近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

縄文人の謎・ロマン “縄文土器”の起源とは!

2007年09月26日 | 歴史
縄文時代の貝塚巡りを暫く離れて、これからいよいよ縄文文化の本論に入るに当って、先ずは縄文土器からスタートする。
“縄文の美”を堪能してもらうため、縄文土器の各論に入る前に、その起源を振返ってみたい。

土器の起源については、未だにハッキリしないが、大きく分けて、“土器自生説”・“土器多元説”がある。多元説には、西アジアの新石器文化の中から土器作りが始められたという説や東アジアにも土器発祥地が複数存在したが、その中でも日本が有力候補に挙げられている。

西アジアの古い土器は、ほとんどが貯蔵用の深鉢土器又は盛付け用の浅鉢土器。
西アジアの土器は、パン作りにヒントを得たものらしく、なるほど成形し焼き上げるまでの工程は、土器作りと酷似している。

土器自生説の中にも、細かく編んだカゴの内側に粘土を貼り込めると、水漏れしにくい器ができる。それが火事で焼け、偶然に土器が発明されたという説もある。
カゴの網目模様を模写したような土器があるのはそのためと云う。

もう一つの土器自生説は、クリ・クルミ・ドングリ類などの豊富な食料資源が、土器発明の気運を育んだという説で、世界最古の“放射性炭素年代法”による検証が、有力な根拠となっている。



写真のように、鹿児島県加世田市の栫ノ原遺跡から出土した隆帯文土器は日本最古の土器で、今から12,000年ほど前のもの。

日本の土器は、初めから煮炊き専用で、“栫ノ原遺跡”の出土例のように焦げ付きがあったり、赤っぽく又は白っぽく火熱で変色していたりと、煮炊きの痕跡がハッキリ残っている。


他にも写真のような、東京町田市ナスナ原遺跡から出土した隆起線文土器も、今から12,000年ほど前のものと見られている。

狩猟採集民の食料は、植物性のものがほぼ三分の二を占め、植物性食物は煮沸しないと食べられないだけに、土器の使用が食料の質・幅を飛躍的に向上させるにいたった点で、文化的・社会的・経済的意義と共に、歴史的意義は大きい。



写真は、横須賀市“夏島貝塚”から出土したの撚糸文土器。
横須賀市の“夏島貝塚”は、日本最古の貝塚で、日本で初めての“放射性炭素年代法”の測定値により、約9,000年以上前の縄文早期の撚糸文土器が確認された。

早期の縄文人は、土器に海水を加えて貝を煮沸すれば、美味しいスープができ、叉貝類はふたを開けて肉を食べられるようになった。
これは画期的食文化革命に等しい一大発明。

東京湾が形成されて間もない頃に、早期の縄文人は、いち早く繁殖する貝の食料可能性に気づき、土器の開発に目覚めたと云える。



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