平安時代の埋葬として忘れてはならないのは、古墳の横穴式石室を再利用するもので、嵯峨野古墳群の一基である広沢1号墳(右京区嵯峨広沢)では、石室内に火葬骨をおさめた木櫃を安置し、土師器皿・須恵器瓶子・銭貨などを副葬していた。
この際、家形石棺を砕き、その一辺に奇怪な神像を刻んでいることは興味深い。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/9d/2c3960b6896e89f5e3f2e23a4987353a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/0e/7e1a609b68722871c1101d278af376f6.jpg)
写真は、広沢1号墳の掘り出された石室石材及び彫りだされた謎の人面石。
本古墳は、広沢池の南、堀川高校のグランド内にあり、祠がある隣の石室の石材には、写真のような謎の人面石像が鎮座している。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_1.gif)
古墳の崩れたようなもので、昭和31年の調査では、すでに中は荒らされていたが、壊された石室石材の一部を採って、人面を刻んだものらしい。
同じく嵯峨野古墳群に属する音戸山5号墳(右京区鳴滝音戸山町)では、石室内に灰釉陶器の骨蔵器をおさめていた。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
このように再利用された石室のほとんどには、須恵器小型瓶子(口縁部が細くなる小型の酒器)や銭貨などが副葬されており、そのような品物を使用する特別な埋葬儀礼の存在が窺われる。
この際、家形石棺を砕き、その一辺に奇怪な神像を刻んでいることは興味深い。
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写真は、広沢1号墳の掘り出された石室石材及び彫りだされた謎の人面石。
本古墳は、広沢池の南、堀川高校のグランド内にあり、祠がある隣の石室の石材には、写真のような謎の人面石像が鎮座している。
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古墳の崩れたようなもので、昭和31年の調査では、すでに中は荒らされていたが、壊された石室石材の一部を採って、人面を刻んだものらしい。
同じく嵯峨野古墳群に属する音戸山5号墳(右京区鳴滝音戸山町)では、石室内に灰釉陶器の骨蔵器をおさめていた。
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このように再利用された石室のほとんどには、須恵器小型瓶子(口縁部が細くなる小型の酒器)や銭貨などが副葬されており、そのような品物を使用する特別な埋葬儀礼の存在が窺われる。
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