近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

邪馬台国説で沸いた吉野ヶ里遺跡が26年間の発掘調査を終えた!

2013年02月12日 | 歴史
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佐賀県の吉野ケ里遺跡で、県教育委員会が昭和61年以来、4半世紀にわたって続けてきた発掘調査が平成24年9月に終了した。

同遺跡の発掘で熱を帯びた邪馬台国論争は、いまだ決着していない。

発掘調査後期の発見が、邪馬台国の女王卑弥呼(生年不明~248年ごろ)の居所に「宮室」「楼観」「城柵」があったという中国の史書「魏志倭人伝」の記述と符合したため、1989年以降、大きな注目を集めてきた。

邪馬台国の所在地については現在、全国で少なくとも30カ所ほど説がある。有力候補地として「畿内説」の奈良県・纒向遺跡があるが、吉野ケ里遺跡を含む「九州説」も根強い。

纒向遺跡には、卑弥呼の墓との説がある前方後円墳があり、3世紀前半では国内最大の高床式建物が2009年に見つかっている。





写真は、吉野ヶ里遺跡公園のマップ及び復元された「北内郭」(手前)と物見やぐらなど弥生時代後期の集落跡、平成24年9月29日、佐賀県吉野ケ里町で。

今後は約2万点に上る出土品を分類して年代測定などを実施し、平成26年に調査報告書をまとめると云う。

遺跡では弥生時代前期から後期の集落跡が見つかり、ムラからクニへと発展する様子が確認された。

前期(紀元前5~前3世紀)は、青銅器を鋳造する道具の断片が出土。

中期(紀元前2世紀~前1世紀)では、巨大墳丘墓や約3千基の甕棺墓から頭部を切り取られた人骨など戦闘の犠牲者とみられる被葬者が見つかっていた。


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