近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

縄文人の謎・ロマン “御物石器・独鈷石・異形石器”とは!

2007年10月21日 | 歴史
“御物石器”は、岐阜・石川・富山・愛知県など、中部・北陸地方の一部に限定して発見される石器で、縄文後期末から晩期中葉にかけて造られた。





写真は上から、岐阜県宮川村の“家ノ下遺跡”から出土した石冠・御物石器及び岐阜県内縄文遺跡から出土した御物石器。

写真のように御物石器は、飛騨地方の山岳地帯で多く見つかることから、飛騨地方で独自に工夫され、山間地域に生き残った数少ない人々が、生き抜くための祈りに使った呪術品とも考えられる。

明治時代に見つかったこの種の石器が、明治天皇に献上され、天皇の所有品・御物になったことにちなんで名付けられたらしい。

御物石器は、細長いながらも全体的にまっすぐ伸びた体を持ち、その内、中央の部分は抉られたように窪み、その両側は膨れ上がるという形態を持っている。
しかし最大の特徴は、その窪み部分が真中ではなく、どちらか片方にやや寄った形で作られていること。

この左右非対称な形態を持つことから、この石器には元々の原型があり、それを模倣したものかもしれない。

他にも、御物石器は、“擦石”や“叩石”など「摩擦行為に用いた実用石器」を原型としたものとか、何らかの動物を模倣して作ったとか、突起部分や凹み穴・渦巻き文様などが見られることから、人間の生殖器をシンボル化したもの等の諸説がある。

いずれも確証に欠けるが、この御物石器が、石で囲み・区画した施設の中に埋められていたことから、非常に大切に扱われていたことは間違いないようだ。





写真は上から、千葉県我孫子市の“下ケ戸貝塚”から出土した独鈷石・石棒及び北海道釧路市の“幣舞遺跡”から出土した独鈷石。

写真の通り、独鈷石は、バナナ状の形で、中央部分がへこんでおり、その両側にタガ状の突起を持ち、両端全体が膨らむという形の石器。

“独鈷石”は、縄文後期~晩期、主に岐阜・福島県など中部・東日本で見つかっている。独鈷石の由来になった「独鈷」とは、密教の法具の「独鈷杵」のことで、仏が煩悩を打ち払う象徴として持っていたとのこと。

中央が凹み両側が膨らむという点では御物石器と一緒だが、独鈷石は抉り部が、左右対称となっている点で、御物石器とは異なる。

独鈷石が、非実用的な用途に用いられたとか、祭祀行為に使われたとする説があるが、どんな祭祀に使われていたかは不明。









写真は上から、青森市の“上野尻遺跡”から出土した石偶、北海道八雲町の“栄浜1遺跡”から出土したヘラ形石器、山形県高畠町の縄文遺跡から出土した三脚異形石器及び岩手県一戸町から出土した青竜刀形石器。

御物石器・独鈷石以外にも、“異形石器”と称せられるものに、写真の通り、石偶・ヘラ形石器・三角形石器・青竜刀形石器などがあるが、縄文中期から後期にかけての北海道・東北地方に限定される。

石材は珪質頁岩が9割以上を占め、他に玉髄、黒曜石、鉄石英などが使用されていが、頁岩は薄く剥がれ易い性質があり、打製石器の加工に適している。
形も様々で,あるものは人形のような,あるものは動物に似ているなど,何に使われたかははっきりしない。

男性の墓に副葬品として埋められていた例もあり、何か特別な意味を持っていたと考えられる。用途不明な遺物を祭祀用と看做す傾向が強いが、これらの異形石器群も、総じて祭祀用具の可能性が高い。


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