそ、ごめんな?周太が勉強してる時に俺、光一に電話かけたりして、」

端正な顔が困ったよう笑いかけてくれる。
そういえば英二の電話中までは記憶がある、けれどその先は今の目覚めに飛んでしまう。
きっとその間に墜落睡眠した?気恥ずかしさと光一の想いに微笑んで、周太はちいさく首をふった。

「ううん、電話してあげて?光一、待ってたでしょ?」

昨夜の光一は、寂しかった。
周太が架けた電話でも、テノールの声は臈たけた艶が寂しげだった。
その声のままに素直な気持ちを話して、相談してくれた。

―…なんかね、影を追っちゃうんだよね。名残を見つめて…ベッドが広すぎて

土曜の夜、ふたりだったベッドが、独りになれば広すぎる。
そんな想いの寂寥を自分も知っている、10月から何度も感じてきたことだから。
そんな寂しい時間に掛けられる電話は、救いの灯火に感じるだろう。それが逢いたい相手なら尚更に。
しかも昨夜は、英二は周太の携帯では無くて自分の電話から掛けた。

 『約束の時間を、決めてきたんだ』

そう言って英二は、すこし困ったよう笑ってくれた。
こういう約束を光一は、ずっと欲しかっただろうな?待っていただろうな?
その願いが叶ったことが嬉しくて微笑んだ周太に、やさしい笑顔を英二は咲かせてくれた。

「うん、待っててくれた。ありがとう、周太、」

呼ばれた名前と優しいキスが額にふれる。
優しさに、昨夜の席で見た横顔の微笑が想われて、そっと周太は訊いてみた。

「ね、英二?お姉さんと関根のこと、すこし寂しい?」
「周太には、解っちゃうんだな、」

切長い目が寂しいと嬉しいを混ぜて笑んだ。
ちょっと複雑だな?そんなふうに周太を見つめて、英二は話してくれた。

「昨日、姉ちゃん本人も言っていたけどさ。姉ちゃんって恋愛に自信が無くて、ちゃんとした彼氏も居なかったんだよ。
モテるんだけど、3ヶ月位で別れちゃって。その間も、デートとかほとんど行かないまんま終わってね、意外と気難しいんだ。
だから俺、ちょっと安心してるとこあった、弟の自分が一番の近くにいられる、って。そんな感じで俺、ちょっとシスコンなんだ、」

すこし恥ずかしそうに端正な顔が笑って、見つめてくれる。
なんだかすこし羨ましい、この想い素直に周太は笑いかけた。

「お姉さん、すごく素敵だから。シスコン?も仕方ないよ、寂しいのも…でも、英二?おれがいるのにふまんなの?」

言って、最後が変なトーンになってしまう。
言っておいて自分で気恥ずかしい、けれど正直にワガママ言いたくて、周太はすこし拗ねた。

「外泊日だって、光一とずっといた癖に?光一と俺と、ふたりも好きにさせて傍にいる癖に、さびしがるなんて?よくばり、」
「周太、ごめん、そんな顔しないでよ?」

むくれた顔の周太に困った笑顔が、なんだか嬉しそうに笑いかけてくれる。
きれいな長い指が頬くるんでキスの予感がふれる、けれど周太はくるり寝返り打って、ふとんに顔を埋めこんだ。

「キスなんてしてあげない、どうせ光一といっぱいしてきたでしょ?その癖、お姉さんとられた、寂しい、って悄気るんだから、」
「そんなこと言わないで、周太?俺、周太にキスしたい、」

きれいな低い声が困っている、宥めるようなトーンに求めてくれる想いが見えて嬉しくなる。
もうちょっと拗ねていたいな?子供じみているけれど、そんな自覚にふとんの蔭で笑って周太は拗ねた。

「もう朝だし、キスなんかしないの、」
「どうして?一昨日の朝は周太、沢山させてくれたよ?ね、キスさせて?」

一昨日の朝。
その記憶に首筋へとすぐ熱が昇りだす。

…ちょっと、この記憶は恥ずかしすぎちゃうよ?

一昨日の朝、このベッドで、この位の時間だった。
こんな重なりが気恥ずかしい、ますます顔が上げられなくて困ってしまう。
ぎゅっと布団を抱きしめ顔を埋めて、けれど思い出したことに周太は婚約者をふり向いた。

「英二、7月の、お盆明けの週末って、川崎の家に帰って来られるかな?」
「うん、予定が先に解れば、大丈夫だと思うけど?」

ふり向いた先、困っていた貌が嬉しそうに笑ってくれる。
こんな目が合っただけでも喜んでくれるの?ちょっと心ゆるめられて周太は微笑んだ。

「あのね、お母さんが社員旅行で、金曜の夜から日曜の夕方まで留守なの、だから留守番お願い、って言われて。
でも俺、土日は大学のフィールドワークで留守番できなくて…英二に留守番、お願いしても良い?独りが寂しかったらね、
光一も一緒に留守番して貰えると助かる、って、お母さんが言ってるんだけど…金曜の夜は俺、家に居られると思うんだけど、」

切長い目がすこし考えるよう、ゆっくり1つ瞬いた。
すぐ穏やかに笑って、英二は頷いてくれた。

「その土日はね、俺と光一は本庁で山岳講習会があるかもしれないんだ。だから、川崎に泊まれるなら、光一も助かると思うよ、」
「あ、それなら、ちょうど良かったね?」

ふたりが留守番してくれるなら、安心だな?
素直に笑って、けれどワガママ1つ言いたくて周太は口を開いた。

「でもね?光一とふたり一緒には、俺のベッド使わないでね?たぶん光一は遠慮してくれるだろうけど、」
「うん、使わないけど。でも周太、なんで俺にそんなこと言うんだ?」

やさしい笑顔が不思議そうに尋ねてくれる。
その質問に周太はすこし婚約者を睨みつけて、正直に言った。

「英二?光一のこと、最近よく『はつたいけんもらう』とか言って、無理に組み伏せて、いじめてるでしょ?だから釘刺してるんです、」

言葉の先で、きれいな切長い目が大きくなった。
さあっと音たつよう白皙の顔が真赤になっていく、途惑いと羞恥が英二を染めていく。
どうしよう?そんな途惑いに端正な唇が息呑んで開いた。

「…それ、どうして、」
「昨夜、光一が電話で相談してくれたんです。どうしたら英二のこと止められるの?って訊かれたんです、」

きちんと事実を答えながら周太は起きあがった。
昨夜は電話のときだけ周太は自室で1人だった、だから光一も話せたのだろう。
ほんとうに困っちゃうな?布団を抱きしめたまま座り直す周太に、呆気にとられた声が訊いてきた。

「光一が、周太に相談したの?」
「はい、そうです。光一は困っています、」

きっぱり言って周太は、ベッドの上にきちんと正座した。
けれど抱きしめた布団で顔をすぐ隠せるようにしながら、婚約者を見下ろして微笑んだ。

「どんなに好きな相手でも、親友でも、やっぱり不安なんだよ?だから光一、昨夜、電話で泣いちゃったんだから、」

―…俺、ほんとは怖いんだ、

そう言って光一は、昨夜の電話に泣きだした。
静かな声に涙呑みながら、光一は素直な想いを話してくれた。

―…周太、俺ね?えっちする方は、それなりに自信あるんだよね。俺のペースで好きに出来るし、自分次第だから。
  でも、されるのって考えたコト無くて…俺、細いけど背もでかいし、力あるし…誰も俺のこと組み伏せられなかったから。
  だけど英二だと、俺がされるほうになる…好きだから、求めてくれるなら、体繋げてみたい、英二を受容れたいよ?ほんとに
  でも怖くて…えっちするトコじゃないのに、あそこ使うだろ?…実際に俺、自分の指で少ししてみたけど、確かに気持ちよかった。
  だけど、あそこにアレ入るのかよ?って…無理だろ、って、想って、怖くなって…だから俺、もう、2回も拒否しちゃって…ね、
  冗談半分だったけど、拒否は拒否だよね?…どうしよう?次も断ったら、俺、もう…好きな人と体繋ぐ幸せは…出来ない、かな?

告げてくれた想いが切なくて、自分もよく解ってしまう。
よく解るから、光一の迷いも哀しみも受けとめたくて、黙っていられない。
なにより大切な2人どちらも泣いてほしくない、真直ぐ婚約者を見つめて周太は、はっきり言った。

「されるのって不安で、怖いんだよ?でも好きだから、嫌われるの怖いから、強くは拒否出来ないでしょ?
それでも怖いの。されるほうは自分の体を、内臓の一部を本来の使い方じゃないことに使って、受入れるでしょ?
もし間違ったら傷もつくし、それが原因で病気になる事もあるよ。それも、自分のペースじゃなくて相手次第で受入れるなら、不安だよ?」

英二も周太のことを、受入れてくれる。
けれどそれは、いつも英二のペースでするから「相手次第」の不安を英二は知らない。
この不安を解らないと英二は、おそらく光一を傷つけてしまう、きっと無垢の光一には深い傷になる。
そんなことはさせたくない、祈る想いで周太は言葉を続けた。

「本来と違う目的だから、痛いし負担もあるよね?それをね、相手のペースで受け入れるの、大変…特に最初は、すごく苦しいよ?
されるのはね、本当に気分がそうじゃないと、無理なの。するのと、されるのは、全然違うんだと思うよ?だから光一は途惑って悩むの、」

見下ろされている端正な顔は驚いたよう、困ったよう周太を見つめてくれる。
きれいな切長い目で見つめたまま起きあがると、英二は哀しげに微笑んだ。

「周太…最初、怖かったよな?苦しませて…ごめん、俺…あのとき、いっぱい周太を傷つけて、」

あの卒業式の夜、なにもかも初めてだった。
なにも解からないまま英二に身を任せて、あまい傷みは心も体も引き裂いて。
そして翌朝は体中が痛くて、下肢には血痕がこびりついていた。あのときの記憶に周太は微笑んだ。

「ん、痛かったよ、あのとき。でもね、俺はなにも知らなかったから、逆に怖くなかったんだと思うよ?
それに痛いのもね、英二の気配が残ってるみたいで…俺にとっては全部、幸せだったから。でもね、光一は、また違うの、」

あの日の途惑いと喜びが懐かしい、いま見つめてくれる綺麗な困り顔を赦したくなってしまう。
けれど周太はひとつ呼吸して、きちんと釘を刺し止めた。

「光一は純情なの、英二のこと、すごく一生懸命に恋愛してるの。だから光一、えっちすることも一生懸命に悩んでます。
大切な唯一のアンザイレンパートナーを失いたくなくて、でも恋愛になって…ほんとに途惑ってるんだよ?からかうのも加減して?
なによりね、英二?光一は山ヤで山っ子だから、すごく体は大切でしょ?だから俺よりも光一の方が、ずっと覚悟がいるはずだよ?
英二にとっても光一は、大事な『唯ひとり』でしょ?きちんと大切にして?それが出来ないようなひとが婚約者だなんて、俺は嫌です」

告げてすこし睨んだ先、切長い目が哀しみに困惑に瞠られる。
ほんとうに気付いていなかった、解かっていなかった、そんな途惑いが美しい顔に翳していく。
途惑いと後悔に、端正な唇が喘ぐよう息呑んで、言ってくれた。

「…ごめん、周太…そんなに困らせてるの俺、解ってなかった…ごめん、俺、ダメだね?でもお願いだから、嫌わないで、」

お願いだから嫌いにならないで?
哀しみに困り果てた顔で、英二は切ない溜息と微笑んだ。

「周太、俺はね?本当に光一も大切だよ、恋とは違うけれど愛してる。でも…つい光一のこと虐めたくなるんだ。
今まで散々、あいつに悪戯されて、からかわれたからかな?つい仕返しみたいに、あいつの体に悪戯してやりたくなる。それに…」

端正な唇からため息こぼれて、一瞬のためらい閃く。
それでも英二は、正直に口を開いてくれた。

「それに、本音を言うと俺、最近、光一を抱きたいなって感じる。だから半分は悪戯だけど…誘ってもいる、」

切長い目が哀しそうに笑って、周太を見つめた。
その眼差しに「本音」が真実だと解ってしまう。

…ほんとうに、英二、そう想うようになったんだね

いつか、ふたりは体交わす。そして絆をまた深く結い合わせる。
そんな予兆がすこし痛い。けれど、ふたり絆を深めてくれる事を自分が一番に望んでいる。
そうしてくれたら何があっても、ふたりは支え合って幸せに笑い続けてくれるだろうから。
ひそやかな覚悟を布団ごと抱きしめながら、受容と拗ねたい想いとに、周太は正直に笑った。

「光一がしたくなってからしてください。でも、俺のベッドはダメです。無理強いも絶対ダメ、いじめすぎも禁止。
光一のこと、きちんと見て大切にしてあげて?…それで、俺のことも忘れないで?お願い、英二、あいしてるのなら言うこと聴いて?」

愛情を盾に告げながら、布団に顔を半分隠す。
だって今ほんとうは、片方の瞳から涙がこぼれてしまうから。
それでも片方の瞳は真直ぐ見つめて、微笑んで婚約者を見つめていられる。見つめるひと想う命令に周太は微笑んだ。

「光一のことも愛してるんでしょ?なら大切にして。英二は、俺に恋してる恋の奴隷なんでしょ?だったら俺の言うこと聴けるよね?」
「うん、ちゃんと言うこと聴くよ。だから俺のこと、嫌いにならないで?…いなくならないで、」

素直に頷いて、きれいな笑顔が切ない瞳で見つめてくれる。
そして長い腕が伸ばされて、布団ごと周太を抱きしめてくれた。

「お願いだ、周太。俺が恋して伴侶にしたいのは、君だけなんだから。昨夜、関根にも言った通りだよ…俺の嫁さんになってよ、約束して?」

耳元に響く、きれいな低い声。
どこか祈るような声が愛おしい、愛しくて幸せに微笑んで、けれど正直に周太は言った。

「言うこと聴いてくれなかったら、なってあげない、約束してあげない、」
「言うこと、なんでも聴くから。だからお願いだ、約束してよ、周太?」

即答してくれた、その祈りの声が愛しい。
愛する想い幸せで、切なくて、布団に隠した瞳から、涙またこぼれてしまう。
だって解かる。こんな声のときは、きっと英二は気づいてしまっている、隠している涙を気付かれた。
だって今、抱きしめられた肩にそっと、温かい涙が沁みていく。

…英二、涙の意味に、なんとなくでも気づいて…一緒に泣いてくれてるね?

光一と英二が結ばれることが、哀しいのではない。
さっき告げた「俺のことも忘れないで」この言葉の意味に涙こぼれてしまう。
こんなこと言いたくない、けれど今ここで言わなかったら後悔するかもしれない。

…この研修が、終わったら

いま毎日が寄添いあえる時間、けれど、これが最後になる?
この時間が終わって夏、そして秋になった時、ふたり立つ場所の距離はどこまで遠い?

この想いが、切ない。
けれど、お互いこの想いは言わない、この今の幸せを曇らせたくないから。
だから今も笑っていたい、周太はきれいに笑って幸せに拗ねながら、ねだってみせた。

「ね、英二、来週は川崎に帰ってきて?夏みかん採るから、手伝って、」

布団の陰に唇も片方の瞳も隠したまま、言ってみる。
そんな周太に切長い目は笑いかけて、幸せそうに頷いてくれた。

「うん、来週は帰るよ。土曜日の朝は青梅署にちょっと戻るけど、夜には川崎に帰る。だから日曜に手伝っても良い?」
「ん、それならいいよ?…もう光一に無理なちょっかい出さないでね?」
「はい、しません。だから周太、キスさせて?」

もう、涙は止まってくれた。
そっと布団抱いた手をゆるめると、待っていたよう長い指の手が布団おろしてくれる。

「愛してる、俺の未来の花嫁さん、」

祈りの言葉にきれいな笑顔咲かせて、婚約者は優しい温もりのキスふれた。



硝煙の匂いが頬撫でる。
この匂いにもう自分は、すっかり馴れてしまった。
イヤープロテクターを通す轟音も、鼓膜をさほど驚かさない。
銃口の先で標的は淡々と、狙撃に「的中」のランプが点灯しては消えていく。
いつもと変わらないノンサイト射撃片手撃ち。両目で標的を捕捉する視線上、サイトを突き出し構えて、引き金を絞る。

遅撃ちから始まった射撃訓練は、5分間の制限時間内に5発撃ちを4回。計20発
一発撃つごとに腕を45度下に向けて、休ませる。この規定通りの動きで確実に狙撃する。
遅撃ちが終わり速撃ちに移る時は、グリップの握り方を変えて、構え方も少しオープンな姿勢に変える。
7秒ごとに3秒間現われる標的を1発ずつ5回撃つ。これを4回行い、計20発。
速撃ちは速射ともいうように3秒の間に1発とターンが速い、構え直す時間は無いままに銃を構えた姿勢を保持する。
このためには発射の衝撃に片手で耐えられる筋力と、バランスが要求される。

…実戦になったら、現場になったら、もっと厳しい…いつ構えを解けるか分からない

最後の一発が撃ちぬいた標的の「的中」、その向こうに現場が見える。
あの場所は昏い孤独に沈む場所、ずっとそう思っていた。けれど今はもう希望を抱いて立に行く。
そのために昨夜も英二は疲れているのにファイルを開き、自分に勉強を教えてくれた。
きっとあの一冊を頭に正確に入れたなら、希望は大きく明るくなる。
そんな想い微笑んで見た先で、10点満点が表示された標的が周太以外にもう一基あった。

…あ、

心に驚きと、それから喜びを見て周太は微笑んだ。
その標的の前、イヤープロテクターを外す長い指が積んだ努力と、11月に見つめた救助隊服姿が重なってしまう。
11月に新宿の街角で佇んでいた覚悟が、あのときの傷みと幸せと一緒に視線の先に今、立っている。

「宮田、満点かよ?すげえな、」
「あいつ、射撃は上手かったけど。満点は無かったよな?」

同期たちの声が聞えてくる。
そんな声達にも英二の変化が知らされて、その意味と想いがまばゆい。
この変化を英二が望んだ原点がなにか?それは自分が一番知っている。
…たくさん努力してくれたんだね、この7ヶ月間

卒業配置の7ヶ月、これは現場研修とも言われる期間にあたる。
研修というには英二にとって厳しい期間だった、だからこそ山岳救助隊は本来が卒配先に選ばれない。
元からクライマー専門枠での任官なら可能性もあるだろう、光一がそうだったように。けれど英二は一般枠で山の経験すらなかった。
それでも英二は生死を廻る山の現場に7ヶ月間立ち続け、クライマー専門での正式任官と警視庁山岳会次期セカンドの立場を掴んだ。
たった7ヶ月間、秋と冬と春、三つの季節の中で英二は変貌した。

「なんだか湯原くん、前よりも上手くなった?やっぱり優勝者って、すごいね、」

射場のブースから下がると瀬尾が笑いかけてくれた。
優しい笑顔の率直な賛辞が嬉しくて気恥ずかしい、すこし困りながら周太は微笑んだ。

「ありがとう、でも英二の方がすごいよ?…7ヶ月で満点が出るようになったんだから、」
「うん、宮田くん、すごいよね?なんか…あ、敬礼だね?」

またあとでね?そう優しい目は笑んで瀬尾は整列に加わった。
周太も自分の立ち位置で時限終了の敬礼を終えると、すぐに隣から綺麗な低い声が微笑んだ。

「おつかれさま、周太。すぐトレーニングに行く?」
「おつかれさま、そうだね?…あ、」

答えかけて周太は英二の隣を見あげた。
視線の先で快活な大きな目が笑んで、明るい声がすこしだけ羞んだ。

「おつかれ、宮田、湯原。昨日は、ありがとな?」

照れくさそうな笑顔で関根が言ってくれた。
昨夜のまま明るい笑顔が嬉しい、嬉しくて周太は微笑んだ。

「俺、なにもしてないよ?でも良かったよね、おめでとう、」
「あはは、おめでとう、ってなんか照れるよな?でも、ありがとな、」

射場から出ながら関根の顔は幸せに綻んだ。
ふわり、若葉の風が吹きよせて、硝煙の匂いを揺らせて消していく。
陽射しが屋内に慣れた目にまぶしい、今日も良い天気だな?そう微笑んだ隣で英二が笑った。

「昼に姉ちゃん、メールくれたよ。昨夜は帰ってから長電話しちゃった、彼は寝不足大丈夫そう?ってさ、関根の心配してた、」
「あ、俺、今すげえ幸せ。どうしよ、やばい、」

快活な笑顔が赤くなっていく。
本当に幸せそうな笑顔は明るくて眩しい、こういうのは良いな?
そんな想いに微笑んで、陽射しに目を細めた視界の後姿に周太は、英二をふり向いた。

「英二、ちょっと瀬尾と話してきても良い?さっき、話の途中だったから、」

さっき射場で少し話した時、瀬尾は他にも話がある雰囲気だった。
きっと土曜の昼の話かな?そんな予想に首傾げた周太に、英二は笑いかけてくれた。

「うん、いいよ。じゃあ先にトレーニングルーム行ってるな?そのあと、学習室にいるよ、」

きれいな笑顔が「気にせず行っておいで?」と笑ってくれる。
その隣の関根にも笑いかけて、周太はすこし先を歩く後姿に駆け寄った。





(to be continued)

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第47話 陽面act.4―another,side story「陽はまた昇る」

2012-06-26 23:41:45 | 陽はまた昇るanother,side story
想い、続いて



第47話 陽面act.4―another,side story「陽はまた昇る」

16時半を過ぎて、新宿は明るい黄昏の気配が降り始めていく。
あわく薄紫さす空はどこか優しい、駅前の通りから眺める空に周太は微笑んだ。

…きれいだね、新宿の空も

最初は、そんなふうに想えなかった。
ここは父が銃弾に斃れた街、そんな想いが重苦しくて寂しくて、孤独の底を感じていた。
けれど今はもう、この街にも優しい想いをたくさん知っている。
そんな優しい一角を通りかかって、そっと周太は店内をのぞきこんだ。

「ここ、素敵な花屋さんよね?周太くんも来るの?」

隣歩く英理も一緒にのぞきこんで、笑いかけてくれる。
訊かれたことに首筋が熱に染まりだす、それでも周太は正直に微笑んだ。

「はい、よく来ます…ここのひとすてきだからすきで…それ英二もしってます」
「あら、英二公認のライバルさん、ってことなのね?」

答えに綺麗な声が愉しげに笑ってくれる。
だんだん熱が首筋を昇ってくるのを感じながらも、素直に答えた。

「あの、えいじを好きなのとは、ちょっと違うんです…憧れ、って、母と英二は教えてくれました、」
「憧れか、いいな?周太くんみたいな、きれいな男の子に憧れてもらえたら、きっと嬉しいわよ?」

そんなふうに言われると、余計恥ずかしいな?
くすぐったい想いと笑った背中から、優しい声が掛けられた。

「こんにちは、今日は素敵な方と、ご一緒なのね?」

声に心臓がひっくりかえった。
それでも振向いて、周太は素直に笑いかけた。

「こんにちは、今日はふたりです。でも…ごめんなさい、見ていただけなんです、」
「見てくれるだけでも、嬉しいわ。お客さまも、なんどか来て下さった方ですよね?あわいピンク色のお花を、よく買われる、」

優しい笑顔が英理にも笑いかけてくれる。
すこし切長い目が驚いたよう大きくなって、綺麗な声が楽しそうに笑った。

「はい、なんどかお花、買わせてもらっています。よく花の好みまで、覚えていますね?」
「これぐらいしか、取柄がないんです。雰囲気とお花の好み、ってなんだか似ているから、覚えやすくて、」

すらりとしたエプロン姿の女主人は恥ずかしげに微笑んだ。
さらさらの髪をスカーフでまとめた優しい笑顔は、温かみと爽やかさが素敵だなと思ってしまう。
いつものよう花に囲まれながら、彼女は英理の持っているブーケと周太に笑いかけてくれた。

「素敵なブーケですね、芍薬とライラック、この季節きれいな子たちだわ。みんな露地物ですよね?もしかして、君が育てたお花?」

きっとそうでしょう?

そんなふうに優しい瞳が周太に笑いかけてくれる。
このブーケは母に教わってまとめたから、お店で見るものとラッピングも変わらない。
それでも彼女は、ひと目で周太が育てブーケにしたと言い当ててしまった。

…どうして解かるんだろう?

やっぱりこのひと、花の女神さまなのかな?
見た感じは周太たちより少し年上で、落着いた瑞々しさに空気がやわらかい。
やっぱり人間の女の人だろう、けれど不思議なひとだな?素直に驚いて周太は女主人を見つめた。

「はい、そうです…どうして解かったんですか?」
「なんだか雰囲気が似ているな、って思ったんです。とても素敵なブーケね、やさしくて清楚で、この子たちを活かしてるわ、」

優しい声が周太の花を褒めてくれる。
褒めてもらって嬉しい、けれど気恥ずかしくて首筋から頬まで熱くなってしまう。
ちょっと困りながらも周太は、素直に女主人に笑いかけた。

「ありがとうございます…プロの方に褒められて、恥ずかしいけど嬉しいです、」
「こちらこそ、プロなんて言われると照れちゃいます。こんなに可愛い子たちを育てられる人に、褒められたら、」

さらさらの束髪ゆらして彼女も笑ってくれる。
こんなふうに花を褒めてくれるなら、失礼にならないかな?
いま思いついたことに呼吸ひとつして、白い和紙に包んだだけの花を彼女に差し出した。

「あの、良かったらこれ、差上げます…ちゃんとしたブーケじゃないんですけど、」

白の芍薬を1本、寮の部屋に活けようと思って切って来た。
いま活けてある花菖蒲の根〆にと、なにより庭の花を英二にも見せたくて連れてきた。
だからちゃんとブーケにもしていない、それでも受けとってくれるかな?想いと見た先で彼女は微笑んでくれた。

「うれしいわ。でも、このお花、どこかに持って行くのじゃないの?今日はスーツですし、」

いつも周太は私服でこの店に来る。
けれど警察学校を出入りする時は必ずスーツと決められているから、帰寮する今日もスーツ姿でいる。
色々いつもと違っていて驚かせたかな?すこし心配しながらも周太は笑いかけた。

「大丈夫です。それに俺、バレンタインのお返し、まだしていないんです、なにが良いのか解らなくて。
あの、こんな包み方だし、急な思いつきでプレゼントするなんて、失礼なんですけど…よかったら受けとって下さい、」

やっぱり失礼かな?
心配になりながら見つめた先、けれど彼女は微笑んで手を差し出してくれた。

「ありがとうございます、とっても嬉しいわ。なんだか、おねだりしちゃったかしら?ごめんなさいね、」

そっと優しい手が、差し出した花を宝物のように受けとってくれる。
いつも見惚れている花愛でる手が、自分が育てた花も受け取ってくれた。嬉しくて周太はきれいに笑った。

「いいえ、すごく嬉しいです…受けとって下さって、ありがとうございます、」
「あら、こちらこそよ?私、男の人にお花を戴くの、初めてなんです。最初が花好きの方からで、本当に嬉しいわ、」

優しい笑顔が幸せに咲いてくれる。
思い切って渡して、良かったな?気恥ずかしくなりながらも周太は、幸せに笑った。



待合せ10分前に改札口へ着くと、相変わらず雑踏は賑やかでいる。
晴れた日曜日の夕方、食事を楽しむ人も多いのだろうな?
そんなふう見ていると、楽しそうに英理が笑いかけてくれた。

「周太くん、お花屋さんのこと、本当に憧れているのね?お花渡した時、すごく嬉しそうで、ちょっと羨ましくなっちゃったわ、」
「あ、…そんなに俺、そうでした?」

言われると気恥ずかしい、また首筋が熱くなってしまう。
ちょっと困りながら首傾げた周太に笑いかけながら、英理は想いを言葉にした。

「憧れるとか、恋愛とか良いな?そう想えるわ、周太くん見ていると。あと、お母さんの話でも想ったわ、結婚って良いな、って、」

さっき実家の和室で、母が茶を点てながら話したこと。
いつも両親の恋の話を聴いて周太は育っている、けれど今日みたいな話は初めてだった。
それでも卒業式の翌朝に話してくれたことは、今日の話にも通じている。あんなふうに話してくれる母が、自分は大好きだ。
大切な母への想い微笑んで、周太は英理に尋ねた。

「あの、さっき母が、お茶の席で話してたことですか?」
「ええ。お母さん、ほんと素敵ね?あんなふうに私、なれたらいいな、って思ったわ、」

きれいな笑顔が明るく咲いてくれる。
その向こう側、改札から懐かしい姿が歩いてくるのに周太は気がついた。

「お待たせ、姉ちゃん、周太、」

きれいな低い声が名前を呼んで、きれいな笑顔が咲いてくれる。
たった1日離れていただけ、それなのに懐かしくて嬉しくて、そっと心ふるえてしまう。
ちゃんと帰ってきてくれた、いま笑ってくれて嬉しい、逢いたかった、無事が嬉しい。
そんな想いの視界で美しい姉弟は、周太の花をはさんで微笑んだ。

「見て、英二?お花を戴いたの、また周太くんがお庭で摘んで、ブーケにしてくれて。素敵でしょ?」
「うん、すごくきれいだな、ありがとう周太、」

きれいな笑顔がこちらを見てくれる。
嬉しくて幸せで、素直に周太は微笑んだ。

「喜んでもらえて、うれしいよ?…あの、」

笑いかける先、嬉しい想いが笑い返してくれる。
この笑顔は自分だけにしてくれるのかな?そんな想い見つめながら「絶対の約束」の言葉に微笑んだ。

「お帰りなさい、英二、」

言葉に幸せな笑顔が咲いていく。
そして大好きな声が応えの言葉に笑ってくれた。

「ただいま、周太、」

笑いかけ、隣に立つと英二は周太の右掌をとって長い指にくるみこんだ。
いまスーツ姿で、英二の姉もいるのに?驚いて周太は婚約者に問いかけた。

「あの、えいじ?いま、手をつなぐの?」
「うん、ちょっと涼しいし、周太に触れていたいから。ダメ?」

きれいな切長い目が明るく笑ってくれる。
こんな貌で「ダメ?」なんて言われたら断り難いな?
困りながらも何も言えないでいる周太を、英二はそっと手を曳いて歩き始めた。
そんな様子に呆れ半分に笑って、英理は弟の頬を小突いた。

「ちょっと英二?周太くん、顔が真赤よ?すこしは遠慮しなさいよね、まったく、」
「俺、ずっと逢いたくて我慢してたんだから。ちょっと赦してよ?ね、周太は赦してくれるよな?」

端正な顔は悪びれず笑っている。
こんなに英二はスキンシップが好きで、気恥ずかしいけれど嬉しくて、でも困ってしまう。
それから、すこしだけ寂しさが心引っ掻いた。

…ほんのすこし前までは、光一にふれていたのかな

つきん、想いが胸を刺す。

ふたりに寄添いあってほしいと望んだのは自分。
この望みに偽りは欠片も無くて、どうか願い叶えてほしいと祈っている。
それなのに、ちいさな傷みが心ふれるのは何故だろう?

…人のこころは、迷宮みたいだね、

ふと思いがけない、感情の起伏に惑わされる。
幾度と覚悟して定めても、定まりきれない余韻よみがえる瞬間が痛い。
こんなふうに突然遭遇する想いたちは、迷宮の出遭いのように不意打ちする。
心のガードが無い不意打ちに、心は驚き惑わされ、無防備に痛みを負ってしまう。

それでも自分は決めた。
だからもう、惑わされても迷わない。
ふたりが大切で、どちらに対する想いも枯れない花。だから、迷う必要はない。
英二と光一、この2人が幸せに笑ってくれるなら、どんな想いにも迷わず唯、幸せを祈っていく。

…ふたりで、幸せな時間を過ごしてくれたのなら、いいな?

やさしい祈り想いながら歩く隣、英二は姉に笑いかけている。
笑いかける向こうで英理はすこし緊張をして、けれどもう花の庭で心を定めてきた。
これからの時間、どんなふうに話すのかな?そう考えている裡に、瀟洒なダイニングバーの入口を潜った。
すぐに現われた店員に英二が名前を告げて、案内された個室の席に落着くと英理が微笑んだ。

「英二、なかなか良いお店ね?来たことあるの?」
「うん。前に、父さんから教えて貰ったんだ。周太、ノンアルコールカクテルでオレンジのがあるよ?」

英理に答えながら、メニューを周太に示してくれる。
選んでくれた飲み物に素直に頷くと、長い指で呼び鈴を押してオーダーをしてくれた。
そんな様子も英二は物馴れている。隣に座る大人っぽい横顔を見惚れていると、英理が笑いかけてくれた。

「周太くん、ほんとにさっきとは、全然違うね?今、ほんとに好きです、って顔してる、」
「あ、…はずかしいです、」

指摘されて首筋にまた熱が昇りだす。
うつむき加減におしぼりで手を拭きだした隣、きれいな低い声が微笑んだ。

「姉ちゃん、先に言っちゃうけど。関根から俺、相談されたよ?姉ちゃんに振られた、って泣かれたんだけど、」
「ほんとストレートね、英二ってば、」

やさしい声が笑って、ふわり綺麗な目が寛いだ。
言葉の封切が場をなごませた、そんな空気に英理は口を開いた。

「私もね、周太くんと湯原のお母さんに、泣きついてきたとこよ?恋愛に自信が持てません、って言って、」
「やっぱり姉ちゃん、恋愛に自信ないんだ?」

おだやかな切長い目が笑んで、ふと入口のノックに目を遣ってくれる。
開かれた扉から運ばれたグラスを、銘々の前に長い指で置きながら周太に笑いかけてくれた。

「周太は、なんて答えてくれたの?」
「ん、…ちょっと、はずかしいな、じぶんでいうのは、」

ちょっとそれは難題だよ?
そんな目で英理の方を見ると、綺麗な目が笑って言葉を引き取ってくれた。

「周太くんはね、自信が無い方が相手を大切にするから、幸せに出来ると思う、って言ってくれたの。
それで、お母さんはね?警察官の妻として想ってきたことを、お話してくれたわ。ゆっくり、お茶を点ててくれながら、」

皐月の午後、母は帰ってきてすぐ茶席の本座に坐ってくれた。
洋装のままで寛いだ空気のなか、端午の節句に因んだ菓子と茶花を英理に楽しませ、ゆったり彼女の話を聴いて。
それから母は、いつものように穏やかな笑顔で話してくれた。ゆるやかな午後の記憶に微笑んだ前で、英理も笑顔で口を開いた。

「警察官は一秒後すら生きているのか分らない。今、この一瞬を生きる事しかできません。
だからこそ愛するあなたの隣で、一瞬を大切にしたいと願います。あなたを遺して明日、死ぬかもしれない。
けれど今、この一時を精一杯に努力して、あなたを幸せにします…これが、周太くんのお父さんのプロポーズ、そう教えてくれてね。
そして私に訊いてくれたの、この覚悟が出来ますか?って。警察官と恋愛するなら、この覚悟は必要です。そう、はっきり言ってくれたの」

父の求婚の言葉と、母の覚悟。
この父の言葉は卒業式の翌朝に、母は周太にも話してくれた。
けれど、母の覚悟までを自分は明確に考えたことが無かった。

母は自分と同じように、母子家庭で育っている。
祖父は母が生まれてすぐに亡くなって、祖母も母の大学卒業後に急逝した。
けれど親戚も無くて、天涯孤独になった母は家族の温もりが恋しかっただろう。
そして父と出逢って恋をして結婚をした。この結婚を母は、心から幸せだと微笑んで話してくれる。
でもこの結婚は「あなたを遺して明日、死ぬかもしれない」と宣言される、孤独の覚悟だった。

…ね、お父さん?お母さんは、本当に真剣に、唯ひとりだけ、お父さんを恋して愛してるね?

唯ひとり、だから母は孤独の覚悟も出来た。
この覚悟と「唯ひとり」と想う意味が、自分にも今なら解る。
だって英二を待つ時いつも自分も、この覚悟をなんども見つめてしまうから。
自分も同じ警察官、それでもこの覚悟は怖くて、哀しくて、けれど見つめて向き合っている。
この恐怖も哀しみも全てが愛するひとに繋がる絆、そんな想いがあるから向き合える。
いま改めて想い向き合っている前で、英理は言葉を続けてくれた。

「関根くんも警察官だから、この子の父親と同じになる可能性があります。殉職はあってはいけない事です、けれど覚悟は必要です。
その覚悟が出来るのなら、おつきあいして良いと思う。そう言ってね、お母さん笑ってくれたの、『私は主人の妻で、本当に幸せよ』って」

いま英理が語ってくれる母の想いが、心から温かい。
やさしい温もり微笑んだ前から、英理は弟を真直ぐ見つめて想いを紡いだ。

「お母さん、いちばん大切なことを、私に気付かせてくれたわ。関根くんの為に覚悟できるのか?彼を支えられる私なのか?
この事がいちばん大切なのよね…婿養子のこと、英二と周太くんの友達だということ、そんなことに執われて大切なことが抜けてたの。
お茶を戴きながら私、覚悟してきたわ。ねえ、英二?ワガママをしてもいいかな?…私ね、湯原のお母さんみたいに、なりたいのよ、」

きれいな笑顔が快活に咲いて、英二と周太を見てくれる。
明るい華やいだ覚悟と真直ぐ見つめて、優しい綺麗な声は続けた。

「私、関根くんと向き合ってみたい。警察官だから普通のおつきあいは難しい、それは英二たちを見て解かっているつもり。
自由に逢うことも難しい、急な任務で逢えなくなる事もある…命の危険に遭う可能性が高いって、あんたのことで身に沁みてる。
湯原のお父さんが言う通り一秒後は無いかもしれない、だから幸せな約束を結んでも、どんなに真剣でも、約束は壊れるかもしれない」

想い話す人の、あざやかな睫に雫がきらめいた。
きらめきは白皙の頬あふれて、ひとしずく光の軌跡えがいていく。
それでも英理は、明るい幸せの笑顔を華と開かせた。

「それでも私、向きあってみたいの。だって私には、この7ヶ月間ずっと関根くんのメールが一日の楽しみで、幸せな時間だったから、」

涙きらめく瞳は、幸せを真直ぐ見つめていく勁さがもう、笑っている。
告げる想いの覚悟は厳しい、けれど声も瞳も明るいトーンに微笑んでいる。
明るく先を見つめる聡明な声は、率直に笑って弟にねだった。

「お願いよ、英二?関根くんに向きあうチャンスを、私に頂戴?英二と周太くんのことも、正直に話させて欲しいの。
秘密も無い、本音の所かららスタートしたいの。だって一秒後があるのか解らない、彼と恋愛できるチャンスは、今しかないわ、
だから私と関根くんの間には、秘密も優しい嘘も要らない。見つめ合う一瞬を続けていくのなら、そんなものに時間を遣いたくないの」

華やかで落着いた声が、真直ぐな覚悟と願いを告げていく。
告げて、快活な切長い目が明るく笑って、お願いをした。

「お願い、英二。なるべく早く、彼に逢うチャンスを私にプレゼントして?」

あざやかな睫の切長い目が、良く似た美しい切長の目に微笑んだ。
願いに見つめられた目はひとつ瞬いて、大らかな優しさに綺麗に笑った。

「うん、お願い叶えるよ、姉ちゃん?」

笑って長い指は携帯電話を開くと、すぐ通話に繋いだ。

「関根?俺、…うん、そう、…じゃ、」

短い通話に切ると、メニューを取りながら長い指は呼び鈴を押した。
すぐに店員が扉を開いて、きれいな低い声はオーダーを告げた。

「すみません、ノンアルコールビールお願いします。5分後に届くように、お願い出来ますか?」

綺麗な笑顔のオーダーに店員も笑顔で頷いて、扉が閉じる。
この時間の指定と、英二のグラスの減り具合に周太は気がついた。

「あの、英二?もしかして、」

言いかけたとき扉をノックする音に、英二は振向いた。
振向いた向こう扉は開かれて、長身のスーツ姿が現われた。

「おつかれ、関根。そこ座ってよ、」

綺麗な低い声が言った先でスーツ姿の関根が、呆気にとられて立ち竦んでいる。
これが前に言っていた「ぽかーん」の顔かな?そう見ていると、英二は立ち上がって関根の腕をとった。

「ほら、座ってよ?店員さん、ドアが閉められなくて困ってるだろ?」
「…あ、おう、」

促されて、関根は英理の隣に座った。
英理も驚いたよう瞳ひとつ瞬いて、それから可笑しくて堪らない笑顔になって弟に笑った。

「英二?あんた、ほんと根回し良いわよね?でも、今すぐ話しても、大丈夫なの?」
「うん、俺の方は大丈夫、」

周太の隣に座り直しながら、切長い目は微笑んでいる。
ゆったり長い脚を組んで、ネクタイをすこし緩めながら英二は口を開いた。

「俺、後藤副隊長にも相談してきたんだ。姉の為に周太と進路のこと、同期に話しても良いですか?って許可、貰ってきた。
国村と吉村先生にも今日、話してある。父さんとも昼休みに電話した。だから、湯原のお母さんと周太がOKなら、俺は話して大丈夫だよ、」

英二が周太と婚約していること。これは今の英二の立場にとって、スキャンダルとされる可能性もある。
だから英二は自分の関係する相手全員に、きちんと話す許可を取って来てくれた。
実直で賢明な英二らしい鮮やかな手並みが、頼もしい。

…こんなところ、すき、って想っちゃうな?

そっと心裡つぶやいて隣を見ると、切長い目がこちらを見つめていた。
目が合って、心ひっくり返る想いに首筋が熱くなってしまう。
こんな時に困っちゃうな?そんな想いに熱くなりだす頬にあてようとした左掌を、そっと英二は長い指の掌にとった。

「関根、もう気がついてるんだろうけどさ。周太は俺の恋人だよ、卒業式の後からずっとつきあってる」

きれいな低い声が穏やかに笑って、前に座る関根に告げた。
告げられて、澄んだ大きな目をひとつ瞬くと、快活に関根は笑ってくれた。

「やっぱ、そうなんだ?お似合いだよ、おまえら。宮田、初任教養の時から湯原ばっか、見てたもんな?」
「だろ?俺は周太にだけしか、恋していないからね。それでさ、お互いの家も了解の上で、婚約もしてるんだ、」

幸せに笑って英二は答えてくれる。
そっと周太の掌を握ったままで、英二は明瞭に「家の事情」を関根に告げた。

「落着いたら正式に籍も入れる。周太が俺の籍に入るから名字は宮田だけど、実際は俺が湯原の家に入るんだ。
だから宮田の家は、姉ちゃんが継いでくれるんだよ。それで、姉ちゃんの相手には、婿養子になってもらいたいんだ。
これがね、おまえが金曜日に俺に訊いてきた『家の事情』だよ。あと付け加えるなら、うちの母さんは頑固で難しいってことかな」

さらり付け加えた最後の言葉に、関根はすこし首を傾げこんだ。
その間に扉がノックされて、考え込んで座る前に冷たいグラスが置かれた。
冷えたグラスを大きな手に取ると、考え込んだまま関根は口付けて、ひと息に半分ほど飲干した。

とん、

グラスが大きな手からテーブルに置かれる。
ほっと息吐いて、それから関根は体ごと英理に向き直ると、真直ぐ尋ねた。

「お母さんが、俺を受け入れるのは難しい。そういうことですか?」
「え?」

ちいさく「意外」だと英理が声をあげた。
けれど関根は真直ぐに英理の目を見つめたまま、自分の考えを伝えた。

「俺は地方の出身で、父親も亡くなっています。決して裕福な家ではありません、俺自身は高校までヤンチャして、補導歴もあります。
だから英理さんとは釣合わないと言われたら、文句は言えません。ただ俺は次男で、兄と双子の妹がいます。だから婿養子にはなれます。
俺の前歴と家柄は自慢できるものでは無いです、でも俺は自分の家族を立派だと思っています。そして自分も、成長できると信じています、」

澄んだ大きな目は真直ぐな性格のまま、英理を見つめている。
そして明るい声は想いをはっきり言った。

「英理さん、俺は警察官です。いつ危険な目に遭っても当然な職業です、いつも約束を必ず守れるかは、正直難しいです。
それでも出来る限りの努力はします、一回でも多く笑って貰えるように、俺、がんばります。だから、正直に教えてください。
お母さんのこと抜きにして答えて下さい。俺は本気です、あなたが好きです。結婚を前提に考えて、おつきあいしてくれませんか?」

…関根、かっこいいな

ほっと溜息ついて周太はふたりを見つめた。
けれど英理はすこし途惑っている、その途惑いの理由は多分これだろうな?
そんな予想と見守る先で、遠慮がちに英理が口を開いた。

「あのね、関根くん…英二と周太くんのことは、いいの?」
「え?いいの、って、なんか問題あるんですか?」

大きな目が意外そうに顰められて、首傾げこむ。
そんな様子に「問題にならない」と関根が想っている事が解かる、なんだか嬉しくて周太は笑った。
けれど結婚は本人同士の問題だけではない、友人の目を見つめて周太は問いかけた。

「あのね、関根?もし関根が英理さんと結婚したら、男同士で結婚した弟が出来るんだよ?…関根は平気なの?ご家族は大丈夫?」

このことが理由で、英理は途惑っているだろうな?
この理解に英理が笑いかけて周太に「ありがとう」と「ごめんなさい」を伝えてくれる。
気遣ってくれる優しい目に笑い返して、周太は自分でも調べて覚悟していることを正直に話した。

「男同士の結婚はね、今の日本では認められ難いよね?親戚関係は嫌がる人も多くて、周りに批難されることもあるよ。
俺の家は親戚がいないから、母と俺だけで決められる。でも、宮田のお家は違うよ?ご親戚から反対も、あるかもしれない。
その事が、英二のお母さんを悩ませているんだ…そこに婿養子に入るのは大変だと思う、しかも関根は俺の友達だから、尚更に、ね?」

ふたりが愛し合っていればいい、それが結婚の純粋な動機だろう。
けれど「家」のことを考えなかったら、大切な血縁を失うこともある。
このために英二は生家を出る覚悟をしてくれた、そして一度は実母と決別をしてしまった。
だからこの友達にも、きちんと考えてほしい。大切な家族を哀しませ、失わせるようなことはしたくない。
この問いに関根は何て答えてくれる?そう見た先、澄んだ大きな目は明るく笑ってくれた。

「本気で好きなら良いだろ?俺の家族も同じだよ。帰省した時、おまえらのこと話すけどさ。良いねって、いつも言ってるよ。
誰かに反対されても説得するよ、解かって貰えるまで話す。俺はおまえらが好きだし、ふたりが一緒にいるとこ見るの好きだからさ。
色々あるだろうけど、お互い一緒に向きあって、家族になってさ。おまえらと一緒に爺さんになれたら、きっと楽しい老後だよな?」

快活な声が率直に告げて、笑ってくれる。
こんなふうに受容れてくれる友達が嬉しい、うれしい想いが瞳の奥に熱を生んでしまう。
こんなふうに想ってくれる感謝に、周太は微笑んだ。

「ありがとう、関根。俺もね、関根のこと好きだよ?…最初の外泊日のとき、一緒にラーメン食べて、一緒に寮に戻ってくれて。
ほんとうは俺、すごく嬉しかったんだ。あんなふうに一緒に行動して、笑ってもらうの、初めてだったから。だから今、本当に嬉しい、」

あのとき、人は話してみないと解らないと教わった。
この大切な切欠をくれた人が、自分と家族になれたら嬉しいと言ってくれる。
あらためて、この友達が好きだ。そんな想いに笑いかけた周太に、関根は嬉しそうに笑ってくれた。

「あのとき俺も嬉しかったよ。ほんとは俺もさ、俺と同じようにオヤジ亡くしても頑張ってる仲間がいる、って励まされてた。
だから訓練とかキツくってもさ、こんな俺が逃げないで頑張れたんだよ。湯原が頑張ってるから、負けられないな、って思ってた。
こんな俺だけどさ、おまえらの家族にしてもらうチャンス、貰ってもいいかな?大切なお姉さんに、お願いさせて貰っていいかな?」

同じだよ?そう言って笑ってくれる。
嬉しい気持ち素直に周太は頷いた。

「ん、俺は嬉しいよ?決めるのは、お姉さんだけど、」
「おう、じゃあ告白させてもらうな?」

軽やかな快活に、澄んだ大きな目は明るく微笑んだ。
その明るさのままに関根は、真直ぐ英理に笑いかけた。

「お願いします、俺との人生を考える時間を作ってくれませんか?俺を認めて貰うチャンスを下さい、好きです、つきあって下さい」

笑いかけられた睫あざやかな目が、ゆっくり瞬いた。
瞬きから涙こぼれてしまう、そして幸せな笑顔が華やぎほころんだ。

「はい、お願いします、」

聡明な声は明るく応えて、幸せの可能性がひとつ、皐月の夜に花咲いた。




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第47話 陽面act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2012-06-25 23:58:56 | 陽はまた昇るanother,side story
月、梢、陽のあたる場所



第47話 陽面act.3―another,side story「陽はまた昇る」

ライラックの薄紫あふれる庭は、5月の薫らす風に梢をゆらす。
やさしい木洩陽ふる芝生に明滅きらめき、陽射しの夏を予感させる。
もうこんな暖かな季節なんだな?そう微笑んだ隣で英理が謝ってくれた。

「ごめんなさいね、周太くん?予定より私、早く着いちゃって、」
「ん…早く会えて、うれしいですよ?」

思ったままを言って周太は笑いかけた。
今日の母はどうしても仕事があって、約束の時間までは帰ってこられない。
でも母と会ってもらう前に、すこし2人だけでも話したいと思っていたから良かったな?
そんな正直な想いに微笑んだ周太に、英理はやわらかく笑った。

「良かった、私も、周太くんに早く会いたかったの。すこし2人で、話したくて、」

同じことを英二の姉も考えていた。
きっと2人だけで話したい理由も、同じなのだろうな?
微笑んで周太は花篭と花切ばさみを示して、英理に尋ねた。

「この庭で好きな花、教えてください。お土産に持って帰って貰えますか?」
「うれしい、周太くんのお花、ほんとうに綺麗だから。メールでも書いたけど、すごく長保ちしたの、」

うれしそうに笑って、庭を見渡してくれる。
その横顔は端正で明るくて、大好きな笑顔と似ているけれど違う。
英理は弟の英二と顔立ちが似ている、けれど雰囲気が姉弟でだいぶ違うと周太は思う。

英理は聡明な明るさが華やかで、陽光ふる薄紅の薔薇や芍薬のよう。
英二は思慮深い翳りが高潔と艶麗の二面をみせて花も大輪の二色、月に咲く白銀か黄昏艶めく真紅を想わせる。
ふたりとも華やかな姉弟、けれど陽中と黎明とに性質がはっきり分かれている。

…あ、そう言えば関根は、英二のお姉さんだって、言われるまで気付かなかった、って…

ふと思い出した関根の言葉に、手許の花を切りながら首を傾げた。
あの11月の飲み会の席で、周太は英理と一度席を外している。
その間のことを前に、瀬尾が話してくれた。

―…俺ね、「お姉さん、宮田くんとそっくりだよね?」って言ったんだ。
  でも関根くんは「似ているか?」って言うんだよね。
  確かに関根くんが言う通り、雰囲気は違うな、って俺も思う。でも、顔立ちはそっくりじゃない? 
  関根くんって人を見るときは、雰囲気とか内面で見ているのかな?

真直ぐな性格の関根は、性格どおりに人も真直ぐ本質で見ているのかもしれない。
そういう性質ならきっと、英理とも相性が良い様な気がするな?
そんな考えに微笑んで周太は、摘んだ芍薬を花篭の水入れに挿した。

「ほんと、きれいなピンク色。芍薬って私、好きなの。うれしいわ、」

花篭を眺めて、きれいな笑顔が嬉しそうに咲いている。
明るい快活な笑顔は、やはり弟とは雰囲気が全く違う。こういう差も、きょうだいならではだろう。
ひとりっこの周太には不思議でなんだか温かくて、なにか嬉しい気持ち素直に微笑んだ。

「芍薬、可愛いですよね。清楚で華やかで…他に好きな花、ありますか?」
「ライラックも好きよ?でも、木のお花だから、無理に切らないでね、」

優しい笑顔が庭の木を気遣ってくれる。
こういう細やかな優しさは弟と似ているな?嬉しい想いに周太は笑いかけた。

「ん、だいじょうぶです。ライラックと芍薬、一緒にブーケにしたら、きれいだし、」

言いながら庭を歩いて、薄紫こぼれる木の前に佇んだ。
花篭を芝生に置いて腕を伸ばす、細やかな枝に鋏をいれると軽い音が響いた。

ぱきん、

音と一緒に薄紫の花枝が、ふっさり掌にもたれこむ。
華やいだ芳香あふれて頬なでる、西洋の花らしい香水と似た香は芝生の緑にこぼれた。
あざやかな新緑ちりばめた薄紫の小花は、陽射し煌めいて光ってみえる。

…なんだか、星みたいだね?

緑優しい地上の空ふる香の星、そんな光景が優しい。
花枝を切るたびごと小花ふりかかる、華やかな香はそのたび緑に空描く。
芳香ふる微風のなか、あわい紫の花房を5枝ほど切って腕に抱えると、英理が嬉しそうに微笑んだ。

「きれいね、周太くん、」
「…え、」

急に言われて途惑ってしまう。
そんな周太に、快活な切長い目が笑ってくれた。

「薄紫が似合うのね、周太くん。すごく花が似合ってるわ、きれいよ、」
「…はずかしくなります、でも、ありがとう…」

首筋が熱くなっちゃうな?
褒められて嬉しい、けれど困りながら薄紫を挿した花篭を抱えた。
あわい色あいの花たちが優しい。優しい色と香に微笑んだ周太に、微笑んで英理が尋ねた。

「ほんとうに周太くん、きれいになったね?…本気で恋したら、きれいになれるのかな?」

言葉に、周太は英理の顔を見つめた。
いちばん最近会った3月から1か月半ほど経って、英理の雰囲気は変わった。
聡明な明るい華やぎは変わらない、けれど臈たけた深みが艶を添えている。
この深みがどこから来たのか?今の英理の言葉に解かる気がして、周太は笑いかけた。

「はい…きっと、そうです、」

答えながら周太は木蔭のベンチに花篭を置いた。
緑陰から振向くと、きれいな笑顔がすこし困った顔で言ってくれた。

「すこし話、聴いてもらってもいい?」
「はい、俺で良かったら…ここ、気持いいですよ、」

微笑んで周太は、そのままベンチに腰かけた。
並んで英理も腰かけて、ふわり優しい香が一緒に座りこんだ。
きらめく木洩陽と庭木立の風がダークブラウンの髪にふる、切長い目を細めて英理が微笑んだ。

「ほんと、気持いいわ。木洩陽がきれい、すてきなベンチね、」

このベンチを褒められるのは嬉しい。
嬉しくて周太は、笑いかけた。

「ありがとうございます…父が作ったベンチなんです、これ、」
「だからかな?なんだか温かい感じがするわ、」

話してくれる英理の香も気配も、やっぱり英二と違う。
人が似ているポイントは顔立ちだけじゃないんだな?そう思う隣で、きれいな困り顔が微笑んだ。

「周太くんなら、もう気づいているかな?関根くんのこと…仲良いのよね、関根くんと周太くん、」

どう話して良いのかも迷う、そんな雰囲気の笑顔が周太を見つめてくれる。
どうしたら話しやすくしてあげられるかな?
関根に聴いていることを言うのが一番かもしれない?
考えながら周太は、きれいな切長い目に笑いかけた。

「仲良いです、よくメールや電話をくれます。それで10月から関根、ずっと話してくれて。きれいな人とよく会えるんだよ、って」

―…今日、落し物を届けてくれたひとがさ、ほんと、マジで綺麗なひとだったんだ。
  交番に入って来た瞬間、「花が咲いた」ってヤツかな?空気が明るく、きれいになって。
  きれいで呆気にとられちゃってさ?俺、ぽかーんとしちゃって、カッコ悪かった。カンペキ見惚れちゃってんの、俺。
  きれいな落着いた声で「すみません、」って笑いかけられて、我に返ったけど。俺、アホ顔だったろなあ?
  そのひとが帰った後も、残り香、ってやつかな?なんか優しい、いい匂いが残ってて。なんか俺、すげえ幸せだった。

  
話してくれた最初の電話が、記憶に微笑ましくなる。
なんだか弾んだ空気の声が楽しくて、明るい関根らしい率直さが良いなと思った。
楽しい記憶に笑いかけた向こうで、あざやかな睫がひとつ瞬くと綺麗な声が尋ねた。

「それ、私のこと?」
「はい。11月の飲み会のときに、お姉さんも来てくれたでしょ?あのときに関根、教えてくれました、『あのひとの事だよ、』って、」

「そう…ずっと、話してくれていたのね、」

ふっと呟くよう言って、端正な顔がやわらいだ。
その顔がきれいで優しい、この表情だけで英理の想いが解かる気がする。思うまま素直に周太は口を開いた。

「関根って、すごく真直ぐで。仲良くなれた切欠も、関根が真直ぐなまま俺に、謝って、褒めてくれたからなんです。
そんなふうに関根、裏表がなくて正直で、明るくて。でも余計なこと言わないんです…だから関根は、信じられるな、って思えます、」

最初は話し難いと想っていた。
けれど、女子寮侵入の冤罪が切欠で、周太に話しかけてくれた。
あのとき初めての外泊日で、けれど周太は英二が気になって外出申請だけにして。
それを聴いた関根も外泊申請を取り消すと言ってくれた、そして一緒にラーメンを食べて寮に戻った。
あんなふうに一緒に行動してくれたことが、ほんとうに嬉しかった。あのときの記憶に微笑んで、周太は率直に言った。

「たぶん関根、俺と英二のことも、幾らか気付いているって思います。でも、何も訊かずに、一緒に笑ってくれます。
理由が無ければ、詮索とかしないんです、関根。だから安心して俺、一緒にいます…でも、いつか話せたら良いな、って思います」

これは自分の本音。
関根も大切な同期で友達だから、いつか話したいなと思う。

自分にとって関根は、英二の次に仲良くなった友達だった。
会って話せば楽しい、メールや電話もいつも嬉しい。そして、この4日間に「大切」だと改めて思う。
光一や美代ほど深い繋がりは無い、けれど、同期で友達の存在も自分にとって、やっぱり宝物でいる。
いつか瀬尾にも話す日がくるかな?そんな想いと微笑んだ先で、きれいな切長い目から光がこぼれた。

「ありがとう、言ってくれて…話せたら良い、って…」

白皙の頬をつたう涙に木洩陽がきらめいていく。
やっぱり、この事が気掛りだったんだな?周太はポケットからハンカチを出して、白い手に渡した。

「ありがとう、借りるね?」

素直に微笑んで、周太のハンカチで涙拭ってくれる。
そっとハンカチをおろすと英理は、周太の目を真直ぐに見て微笑んだ。

「11月の飲み会の時、私、途中まで関根くんに送って貰ったの。それで、メールアドレスと電話番号を交換して。
帰ったら連絡してください、無事の確認をしたいから、って関根くん言ってくれて。そのとき初めてメールしたの。
すぐ関根くん、返事をくれて。そのメールが、明るくて楽しかったの。それで私、つい楽しかったから返信してね?
そうしたら関根くん、ちゃんと返事をくれたの。それも楽しくって、笑っちゃってね、また私、メールを送ったの。
そんな感じで、最初から7往復ぐらいしちゃったの。こういうこと私、初めてよ?こんなに何度もメールして、こんなに楽しいのは、」

最初から7往復って、たぶん、すごいことだろうな?
なにより英理の雰囲気や英二の話の感じでは、こんなに最初からメールをするようなタイプではない。
確かに関根のメールは明るくて楽しいな?驚きと納得を半分ずつに微笑んだ周太に、英理は話しを続けてくれた。

「それから毎日、メールをやり取りするようになって。いつも夜、仕事が終わって帰る頃に、着信するの。
いつも読んで、笑って、返事をして。気がついたら、それが一日の楽しみになってたわ。いつも電話じゃなくてメールをくれて。
文字だけのメールよ、でも声が聴こえるみたいに明るくて優しくて。疲れていても、関根くんのメール読むと元気になれたの、私、」

話してくれる白皙の顔に、やさしい木洩陽がふりそそぐ。
ゆれる光の明滅がいろどる笑顔は、すこし切なくて、けれど綺麗だった。
こんな綺麗な女の人に、いつも「文字だけ」のメールで優しさと明るさを関根は送り続けた。
なんだか、関根らしい。

…関根、かっこいいな、

いつも決まった時間の頃に笑顔を届ける、文字だけのメール。
軽いノリで話す癖に根は真面目で硬派、どこか不器用で真直ぐで、けれど優しい明るい関根。
そんな性格のままのメールを、英理に対しても飾ることなく、真直ぐなまま送り続けているのだろう。
こういうのは、かっこいい。なんだか嬉しくて笑った周太に英理も笑って、そして寂しさが微笑んだ。

「このあいだの木曜日の夜、初めて、電話を貰ったの…あの夜はメールで『会いましょう』って誘ってくれたの、初めて。
ほんとうは嬉しくて、会いたいなって思ったわ。でも私、迷って、それで断ったの…そうしたら電話をくれたの、すぐに、」

迷って、断った。
その迷いの理由が何か、解かってしまう。
この申し訳なさと見つめた先で、端正な唇は言葉を続けてくれた。

「初めて電話で聴いた声は、緊張していて。偶然だけど、たまに会うことも多いの。聴き慣れている声だから、緊張も解かるのね。
この声をいつのまにか、聴き慣れているな?そう思った時にね…好きだな、って私、気がついて…電話くれたことが、幸せだった、」

きれいな白い頬を、涙ひとつ零れおちた。
きらきら涙の軌跡を木洩陽にみせながら、英理はきれいに微笑んだ。

「好きです、つきあってください、ほんとうは明日、会って言いたかったんです。そう言ってくれたの、関根くん。
驚いて、嬉しくて、だから私も正直に答えたの。私も好きです、って…でも、おつきあいできません、って、言っちゃったわ」

きれいな笑顔の頬に、また涙が伝っておちていく。
あざやかな睫がゆっくり瞬いて、そして英理は率直に訊いてくれた。

「周太くん、私が何を言っても、嫌わないでくれるかな?…今から、ちょっと変なこと話したいの、」

何を言いたいのか、もう解る。
頷きながら微笑んで、周太は口を開いた。

「俺と英二の友達で同期だから、断ったんでしょう?俺たちのこと、秘密にした方が良いから、って、気を遣ってくれて。違いますか?」

ほっと溜息ひとつ零して、端正な口許が微笑んだ。
ゆらめく木洩陽に切長い目が、和やかに明るんで周太に笑ってくれた。

「ありがとう、言ってくれて…私、英二と周太くんが一緒にいるところ、大好きなの。だから、ふたりを守りたいのも本当よ?
でも、私…ほんとうは恋愛に臆病になっている、そんな本音もあるの。今まで、恋愛で幸せになれたことって、一度も無いから、」

常緑樹の梢ふる木洩陽がやさしい。
やさしい光の揺らめきのなかで、切長い目が穏やかに、寂しさ隠して微笑んだ。

「告白されて、おつきあいした事もあるのよ?でも、楽しくないの。外見だけで好かれている、そんな感じだからなのだと想うわ。
それで私、勉強や仕事を口実にデートも断り続けて、終わっちゃう。それで、自分から好きになる相手は、なぜか恋人や奥さんがいる人で。
だから結局、いつも一方通行になっちゃうのね…そうなるの怖いから、このままメールの相手だけでもって…自信が無いのね、恋愛のこと、」

ゆるやかな吐息がこぼれて、端正な顔が困ったよう周太に笑ってくれる。
その笑顔は寂しげでも華やいで、やさしい明るさに惹かれて見惚れてしまう。
こんなに綺麗な人でも「自信が無い」と言っている、そんなふうに恋愛は時に計り難い。
それでも周太は、口を開いた。

「あの…俺も、恋愛はよく解らないのだけど…俺も、自信なんて無いけれど、英二と一緒にいます、」

計り難いかもしれない、それでも自分の想うことを言ってみたい。
想うことを周太は、正直に言葉に変えた。

「俺と英二は男同士でしょう?だから俺、何度も迷ってきました…俺が一緒にいて良いのかな、って自信なくて。
英二は山ヤとして、警察官として救助隊員として、とても優秀です。ひとりの男性としても、魅力的だなって想っています。
だから本当は、いくらでも素敵な女の人と幸せになれるのに、って思います。だから迷ってきました、一緒にいたらいけない、って、」

なんども迷って、なんども逃げようとした。
そして何度も考えて決めてきた、これからも何度も考え、決めるだろう。そんな覚悟と周太は微笑んだ。

「ほんとうは英二は、俺以外の人からも真剣に想われています。でも英二は、俺を伴侶にしたいと選んでくれます。
心から求めてくれて自分も大切に想える、そんな人に逢えるのは、きっと本当に幸運なことです…だから俺も、覚悟しました。
他の人なら英二を、もっと幸せに出来るかもしれない。そうも思います。でも、たとえ我儘でも、一緒にいることを選んでいます。
だから努力したいです。すこしでも多く、英二が幸せに笑ってくれるなら、なんでもしたいな、って…願いを叶えてあげたいんです、」

どんな小さな願いでも、幸せに笑ってくれるなら叶えてあげたい。
だから昨日の朝も、一昨夜も、英二が求めるままに自分は声を奪わせ、この手も縛らせて身を委ねた。
きっと他の相手なら、絶対に自分は拒んでしまうだろう。拘束されるなんて、男としてもプライドが我慢できないから。
けれど、英二が笑ってくれるなら、自分に出来るのなら叶えてあげたい。そんな想いで規則違反をも犯してしまった。

…笑っていてほしい、愛してるから…記憶ごと、時間ごと

どんな小さなことでも、叶えられるなら願いを叶えてあげる。だから笑っていて?
そっと想い心裡つぶやいて、きれいに周太は笑った。

「自信ないからこそ、相手を大切にしたい、って、より強く想えるかもしれません。だから自信が無い方が、幸せに出来るかも?」

いま応えていく言葉と一緒に、自分の中にある梢が大きく広がっていく。
いつも本当は自信なんて無い、泣き虫で弱虫のワガママ甘えん坊は、すぐに泣き出してしまう。
それでも今、心は凪いでいる。またひとり大切な人の想いを心の木蔭に受けとめ、見つめていける。

…ほら、自信が無くっても、人を受けとめられるね?一生懸命に大切なら、

心裡に微笑んで、そのまま笑いかけた隣でも笑顔が咲いてくれる。
そして優しい声が、心からの笑顔で許しを尋ねた。

「それなら私、幸せに出来るかもね?…周太くん、彼に話していい?関根くんとは私、秘密も無い、本音のとこから始めてみたいの、」

秘密も無い本音から。

それは関根も望んでいる事だろう。
そうやって互いに望みあえるなら、きっと2人は良い関係を築ける?
明るい先を想いながら周太は、ひとつの覚悟と一緒に頷いた。

「はい、話してください。その方が、お互いに幸せだと思います、」

いま周太たちは24歳を迎える初夏、英理は25歳になる。
それは女性なら結婚を意識して交際する年頃だと、疎い周太にも解っている。
まして英理は英二の代わりに家を継ぐと決めている、けれど婿養子に入ることを望まない男性の方が多い。
だから英理は最初に事情を話し、そのうえで向き合ってくれるかを聴きたいだろう。

どうか、幸せになってくれますように。
どうか大切な人たちが温かな幸福に支え合えますように。
心からの祈り微笑んだ周太に、嬉しそうに英理は笑って頷いてくれた。

「ありがとう、周太くん。心強い味方だわ、ほんとうに。でも、英二は、なんて言ってくれると思う?」

ほんのすこし不安そうで、けれど明るい快活な笑顔が尋ねてくれる。
思ったまま正直に周太は、答えと微笑んだ。

「きっと英二も、同じ考えです。それから母も…ね?」

きっと、2人とも同じ意見。
もう真剣に考えていく年頃だから秘密は要らない、そう2人も考えるだろう。
この温かい確信と頷いた周太に、英理は綺麗に笑った。

「やっぱり英二、今夜の食事のお誘いって、このことよね?関根くん、英二には話すかなって想ってたの…お母さまも、許してくれる?」
「ん、はい。母なら、」

昨夜も一緒に笑いあった、母の笑顔を想って周太は頷いた。
その視線の向こう側、ふるい木造の門が軋みの声をあげて、馴染んだ気配が佇んだ。

「あ、」

思わずあげた声に英理も、門の方をふり向いた。
ふたり視線を向けた先、ゆっくり木造りの門は開かれて、花々の向こうに大好きなひとが帰ってきた。
嬉しくて周太は立ち上がると、花篭を抱いて木蔭から太陽の下へと踏み出し、きれいに微笑んだ。

「お帰りなさい、お母さん、」

門扉を閉め、やわらかな髪ゆらして振向いてくれる。
花と梢の向こうから黒目がちの瞳がこちらを見、そして嬉しそうに笑ってくれた。

「ただいま、周。いらっしゃい、英理さん、お待たせしちゃったかな?」

大好きな温かな笑顔が飛石踏んで、木洩陽ふる芝生を来てくれる。
この笑顔のため、それから隣で咲いている笑顔の為にも、これから自分は茶を点てる。
これから過ごす茶の時間も、どうか大切な2人の幸せな記憶になってほしいな?
そんな祈りに微笑んで、周太は玄関の扉を開いた。





(to be continued)

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第47話 陽面act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-06-24 23:58:29 | 陽はまた昇るside story
光、ふりそそぐ想い



第47話 陽面act.2―another,side story「陽はまた昇る」

御苑の桜は薄翠の葉がやさしい。
御衣黄が咲く森は、花びらが敷き詰められて足元から桜は香る。
まだすこし花残された梢に、きれいな明るい目が笑ってくれた。

「名残の桜ね?こういうのも、きれい、」
「ん、満開とは、また違う綺麗さがあるね?」

花の絨毯を歩いていくと、花蔭のベンチに並んで腰かけた。
見上げる花と翠の天蓋が、やさしい木洩陽ふらせてくれる。
デパ地下で買って来た包みを広げると、ペットボトルの蓋を開けて口付けた。
ふわり茶の香がやわらかい、ほっと息吐いて周太は膝にのせた弁当に合掌して微笑んだ。

「いただきます、」
「はい、いただきます、」

隣でも同じよう美代が手を合わせ笑ってくれる。
ふたり銘々に折詰に箸つけながら、すこし困ったよう美代が口を開いた。

「あのね、湯原くん。変なこと、話しても良い?」
「ん?どんなこと?」

がんもどきを飲みこんで周太は美代を見た。
こういう言い方の時は多分、そうだろうな?なんとなく予想した隣で可愛らしい声が笑った。

「光ちゃんのことなのよ?こんなに気にする私って、お節介おばさんみたいね?」

やっぱり、その話題。
予想通りの話に笑いかけて、周太は促してあげた。

「どうして、お節介おばさんなの?」
「だってね?ご近所さんの恋愛事情が、気になってしょうがないなんて?いくら幼馴染でも、お節介でしょ?」

ご近所さんの恋愛事情。
なんだか言い回しが可笑しくて笑ってしまう、箸をおろして周太は笑いながら美代に尋ねた。

「幼馴染なら気になるよね?…美代さんが気になっている、光一の変なことって?」
「うん。あのね、様子が変なのよ、光ちゃん、」

ほっとため息吐いて美代は、ペットボトルの茶を飲みこんだ。
ボトルを持つ手にも木洩陽はきらきら揺れていく、やさしい光のなか美代は口を開いた。

「火曜日から宮田くん、研修で学校に戻っているでしょ?きっと光ちゃん、つまらないだろうな、って思ったの。
それで私、畑の話もあるから毎日、仕事帰りに駐在所を覗いてみてるのね?そうしたら光ちゃん、毎日いつも同じなの、」

すこし途惑ったようなトーンと言葉が気になってしまう。
どういう意味だろう?考えながら周太は短く訊いた。

「同じ?」
「同じような顔で、同じ所に座りこんでるの、光ちゃん。ね、変でしょ?」

きれいな明るい目が、困ったよう周太を見ている。
いつも活発な光一が「同じ」なのは確かに変だろう、これは心配になるな?そう見た先で美代は続けてくれた。

「パソコンデスクの前に座りこんでね、ぼんやりした顔で駐在所の外を見てるの。この4日間、毎回そんな感じなの。
あんなに光ちゃんが、ぼんやりしているの、私も初めて見るのよ?それで、ちょっと訊いてみたの『宮田くんのこと考えてるの?』
そう訊いたらね?あの光ちゃんが、真赤になっちゃったの。すごい恥ずかしそうな顔でね、なんだか困ったように黙っちゃって、」

美代も困った顔で、首を傾げこんだ。
幼馴染の初めて見る姿に途惑っている、そんな様子に周太は笑いかけた。

「そのパソコンデスク、いつも英二が座って仕事している所、だよね?」

御岳駐在所をのぞくと英二は、いつもパソコンデスクの前で仕事をしている。
だから光一はそこに座りこんでいる、恋しくて寂しくて、そこに残された気配から立てずにいるのだろう。
その気持ちは自分も知っている、いつも新宿の街に英二と過ごした記憶を見つめているから。

…光一、本当に寂しいね、切ないよね

きっと今ごろ御岳のどこかで、光一は英二と自主トレーニングをしている頃だろう。
どうか一緒に笑っていてほしいな?願いごとに見あげた梢は、御衣黄にプラタナスが枝交わす天蓋がやさしい。
梢吹きおろす風が心地いい、気持よくて目を細めた隣で美代が優しく微笑んだ。

「そっか、だからそこに座っているのね、光ちゃん…ほんとうに大好きなのね、宮田くんのこと、」
「ん、そうだね、」

頷いて周太は相槌と笑いかけた。
ほんとうに光一は英二を恋い慕っている、それはあの写真集を見つめた眼差しにも思った。
あの写真集に納められた美しい英二の姿は、今この座っている桜の森でも撮影されている。
その写真の花が美しいから今日も美代と見に来てみた、そこで光一の英二への恋を話している。
なんだか不思議だな?そんな想いの隣、きれいな明るい目で花に笑みながら美代は困り半分を率直に告げた。

「光ちゃんね、すごく綺麗になったな、って思うの。寂しそうな横顔もきれいで、ちょっと見惚れるくらい。
これが恋するひとの顔なのかな?恋愛って、こんなにも相手と一緒にいたい、ってなるんだな?そんなふうに思っちゃった。
やっぱり私、まだ恋愛まではいってないなあって。宮田くんのこと好きだけど、でも光ちゃんみたいには全然ならないものね?」

困りながらも可笑しそうに美代は笑った。
こういう明るさが美代は大らかに優しい、いつも素敵だなと思ってしまう。
こんな友達が隣にいてくれることが嬉しい、素直に周太は笑いかけた。

「恋愛ってね、人によって色々だと思う。ゆっくり恋することも、あるよ?俺も、英二のこと気がつくの、ゆっくりだった、」
「そうなの?…そっか、ゆっくり恋する、ってなんか良いね?」

楽しそうに明るい目が笑ってくれる。
たしかに美代は「ゆっくり恋する」が似合うかな?微笑んで周太は頷いた。

「ゆっくりも、素敵だよ?ゆっくりだと、その時々の気持ちとか、ちゃんと向きあえると思うよ、」
「あ、そういうの素敵ね?ありがとう、湯原くん。やっぱり話して良かったな、ちょっと自信喪失しそうだったの、」

箸を運びながら美代は嬉しそうに微笑んだ。
きらめく桜の木洩陽の下、ご飯の粒が白くきらめいて美しい。きれいで食べるの勿体ないな?
そう箸を運びながらも周太は、美代の言葉が気になって訊いてみた。

「自信喪失、しそうだったの?」
「だってね?あの光ちゃんが『恋愛』で、きれいになっちゃったでしょ?でも、あんまり私は、変化がありません、」

困ったようでも可笑しくて仕方ない、そんなふうに美代は明るく笑っている。
『あの光ちゃん』
このフレーズに、光一がしてきた数々の英二への悪戯が想いだされてしまう。
いつも英二に色っぽい悪ふざけを仕掛けて笑っていた、そんな以前の光一からは今の、恋に初々しい姿は想像つきにくい。
たしかに「あの」って言いたくなるな?なんだか可笑しくて笑った周太に、美代もが可笑しそうに笑いかけた。

「私と光ちゃんで、同じ時に同じ人を好きになっちゃってね?それで光ちゃんだけが、さっさと綺麗になっちゃった。
同じ条件で差がついちゃってね、『恋愛できれいになる』こと、女の私が男の光ちゃんに負けちゃった、って感じがしていたの。
普通は恋愛で綺麗になるの、女の子の特権みたいに言われてるじゃない?なのに光ちゃんに負けた私は、女としてどうなの?って、」

負けちゃった、
そんな勝ち負けの発想が、光一と美代の関係は恋仲に無いと示してしまう。
こうしたライバル心は兄弟関係や幼馴染のような、ごく近い存在ならではかもしれない。
そして確かに、女の子が男に「きれい」で負けるのは悔しいだろうな?こんな2つの納得に頷きながら周太は微笑んだ。

「光一は元から綺麗だけど、もっと綺麗になったね?男の俺から見ても、きれいだなって思う。ちょっと特別な雰囲気があって、」
「そうなのよね?光ちゃんは美人って、私、ずっと気付かなかったの。ここ最近、宮田くんに恋する光ちゃん見て、やっと気づいて、」

言って美代は笑いだしてしまった。
我ながら可笑しくて堪らない、そんな明るい笑い声が桜の森を温める。
この響くような明るさが自分は好きだな?素直な想いに周太は大好きな友達に笑いかけた。

「美代さんも雰囲気、すこし変わったよ?大学の受験を決めた時から、だけど、」
「あ、それは自分でも想うの。ね、私って今、恋愛より大学なのね、きっと。こんな私は、女性として大丈夫なのでしょうか?」

きれいな明るい目が悪戯っ子に笑っている。
恋愛と、自分の夢の道と。どちらに重点を置くのか、両立はあるのか?
こういうことは自分もよく解らない、だって自分も恋愛の自覚をしてから1年も経っていない。
それでも自分なりに思うことを、率直に周太は口にした。

「恋愛より学問、っていうのも素敵だと思うよ?女の人としては解からないけど、人間としてはカッコいいよ?」

美代を素敵だと、心から想っている。
それは「女性」として以上に、自分と同じ「人」としてより想う。
ほんとうにカッコいいよ?そう笑いかけた周太に美代が嬉しそうに笑ってくれた。

「ありがとう。ね、もう私、恋愛より学問に一生を捧げようかな?湯原くんに光ちゃんじゃ、私の恋愛は難しすぎちゃうし、」
「ん、俺は婚約者だからね。英二と結婚するのは、俺です、」
「そうしたら『宮田の奥さま』って呼べばいい?」
「…それは恥ずかしいよさすがに…ちょっと…」

きらめく葉桜の木洩陽のした、笑い声が明るく咲いていく。
こんな時間は、きっとありふれている。けれど自分には大切な宝物で、かけがえの無い記憶になっていく。
この今ひと時が幸せで嬉しい、この記憶はきっと、ずっと温かい。



母子ふたり夕食を囲んだ席、母は白ワインの栓を抜いてくれた。
馴染んだ実家のダイニングに座るひと時、冷たいグラスの香が華やいで、ほっと心寛ぐものがある。
あまい香をゆっくり楽しみながら、快活な母の瞳が周太に微笑んだ。

「周?英二くんのお姉さんが、家に来たい理由。すこし、聴かせてもらう事は出来る?」
「ん、俺もね、話しておこうかな、って思ってて、」

きっと先に話しておく方が良い、その方が英二の姉も話しやすいだろうから。
グラスをテーブルに置いて周太は口を開いた。

「たぶんね、俺たちの同期の事だと思う。前に話した、関根、って覚えてる?」
「お父さん亡くされて、夜間で大学を出た彼ね?周と同じ工学部で、よくメールをくれる、」
「ん、そう…その関根と、お姉さん、たぶん両想いなんだ…そのことじゃないかな、」

たぶん、この話に来るのだろうな?
そんな予想に首傾げた周太に、母は訊いてくれた。

「周と英二くん、両方のお友達である関根くん。そんな彼が相手だから、お姉さんは困っている、ってことかな?」
「たぶん…でも、違うかもしれないけど、ね?」

首傾げたまま周太は、自信ないまま微笑んだ。
そんな周太に母は軽く頷いて笑ってくれた。

「はい、解かりました。あとは明日、お姉さんが話してくれるのを、聴かせてもらうね?今日は周、美代ちゃんと楽しかった?」
「ん、楽しかったよ。新宿御苑でお弁当食べて、散歩してね。その後、ブックカフェで勉強したんだ…」

楽しかった今日の記憶に周太は微笑んだ。
そんな周太に母も微笑んで、箸を運びながら楽しそうに尋ねてくれた。

「受験勉強ね?美代ちゃん、すごく良く出来るんでしょう?」
「ん、頭良いよ、美代さん…社会がすこし苦手みたいだけど、地理は楽しくなってきたって言ってくれるんだ、」

地理は、植物学を本格的に学ぶなら必要になるだろう。
植物はその土地により植生が違う、だから土地の場所についての知識も当然要求される。
この必要不可欠がきっと、美代の「楽しくなってきた」に繋がっているだろうな?考えながら周太は言葉を続けた。

「勉強の後でガトーショコラ食べたんだ。夏みかんが乗ってて、おいしかったよ。そのお店、美代さんが英二に教わったとこなの。
ね、お母さん、新宿なら一緒に行けるよね?こんど一緒に、ケーキ食べに行こうよ?きれいな本…も、いっぱいあって楽しいよ?」

きれいな本、そう言って心裡すこし気恥ずかしくなった。
この店にも、例の写真集が目立つところに置かれていて、つい周太は赤くなってしまったから。
艶麗な花と美少女の写真集『CHLORIS―Chronicle of Princesse Nadeshiko』は人気が高いらしい。
今度から本屋に行く時は、すこし心構えしていかないとね?そんなことを考えている前で母は誘いに笑ってくれた。

「ブックカフェ、いいね?お母さんも、職場の近くの所なら行くのよ。周のお気に入りのお店、行ってみたいな?」
「ん、行こうね?研修中の日曜なら、お母さんと予定合わせやすいよね」

母の言葉が嬉しくて即答してしまう。
こんなふうに母は、周太が興味を持つことに理解を示す。この受容れがいつも幸せになる。
幸せで微笑んだ周太に、明るい黒目がちの瞳が笑ってくれた。

「そうね、お母さんも5月か6月なら大丈夫よ?7月は社員旅行があるから、ダメな日もあるけど、」
「…今年は社員旅行、行ってみるの?」

今年は行くんだ?
驚いて訊き返した周太に、母は楽しげに教えてくれた。

「はい、今年は行ってみます。お母さん実はね、こんど昇進するの。今日、その内示を戴いてきたのよ、」
「そうなんだ。おめでとう、お母さん、」

だから今夜、ワイン飲みたいリクエストだったのかな?
そんな納得と、復職後14年を勤めてきた母の努力が認められたのが嬉しい。
嬉しくて笑った周太に、母は笑いかけて考えを言ってくれた。

「ありがとう、周。それでね、今度から部下になる人が増えるの。そうすると、会社の集まりにも参加しないと、悪いでしょう?
だから今年は、社員旅行も参加してみようと思って。この家に留守番をお願いできるのも、周だけじゃないから安心できるし、ね?」

留守番をお願い出来る人、その相手のことが幸せで気恥ずかしい。
つい羞みながらも微笑んで周太は母に訊いてみた。

「ん、そうだね…あの、いつ行くの?社員旅行、」
「7月のお盆の後よ、金曜の夜からバスで移動して現地1泊なの。日曜の夜に帰ってくるけれど、周の予定はどうかな?」

7月なら大丈夫だろう、きっとまだ新宿署に自分はいる。
心裡ほっとしながら周太は微笑んだ。

「シフトの交換とか、お願いできると思うよ?…あ、」

答えかけて、周太は大切な予定を想いだした。
どうしようかな?すこし困りながらも、母に正直に口を開いた。

「あのね?同じ土日で俺も、大学のフィールドワークかもしれない…1泊で水源林の山に行くんだ、」
「あら?じゃあ土曜の夜は、英二くん1人にお願いすることになっちゃうね?英二くん、独りだとやっぱり嫌かな、」

さらり言ってくれた言葉が、うれしい。
英二1人でも留守番を任せられる。そんな母の考えに、英二を家族と認めていることが解かる。
まだ婚約者で、正式な顔合わせも済ませてはいない。それでも「家族」だと受けとめる母の想いが温かい。
温もりの幸せに感謝しながら周太は、提案と微笑んだ。

「あのね、もし大丈夫なら、光一にもお願いしてみる?…ふたりの予定次第だけど、」
「光一くんなら、いいね?なんどか遊びに来てくれているし、安心できるな。訊いてみてくれる?」
「ん、わかった…あ、再来週あたり、夏みかん採るよね?そのとき英二に帰って来てもらえるかも、訊いてみるね?」

夏みかんの菓子作りは、英二にも一緒にしてほしい。
けれど山岳救助隊の都合もある、それに英二がこちらに帰ったら光一は寂しいだろう。
それでも菓子作りは英二に伝えておきたい、このチャンスが来年もあるか解らないから今しておきたい。
どうか帰ってきてくれたら良いな?考えながら筍のサラダを口に入れた周太に、微笑んで母が頷いてくれた。

「英二くん、背が高いから夏みかん採るの、手伝ってもらえると助かるな。そのときに7月のことお願いしたらいいかな?」
「あ、そうだね?…明日、まず先に俺からも訊いておけばいい?」
「うん、お願いするね。そういえば夏みかん、御苑にもあったでしょう?今日は、どんな花が咲いていたの?」

言って、明るい黒目がちの瞳が懐かしそうに微笑んだ。
あの公園は父と母も若い頃よく散歩したと言っていた、きっと夏みかんを見つけた時は嬉しかったろうな?
この家の特別な花木への想いに微笑んで、周太は母に答えた。

「夏みかんは、きれいな実がなってたよ?躑躅と藤がきれいでね、どの木も緑がきれいだったよ。散歩しながら話すの楽しかった、」

美代との時間はいつも楽しくて、特に自然や植物のなかで話すときが一番楽しい。
お互いに植物好きだから2人ともリラックスできて、尚のこと楽しいのかなと思う。
その中でも特に記憶あざやかなことを、周太は言葉にしてみた。

「ユリノキ、って言う花を初めて見たよ?御苑のシンボルツリーでね、チューリップみたいな形が、可愛いの。
あわい黄色にオレンジ色が、花芯のあたりに入ってるんだ。あとね、朴の木の花も咲いていたよ。大山蓮華を大きくした感じの花。
御衣黄はすこし残っていて、葉桜もきれいでね、その下のベンチでお昼食べたんだよ。それでね…美代さんが光一の話をしたの、」

美代の困惑と安心の顔が心に思い浮かぶ。
今頃は美代も夕食を家族と囲んでいるだろう、英二と光一も青梅署の寮で食事中かな?
そんなことを考えながら周太は、母に質問をしてみた。

「ね、お母さん?4月に剱岳の帰りがけ、英二と光一が家に来てくれて会ったでしょ?あと、御前山に後藤さんと登った時。
あのときも御岳駐在所で光一に会ったよね?…光一のこと、どんなふうにお母さんには見えた?遠慮なく、ほんとのこと教えて?」

たぶん母のことだから気づいているだろうな?
そう見た先でワイングラスに口付けた母は、ひとくち飲んでから微笑んだ。

「きれいになったね、光一くん。特に、英二くんを見ている時、きれいで幸せそうね?」

やっぱり母も気付いていた。
なんだか嬉しい、嬉しいままに周太は微笑んだ。

「お母さんも、そう見えるんだね?…やっぱり光一は、英二で綺麗になった、って思う?」
「うん、思うな。恋愛してるのかな?って雰囲気ね。とっくに周は、気付いてるんでしょ?」

穏やかな声で言いながら、悪戯っ子に黒目がちの瞳が笑ってくれる。
ほら、母はきちんと見て気がついてくれていた、何も言わないでも見守っていてくれた。
こういう理解が母は温かい、素直に周太は頷いた。

「ん、そう…光一が話してくれたの、剱岳の帰りに来てくれた時…光一は泣いてね、初めて人間に恋愛した、って教えてくれて、」
「あら、初めては、周じゃないの?」

すこし驚いたよう黒目がちの瞳が周太を見ている。
このことはまだ話していなかったな?周太は母の目を見て口を開いた。

「俺はね、光一にとって『山』と同じみたい。いつも一緒にいなくて大丈夫なのは、山の木とかで繋がってるって信じてるからなの。
だから俺のこと、14年待っていられたんだ…『山』と同じだから繋がりも終わらないって信じられる、だからずっと好きでいてくれて。
でもね、英二のことは人間として、山ヤとして、大好きになったんだ、光一は…それで今、英二が平日はいないことに途惑うみたい、」

山っ子の想いは、対象が「山」と「人間」に分たれる。
このカテゴリーは光一独自の基準、そして周太は「山」に属すると光一は考えている。
これは普通は理解し難いかもしれないな?そう見た先で母は楽しそうに微笑んだ。

「周は『山』なのね?なんか納得できちゃうな、周は木や花が大好きだから、本当に木や花の妖精みたいなところ、あるものね?」
「ん、なんか気恥ずかしいよ?…でも、そういう感じで光一は俺を見てるの、」

光一は周太を「山桜のドリアード」と呼ぶ。
この「Dryad」は木の妖精を示すフランス語、だから母の言うことは当たっている。
そして美代にも言われたことがあった、こんな自分は浮世離れしているのかな?
そう首傾げた周太に母は、納得した顔で笑いかけた。

「それで光一くんにとって、英二くんが『初めて人間に恋愛した』なのね?だから、きれいになったんだ、」
「ん、そう…それで美代さんね、女の子の自分より光一の方が、恋愛できれいになっちゃったから自信喪失しそう、って笑ってて、」
「あら、そんなこと言うなんて、なんだか美代ちゃんらしいね?美代ちゃんも、光一くんのこと気づいてるんだ、」

母は楽しげに笑ってくれる。
こんなふうに母はいつも、何事も否定がない。
そういう母の大らかさが周太の「変」も受けとめて、個性だと褒めて育ててくれた。

…こういうお母さんだから、俺は植物学の夢にも、美代さんにも会えたんだ。英二と一緒にいられるんだ…光一とも、

この母こそが、今の自分の幸せに繋がる全ての原点。
この母にどうしたら、この感謝の想いと愛情を示していけるだろう?
すこしでも良いから、この与えられた幸せと愛情へのお返しをしていきたい。
その時間は、どれだけ自分に与えられているのだろう?

この初任総合が終われば、夏。
夏には本配属の辞令は下され、それから自分は2度ほど異動するだろう。
その時にはもう、いつ帰って来られるのかも解からない。だから今、すこしでも母に報いたい。
そしてどうか母には幸せに笑っていてほしい、そんな願いと母と向き合う時間を、周太は笑って過ごした。



屋根裏部屋のロッキングチェアーに落ち着くと、ほっと周太は息吐いた。
やわらかいランプの光のなかで、白とベージュの優しい部屋は夜の静けさに安らいでいる。
膝に乗せたテディベア「小十郎」を見つめて、そっと周太は質問をした。

「ね、小十郎?…英二と光一は今、一緒に笑っているかな?それで…すこしは俺のことも、想いだしてくれてるかな、」

問いかけに、黒い瞳は考えるよう見つめてくれる。
つぶらな瞳は光を映しこんで思慮深い、まるで生きているように想えてしまう。

…でも、ほんとうに生きているのかもしれないね、お父さんの身代わりだから、

自分が生まれる前に父が贈ってくれたクマのぬいぐるみ、名前も父がつけてくれた。
いつも「小十郎」に質問すると、父と話していた時と同じように良い考えや答えが心に映って、明るくなれる。
そんないつものように今もまた、英二と光一の笑顔が心映りこんで周太は微笑んだ。

「ん、きっと、幸せに笑ってるね?…笑っていてくれるなら、俺のこと忘れていても、良いかな?…」

言って、ふっと瞳が熱くなった。

「…あ、」

熱いものが頬つたってしまう。
伝っていく熱に昨夜と今朝のひと時が想われて、心が刺された。

「…だめ、想いだしたら…今は、だめ、」

声は否定する、けれどもう心は素直に時の光景を描きだす。

夜と暁、この唇に白い布を噛まされた。
布を口許に噛んで縛られて、それだけで声は封じ込まれてしまう。
そして白いシャツから全て脱がされて、この体を婚約者は愛撫に浚いこんだ。
熱いキスふれた痕は赤い花びらの痣、昨夜と今朝と2度も口づけられて刻まれた。
まだ今も肌には赤い花たちが残されて、散らされたままの記憶が花に熱い。

この花を刻んだことを、この今も婚約者は覚えている?
もしも忘れられてしまったら、きっと哀しい。この今もう1人の「唯ひとり」と過ごしている婚約者の想いに惑う。
そんな想いに一篇の物語が想いだされそうで、周太は頭をふってサイドテーブルの本を手に取った。

「ん、これを読まないと、ね?…」

青い表紙の『樹木の生命―千年の星霜と年輪の軌跡―』これは宝物の本。
もう全部読んでしまっている、けれど何度読んでも楽しくて、警察学校にも持ってきてしまった。
初任教養の時でも本の持ち込みは認可されやすかった、そして今回の初任総合はより規則がうるさくない。
学校の寮でも合間をみて読んでいるけれど、ゆっくり読みたくて実家に持って帰ってきた。

今どこから読もうかな?
考えながら目次を開いて眺めてみる、けれど頭に入ってこない。
代わりに哀しい物語の一篇が頭に描かれそうになる、それを頭振って周太は抑えた。
なんだか心が囚われたよう?そんな感覚に、また瞳が熱くなってしまう。

「…たった一晩なのに、」

今夜一晩だけ、ここで過ごしたら明日には学校寮に戻る。
そしてまた英二と毎晩を寮の部屋で過ごすだろう、そう解っている。
それなのになぜ今、また涙なんて出るのだろう?

「慣れちゃったのかな、だから…いまも一緒にいたくて…わがまま、俺、」

明日からまた一緒、なのに自分はワガママに涙こぼす。
この今の哀しみに、光一が4日間に見つめていた哀しみが重なっていく。
きっと光一はもっと哀しかったろう、だって自分は「婚約者」の安定があってすら泣いている。

もう明日すぐ逢えるのに寂しいなんて?
こんなふうでは初任総合の期間が終わったら、自分はどうなるのだろう?
そう思うと哀しみが涙こみあげてしまう。そんな目元ぬぐうシャツの袖口に、また笑顔の俤が見えて泣けてしまう。
このシャツは大きめで袖が長い、このサイズは英二がわざと大きめに選んだ。

―…周太、大きめの方が可愛いから、

大好きだよ?そう笑っていた顔がもう懐かしい。
もうこのシャツは実家では着ない方が、想いだして泣かなくて良いのかな?
ほんとうはこのあと、あの写真集も見るつもりだったけれど止めようかな?
こんな考えも哀しくて寂しくて、つい唇から想いがこぼれた。

「あいたい、えいじ…」

途端、ポケットから穏やかな曲が流れだした。
この曲は、たった一人だけの着信音。だからもう誰がコールしてくれているのか、解ってしまう。

「…どうして、」

どうしていつも、英二は解かってくれるの?

こんなふうに解かってくれるから、離れなれなくなってしまう。
この理解が温かで幸せで、手を伸ばしてしまいたくなる。
この想い素直に携帯を開くと、そっと通話を繋いだ。

「周太?…もしかして、泣いていてくれた?」

きれいな低い声が微笑んで訊いてくれる。
けれど今は全て正直に答えてはいけない、そんな想いに周太は半分だけ正直になった。

「ん、泣いていないよ?でも逢いたいな、って考えていたよ?明日が楽しみだな、って」

もし今、周太が泣いていると知ったら。
きっと英二は周太のことばかり気にかけて、明日逢える時まで気遣ってくれるだろう。
それでは光一が寂しくなる、せっかく今夜から明日まで光一が英二といられる時間を邪魔してしまう。
そんなことは決してしてはいけない、ふたりの繋がりを深めてほしいと願うのは、自分なのだから。

…どうか、お願い、気づかないで?

どうか涙に気付かれませんように。
どうか自分のことを気にせずに、ふたり幸せな時間に笑っていて?
おだやかな想い、心裡ひそやかに祈りながら周太は微笑んだ。


(to be continued)

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第47話 陽面act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2012-06-23 23:54:28 | 陽はまた昇るside story
※後半4/5あたり念のためR18(露骨な表現は有りません)

陽光、光あふれる場所で



第47話 陽面act.1―another,side story「陽はまた昇る」

活けたばかりの花菖蒲は露きらめく。
青紫は凛々と清雅で、やわらかな花びらは艶深い。
すっくり、剣のよう伸びやかな葉は翡翠色さわやかで皐月の空に良く似合う。

「きれいだね?」

端正な花姿に微笑んで、周太は花瓶を据え直した。
いま華道部で借りてきた花活は高価なものではないけれど、真白な地膚の温かな質感が花と似合う。
やっぱり花が部屋にあると空間が清々しい、華道部にして良かったな?うれしい想いに微笑んだとき扉がノックされた。

…誰かな?

さっき英二は関根との待ち合わせに出たばかり、まだ暫く戻らないだろう。
首傾げて扉を開いて見ると、同じくらいの目の高さで優しい瞳が笑った。

「湯原くん、実家から差入もらったんだ。一緒に食べてくれない?」

提げている白い箱を示して、ジャージ姿の瀬尾が誘ってくれる。
楽しそうな誘いに周太は素直なまま頷いた。

「ん、ありがとう。俺、飲みもの買ってくるね、」
「大丈夫。俺、もう買ってきたんだ、」

もう片方の手に持った2つの缶コーヒーを見せてくれる。
何もかも揃えて来てくれた、相変わらずの細やかさに周太は微笑んだ。

「ありがとう、瀬尾。じゃあ、場所だけでも、俺のとこ使う?」
「そうさせてもらうね?ゆっくり話したいな、って思って、」

すこし困ったよう笑って、瀬尾は周太に部屋に入った。
考えてきたことを聴いてほしい、そんな雰囲気の笑顔には思い当ることがある。
たぶん関根のことかな?考えながら扉を閉めた隣、すぐデスクの花に目を止めて瀬尾は微笑んだ。

「あ、花菖蒲?もしかして湯原くん、華道部に入ったの?」
「ん、そう、」

頷いた周太の隣で瀬尾は、うれしそうに花を眺めている。
いま瀬尾は、花菖蒲とすぐ花の名前を呼んだ。同年配の男で、この花の名を知っているのは珍しいだろう。
もしかして瀬尾も花は好きなのかな?そんな想いと見つめた先で、優しい声が言ってくれた。

「きれいな活け方だね、花の扱いに慣れている感じ。湯原くん、前から習ってるの?」

褒めてもらえて嬉しい、けれど質問の答えに少しだけ心配になる。
けれど正直に話してみたい。優しい瀬尾なら聴いてくれるかな?そんな想いにと周太は答えた。

「華道は習っていないんだけど、小さい頃から父に茶の湯を教わっていて…それで茶花はよく活けるんだ、植物は好きだし、」

男の癖に変、いつもそう言われてきたこと。
茶道も草花好きも確かに女性の方が多いだろう、言われるのも仕方ないかもしれない。
けれど花も茶も家元と呼ばれる人たちは、男性が多く占めている。そう知った時は自分も堂々「好き」と言えるのかな?と思えた。
本当に好きな事だから隠したくない、そんな想いと笑いかけた友達は感心気に頷いてくれた。

「茶道も楽しいよね、俺も飲み方だけなら教わったんだ。花も、詳しくはないけれど好きだな、彼女が華道やってるし、」

いつもの笑顔で笑って受けとめてくれる。
こんな静かな理解が嬉しくて、素直に周太は笑った。

「婚約者の彼女さん、お花が好きなんだ、」
「うん、小さい頃から、ずっと教わっているんだ。だから俺も、お稽古に付いていったことあるよ、」

話しながら瀬尾は、サイドテーブルで白い箱を開いてくれる。
中からカットされたオレンジケーキを出すと、缶コーヒーと一緒に2切れ渡してくれた。

「良かったら、宮田くんにもあげて?」

なにげない「宮田くん」に首筋から赤くさせられる、ついさっきベッドでされたことの記憶が気恥ずかしい。
なにより英二の分を周太に預ける「なにげなさ」に、自分達の関係を瀬尾は幾らか気づいていると知らされる。
こんなの気恥ずかしい、けれど決して否定ではない瀬尾の態度が嬉しい。うれしくて周太は素直に笑いかけた。

「ありがとう。俺、オレンジのケーキ好きなんだ…英二も、好きみたいで、」
「やっぱり湯原くん、オレンジの味って好きだよね?よくオレンジの飴を口に入れてるみたいだから、好みかな、って思ったんだ、」
「ん、そう、」

やわらかな声の答えに、周太は感心しながら頷いた。
やはり瀬尾はよく人を見て気がついている、そうして気づいた好みを覚えていて菓子を分けてくれた。
こういう細やかな気遣いが出来る余裕が瀬尾にはある、こうした資質はきっと経営トップにふさわしい。
そんな考えに、瀬尾がなぜ自分の所に話しに来たのかを周太は思った。

…たぶん、初日の夜のことだよね、

初任総合の初日、夜は瀬尾の部屋で関根と英二と集まった。
ほんとうは研修前に皆で飲む約束だったけれど、都合が合わず仕舞いでいる。
その代わりに4人ゆっくり話そうと集まった席で、瀬尾は「5年後の辞職」について話してくれた。
もう周太は3月の手話講習の帰りに聴いていたし、英二も周太から聴いて知っている。だから冷静だった。
けれど関根だけは初めて聴かされた、そして友人の進路に驚くまま真直ぐに詰め寄ってしまった。
あのときのことを瀬尾は、話しに来たのだろうな?考えながら口にした菓子に周太は微笑んだ。

「ん、おいしい。オレンジがいい香だね、」
「よかった、俺もここの好きなんだ。地元の店のだから、宮田くんも知ってるかも、」

瀬尾と英二は、世田谷の高級住宅街にふたりとも実家がある。
お互い別の私立学校に通っていた為に面識は無かった、けれど警察学校で出会ってからは共通の地元で話題も多い。
その2人の地元を管轄する警察署に、関根は卒業配置されている。この3人を結ぶ街に周太は、気がついた。

…瀬尾、英二のお姉さんと関根のことも、なにか気づいているのかも?

さっき関根が英二を呼びだした、その理由は2つあるかなと思う。
まず1つは瀬尾のこと。そして2つめは英二の姉、英理のことだろう。
瀬尾も、この2つの話に来たのかもしれない。けれど瀬尾の深い落着いた視点だと、また違う見解があるだろう。
瀬尾はどんなふうに想うのかな?考えながらも素直に菓子を楽しんでいると、穏やかに瀬尾が口を開いた。

「湯原くん、正直に答えてほしいんだけど。警察官を辞めて実家を継ぐことは、挫折かな?関根くんは俺のこと、呆れたかな?」

やさしい眼差しのまま少し困ったよう、瀬尾は微笑んでいる。
やっぱり瀬尾も関根のことを気にしていた、けれど何故「呆れられた」と感じたのかな?周太は訊いてみた。

「どうして、そう思ったの?」
「関根くん『辞めても続くって何だよ』って言ったよね?それで思ったんだ、俺が挫折したって感じたのかな、って、」

話してくれる笑顔はいつも通りに優しい、けれど寂しさがほろ苦い。
困ったな、そんな笑顔のままに瀬尾は言葉を続けた。

「警察官になりたい、この夢に俺、あと5年は生きられるだろ?この5年間は俺の背骨を作ってくれるって思うんだ。
似顔絵捜査官になったら、犯罪の被害者や目撃者と俺は向き合うことになる。これってね、心の傷や動揺を見ることだよ。
人が弱っている瞬間に立ち会うことは、難しい。精神力を試され、鍛えられるよ、だから、俺の心の背骨が作られると思うんだ。
そうやってね、警察官の5年が作ってくれた背骨と、俺はずっと生きていける。だから、辞職しても夢は生き続けるって思うんだ、」

瀬尾が言った『辞めても続く』その言葉の意味が、逞しい。
自分に与えられた責任と立場と、自分が追い続けた夢。この2つとも生かそうとしている。
こういうのは、かっこいい。素直に感じたまま周太は微笑んだ。

「ん、瀬尾の言う通りだって、俺は思うよ?こういうの、すごく、かっこいい、」
「そうかな?ありがとう、」

照れくさげに笑って缶コーヒーに口付ける、それがブラックコーヒーだった。
前は瀬尾も周太と同じカフェオレをよく選んだ。けれど黒いシックな缶は、今の瀬尾には良く似合う。
こんなふうにコーヒーの好みから瀬尾は変化した、こういうのは何だか眩しいな?
そんな想いに微笑んだ先、ほっと息吐いた瀬尾は困ったよう笑った。

「でもね、真直ぐな関根くんからしたら俺は、夢を途中で投げ出したって、ことだと思うんだ、」

そう思われることは仕方ない、けれど寂しい。
なにも相手を責めることなく受けとめている、そんな貫禄が寂しさの底にある。
いま話している瀬尾の顔立ちは相変わらず可愛らしい、けれど纏っている表情と空気には大人の男が佇む。
こういう変化を「挫折」とは言えない、この頼もしい変化を見せる友人に周太は笑いかけた。

「瀬尾は、かっこよくなったよ?自分の立場や責任と向き合う覚悟が、かっこいい。大人の男の人になったな、って俺は思う。
そういうふうに変化すること、挫折とは言わないよね?これは『成長』って言うんだと思う…このこと、関根も解かってると思うよ、」

この7ヶ月で瀬尾は変わった、1年前に警察学校のランニングで斃れた俤は、もう無い。
ここに座っているのは肚を決めた男、自律の覚悟と周囲への優しさを抱いて、静かに笑っている。
大きな責任を背負う男の孤高とも言える覚悟が、なにげない表情にも見えてしまう。
そんな表情でまた瀬尾は、優しい温もりに微笑んだ。

「成長か。うん、湯原くんに言われると、なんか自信もてるな?ありがとう、」
「ほんとうのこと、言っただけだよ?」

思ったことを言っただけ、それを喜んでもらえて嬉しい。
気恥ずかしく素直に微笑んだ周太に、瀬尾は笑ってくれた。

「俺、関根くんにまた話してみるよ。誤解させて、ごめん、って言ってみる。ちゃんと自分の考えを話してくる。
それで、友達でいてよって訊いてみるよ。なんとなく溝みたいなのあるままって嫌だから。明日は外泊日だし、昼ご飯に誘ってみる、」
「ん、きっと関根、喜ぶと思うよ、」

答えと見つめる友達は、表情が明るくなった。
こんな自分でも、すこし力になれたのかな?そうだと良いな、嬉しくて微笑んだ周太に瀬尾は訊いてくれた。

「湯原くんは、宮田くんのお姉さんとは仲良いんだよね?」
「ん、メールとか、くれるよ?」

正直に答えて周太はカフェオレの缶に口付けた。
ミルクと砂糖のやさしい甘さが嬉しい、自分で淹れるならブラックでも缶コーヒーはカフェオレの方が本当は好きだ。
瀬尾はコーヒーの好みまで気がついてくれる、こういう繊細な観察眼と記憶力を「帝王学の基礎」だと英二は言っていた。
きっと瀬尾は立派な経営者になるね?そんな想いと微笑かけた周太に、穏かに瀬尾は言葉を続けた。

「このあいだ俺、実家に帰った時に、関根くんの交番に寄ったんだ。そうしたら宮田くんのお姉さんが通りかかってね。
関根くん、幸せそうに見たんだ。お姉さんも振向いて関根くんに気がついてね。ふたりで話をしてるのが、お似合いだったよ。
それで思ったんだけど。もし、ふたりが付合うって言ったら、湯原くんはどう思うのかな、って。俺が口出すのも、変だけど、」

失礼だったら、ごめん?そんなふうに見つめて、瀬尾は笑いかけてくれる。
この表情と質問からも確信される、周太と英二のことを瀬尾は気がついているのだろう。
けれど瀬尾はあえて訊かないで、静かに見守ってくれる。こんな静かな温もりが嬉しい、嬉しい気持ちに周太は微笑んだ。

「お互いに真剣なら、素敵だと想うな?俺も、お似合いだと思う、」

もし英理が関根と恋仲になったら?

このことは11月の飲み会で、ふたりの様子を見た時から考えてきた。
そして想ったのは、関根なら英理と支えあえっていける、そんな可能性だった。
もし、ふたりが現実に交際するなら。自分たちの関係も話すことになる、その覚悟も考えてきた。
もしかしたら関根も自分たちの関係に気がついている、そんな気配もあるけれど、実際に明確に知ればどうなるだろう?

…なるようになる、よね?

もし自分が、本当に英二の妻となる運命なら、なるべくしてなるだろう。
もちろん努力も勇気もたくさん必要なこと、けれどその全てを結実させるのは「運命」かなとも思う。
そんなふうに時と空間の流れがあるならば、関根のことも同じこと。
もし定められた運命の伴侶同士なら、関根が事実を知っても運命の流れは変わらない。
そんなふうに関根と英理も、惹きあわされる相手同士なら、そうなっていくのだろう。

―…なんかさ、不思議とよく会うんだよな?

関根が英理のことを話す時、いつも言っている言葉。
この言葉通りなら、ふたりはそうなるかもしれないな?想いながら周太は、デスクの花に微笑んだ。



英二の部屋で過ごす消灯前、時計が21時半になって周太は法学のファイルを閉じた。
ポケットから携帯電話を取りだしながら、ベッドに並んで座る隣に周太は微笑んだ。

「ね、英二?ちょっと電話しても良い?」
「うん、」

笑顔で頷いてくれながら、英二はファイルのページを繰った。
熱心に勉強しているな?感心しながら周太は発信履歴から通話を繋いだ。

「こんばんは、周太。今日は学校、何か面白かった?」

きれいなテノールがすぐ応えてくれる。
その明るいトーンが嬉しい、周太は微笑んで答えた。

「今日はね、座学は刑法が面白かったよ?術科は機動隊のフル装備を着けて、走ったんだけど。英二、すごく速かった、」
「あいつ、パワーすごいからね。90Kgの男を背負って下山したこともあるよ、機動隊のカッコで平地を走るくらい、軽いだろね、」

すこし自慢ふうなトーンが光一の想いを映しだしてしまう。
こんなストレートなところ、光一らしくて可愛いな?電話むこうの大好きな幼馴染に、周太は笑いかけた。

「そうだよね、いつも山でしてるんだものね?…あ、俺、大学の講義でも山に行くんだよ?水源林のフィールドワークなんだ、」
「へえ、楽しそうだね。美代も一緒だろ?美代も山慣れしてるから、頼りになるよ、」
「ん、頼りにしてる。7月の土日に、山小屋で1泊するんだよ?美代さん、今から楽しみにしてて、」
「だろね?はりきりそうだな、美代。どこの山に行くの?」

楽しそうに話してくれる声が嬉しい、きっと今、底抜けに明るい目は幸せに笑んでいる。
もっと幸せに笑わせてあげたいな?そんな想いに微笑んで周太は光一に言った。

「まだ正式には決まっていないけれど、東京近郊みたい?…ちょっと待っててね、」

笑いかけて送話口を握りこむと、英二に携帯を差しだした。
差しだされた携帯に、切長い目をファイルからあげて笑いかけてくれる。
素直に長い指の掌に受けとりながら、きれいな低い声が微笑んだ。

「ありがとう、周太。いつも、」

礼を言ってくれる唇が近づいて、そっと唇にキス重ねてくれる。
すぐ離れた唇は、そのまま周太の耳元で囁いた。

「…午後の約束、忘れないでね?」

―…なんとかするよ?だから今夜、好きにさせてくれる?

午後に聴いた約束ねだる声と、同じ声の囁きが熱い。
この囁きの意味に首筋が熱くなるのを感じながら、素直に周太は頷いた。

「はい…でも勉強の後で、ね?」
「うん。約束守るから、周太も守ってね、」

幸せそうな笑顔見せて、英二は携帯電話を耳元に当てた。

「おつかれ、光一。吉村先生、今日の検診はどうだったって?…うん、…あ、そうだったんだ?…明日、戻ったら見てみるな?」

なにげない声、けれど呼名が変わっている。
剱岳の夜に初めて名前で呼びあった、そう英二も光一も教えてくれた。
それ以来すこしずつ、ふたりは苗字から名前で呼ぶことが増えていく。
この呼名の距離感に、ほっとしている自分がいる。この安堵感に微笑んで周太はベランダに出た。
コンクリートにふる光がやさしい、見上げた先で月が皓々と夜を明るませていた。

「…今夜も、きれいだね?」

翳りない月の明るさに、ふたりは大丈夫と確信も照らされる。
ふたり繋がりあい、温もり分け合っていてほしい、そして幸せに笑っていて?
この自分には出来ない、時も場所も選ばず共に立ち続けることは、2人のどちらとも自分には出来ない。
だから自分には大切な2人を護り続けることは難しい、だからこそ2人が互いに援けあってほしいと願う。
もし互いに深く想いあい援けあえたなら、きっと無事に2人は最高峰で笑い続けてくれるから。

こんな考え方は、「変」なのかもしれない。
こんなふうに自分の婚約者と自分の初恋相手が、結ばれることを願うなんて?
けれどこれなら、ふたりの身も心も幸せに護り続けられる、大切な笑顔を見ていたいから選択したい。
もう明日は最初の外泊日、帰れないかもしれない「あの場所」に向かう瞬間は刻々と近づいていく。
もう、自分は帰れなくなるかもしれない、だから大切な2人に支え合っていてほしい。

「…どうか、幸せでいて?…俺も、努力するから、」

自分も、帰る努力を諦めないから。
あの15年前の秋に雅樹が、最後の瞬間まで帰ることを諦めなかったように、自分も諦めない。
そのための努力をしたいから、消灯後も勉強をする約束を英二とした。

「救急法、教わりたいな?」

この後の勉強予定に笑って振向くと、ちょうど英二は電話を切るところだった。
腕のクライマーウォッチを見ると21:58、そろそろ点呼の時間になる。
ベランダから部屋に戻って周太は、きちんと窓を施錠した。その背中を温かい腕が抱きしめてくれた。

「周太、点呼の時間だね、」

幸せそうな声が近づく時を告げて、耳元で微笑んでくれる。
こんなことされると気恥ずかしい、けれど抱きとめてくれる温もりが嬉しい。
でも首筋から熱くなっていくのに困ってしまう、困りながらも周太は素直に頷いた。

「ん、点呼、行かないとね?」
「そのあと、すぐ行くから。待ってて、周太、」

きれいな笑顔が覗きこんで、そっとキスふれる。
こんなふうに構われると幸せで、けれど赤くなる顔に困ってしまう。
こんな赤い顔で点呼に出たらもっと困りそう?困惑しながらも周太は、廊下へと出た。



いま読んでいるファイルの精度に、周太は溜息を吐いた。
これは救急法と人体鑑識をまとめた資料集になっている、この全てを英二は自分でまとめた。
卒業配置されてから7ヶ月間に英二が見つめた努力、その全てがページから伝わってくる。

…このファイル、英二…

このファイルを英二が作り、贈ってくれた理由。
それが「付加」の部分のデータから伝えられる、今も周太に教えてくれる英二の様子から解ってしまう。
人体の構造・稼働についてと外圧や毒物による損傷、これらの詳細データを記されたファイル。
どれも自分が求めていた知識ばかり、特に周太が必要とするデータが「付加」に記されている。
このファイルを作ることは普通なら難しい、それでも英二は7ヶ月の間に作り上げてくれた。
この一冊は周太にとって、きっと命綱になってくれる。

…ありがとう、英二

心に感謝を微笑んで、英二の説明をファイルに加筆していく。
初任教養の時と同じようにベッドに並んで座り、壁に凭れて勉強している。
この時間の記憶も懐かしくて嬉しい、こんな時間も自分にとっては宝物だから。
そんな想いと何頁か進めて時計が0時を示す頃、きれいな低い声が周太に笑いかけた。

「周太、今夜はここまでにしよう?」

長い指はファイルを閉じ、ノートもペンもまとめていく。
静かに立ち上がると英二は一式をデスクに置き、デスクライトを落とした。
暗くなった部屋は、窓ふる月明かりにまた表情を変えていく。ほの明るい静謐の空間、きれいな低い声が囁いた。

「周太…午後の約束、果たしてくれる?」

切長い目が瞳のぞきこんで、長い腕が体を抱きしめてくれる。
やさしい薄昏の部屋は青と白のトーンに鎮まって、明るい時間と別世界の貌になっていく。
どこか非現実的な今に、熱くなる首筋を感じながら周太は微笑んだ。

「ん、…声、なんとかしてくれるなら、いいよ?」
「ありがとう、周太、」

切長い目が幸せに笑んで、長い指がポケットから白い布を取出していく。
うす青い月明りに見つめる先で、器用な指は布を細長く折りたたむと周太に赦しを願った。

「周太、ごめんね?猿轡、させて…」

告げたまま唇を重ねて、深いキスに微熱がおくられる。
抱きしめられながら唇ふれる熱に、心ごと熔かされてしまいそう。
どこかいつもより熱っぽい唇がゆっくり離れると、周太は素直に頷いて微笑んだ。

「ん、はい…」

もし声が漏れたら大変なことになる、それでも英二の求めに応えるなら声を封じて貰うしかない。
これから望む時間は、ほんとうは警察学校寮では規則違反になってしまう。
すこし怯える気持ちもある、けれど婚約者の願いを今この時こそ叶えてあげたい。
ここで過ごす2ヶ月が終わったらもう、自分は婚約者との夜を過ごせるか解らないから。

「きつくない?周太、痛かったら教えて、」

綺麗な低い声で訊いてくれながら、長い指は周太の唇に布を噛ませて頭の後ろで結んでいく。
すぐ済んで、白布の猿轡に周太の声は封じられた。

「風呂が使えないから、繋ぐのは出来ないけど…いっぱい気持ちよくしてあげる、周太、」

きれいな低い声が時の始まりを告げる、抱きしめられた体はベッドに横たえられる。
長い指が周太の白いシャツに掛けられて、微かな音に衿元のボタンが外された。
ゆるめられた衿の素肌にキスふれる、その微熱に音にならない声がこぼれた。

…キス、熱い…

ひとつボタン外され微熱のキスこぼされる、衿元から夜の空気が肌ふれる。
ひとつずつ外れていくボタンの感覚とキスに、心ごと夜へと惹きこまれてしまう。
そして腰から衣擦れが降ろされて、晒されていく素肌の恥ずかしさに周太は、瞳を閉じた。




やわらかな暁の光がカーテン透かして部屋に充ちる。
唇は白布を噛まされ言葉も出ない、手も恋人のシャツに縛られ動かせない。
まだ明けきらない朝、目覚めたばかりの時間を恋人は、昨夜の続きへと浚いこむ。
なんの抵抗も出来ない。白いベッドの上に全身の素肌は暁に晒されて、されるがままに愛し尽くされていく。

「周太…かわいい、こんなに素直に感じて、ね…」

きれいな低い声も艶深い、切長い目が幸せに微笑んで見つめてくれる。
与えられる視線も言葉も恥ずかしい、けれど声も出せないまま感覚が与えられていく。
そうして体から力奪われ尽くしたとき、ようやく恋人の指も唇も止められた。

「周太、愛してる…」

やさしい言葉と熱いままの視線でふれる、婚約者の想いが切なく甘い。
明るくなる朝に長い腕で抱きしめて、猿轡はずしキスふれてくれる。
長い指が手を縛るシャツをほどく、ようやく自由戻った体に吐息ついて周太は微笑んだ。

「えいじ…いま、幸せ?」

微笑んで訊いた先、きれいな笑顔が幸せに咲いていく。
きれいな低い声が笑って、想いを告げてくれた。

「幸せだよ、周太?いっぱい、周太にふれたから、」

よかった。

幸せに笑ってくれた、それが嬉しい。
このひとが幸せになれるなら、この身も差し出したい。
この想いは、初めて身を委ねた瞬間から色褪せてはくれない、尚更に色鮮やかに深くなる。
そんな想いのままに今も、こうして抱きしめられている。いま与えられる温もりが幸せで、素直に周太は微笑んだ。

「今日もしごと、気をつけてね?ちゃんと無事に、かえってきて?…あした、新宿でまってるから、」
「うん、明日には帰ってくるよ?でも…離したくない、周太、」

すこし苦しげに微笑んでくれる、端正な顔が愛しい。
離したくない。そう言われて嬉しくて、離さないでと告げたくなる。
それでも周太は婚約者に笑いかけて、やさしいキスで白皙の額にふれた。

「光一が待ってるよ?だから帰ってあげて、英二…奥多摩はもう、英二の居場所のはずだよ?光一の隣も、」
「周太…、」

きれいな切長い目が見つめてくれる。
どうしたの?問いかけ微笑んだ先で愛するひとは、涙ひとつ暁に光らせ微笑んだ。

「ありがとう、周太…ね、周太?故郷の約束、いつか叶えるから、忘れないで?」

川崎の家でねだった、途方もない約束。
あのことを英二は言ってくれている、この気持ちだけでも充分うれしい。
この「いつか」には婚約者の隣、自分も寄添っていたい。けれど。
そんな「けれど」を心裡に抱きながら、それでも周太はワガママに笑いかけた。

「約束、守ってね?なにがあっても、必ず叶えて…忘れないで、愛してるなら言うこときいて?」

愛してるなら、忘れないでいて?
なにがあっても、どんな未来になってしまっても、あなたの故郷を作りあげて?
そして幸せに笑っていてほしい、あなたの笑顔だけを本当は、いつも自分は願っているから。

「うん、忘れないよ、周太。俺は、約束は全部守るから、」

応えてくれる白皙の顔は幸せにほころんで、やわらかな光を背に笑ってくれる。
ふる陽光に透けるダークブラウンの髪がきらめく、なんだか天使みたい?幾度めかの想いに周太は微笑んだ。

「英二、今日も明日も、たくさん笑っていてね?」

願いの祈りに微笑んで、暁の光射す婚約者を抱きしめた。



(to be continued)

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第47話 光面act.3―side story「陽はまた昇る」

2012-06-22 23:56:31 | 陽はまた昇るside story
光つ表、その照らし出すもの



第47話 光面act.3―side story「陽はまた昇る」

冷涼の風は、紺青色の空から吹きおろす。
黒沈む稜線に霧がかかる、雲と霧の交わす澹に月が昇り、輝く紗になって空に懸る。
水の粒子が反射する月光に山肌は、樹々ゆれる漣が光つ面に広がっていく。
山は今、風が強い。

「うん、明日の朝は気温が下がりそうだね?」

窓開けて、夜に黒髪揺らし光一が笑った。
開け放たれた窓いっぱいに夜の山風が流れ込む、湯上りの火照りが深い森の香に鎮められる。
デスクチェアに座り頬杖をつく、その視線の先で日記帳のページが風に捲られた。

amicus patris
Tokyo Metoropolita Aliquam dolor
vigilum schola
Vigilum cooptatione exem

捲られていくページに綴られる、ラテン語の単語たち。
この単語が指し示すのは馨の運命の変転、50年の連鎖に絡まれだす過程。
明るかった日記帳の日々は3年で終焉し、4年目には哀しみの諦観が覆いだす。
この白いページに続いていく17年の苦悩がもう、始まってしまった。

「ほら、落ちこんでばかりいるんじゃないよ?」

テノールが笑った途端、英二は頬を小突かれた。
瞳だけ動かし見ると、いつのまにか窓は閉じられて、白い指が自分の頬を突いている。
視線の先で底抜けに明るい目は笑いかけてくれる、そっと指を離し光一は、白い顎を英二の肩に乗せた。

「このページ、警察官採用試験のこと?」
「あれ?光一、ラテン語も読める?」

よく解ったな?そんな驚きに肩の上の顔に英二は微笑んだ。
細い目は瞳を動かしてページを追いながら、光一は答えてくれた。

「なんとなくならね。おまえの翻訳文と日記と、いつも両方を見せてくれるだろ?それで、なんとなく解かるようになったね、」

なんとなくでも、大したことだろう。
素直に感心して英二は親友を褒めた。

「すごいな、語学の才能あるんだ、おまえ、」
「そう?おまえこそ、4カ月でよく3年分も解読したよね?そっちのが、すごいんじゃない?」

肩に顎を乗せたまま白い指のばし、ページをめくる。
しばらく古い紙を繰って、ほっとため息吐くと光一は背を伸ばした。

「なかなか、50年前の件は出てこないね?もうすこし先になって、おやじさんは知るのかな?」
「たぶん、本配属の頃かな、って俺は思ってるよ、」

いま吐息が残した花の香が、話す自分の口許しのび込む。
相変わらず佳い香だな?そんなことを思いながら英二は、椅子を回して親友に向きあった。

「おじいさんの小説、どう?」
「全部、ほとんど事実を書いてると思うね。場所の設定がパリ郊外になっているけど、」

即答に微笑んで、光一はベッドに腰掛けた。
傍らに置いた紺青色の本を手に取ると、目次を眺めながらテノールは話しだした。

「おまえが初任総合に行く朝、一緒に読んだのが第一章。で、その前にUn prologue、序章があるんだ。
ここは、なぜ拳銃を所持しているのか?が書いてある。で、周太のじいさまらしい『彼』は大学では射撃部だって第一章にあったろ?
それで射撃の腕前があったから、大学院生だった彼は学徒出陣すると、狙撃チームに回されたんだ。で、拳銃所持も認められたワケ。
これを終戦後もそのまま持っていたんだ、退役軍人にはヨクある話だよ。田舎の蔵の中とかじゃ、結構に隠してあったりするね、無届のまんま、」

古いアルバムに貼られたセピア色の写真。
あの写真の一葉がテノールの紡ぐプロローグに浮かびあがる、綴られる単語の因果にため息がこぼれだす。
もうこの時には始まっていた「束縛」と連鎖が痛い、こめかみに指先あてながら英二は口を開いた。

「あの軍服姿の写真、やっぱり腰のところはホルスターなんだな、」
「そういうコトだね…だから、この序章は事実だと思う、」

かすかなため息に、秀麗な顔が微笑んだ。
そして目次にまた視線を落とすとテノールは続けた。

「で、第二章ね。ここは第一章の事件を、どういうトリックで処理したのかが書いてある。おまえと考えたコト、ほとんど正解だね、」
「あの警察官が全部を握った、そういうことか?」

きっとそうだろう、そう自分でも解かっている。
それでも訊いた英二に、透明な目は哀惜に微笑んだ。

「だね、遺体の移動から現場の偽装まで、全部あの警察官がやっている。で、曾おじいさんの死亡診断を手配したのも、この男だね、」
「じゃあ医者も、事実を知っている可能性がある?」
「この診断書はね、遺体の検案を一切通さずに作られたんだ。だから完全な偽造、でもそれが出来る立場にあった、ってこと、」

これは信じたくない事実の結論、だからこそ50年も束縛が綯われたと納得してしまう。
ため息のなか英二は相槌と微笑んだ。

「そっか、」

死亡診断書の偽造、これだけでも罪になる。それに加えて事件の秘匿と、晉自身が犯した罪の隠匿があった。
こんなにも塗り重ねた秘密と罪、その重さを負わされた馨の想いが哀しい。
この重さに馨は沈められ50年の束縛に掴まっていく、その過程が紺青色の日記帳に綴られているだろう。
これから読んでいく過程を想う向こう、透明な目は温かに笑んで話を続けてくれた。

「第三章は、第一章の事件について後日談だよ。あの事件の精神的ストレスから、奥さんが心臓病を発症する。
彼女はね、大学の教え子だったんだよ。彼のゼミ生らしい、それで歳の差がある夫婦だったんだね。すごく愛してるみたいでさ、
この彼女の闘病と看護の話が二章はメインになってる。それから、まだ幼い息子のこと。あとはね、拳銃の始末についても書いてある、」

拳銃の始末。

さらり終いに言われた単語に、パートナーを英二は見た。
光一も目をあげて英二を見つめてくれる、そして静かに「記録」を口にした。

「おまえが推理していた通りだね、自分の屋敷に彼は埋めたんだ。この小説の中ではね、転勤が決って始末した、ってなってる。
この場所についてまでは、ここにも書かれていないんだよね。だから、まだ埋まっているかもしれない。それとも、掘り出されたか…」

テノールの声がとけるよう消えて、ため息をこぼす。
出来れば掘り出されていないと良い、そして自分が掘りだせれば良いのに?英二は微笑んだ。

「オックスフォードに発つ前に証拠を消す、その為に埋めたんだな。もし今、掘り出されてたら、お父さんだろうな、」
「だね。でも和室の炉は、古いものだったよね?取り外されたような形跡が無ければ、たぶん掘り出していないと思う、」
「形跡は、特に無いように見えるんだけど…俺、再来週の外泊日は、川崎に帰っても良いかな?」
「うん、俺はイイよ?たぶん副隊長もOKだと思うね、ちょっと確認してきてよ?ま、ほんとは掘れたら良いんだけど、」

同じ考えを告げながら、パートナーは困ったよう微笑んだ。
これは最初に推理した時も話したこと、あのときの記憶と英二は口を開いた。

「なるべく早く、確認したい所だよな?あいつらが、この「記録」に気がつく前に物証は消したいよ…家が無人になる日、か、」

周太も、周太の母も、ふたりとも留守になる時。この条件の時でなければ、炉の下を掘り返すことは難しい。
時間がどれだけ懸るか解らない上に、一度始めたら最後まで終えなくては意味が無い。
これが実行できるチャンスの時は、あるだろうか?

「だね、安全なのは、ずっと一昼夜の間を留守になる時だね?…あ、」

なにか気がついた、そんな目で光一が英二を見ている。
チャンスの時についてのヒントかな?そう見返したとき英二も気がついた。

初日の21時半に電話をして以来、いつも周太は消灯前のひと時に光一との通話を繋いでくれる。
最初は周太が光一と話して、それから英二に携帯電話を渡してベランダに出てしまう。
そんな気遣いは昨晩も同じだった、法学を復習する合間に光一に電話を架け、周太は大学の講座について話していた。
そのときの会話の記憶に、実行の時を見つけて英二は微笑んだ。

「大学の公開講座、夏に1泊でフィールドワークがある、って昨夜、言ってたよな?」
「そ。でさ、あれって土日だろ?時期的にも納涼会とかで慰安旅行も多いよね、おふくろさんも旅行しないかな、」

テノールの声が提案してくれる。
いま言われる通りに話を薦められないだろうか?考えながら英二は頷いた。

「うん、そのあたりの話も再来週、ちょっと様子見てみるよ、」
「よろしくね、早ければ早い方が良いだろうから。でもさ、俺も泊まって作業することになるだろ?口実どうしようね?」

言いながら考え込んで、怜悧な細い目が英二を見つめている。
この作業は英二1人では流石に難しい、光一と協力しないと時間もかかり過ぎるだろう。
なにか自然な理由はあるだろうか?そう考え詰めて英二は思いつきに口を開いた。

「本庁に行く用事とか作れない?たとえば山岳講習の講師とか。それで帰りが遅いって話したら、お母さんなら泊まること薦めると思う、」
「なるほどね、うん、夏山の講習とかあるよね?一般向けのだと土日が多いし、いい考えだね。明日、副隊長に話してみる、」

底抜けに明るい目が「いい考えだね」と頷いてくれる。
この賛同にまた思いついて、英二は提案を追加した。

「俺も一緒に出張して、そのまま一緒に家に帰る、っていうのも良いかもな?」
「それだと尚のこと自然だね、その方向で話を通してみるよ。おまえも講師のサポート、経験した方が良いしね、」
「うん、よろしくな、」

この理由なら何とかなりそうかな?クリア出来る方向に英二は微笑んだ。
そんな英二に温かに笑んで、光一はまた目次に目を落とした。

「で、ラストの第四章は、50年前の事件に対する心情が綴られてるよ。背負った秘密と殺された父親への想い、犯人の事情もね。
ここはまだ俺も、途中までしか読んでいないんだよね。来週までにキッチリ読んでおくからさ、それからまた話すって事でイイ?」

そっと本を閉じながら、テノールの声が尋ねてくれる。
いま農繁期にかかる光一は忙しいだろう、申し訳ない想いに英二は笑いかけた。

「ありがとう、畑とか忙しい時に悪いな、」
「うん?悪いこと無いね、俺が自分から言い出したことだしさ。周太のこと、俺だって守りたいからね、」

温かに光一は笑んで、ベッドから立ち上がると古い小説をデスクに置いた。
紺青色の布張表紙に白い手が映える、ぼんやり見つめていると白い手は離れて、透明な目が英二を覗きこんだ。

「もう0時過ぎちゃったね、俺、寝るけどイイ?」
「あ、ごめん、寝よっか、」

座ったまま伸びをすると、英二は椅子から立ち上がった。



部屋の明りを落として、白いベッドに腰掛ける。
やわらかな光に変わる部屋は、夜の静寂が鎮まりはじめて気配を変えていく。
静かな光のなか外すクライマーウォッチの、文字盤にふと愛するひとの俤見て英二は微笑んだ。
もう周太は眠っているだろうな?そんな想いにそっと文字盤へキスふれると、ベッドサイドに腕時計を置いた。

ことん、

ちいさな音と置かれた時計が、スタンドライトにきらめいている。
きれいだな、時計の光に笑いかけ隣をふり向いた。見た隣から同じ目の高さで、底抜けに明るい目が笑ってくれる。
透明な目の笑みは温かで、心の重りを払ってくれる明るさが美しい。
この笑顔へ抱く素直な想いに英二は笑いかけた。

「きれいだな、おまえの目も笑顔も。なんか、ほっとする。好きだよ、」

言葉に、透明な目は困ったよう笑ってくれる。
きれいな困惑の笑顔のままに、光一は透明なテノールで文句を言った。

「好きとか、きれいとか、うれしいけどね…俺は初心だって言ってるだろ?なんか意識しすぎるから、ね…ほんと悪い男だよね…」

文句を言ってくれる口調が、だんだん羞んだまま掠れていく。
掠れそうな声に気配も緊張するのが解かる、そんな反応が可愛いと想ってしまう。
想うまま英二は長い腕のばし、並んだ細身の体を抱きしめた。

「ごめんな、悪い男で?でも好きなのも、大切なのも、俺の本音だから、」

言葉告げた唇を、そのまま薄紅の唇に重ねあわせる。
ふれるキス素直に受容れて、けれど微かなふるえが抱き寄せた肩ゆらめく。
こんなに初々しい山っ子の想い、今ふれているままに切なさが愛しさに変わってしまう。
静かにキス離れて見つめる先で、気恥ずかしげに光一が微笑んだ。

「あのさ、さっき一緒に風呂、入ったけどね。俺に、欲情してた?」

こんな綺麗な貌しながら、訊くことがこれなんだ?
またギャップが可笑しくなって、英二は笑ってしまった。

「うん、したよ。なあ?そんな質問をベッドでするなんてさ、俺のこと誘ってるわけ?」

笑いながら英二は、抱きしめたままベッドに倒れ込んだ。
ばさん、ベッドのスプリングに軽く弾んだまま反転して、くるり抱きしめたひとを組み伏せる。
同じような体格、けれど力任せならもう負けないかな?そんなことを考えながら英二は微笑んだ。

「今の質問で俺、欲情したこと体が思いだしちゃったよ?あんな質問するなんて、そういうつもりなんだよな?」
「…っ、ちがう、ってば、俺まだ準備できてないって昼間も言っただろ?ね、普通に寝よ?」

驚いた透明な目が見つめてくれる。
こんな素直な反応をすることは、すこし前なら考えられなかった。
今まで散々にエロトークと艶っぽい悪戯で困らせてくれた癖に?前と今との差が可笑しくて英二は笑ってしまった。

「ほんと光一、前と随分変わっちゃったよな?前だったらさ、こういうこと始まったら大喜びだったろ?えっちしよ、って言ってさ、」
「だから、するのとされるのと違う、って言っただろ?それに俺、ほんと好きになっちゃんたんだから…赦してよ、」

答えてくれる声が切なそうに掠れていく。
その声の素直な純粋に英二は、そっと光一を抱きしめて微笑んだ。

「ごめん…つい虐めたくなっちゃったんだ、俺の方こそ赦してほしいよ、」
「そんな言い方、ずるい…俺は、惚れてるんだからね、赦さないなんて…出来ないんだから、」

すこし悔しそうに訴えてくれる、その声から花の香がこぼれていく。
見つめる顔は秀麗で、雪白の肌が朧な明るさにもまばゆい。
いつも周太を見惚れている、それとよく似て違う想いに見惚れるまま唇ふれた。

「好きだよ、ほんとに…自分でもよく解らない、上手い言葉も解からないけど…、愛してる、」

ふれるキスを重ねながら、想いを言葉に変えて告げていく。
されるがまま唇で受容れてくれる、その無垢な瞳から涙がこぼれた。

「俺、ほんと…さびしかった、一週間も離れていないのに…どうして、こんな、」

素直な想いあふれる唇に、またキスふれて瞳を覗きこむ。
覗かれた瞳から涙こぼれていく、その涙をキスで拭いとりながら英二は笑いかけた。

「うん、ごめんな、ひとりにして…電話、毎日するから、」
「ほんと?…でも、おまえには迷惑じゃない?」

哀しげで、それでも微笑んで言ってくれる。
どういう意味だろう?そう見つめた英二に透明なテノールが微笑んだ。

「この4日間、ずっと周太が掛けてくれただろ?だから…おまえは、周太に言われて電話、してくれてるんだな、って…ごめんね、」
「いや、こっちこそ、ごめんな、」

ほんとうに自分が悪い、英二は溜息を吐いた。
この4日間を自分は周太の隣で過ごす幸せに喜んだ、それでも光一と奥多摩を想わなかった日は無い。
けれど自分から進んで電話する発想が無くて、いつも周太に気付いてもらって電話している。
それが光一を傷つけていた、こんな自分の子供っぽさが悔しい。それでも今、気が付けたから治すことが出来る。
気付けた感謝と一緒に英二は、きれいに笑いかけた。

「正直に言うよ。やっぱり周太の隣は俺、すごい幸せなんだ。でも、ここも大切でさ、周太の隣にいる時も想ってること多いよ。
毎日、気がつくと俺、光一と奥多摩のこと想ってるんだ。だから今もう、ここも俺の居場所になってる。そんな実感を毎日してるよ、」

ここが自分の居場所、それが離れてよくわかる。
3月の雪崩の後で静養していた川崎でも、同じだった。そして今あの時より想いが強い、素直に英二は微笑んだ。

「いつも想ってる、だから、やっぱり光一と『血の契』をしたんだな、って想う…血で繋がってるから、いつも考えるのかな、って」
「ほんと?…だから俺も、こんなに想って寂しいのかな?…英二と繋がってるから、傍にいたくて、」

そっと紡ぐ想いに、無垢の瞳が微笑んでいる。
この瞳が自分は好きだ、愛している、そう正直な心が自分に告げていく。
この想いと、伴侶への想い、2つながらの「唯ひとり」大切な想いは自分の心を時に裂くだろう。
けれどもう、とっくに「どちらも手離せない」本音が肚に座っていると、思い知らされる。

「うん、繋がってるから寂しいな?でも、どこにいても繋がっているから…俺たちはもう、血で繋がって離れられないよ、」

ほんとうにそうだと、この4日間と今に思い知らされる。
その正直な想い見つめた先で、きれいな透明な目が微笑んだ。

「うん、…離さないでよね?唯ひとり『血の契』したんだからさ、」
「離さないよ、遠くにいても繋がってる、」

本音のまま正直に笑って、英二は大切な契の相手を抱きしめた。
抱きしめた頬ふれあう温もり、なめらかな感触に花の香がふれていく。
この山の結晶のような美しい存在に愛された、それが不思議で温かで愛おしい。
まだ泣いている涙をキスで拭い、掌で拭いて、すこし笑わせたくて英二は甘い意地悪を言った。

「光一、あんまり可愛い泣き顔で俺、欲情しちゃいそう。そろそろ自制心が折れるかも?そしたら初体験、遠慮なく頂いていい?」

言葉に白い手が雪白の貌の涙をぬぐいとる。
まだ濡れている無垢の瞳が英二を見つめて、可笑しそうに笑ってくれた。

「だめ、もう、泣き止んだからね?だから初体験は、もうちょっと待ってね、ア・ダ・ム、」

まだ泣いている瞳、けれど悪戯っ子の気配が明るい。
この明るい笑顔をずっと護っていきたい、そんな願いごと英二は大切な人を抱きしめて夜に微睡んだ。



待合わせ5分前、中央線ホームから階段を上がりコンコースを歩いていく。
久しぶりの雑踏は相変わらず混みあって、どこか忙しない。
その向こう見えてくる改札口に、懐かしい人を視線は探す。

「いた、」

見つけた2人の楽しげな姿に英二は微笑んだ。
スーツ姿の長い脚をさばいて改札を抜けると、笑い合っている2人の前に立った。

「お待たせ、姉ちゃん、周太、」

きれいに笑いかけると、快活な笑顔と優しい微笑が咲いてくれる。
2カ月ぶりに見る快活な笑顔は、すこしだけ固いけれど一昨夜の声より和んだろう。
そう見てとった英二に、姉は楽しげに綺麗な花束を見せてくれた。

「見て、英二?お花を戴いたの、また周太くんがお庭で摘んで、ブーケにしてくれて。素敵でしょ?」

やさしい婚約者の想い束ねたよう清楚な花々は、瑞々しい香こぼしている。
あの穏やかで美しい庭が懐かしい、ふるさと想う優しさに英二は婚約者へと笑いかけた。

「うん、すごくきれいだな、ありがとう周太、」
「喜んでもらえて、うれしいよ?…あの、」

おだやかな声で答えながら、黒目がちの瞳が微笑んでくれる。
その笑顔が嬉しくて笑い返した英二に、愛する伴侶は言ってくれた。

「お帰りなさい、英二、」

この言葉を聴けるのが嬉しい、帰ってきた想いの隣が温かい。
嬉しい想い素直に英二はきれいに笑った。

「ただいま、周太、」




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第47話 光面act.2―side story「陽はまた昇る」

2012-06-21 22:48:19 | 陽はまた昇るside story
※後半3/5あたり念のためR18(露骨な表現はありません)

山の肌、光つ面差し



第47話 光面act.2―side story「陽はまた昇る」

点呼が終わると英二は、隣の部屋をノックした。
うす暗い廊下から開かれた扉に入ると、デスクライトのあわい光がやさしい。
気恥ずかしげな笑顔の後ろデスクには、青紫の花がすっくり活けられていた。

「きれいだな、この花、」
「ん、ほんとに。花菖蒲、凛々しくて好き…今の季節らしいのも、」

嬉しそうに青紫の花に微笑んで、そっと花びらにふれている。
やさしい凛とした花の笑顔が愛しくて、そっと掌で頬をくるみこんだ。

「周太、」

名前呼んだ唇を、愛しい唇に重ねあわせる。
ふれるだけのキスに微笑んで、抱きよせながらベッドに座ると英二は、恋人の瞳を真直ぐ見つめた。

「周太、教えてほしいんだけど。関根は俺達のこと、どう想ってるって考える?」

訊かれて、黒目がちの瞳がすこし考えるよう見つめてくれる。
ゆっくり1つ瞬くと、おだやかな声は微笑んだ。

「なんか似合うな、って、いつも関根は言ってくれるよ?…瀬尾だったらもう、気がついていると想うけど、」
「やっぱり瀬尾って、そうかな?」

同じように周太も感じるのかな?
そう見た先で穏やかな笑顔は頷いてくれた。

「たぶんね?…俺の大切なひと、って言った時にすぐ、英二のことだって瀬尾は言ったから。でも、関根…?」

英二を見つめながら周太は首傾げこんだ。
傾げた黒髪に、デスクライトの光が輪を象っている。そんな様子で大きめの白シャツを着た姿は、天使を想わせる。
夕方にも「天使みたい」と想い、それから抱きしめたくて困った事になってしまった。
いまも抱きしめたいな?そう見ている先で、聡明な瞳が微笑んだ。

「もし俺達のこと知ったらね、最初は驚くだろうけど…でも、受け容れてくれるかな、って想う。関根なら、」

やっぱり同じ考えでいてくれた。
この共通が嬉しい、嬉しくて英二はきれいに笑いかけた。

「よかった、周太もおなじ考えなんだ。あのね、周太?関根に話さないといけなくなりそうなんだ、」
「ん、…お姉さんのこと?」

やさしい笑顔で尋ねてくれた、その瞳は深い温もりと見つめてくれる。
すぐ理解してくれた歓び微笑んで、英二は頷いた。

「うん、そうなんだ。このこと、姉ちゃんと話そうかなって思ってる。周太、明日と明後日の予定は?」
「明日はね、美代さんと公園に行って、そのあと実家に帰るよ?…明後日は、家からここに戻ってくるだけ、」

明後日の夕方なら。
そんな想いに英二は婚約者に笑いかけた。

「それなら周太、明後日は17時に新宿で待ち合わせしよ?姉ちゃんと3人で飯食って、話したいんだけど、」
「ん、わかった。待合わせは、いつものとこ?」

直ぐに頷いて訊いてくれる、こんな理解と覚悟が嬉しい。
嬉しい想い素直に微笑んで英二は答えた。

「うん、いつもの改札のとこで。ありがとう、周太。いま姉ちゃんにも電話してみるな、」

きれいに笑って英二は、婚約者にキスをした。
やさしいキス離れて携帯を開くと、電話帳から呼びだした番号に繋いだ。

「こんばんわ、英二。どうしたの?」

懐かしい声が快活に笑ってくれる、けれど少しだけ固い。
きっと関根のことで姉なりに傷ついている、そんな気配に心刺されながら英二は微笑んだ。

「どうしたの、ってさ。周太と3人で飯食いに行きたい、って言ったの姉ちゃんだろ?そのお誘いだよ、」
「あ、うれしい。今、周太くんも一緒にいるんでしょ?」

ほぐれた明るさが電話むこうで微笑んだ。
どうも姉にとっても「周太」は効果があるらしいな?なんだか嬉しい想いと英二は頷いた。

「うん、一緒だよ。もう消灯だけど、今から一緒に勉強するとこ。それでさ、日曜の17時に新宿でもいい?」
「大丈夫よ、ね、周太くんに少し替って?」

楽しそうに姉はお願いしてる、その雰囲気が「湯原くんとね、」と話してくれる時の美代と似ていた。
この共通点が意味するものに少し嫉妬しそう?そんな自分を笑って英二は周太に携帯電話を渡した。

「はい、周太。姉ちゃんが替って、って、」
「ん、ありがとう、」

嬉しそうに微笑んで、電話を受けとってくれる。
そっと耳元に当てると周太は、電話むこうに笑いかけた。

「こんばんわ、…ん、大丈夫ですよ?…じゃあ良かったら、家にどうぞ?…きっと喜びます、…じゃあ14時で、はい…」

短い通話、けれど大切な取り決めをした。
そんな雰囲気の言葉たちを見つめる先で、周太は電話を切った。

「お姉さんね、明後日の午後、家に遊びに来てくれるって。お母さんと話したいみたい…」

穏やかな声が笑いかけ教えてくれる。
いま姉が周太の母に会いたい気持ちは、自分には解る気がして英二は微笑んだ。

「姉ちゃん、お母さんのアドバイスと、許可が欲しいんだろうな。姉ちゃんも真面目だから、」
「ん、似てるよね、英二とお姉さん。ね、また茶席が良いかな?お茶は好きって言ってたし…端午のお節句の、お茶だな、」

楽しそうに明後日の茶席を考えている、そんな様子が幸せにしてくれる。
こんなふうに周太は気遣いが細やかで優しい、きっと明後日も姉の気持ちを解いてしまうだろう。
こういう信頼が出来る、この幸せが温かで自分は確信がまた深くなる。

― このひとを伴侶に選んで、よかった

周太は女性ではないから子供は望めない、そう誰もが言うだろう。
けれど「周太」だからこそ英二を支え、母と父の心の氷壁も融かし始めている。
このひとの隣にずっと居たい、離れたくない。そんな願いに英二は、持って来たファイルを婚約者の膝に置いた。

「周太、今夜はこれで勉強しない?」
「ん、いいよ?…あ、すごい、」

答えてくれながらファイルを開いて、黒目がちの瞳が大きくなる。
丁寧にページをめくりながら、驚いたよう周太は訊いてくれた。

「これ、救急法と人体の鑑識を合わせたファイルなんだね?すごく詳しい、吉村先生と作ったの?」

感心したよう驚いた瞳が見上げてくれる。
こんなに感心して貰えると嬉しいな、嬉しくて英二は微笑んだ。

「そうだよ。この7カ月間でまとめた全部なんだ、これはコピーだけど周太にあげるよ、」

吉村医師から教えられながら作り上げた、救命救急と人体鑑識のノート。
その全てをコピーして英二は一冊に作りあげてきた。

人体の骨格、筋線維、臓器の位置。
動きによる各部位の変化、稼働状態、年齢など条件別での稼働の差異。
外圧に対する人体の損傷度合、毒物による変化、それらに対する応急処置。
それから、筋線維と骨格の連動、稼働状態での支点・起点・作用点の関係性。
致命的または身体運動の破壊につながるポイント、その稼働状態での変化、破壊された反動と修復。

こうした人体における詳細レポートと資料に「付加」を添えてある。
その付加のページを開いて周太は、英二に笑いかけた。

「狙撃のデータまで載ってるね、狩猟区域があるから?」
「うん、奥多摩だと害獣駆除も多いんだ。だから誤射の事故も実際あるし、銃創の処置には狙撃の知識がある方が良いだろ?」

これは本当は半分だけの理由。
本当の目的はもっと別のため、けれど言わなくていい。
そんな想い見つめる隣では、ファイルを周太は目で読み始めた。

「そうだね、銃創は普通の怪我とは違うよね…これ、すごく現場に添ってるんだね、解かりやすい」

素直に感心して嬉しそうにファイルを捲ってくれる。
まだ周太は、ファイルを贈った英二の意図と目的の、全てには気づいていない。
けれど今は、それでいい。今はまだ知るべき時ではないのだから。ただ勉強して修めてくれたらいい。
そして必要な時が訪れたら、必ず周太は自分で気づき、全てを活かしてくれる。

どうか、このファイルが救いになってほしい。
時が来たら、この一冊がきっと周太を救ってくれるだろう。
このために7カ月間、自分は警察医の仕事に携わってきたのだから。

「じゃあ周太、勉強、始めよっか?」

きれいに笑いかけて英二は、自分のノートとペンをベッドで広げた。



カーテン透かす白い光は、恋人の深い眠りを醒まさない。
黎明のこる朝未だ刻、警察学校寮は静謐の底から目覚めていない。
ぼんやりと白い布越しの空を見つめる時間、きっとまだ5時にもなっていないだろう。
だから起床時間まで、2時間くらいある。

「…周太、」

そっと名前呼んで、懐に抱いた顔をのぞきこむ。
けれど黒目がちの瞳は長い睫ふせられたまま、眠りから目覚めない。
やさしい唇の微笑が今、恋人は安らかな夢にいると告げてくれる。
すっかり安らいでくれる寝顔の愛しさに、英二は微笑んだ。

「…昨夜、遅かったからな、」

昨夜、英二の説明を楽しそうに聴いてくれていた。
きちんと昨夜分を終えて、それから一緒にベッドに入って時を過ごした。
この2つの共にした時間は、どちらも幸せで大切な記憶になっている。
この幸せがどうか、数十年後の自分と周太の時間に繋がってほしい。
この願いと祈りをどうか、叶えてほしい。シャツの胸元ふれて英二は、小さな合鍵を握りこんだ。

「…お父さん、どうか…力を貸してください、俺と周太に、」

どうか50年の連鎖を断ち切らせてほしい、この束縛を解放ちたい。
この7カ月間が作りあげた一冊に、希望を手繰るザイルになってほしい。
7カ月前の初めての夜、繋げた体と心に誓った祈りのままに生きた時間と努力。
その全てを懸けて作り上げた、運命を繋ぐ一冊だから。

この7カ月間ずっと自分は、生と死の現場に立ち会い続けた。
山岳救助隊としての人命救助と死者の返還は、歓びと哀しみの連続だった。
そして警察医の補佐は心と向き合い、無残な遺体たちと対話をする時間でもあった。

まだ白布を掛ける前の、デスマスク。
死の瞬間が凍結された顔、それは安穏と悶絶とが廻らす最期の聲。
この聲たちに向きあっていくことは、医学の世界から遠く生きてきた自分にとって容易くは無かった。
人間の最期の姿は美しいばかりじゃない、その現実が時に苦しいから。

けれど自分は最初に教えられた、あの最初の縊死遺体が「死」への祈りを示してくれた。
だから自分は覚悟が出来た、警察医の業務全てのサポートをすることを自然と決めて行けた。
あの最初の縊死遺体、彼女が遺してくれた言葉が無かったら?
きっと吉村医師の全てのサポートをすることは出来なかった、人の「死」に向きあえなければ出来ないことだから。
すべての警察医業務をサポートする立場、この立場あるからこそ7ヶ月間の一冊が作り上げられた。

毎日の朝晩と余暇を、吉村医師の手伝いに過ごす。
それは英二自身にとって掛替えのない安らぎの時間、これも真実。
それは最高のER医師から救命救急を学び、最高のレスキューになる夢を叶える時間。これも真実。
けれど、いちばんの目的は、最高の警察医から現場と法医学の精錬された知識を得るためだった。
そして、いつも共に過ごす信頼感から、全ての業務を任される立場から、最も得たい情報があった。
それが「付加」の部分に籠められている。

この「付加」は、運も良かった。
きっと普通は得られないデータも、この「付加」には採取することが出来ている。
この幸運は辿るなら、あの最高峰の竜が贈ってくれたものかもしれない。
あの冬富士の雪崩が無かったら、このデータを得る実験は行われなかった可能性もあるから。

「…最高峰の竜の、爪痕、」

長い指先で自分の頬にふれる、いま指先には何も触らない。
それでも指ふれる肌の奥には、あざやかな裂傷の痕が遺されている。
この傷は最高峰の竜が刻んだ護符、そう山っ子と周太は言祝いだ。
ほんとうにそうかもしれない、そんな確信は雪山の日々に何度見つめてきただろう?
この傷への想い見つめながら、懐の寝顔に微笑んだ。

「必ず、君を護ってみせるよ?」

見つめた寝顔の衿元は、ボタンが3つ外れている。
白い衿元から赤い花の痣が見えて、そっと英二は眠るからだのシャツを捲り上げた。

「きれいだね、周太…」

あわい暁の光に艶やかな肌いっぱい、きれいな赤い花びらが散っている。
夜のキスが刻んだ微熱は、あざやかに恋人の肢体へと愛撫の痕を残していた。
まばゆい暁の肌に見惚れるままキスふれて、そっと英二はため息に微笑んだ。

「…今日、外泊日で良かった、」

外泊日の今夜なら、周太は実家の風呂に独りで入れるから、良かった。
こんなに赤い痣だらけでは幾ら何でも露骨すぎ、寮の大浴場では困るところだった。
外泊日の後でなら未だしも、この痣が平日に出来ていたら規則違反で問題になってしまう。
こんなにも痣を残す自分自身が信用ならない、もう平日は絶対に控えるべきだろうな?
そんな反省と、けれど充ちたりた幸せごと英二は大切な婚約者を抱きしめた。

「ん、…」

かすかな吐息こぼれて、長い睫がかすかに揺らいだ。
もしかして起きてくれるのかな?そんな期待に英二は恋人の唇にキスをした。
やわらかな温もり重ねて、すこしだけ舌ふれる。そっとキス離れて覗きこんだ寝顔は誘われるよう、ゆっくり睫を開いてくれた。

「おはよう、周太…」

笑いかけて、視線が掴まれた。
いま目覚めた瞳が見つめてくれる、その眼差しが呼吸を忘れさす。
きれいだと、ただ見つめる想いの真中で恋人は微笑んだ。

「おはよう、英二…はなむこさん?」

長い睫の奥、やさしい艶が明るく笑いかけてくれる。
明るい透けるような清楚がきれいで、なにか切ないまま英二は愛するひとを抱きしめた。

「ん…どうしたの?」

穏やかな声が聴いてくれる、その声の優しさに心ほどかれていく。
ほんとうに自分はどうしたのだろう?
自分で不思議に想いながら、腕に抱く大切なひとに笑いかけた。

「あんまり周太がきれいで、切なくなったよ」
「そうなの?…うれしいけど、恥ずかしいよ…」

羞んだ笑顔が幸せに見つめてくれる。
この笑顔と一晩、離れなくてはいけない。ため息吐いて英二は微笑んだ。

「あんまり、そんな顔されたら困るよ?離したくなくなるから…」

ほんとうに困る、今もう反動は大きいから。
この4日間を隣で一緒に過ごした、この一緒の日常が手放せない。
こんなふうになるなんて自分でも想っていなかった、傍で過ごせない日常の7ヶ月に慣れたと思っていた。
それなのに、4日間で前よりも離れ難くなってしまった。この途惑いと抱きしめる恋人は、優しい掌で頬をくるんでくれた。

「英二、明日には逢えるよ?だから、大丈夫、」

優しいトーンの穏やかな声が微笑んでくれる。
頬ふれる掌の温もりが幸せで、昨夜の続きを望んでしまう。
望みと見た目覚まし時計は4時45分を示す、この時刻に英二は微笑んだ。

「うん、明日の17時からは一緒だな。でも周太、今すぐ君を抱きたい…昨夜みたいで、いいから、」

昨夜みたいに。
そんな言葉に誘惑こめて、愛するひとを見つめてしまう。
見つめた純粋な笑顔は紅潮に染められて、それでも微かに頷いてくれた。

「ゆうべみたいなら…でも、起床時間は守ってね?」

昨夜は指と唇と、舌とで恋人を愛した。
この警察学校寮では自由な入浴も出来ない、だから深く繋げる交わりは控えた。
本当はいつものような愛しかたをしたい、けれど体触れあうこと自体がこの場所は禁じられている。
それでも体温を重ねあう時間がほしい。この温もりの幸せは、迎える季節の向こうでも与えらるのか解らないから。
今は深い体の繋ぎあいは出来ない、それでも今から2時間を愛しい体温にふれあえる。
この喜び素直に、英二は微笑んだ。

「うん、守るよ…周太、」

呼びかけるままキスを重ねて、長い指をベッドサイドに伸ばす。
置かれたサラシを指に拾いあげ、静かにキス離れた恋人に笑いかけた。

「ごめんね、周太。また口のとこ、させて?」
「ん、…はい、」

素直に頷いて気恥ずかしげに微笑んでくれる。
微笑んだ唇にもう一度キスふれて、そっと離れるとサラシを恋人に噛ませた。

「きつかったら、教えて?」

笑いかけながら、噛ませたサラシを首の後ろで結びつける。
そうして猿轡をさせた恋人の姿に、鼓動が引っ叩かれてしまう。
昨夜も惹かされ狂いかけた、その記憶に英二は微笑んだ。

― なんか、いけない気分にさせられるな?

真白なサラシの猿轡かまされる、桜いろに羞んだ貌。
すこし困ったよう黒目がちの瞳が見つめてくれる、その視線にも煽られる。
視線を見つめ絡めとりながら、白いシャツのボタンに指をかけ英二は微笑んだ。

「ね、周太…また暴走しないよう、気を付けるから、」
「…、ん、」

かすかな喉の奥からの返事で、恥ずかしげに頷いてくれる。
慣れない姿への途惑いが初々しい、昨夜もこんなふうだった。
白いシャツを肩から脱がせ朝陽にさらす、あわい光ふれる素肌が艶めかしい。
惹かれる艶に見惚れるままコットンパンツも引きおろして、しなやかな脚を空気にさらさせた。

「きれいだ、周太…」

全身に赤い痣を散らす肢体、猿轡かまされている唇。
どこか嗜虐的な姿は妖艶でもある、けれど見つめてくれる瞳は純粋に清楚で、そのアンバランスに見惚れてしまう。
こんな姿を見せられたらもう、自制の自信が消えて恋の奴隷に成り下がる。

「ね、周太…ちょっと俺、変態でも良い?」
「…?」

我ながら危ない問いかけに、黒目がちの瞳が「どうしたの?」と見つめてくれる。
そんなふうに純粋だから尚更、煽られてしまうのに?
困りながらも英二は自分のシャツを脱いで、恋人の手首に巻きつけた。

「…?」

不思議そうに黒目がちの瞳が見つめている。
大丈夫だよ?そう目で笑いかけながら英二は、恋人の両手をシャツで縛り、やわらかな黒髪の頭の上に纏めあげた。
これでもう自分の恋の主人は逃げられない、されるがまま愛撫を捧げられ時を過ごすしかない。
こんな独占めと、大切な恋の主人に捧げ尽くせる歓びに英二は笑いかけた。

「ね、周太?こんな格好は、嫌?」

問いかけながら体を重ねて、素肌のはざま熱が通いだす。
体の下に抱きこんだ恋人は素直に肌ふれさせて、黒目がちの瞳は恥ずかしげに瞬いた。
気恥ずかしげな紅潮が、縛られた両手にまで昇りだす。けれど拒絶の意志はない瞳が、英二に微笑んだ。

「周太、このままさせてくれるの?」
「…、ん、」

肯定の頷きをした微笑が羞んで赤くなる。
お赦しが出た、その微笑が嬉しくて幸せで堪らない。でも自分はやっぱり変態だなと、心つぶやいてしまう。
だって声を出さない為とは言ったって、手首まで縛る必要なんて無いのに?けれど「されるがまま」が嬉しくて仕方ない。
こんな自分の嗜好と思考を危ぶみながらも、今、与えられた幸せな時を愛する体に抱きしめた。



御岳駐在所での昼休憩、入替わりに岩崎が自主トレーニングに出掛けるとパソコンを立ち上げた。
すぐ光一はパソコンデスクの前に座り、白い指でキーボードを叩いていく。
幾度か画面が切り替わる、そしてファイルは開かれた。

「警務部人事二課、卒業配置の担当…うん、これのことだろね、」

透明なテノールが微笑んで、白い指が画面を指し示す。
その指先には昨秋の卒業配置一覧と、複数の担当者氏名が記載されていた。
このなかに、周太を「新宿署」に指定した人間がいる。

警務部は警察組織の中で最もエリートコースとされ、歴代の警察庁長官・警視総監の殆ども警務部を経験する。
それはノンキャリアでも同様で、警察署長や警視庁・道府県警察本部の部課長クラスは警務部の経験者が多い。
一般的には公安警察を担う警備部・公安部がエリートコースと思われがちだけれど、実際は警務部がトップになる。
この警務部の人事第二課は警部補以下の人事を担当し、警察学校学生の採用選考や卒業配置も業務に含む。
そして人事第二課長のポストは、ノンキャリアの警視正が就くことが多い。

「ノンキャリアの警視正だと、知り合いって事も考えられるよな?」

誰の知り合いか?
言わなくても光一なら解るだろう、そんな信頼に微笑んだ先でパートナーは飄々と笑った。

「だね、期は違うかもだけど。ちょっと事情聴取させて欲しいよね、」
「させて欲しい、出来るかな?」

あの人も多忙でいる、きっと時間を作るのは難しい。
すこし考えた英二を底抜けに明るい目は見、からり笑った。

「タイミングを合わせれば、いけるんじゃないの?ま、考えてみるよ、」

透明なテノールは先を見通すよう、どこまでも明るい。
底抜けに明るい目も画面のデータを記憶しながら、ちらり英二を見遣り笑ってくれた。

「こんなトコロにまでお仲間いるんだね、あいつら?ま、不思議は無いけどさ、」
「うん、不思議は無い。中枢部に近づくほど多いと思う、あの人達が望んでいる事は、確かに今の社会を守るのに必要だろうから、」

答える推測が、自分でほろ苦い。
この答え通りなら自分がしている事は、自分の所属する組織にとって「造反」に他ならないから。
けれど自分はこの目的のためにこそ今、ここに立っている。
これは組織の人間として矛盾、それでも警視庁山岳会の次期セカンドとしては矛盾しない。
こんな複層構造にある警察組織を生み出した、この矛盾は何だろう?この矛盾が生んだ陥穽に英二は微笑んだ。

「でも、そのために犠牲を作ることは、俺には頷けない。本来は人間を守るのが『社会』なんだって、俺は思うから。
それなのに『社会』が人間の犠牲を求めることは、正しいって思えないよ。1人の警察官として、山岳レスキューとして、頷けない。
男として大切な人を守りたいから頷けない、俺に幸せをくれる人を奪われたくない。自分勝手でも、俺は犠牲を否定したいんだ、」

こんなことを、1年前は考えることも無かった。
こんなふうに警察組織を、警察官を考えて選んだ進路では無かった。
本当の最初の動機は「母の手許から離れたい」それが本音だった。

英二は中学から地元の私立学校に通い、そのまま大学も同じところを卒業した。
けれど自身が選んだ学校ではない。ここなら実家から通えるし、いわゆる良家の子供と友達になれるからと母が決めた学校だった。
でも本当は父の母校の国立大学に行きたかった。けれどセンター試験すら受けさせず、母は内部入学の手続きを進めてしまった。
なんとしても手元から離すつもりが無い、そんな母の意志と「美しい人形」である現実を思い知らされた。

それで警察官の道を選んだ。
警察官なら独身時代は全寮制、実家を出ることが出来る。就職の為なら母も否定できない。
警察官は厳しい環境だから自分を見つめられる、公務員だから安定して自立しやすい、それだけだった。
けれど周太に出逢って、自分の運命は目覚めるように奔りだした。

― 周太、君が俺の運命の全てなんだ、

あのひとに出逢ったから、自分は自由になれた。
誇らかな自由に生きる山ヤの警察官、その夢に出逢わせたのは周太だった。
自分に正直に真直ぐ向き合って、泣いても逃げない。そんな生き方を教えてくれた人。
そして全てを懸けた恋愛を自分に生んだのは、唯ひとり周太だけ。だから今、自分はここにいる。
そんな想いに立つこの隣で、透明なテノールが微笑んだ。

「大切だね、ほんとにさ。おまえにとっても、俺にとっても、あのひとは、」

底抜けに明るい目が笑いかけてくれる。
この明るさが嬉しい、こんな自分が「造反」する重たさを明るい目は軽やかに払拭する。
だから実感してしまう、この隣に立ってくれるパートナーも「唯ひとり」だ。
この大切な「唯ひとり」に英二は微笑んだ。

「俺にとっては、光一も大切だよ。俺の大切な唯ひとりのパートナーで『血の契』だ、」

告げた想いに透明な目が笑った。
大らかな優しさと慕ってくれる想いと、羞んだような眼差しが見つめてくれる。
笑いかけてくれながら光一は、パソコンデスクから立ち上がると黒髪を掻きあげた。

「今夜、あの小説のこと話しに行くね?そのまま同衾してね、ア・ダ・ム、」

からり笑って、ガラス戸に白い手をかける。
そのまま潔く扉を開いた光一に、英二は笑いかけた。

「ベッド狭いけど、おまえなら良いよ?どうせ広くても、くっつくんだろうしさ、」

なにげなく言った言葉、けれど雪白の貌には薄紅が昇りだす。
どうしたのかな?そう見た先で透明な目はゆっくり瞬いて、テノールが恥らった。

「あのさ?俺、ほんと初心でエロだから、言葉も過敏なんだよね…またあとで迎えに来るけど、羞恥プレイなこと言わないでね?」

きれいな羞む笑顔を残して光一は、初夏の陽ふる外へ出て行った。
その背中を追って駐在所脇に行くと、農業青年姿はもう四駆の扉を開きかけている。

「光一、」

呼んだ名前に、驚いた顔が振向いた。
どうしたんだろう?そんな問いかけの隣に立つと、英二は率直に訊いた。

「なあ?俺いま、羞恥プレイなこと言った?」
「馬鹿、」

短く応えて、薄赤いままの貌が困ったよう笑ってくれる。
きれいな文学青年風の顔は物言いたげで、けれど白い手は運転席の扉を開いた。
このまま行かせてしまいたくない、英二は駐在所の蔭で雪白の頬を掌にくるんだ。

「アンザイレンパートナーは、秘密を作らない。そうだよな、光一?」

問いかけて笑いかけて、そっと唇を重ねた。
ふれるだけのキス、それでも微熱が熱い瞬間をくれて想い交される。
すぐ離れて見つめたパートナーの黒髪に、ふわり薄紫の花がこぼれおちた。
ゆるやかな風がふく、風誘う花房のゆらめき見上げて、透明な目が笑った。

「今年もちゃんと、ここでも咲いたんだね、藤の花?」

声に見上げると、駐在所の脇に聳える檜から豊かな藤紫があふれていた。
この色は懐かしく恋しい色、婚約者との大切な夜と暁を彩った花と衣を想いだす。
穏やかな風に花がほろり散りかかる、やさしい藤色の花ふる下で山っ子が英二に笑った。

「ほんと悪い男だよね、おまえって…さっき『くっつく』って、言ったのはさ?服は着てるって意味でイイよね?」

くっつく、が「羞恥プレイ」な言葉だったんだ?
納得に心裡うなずきながら英二は、すこし虐めたくなって微笑んだ。

「裸でも俺は良いけど?好きなだけ仕返し、させてくれるんだよな、」
「まだダメって言ったよね?焦らないでよ、エロ別嬪男、」

桜いろの貌のまま笑って光一は、くるり身をひるがえすと運転席に乗り込んだ。
エンジンをかけながら窓を開けてくれる、透明な目が英二を見上げて悪戯っ子に笑った。

「今夜も俺、ちょっかい出すだろうけどさ?ここんとこ俺、寂しかったから許してよ。でも、生娘なんだから仕返しは赦してね、」

純粋で初心な笑顔とエロオヤジの発言が混じっている。
つい可笑しくて笑った先で、光一は四駆のアクセルを踏んだ。

「また後でね、ア・ダ・ム、」

悪戯っ子な笑顔残して山っ子は、黒髪に藤の花をこぼしたまま走り去った。




(to be continued)

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