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Goo Blog 美ら島沖縄

個人の趣味で、沖縄の諸々の情報を掲載

Peace to the pacifism world

ムーチーびーさ

2014年01月09日 08時24分27秒 | 地域情報
ムーチーびーさ」とは

旧暦の12月8日は沖縄では「ムーチー」または「鬼餅」といって、練った糯米粉を平たく伸ばし、

細長い長方形にし、サンニン(月桃)の葉っぱで包んで蒸して作った餅の事を言い、家族の健康や

長寿を祈願して、餅を食べる行事があります。

(由来は昨日の記事を参照して下さい。)

ちなみにムーチーまたはウニムーチを漢字で書くと「鬼餅」と書きます。

沖縄ではこの時期に寒さが一番厳しく急に寒くなります。

「暖かい沖縄でも一番冷え込む時期」なのです。

沖縄の昔言葉にムーチーびーさという言葉がありますが

この一番冷え込む時期を「ムーチーびーさ」って言うんですよ。mu

第33回宜野湾はごろも祭り

2010年07月11日 12時30分44秒 | 地域情報
☆★☆ 第33回宜野湾はごろも祭り ☆★☆



  日 時:平成22年8月14日(土)・15日(日)

  場 所:宜野湾市海浜公園多目的広場
      コンベンション通り・歓海門通り・屋外劇場

 お問合せ:宜野湾はごろも祭り実行委員会
      (社)宜野湾市観光振興協会内
       〒901-2227 宜野湾市字宇地泊558-18-1F
       TEL:098-897-2764 FAX:098-897-0769
       E-mail:kankou-gta@otc.ne.jp

シーミー

2010年04月11日 19時35分33秒 | 地域情報
シーミー




清明祭と書き、毎年、春分すぎから4月中に行われる行事です。

今日は門中シーミーに行って来ました。
清明の月に入り、最初の日曜日が、我が一門では、一門清明祭(門中シーミー)と決めています。
門中シーミーが終わると、それぞれのシーミーが行われます。
我が家では、門中シーミーの次の日曜日は、我が本家、その次が、我が家、そして妻方と、毎週シーミーがあり、大忙しです。
沖縄独特の行事「清明祭」(シーミー祭)とはどんな行事かと言うと

「シーミー」は
中国から伝来した習慣で、旧暦の3月の吉日を選んで行われる祖先祭。
中国の暦法にある二十四節季の一つ「清明」(せいめい)の季節に行われます。
新暦では4月ごろに当たりますが、何日に行うかは家族や親族が話し合って決めます。
中国から伝来した18世紀頃には農事に関し、祖霊に加護を求めるものであったようですが、だんだんと沖縄独自の祖先供養の行事に変化し、現在では主に沖縄本島中南部で行われています。 

 尚穆(しょうぼく)王17年(1768年)の項に始めて、毎年清明祭を行うことを定めるという記述があり、この年以降、年中行事のひとつとして行われるようになったようです。
首里士族を中心に、徐々に地方農村へ普及、伝播していきました。本島北部や先島地域(宮古・八重山)は例外で、士族階層だけに普及は留まったようで、ごく一部だけに広まったり、簡略化されていたりしているようです。

清明祭は神御清明(カミウシーミー)と清明祭(シーミーサイ)の2つに区別されます。
神御清明は清明の入り日に行うことが多いですが、最近は入り日に近い休日に行う傾向があります。

 沖縄のお墓は亀甲墓といってとても大きく、お墓の前には庭のようなスペースがあります。
一般的な清明では、まず門中墓の周辺の草刈り、清掃を行い、最後に各自の持参したお重の料理や、餅・お菓子・果物を供えます。
そして一人一人線香(本土のものとは異ります。平ウコウーとも言う)を焚いたり、紙銭(ウチカビ=あの世のお金)を焼いて先祖供養をします。
 門中(父系の血縁)墓の前で、供え物を墓前にそなえ、ひととおり、祖先供養の儀式(子孫の繁栄を祈る儀式的な意味合いが強い)が済んでから、供えていた重箱料理をみんなで食べるのです。
それもお墓の前で。
 
 シーミーは日頃疎遠な親戚と顔を合わせる(親交を深める)またとない機会。
久しぶりにあう従姉妹・従兄弟たちや親戚たちとわいわい楽しく騒ぐために参加するっと言っても過言ではないかもしれません。
清明には門中墓を中心にしてその血縁者がみずからの近い祖先に対して行うものと、神御清明(カミウシーミー)といって、遠い伝承上の祖先に対して、宗家(元屋)を中心に地方に分散した分家筋の代表者も参加して行われるものがあります。

 この時期、観光客の皆さんがお墓の前を通り、異様な光景を目撃してビックリした、と言います。
沖縄独特のお墓である亀甲墓の墓前にゴザやブルーシトが広げられ、大勢の人が重箱の料理を食べ、泡盛やオリオンビールを酌み交わしているのを目撃して。
これは、お墓にピクニックに来たのではなく、先祖の霊を慰める目的で、門中(父系の血縁「親戚」)が各地から墓に集まって墓前に香をたき、泡盛や重箱を供えて、にぎやかに歓談しているのです。

 最近では、本家の家族や近い親戚だけで行なったり、それぞれ別のシーミーと掛け持ちする人も増えた為、小人数化の傾向にありますが、それでも30~50人程度参加するシーミーは珍しくありませんし、もっとも以前は、100人以上参加するシーミーもあったというから、先祖を敬う沖縄の風土って素晴らしい習慣だと思います。

 亡くなった人をいつまでも大切にする沖縄の習慣はそれ自体にも意味がありますが、なによりも、大勢の親戚が集まって、先祖をも抱きこみながら繰り広げる壮大なコミュニケーションの手段こそ、我が沖縄の誇る文化のひとつと言えるでしょう。

沖縄ではあの世とこの世のつきあいが身近なんです。
仏前だけの清明祭をする地域も中にはあるようです。
この時期、休日になるとあちらこちらで墓の前でピクニックしている光景をみることができるかと思いますが、道路の両側に沢山の車が止められて、通り難いかも。
子供の飛び出しも予想されますので、スピードは控え目に、安全な運転でお願いします。

「沖縄方言講座」

2010年04月01日 16時43分31秒 | 地域情報
今日から4月、今日4月1日は(1945年)去る戦争で連合軍が沖縄の読谷村の海岸から上陸した日でもある。

沖縄の海は全開したが、沖縄観光で少しは役立つかもと言う事で沖縄の方言を勉強して見ましょう。。
 
 沖縄の方言は地域により少しは、言い方が違う処も有るが、おおむね之で話は通じるので、試して見て、楽しんで下さい。

 「沖縄方言講座」

「あしてぃびち」 豚足のことを「あしてぃびち」と言う。
       沖縄では豚肉のほとんどを料理して食する。
       この足てぃびちは、じっくり煮こんで脂肪分を取り除き、ほとんどゼラチンと化した料理だ。
       おでん風にして食べるのが一般的である。
       何かに豚のゼラチンは血液の流れを良くする働きとか、コレステロールを下げるとかの働きがあると書いてあった・・。
       だから、沖縄のお年よりは元気なのだ。
       長寿料理のひとつなのであります。

「あいっ!」 感嘆詞。
       自分の意に反する物事への驚きとか、怒りとかを表す。
       例えば「あいっ!なんで、あのタクシー。
       手上げたのに止まらないサー」と使う。
       「あいっ!誰ね。
       このコーヒーこぼしたのは」とか「あいっ!このゴーヤ-、とっても大きいサー」というように使うのだ。

「あげっ!」「アジぇっ!」ともいう。
       中国じゃないが「あいやー」という単語も日常的な会話に出てくる。
       これは思うに、中国伝来ではないか。
       沖縄は昔、琉球と言う一王国であった。
       そのころは、中国、韓国、台湾はもちろん、遠く東南アジアから中近東当たりとも盛んに貿易を行っていた。
       そうした背景を思い浮かべて言葉を知ると面白い。

「あきさみよー」 「あいっ」に近い表現だが、もっとどぎつい。
       もうどうしようもない状態をいう。
       「あきさみよー!、このワラバーター(くそガキ共)は、こんなに散らかして」などのように、私は怒っているんだぞー!の意味だ。

「あちこーこー」 とってもアツアツの状態を言う。
       「このそば、アチコーコーだよー」。
       ちなみに「こーこー」というのはどこからきたのかは不明。

「あちさん」 これも暑い・熱いの意味。
       「今日はあちさんやー」(今日は暑いね)、「このお茶、あちさんど-」(このお茶は熱いよー)と使う。

「あめりかー」 アメリカ、アメリカ人のこと。
       ちなみに沖縄県人は「うちなー」(正しくはうちなーんちゅ)、本土の人は「やまとぅー」(正しくはやまとぅーんちゅ)だ。
       やまと=大和(日本)である。
       「やまとぅ」の「とぅ」は英語のtoの発音だ。
       余談だが沖縄用語で「~する人」を表す場合、英語と同様に語尾に「-er」をつけて表す場合が多い。
       例えば「掃除をする人」は「掃除をする」の「する」が「さ」に変化し「er」を付けて「掃除さー」となり、「掃除をする人」を表す。
       この辺は日本語と違うところ。

「あめりかゆー」 かつて沖縄がアメリカに統治されていた時代を「あめりかゆ」という。
      「あめりかゆ」とは「アメリカ世」と書く。
      世は時代の意だ。
      ちなみに現在は「やまとゆ」(大和世)である。
      アメリカ湯という風呂屋があるがこれは別。

「あいすくりん」 国道を走ると、ビーチパラソルの下で「アイスクリーム」を売る少女達があちこちにいる。
      うわさの「アイスクリン」だ。
      さっぱりとした懐かしいアイスクリームの味に感動すら憶える。
      「アイスクリン」売りの少女達は大抵が中学生のアルバイト
      一日中一人で売り子をしている姿に何故か可哀相な気もする。

「あがー」 痛い! の意味。
       いたずら好きの「はんだや-ワラバー」(鼻たれ小僧)の頭をコツンとやると、「あがー!!」と言う。

「あがり」 沖縄では「東」を「あがり」と言う。
       「西」は「いり」と読む。
       何故か?それは太陽が上がるのが「東」だから「上がり」で、陽が沈むのか「西」だから「入り」だ。
       何とロマンチックな読み方ではないか・・。

「あばさー」 「針千本」という魚をご存知だろうか。
       ふぐの一種であるが、この魚を釣るとぷーっと膨れて身体中に針を出す。
       沖縄ではこの「あばさー」の皮を剥いて、味噌汁にして食する。「あばさー汁」という。
       ふぐの一種だから味は大変美味であるねー。
       是非食べて欲しい。

「あーさ」 「アオサ」という海草の一種。
      沖縄の海岸の岩にへばりついている海草だ。
      これをひとつひとつ取って水洗いしたものを太陽に干す。
      この「あーさ」は水で戻して味噌汁の具にする。
      我が家では白味噌仕立てにして味醂を加える。
      これがまた美味い。
      澄まし汁仕立てにしても美味い。

「あり」 「あり」「くり」「うり」という言葉がある。
      日本語で言う「あれ」「これ」「それ」だ。
      「あれもこれも」は「ありんくりん」と言う。

「あま」 「あそこ」の意味。
      「ここ」は「クマ」という。

「あちゃー」 明日ということ。
      ちょっと何かを間違えたときも「あちゃー・・!」という。
      ちなみに今日は「ちゅー」だ。

「あきさみよー」 びっくりする様。
      なんだこりゃ!! って感じ。
      「あきさみよー、もうでーじ」と使う。
      「でーじ」とは大変ということ。
      「ありゃまぁ!もう大変!!」という意味になる。

「あわてぃーはーてぃー」 とっても慌てて大急ぎの様。
      早く何かをしなさいと言うとき「あわてぃーはーてぃーしぇー!!」と言う。
      「しぇー」は「せー」の意味だ。
      「せー」は「せよ」の命令形。

「あんだーんす」 「油味噌」、豚肉を炒めて味噌と混ぜ合わせ、少々の出汁と砂糖で味を整えたもの。
      ご飯の上に乗せて食べるとすごく食が進む。
      沖縄でおにぎりを頼むとほとんどこの「あんだーんす」が入っている。

「いちゃんだ」 金銭的に「ただ」無料ということ。

「いまいゆ」 取れたて魚「生の魚」のこと。
      「いま」が「生」なら「なま」は「今」の意味。違いが判るかナー!

「いったー」 あんた達、という意味。
      複数形だ。
      単数になると「やー」である。
      ちなみに家も「やー」だから、話の流れを良くつかまないといけない。
      反対の「我々」は「わったー」となる。

「いっぺー」 たくさん、とってもという意味。
     「とても有難う」を「いっぺーにへーでーびる」という。
     「にへーでーびる」(ni he- de-biru)

「いしがんとー」(せきがんとう) 「石敢當」と書く。
三叉路や店先に石に刻まれた「石敢當」が目に付く。
風水思想から来ているのだろう。
     「石敢當」とは昔の中国の武将の名で、向こうからやってくる魔物から守ってくれるという。
     三叉路等道が交差する所の、突き当たりに置かれているが。
     魔物が通る道の交差点に置くことで、「石敢當」を見た魔物が逃げるとされている。
     ちなみに「しーさー」という二対の獅子が沖縄ではポピュラーだ。
     「しーさー」は屋根の上に置かれ、幸せを呼び又、幸せを離さないと言われる。
     ある種の魔よけである。

「うーじ」 「砂糖きび」のこと。
     季節になると農家は総出で「うーじ」を刈りに出る。
     これを「うーじどーしー」という。
     「どーしー」とは倒すということだ。
     離島では「うーじどーしー」の人手が足りず、本土からわざわざアルバイトに来る青年男女がいる。
     それでやっとこさ「うーじどーしー」が出きるのだ。
     昔は韓国台湾から季節労働者を雇っていたくらいだ。

「うがなびら」 拝なびらと書く。
     「こんにちは」を「ちゅう(今日)うがなびら」という。
     今日と言う良き日に手を合わせ、幸せを祈りましょう」という何とも素晴らしい意味ではないか。

「うみんちゅ」 海人と書く。
      字のごとく海の人、漁業に従事する人々のことだ。
      「うみんちゅ」は真っ黒に日焼けして筋骨隆々として、いかにも海の男を感じさせる。
      最近は夏ともなるとどこからか沸いてくるにわか海人の「ないちゃー」が多い。
      「うみんちゅ」のごとく海を我もの顔にして、女のこをナンパしまくっている。

「うちなー」 沖縄のこと。
      おきなわが「おきなー」になって「うちなー」に変化したと思われる。
      ちなみに沖縄のひとは「うちなーんちゅ」だ。
      「うちなー」が沖縄の「ひと」を表すことも多い。

「うーまくー」 いたずら好きというか、乱暴者というか、そう言うのを「うーまくー」という。
       腕白坊主の事を言う。

「うーとーとー」 漢字で書くと「御尊い」と書くんだな、これが。
        で、どういう意味かってーと、神・仏を拝むことを言うのです。
        神・仏は尊いのです。
        いつの世も。

「えんだー」 沖縄の若者の間で「エンダー」と言う言葉をよく耳にする。
       これはA&W の略語だ。
       A&Wというのは、アメリカ資本のドライブインレストランのこと。
       車をパーキングに停めると、各パーキングブースにマイクとメニューが設置されていて、運転席から注文が出来る。
       そこへウェイトレスが注文品を運んでくるという仕組みだ。
       このA&Wは随分昔から沖縄にはある。
       本土のファーストフード店にはない「沖縄の中のアメリカ」である。
       若い男女のデートの場所でもある。

「Aサイン」 沖縄が復帰前のアメリカ世だった頃の米兵相手の飲み屋の許可証の名称。
      米軍が今の保健所のごとく飲み屋を徹底チェックして、衛生的にも環境的にも優れたバーなどの店舗に「Aサイン」という看板を与えた。
      要するにハイクラスのバーということだ。
      そのバーには、将校たちが毎夜毎夜繰り出しては沖縄の一夜を過ごしていたのだ。
      大和世になって、その看板は骨董品と化した。

「Aランチ」 これもアメリカ世のころ、レストランに入るとどこもかしこも「Aランチ」「Bランチ」という定食があった。
      「Aランチ」には、豚カツにソーセージ、ハンバーグ、目玉焼きなどがライスと共に大皿に盛られて出てきた。
      もちろんスープ・サラダ付きである。
      ある種のフルコースである。
      それを子供ごころに一番上等の食べ物だと思っていた。
      懐かしい時代である。

「おりおん」 オリオンといえば、「オリオンビール」だ。
      国産ビールがいくら攻勢を掛けようともシェア-80%の純沖縄産ビールの勢いは崩せない。
      沖縄では県産品愛用の運動・習慣が根強い。
      地場産業を守るのは地元民の努めだ。

「おじー」「おばー」 おじいさん・おばあさんの意味。
       年寄りに「おじー」「おばー」と親近感を込めて呼びかける。
       そうすると「なんねー」と返ってくる。

「おきなわそば」 沖縄のそばは小麦粉にかん水で作る。
       昔はガジュマルの木の木灰を水に入れ、その上澄みを小麦粉のつなぎに使っていた。
       いまでは量産が出来ない手打ち麺なのだが、おばーの手打ちのそばを食べると、やはり美味い。

「さんぴんちゃ」 中国語で「香片茶」(しゃんぴんちゃ)と書く。昔、琉球王朝時代の交易で中国から入ってきたものだ。
      簡単に言えばジャスミン茶である。
      香の片というぐらいだから、ジャスミンやくちなしなどの香りの高い花の乾燥させたものの片をお茶に混ぜたのだ。
      ただ、日本茶と違うのは、お茶は発酵させたものを使う。以前は沖縄でもお茶を栽培していたが、今はかなり少なくなっているらしい。
      それで今では中国から原料を輸入して沖縄でブレンドしている。
      最近、ペットボトル入りや缶入りのさんぴん茶が自販機でも売られていて、若い女性にも人気だ。
      どうやら痩身作用があるらしい。

「しぶい」 「とうがん」と言う野菜をお分かりだろうか。
      楕円形をした表面が緑の、中は白い瓜科の野菜である(多分)。
      漢字で書くと冬瓜と書くから当たっている。
      これを沖縄では「しぶい」と呼ぶ。
      汁にして食べるのが一般的であるが、淡白な、でもちょっと上品なお味は病みつきになる。

「しーくわーさー」 沖縄で採れる柑橘系の実。
      直径4~5センチの小さなミカンだ。
      熟すと黄色みを帯びて甘くなるが、これを、熟する前のスッパイ時にレモンの代わりに使用する。
      南国の太陽を充分に浴びてビタミンCたっぷりのなんとも言い難い酸味が好評だ。

「しーくわーさージュース」も沖縄特産のおいしいジュースだ。

「しまざき」 島崎ではない。
      「島酒」つまり「泡盛」のことである。
      「simazaki」と発音する。
      または「しまー」とも言う。
      沖縄では何といってもこの「しまー」が安くて美味い。
      最近では25度のくせのないライト感覚の泡盛がたくさん出回って、若い女性にも人気だ。
      昔の泡盛は臭い・味とも強烈なクセがあって、昔のイメージしかない方には「泡盛はどーも・・」と思われがちだか、
      なんのなんの、今の泡盛は九州の麦焼酎と比べても決してひけを取らない。
      居酒屋に行ったら、まず「ねーねー、しまー一本」と言おう。

「しし」 「しし」とは「肉」のことである。
      何故肉が「しし」になったか定かではない。
      ちなみに東北あたりでは寿司のことを言うらしい。

「じーまーみー」 落花生、つまりピーナッツのこと。
      じーまーみは沖縄本島の北部の離島である伊江島で生産されていた(今はよく分らない)だから、伊江島はピーナッツの殻の形をしている(?)。
      沖縄ではじーまーみを使って豆腐にする。
      香ばしいジーマーミー豆腐である。

「しまぞーり」 島のぞうりである。
      今も昔もビーチサンダルは若者の履物ではあるが、古くからある沖縄のビーチサンダルは、1.5cm厚のいかにも安そうなぞうりである。
      今、この「島ぞうり」がリバイバルで復活しはじめた。
      筆者の子供の頃はほとんどがこの「島ぞうり」で登校していたものだ。
      この島ぞうりを履いて、頭にタオルを巻きつけると海人(うみんちゅ)になる。

「しまらっきょう」 沖縄で採れたラッキョウを「島ラッキョウ」という。
      この島ラッキョウを油で炒め鰹節を振りかけて醤油で味付けをすると、酒の肴に最適だ。
      天婦羅にしてもなかなかいける。
      沖縄では沖縄県産のものに島○○ということが多い。
      例えば、ニンジンは「島ニンジン」だし、泡盛は「島酒」である。

「しなす」 「死なす」・・なんともこわーい言葉だ。
      ちょっと頭に来たときに相手に「死なす!」と言う。
     「死なす」といわれて死んだ奴はいないと思うが、ニュアンス的には「このヤロー!」ぐらいに思っていい。
     実はこの上に「くるさりんどー」と言う言葉がある。
     「殺されるぞー!!」つまり「殺してやる!」と言われると、「もう俺は頭に来ておまえをどうにかしてやる!」ぐらいに発展する。
     そして最上級が「たっくるさりんどー!」だ。
     これは完全に「殺してやる!」となる。
     そう言われたらひたすら逃げることだ。
     とくにこわーいお兄さんに囲まれたら一目散だ!!

「シャープ」 「シャープ」と書かれた看板見て電化製品のシャープと間違えた観光客がいたらしいが、特に沖縄の中部当たりにいくと最近はかなり減ったが○○シャープ」と書かれた看板が今でも見られる。
     例えば「コーヒーシャープ」だ。
     筆者も幼少の頃意味が分らなかった。
     英語で習う「シャープ」(Sharp)は鋭い・とがったというふうに教わった。
     なんでコーヒーがシャープなのか不思議に思っていたのである。
     実はShop(ショップ)をアメリカ人の発音だけを聞いていると、確かにシャープと聞こえるのだ。
     昔の人達は耳で聞いてそのまま看板にしたのだった。

「すーじぐわー」 すーじとは筋で、ぐわーは小と書く。
     つまり横道、筋道のこと。
     小(ぐわー)は結構使われている言葉で、なんと言うか、言葉の後ろに付けて親しみを表すのである。

「すば」 麺の「そば」のこと。
     沖縄のそばは小麦粉にかん水などをつなぎとして作るが以前はガジュマルなどの木灰を水に溶いたものの上澄みを用いた。
     今でも昔ながらの木灰を用いて手打ちのそばを食べさせてくれる食堂がいくつかある。
     やはり腰があって美味い。
     代表的なそばは、「ソーキそば」である。
     ソーキとは豚のアバラ肉のこと。
     それを醤油味でじっくり煮込んだものをそばの上に乗せて出てくる。
     沖縄の庶民の味だ。

旧正月と時代変革

2010年02月14日 10時25分26秒 | 地域情報
   旧正月と時代変革


旧正月(きゅうしょうがつ)は、旧暦の正月(年初)。
旧暦元日(旧暦1月1日)またはそれから始まる数日間のこと。
旧暦とは、中国(清)・日本・朝鮮半島・ベトナムでかつて使われていた、中国暦およびその変種のことである。
旧暦1月1日は、通常雨水(2月19日ごろ)の直前の朔日であり、1月22日ごろから2月19日ごろまでを毎年移動する。
旧暦で平年だった年は翌年の旧正月は約11日後退し、閏月があれば約18日進む。

中国・台湾・韓国・ベトナム・モンゴルでは、最も重要な祝祭日の一つであり、グレゴリオ暦(新暦)の正月よりずっと盛大に祝われる。
華人(中国系住民)の多い東南アジア諸国、世界各地の中華街などで祝われる。

日本国内では沖縄・奄美の一部地域や中華街を除けば、もっぱらグレゴリオ暦で正月が祝われる。
日本では、明治新政府が太陰暦を太陽暦に変えてから、新暦で新年を祝うようになったが、アジアの多くの国がいまも陰暦で正月を祝っている。

沖縄県の行事と生活、旧暦(太陽太陰暦)に根ざしてます。

沖縄県の年中行事は、今でもほぼ旧暦(太陽太陰暦)で忠実に行われています。

旧暦とは、月が地球の周りを一周する時間を基にして定めた暦です。

沖縄県には旧暦のみのカレンダーや、新暦と併記されたものがあるほど、生活の中に根付いています。

全国的に新暦(太陽暦)が標準になり、盆と正月を新暦で祝うことが一般的になった現代でも、
沖縄県では旧暦に合わせて行われるのが通例です。

新暦が標準化した現代、休暇も新暦をもとに取ることが一般的ですが、沖縄県では旧暦行事に併せて休暇をとったり、早退したりすることを容認している会社もあります。
役所や学校、会社などが休みの所もあり、漁業の盛んな地域の港では、大漁旗で船を飾り、盛大に祝う地域もまだまだ沢山残っております。

沖縄県の北部や糸満市(いとまんし)、沖縄市、うるま市などの一部では、昔ながらの旧暦の元旦(旧正月)を祝うところが数多くあります。

また、毎年旧暦の1月1日と16日前後(満月と新月)に、仏壇にお供えをする習慣が残る地域もあります。
中国や台湾のほか、東南アジアでは現在でも旧暦の生活文化が中心です。

その昔、大陸や東南アジアとの貿易で栄えた琉球王朝も、これらの影響を色濃く受けたのでしょう。

亜熱帯の沖縄は季節感があまりないといわれていますが、
旧暦にそって行われる行事には季節感たっぷりのものが多く、昔から沖縄の人々は旧暦から季節を感じ取っていました。

旧暦4月上旬の二十四節気の一つ、小満は、スーマンボースー(小満・芒種のこと)と呼ばれ、梅雨の季節のはじまりです。

同じく旧暦の12月8日にはムーチー(鬼餅)の行事があり、その頃には「ムーチービーサ」と呼ばれる寒さに見舞われます。

しかし、こうした旧暦での生活様式が、年々希薄になっているのも事実です。

それでも、県内各地でまだまだ旧暦にのっとった民俗行事が行われています。

幼い頃の正月は、沖縄総てが「旧正月」で祝っておりました。

朝から、沖縄民謡がラジオから流れ、テレビでは、沖縄の踊りが流れ、門松と日の丸が飾られて居たが、今では普段と変わらない正月で、寂しい気もします。
特に「日本復帰」当時は大きな期待感も手伝い、盛大に祝っていたのが、次第に日本政府のアメリカ寄りの政策が見えて来て、裏切られた気持ちが大きく、次第に日の丸が各家庭から消えた。

旧暦の元旦、沖縄も復帰前までは旧正月で祝っていたが、今は違う、以前は正月らしさが有った。

何処の家庭でも門には日の丸の旗がひらめき、その日だけは、綺麗な着物や服が着れた。

テレビやラジオも朝からお祝いムードで沖縄の民族音楽が流れ、正月だ!と心うきうきしたものであるが、
どうしたことか、今では、平日とあまり変わらない雰囲気、

さらには、幼い頃は、正月になれば、靴や服も買って貰えた。
それが楽しみでもあつた。

ふと、幼い頃の正月が懐かしく思い出される。

 時は昭和の20年代~30年代、当時は沖縄県の北部の片田舎に住んでいた。

家の前には澄み切った水が豊富に流れる川があった、えびや川魚うなぎも取れた。
水浴びをしたり、洗濯をするのにも使われていた。

一日の内に川の利用方法が変わって居たのも面白く思い出される。

 朝の早い時間は、飲料用や、食事のための水を汲み、水甕や桶などに入れて貯めおいた。

今の時間では大体9時ごろまでで、後は川で洗濯等したり出来る。
子供は川で遊びながら、えびや、うなぎを捕まえたりと、自由に遊び回っていた。

 また山仕事の人は、洗濯が出来る時間帯以後しか山に行けなかった。

それは馬を使い山に薪やスミ焼きに行くので、川の中を通って行かねばならない所も有る為に、決められた生活のためのルールであった。

夕方には、川べりにドラム缶に水を入れて、撒きで湯を沸かして近所の皆で代わるがわるドラム缶の風呂に入った。

それが、隣組の絆を強く結びつけるのに役立って居たのではと思う。

生活の総てが自然と一体で有ったように思う。

 正月の決まりの一つに、女子は午前中、自分の家から出かける事が禁じられていた。

「女が先に訪れると」その家の人から「縁起」が悪い、と嫌われるからである。
だから女性は午前中は家の手伝いをしていました。

その分男の子は持てはやされました。

どこの家でも、一番先に男の子が、「若水」を川や泉で汲んで持って来るのを待ちわびていました。

 この年の一番早く若水を汲んで持って来た男の子には特別な「お年玉」が準備されておりました。

若水が届くと、その水で茶を沸かし、火の神様や仏壇にお茶を供えた後、家の者が飲食に使って居りました。

正月は若水から始まるといっても、大変に良い風習でしたが、今ではまったく見られなくなりました。

僕は、子供ながらにも、お年玉の多い家から先に、若水を汲んで持って行き、
直ぐに次の親戚の若水を汲んで持って行くのが正月の楽しみでした。

 若水を届けるのが遅く、他の子に先を越されると、お年玉の中身が超薄っぺとなるため、ある面は、早起き競争でもあった気がする。

しかし、今では全く見られなくなりました。

今は家の中で、「ひねるとしゃー」と水が出る様になったのが原因では、と自己分析、
それと、自然をあがめる気持ちが無くなったのも、一因しているかも知れない。

温暖化、温暖化と叫ばれる今日、再度、昔を思い偲び、自然との共存を再考する、いい機会かも、
と心の中で自分に言い聞かせて、昔の童心のまま、物思いに更けている自分が居て、年月の流れの中で 年老いてゆくのが感じられる。

今日は旧正月

2010年02月14日 08時28分54秒 | 地域情報
今日は旧正月


今年の「旧正月」は、2月14日、2月14日はバレンタイン デー でも有りますね。

沖縄は復帰前までは旧正月で祝う家庭が多かったが、今は違う、復帰前までは正月らしさが有った。

太陽暦をもとにする新正月は 大和正月(yamatu sougwachi)といい。此れに対して 旧正月を沖縄正月(utina- sougwachi)とも言う。

沖縄全域ではなお 旧正月主体もしくは 新正月との兼用地域も多い。

一昔前の旧正月は何処の家庭でも門には日の丸の旗がひらめき、その日だけは、綺麗な着物や服が着れたし普段は食べれない美味しい物が食べれた。

テレビやラジオも朝からお祝いムードで沖縄の民族音楽が朝から晩まで流れ、

正月だと言う気分が味わえたし,お年玉を貰い心うきうきしたものであるが、どうしたことか、今では、平日とあまり変わらない雰囲気。

時間を遡る事数十年前、僕がまだ幼小の頃の正月はどうだったのかと言うと、普段は穴のあいた靴、つぎはぎの服であったが、正月と言う事で靴や服も新しく買って貰えた。

それが楽しみでもあつたし、美味しい物も沢山食べれた。

ふと、幼い頃の正月が懐かしく思い出される。

 時は昭和の20年代~30年代、当時は沖縄県の北部の片田舎に住んでいた。

家の前には澄み切った水が豊富に流れる川が有った.。

えびや川魚うなぎも取れた。

水浴びをしたり、洗濯をするのにも使われていた。

一日の内に川の利用方法が変わって居たのも面白く思い出される.

 朝の早い時間は、飲料用や、食事のための水を汲み、水甕や桶などに貯めた。

大体、今の時間帯で言うと午前9時ごろまでで、後は川で洗濯等したり雑用品を洗ったり子供は川で遊びながら、えびや、うなぎを捕まえたりと、自由に遊び回っていた。

 また山仕事の人は、飲料水の確保された時間帯以降にしか山に行けなかった。

それは馬を使い山に薪やスミ焼きに行くので、川の中を通って行かねばならない所も有る為に、生活の知恵、いやルールが決められて居たのです。

 夕方には、川べりにドラム缶に水を入れて、撒きで湯を沸かして近所の皆で代わる代わるドラム缶の風呂に入った。

それが、隣組の絆を強く結びつけるのに役立って居たのではと思う。

生活の総てが自然と一体で有ったように思う。

 正月の決まりの一つに、

女子は午前中、自分の家から出かける事が禁じられていた。

「女子が男子より先に訪れると」その家の人から「縁起」が悪い、と嫌われるからである。

だから女性は午前中は家の手伝いをしていました。

その分男の子は持てはやされました。

どこの家でも、正月元旦の朝、一番、男の子が真っ先に「若水」を川で汲んで持って来るのを待ちわびていました。

旧正月の朝一番に汲まれる水の事を「若水」と呼んでいました。

 この年の一番早く若水を汲んで持って来た男の子には特別な「お年玉」が準備されておりました。

若水が届くと、その水で茶を沸かし、火の神様や仏壇にお茶を供えた後家の人が飲んで居りました。

正月は若水から始まるといっても良い、大変良い風習でしたが、今ではまったく見られなくなりました。

僕は、子供ながらにも、お年玉の多い家から先に、若水を汲んで持って行き、直ぐに次の親戚の若水を汲んで持って行くのが正月の楽しみでした。

 若水を届けるのが遅く、他の子に先を越されると、お年玉の中身が超薄っぺとなるため、ある面は、早起き競争であった。

しかし、今は全く見られなくなりました。

今は家の中で、「ひねるとシャー」と水が出る様になったのが原因では、と自己分析しています。

それと、自然をあがめる気持ちが無くなったのも、一因しているかも知れない。

総てが昔が良かったとは言えませんが、人の心の温かさ思いやりの心、隣人愛は昔の方が良かった様な気がします。

姿変えるカラ岳

2010年01月06日 10時44分32秒 | 地域情報

沖縄県が石垣市白保で進める新石垣空港建設事業が2013年3月7日の開港を目指し、着々と進んでいる。
2009年度末で約80%の用地造成工事が完了する予定。


沖縄県が昨年12月に空撮した写真では、滑走路や誘導路、エプロンなどの位置が分かり、空港の形がほぼ出来上がっている。

総事業費約420億円で事業費ベースの進ちょく率は66%。
10年度は現空港より500メートル長い2000メートルの滑走路の本体工事に着手する。
造成工事では、空港地内の起伏を平らにするため、高所の土を低所に移す作業を繰り返している。
全体で約650万立方メートルの土を動かすという。

空港周辺のカラ岳は、航空機が安全に飛行する空間を確保するため、全体の2割にあたる海側の27万立方メートルが削られ、姿を変えた。
沖縄県は今月16日午後1時半から同4時まで、現場見学会を行い、事業の進ちょく状況を公開する模様。

沖縄でも大地震恐れ

2009年10月09日 20時24分22秒 | 地域情報
沖縄でも大地震恐れ 琉球海溝に「断層すべり」

 琉球大学、名古屋大学などの研究チームはこのほど、琉球海溝付近で発生した「海溝型地震」を初めて観測した。琉球海溝ではこれまで、プレートが互いに固着した領域(固着領域)がなく「海溝型地震」は発生しないと考えられてきたが、海底に設置したベンチマーク(基準)の移動がみられたことから、琉球海溝でも「海溝型地震」が発生することが明らかになった。
 研究チーム代表の中村衛琉球大学准教授(地震学)は観測結果について「琉球海溝でも、大地震が起こる可能性があることを示す」と話している。
 同観測は琉球大、名古屋大、県水産海洋研究センター、台湾中央研究院地球科学研究所の4者が2008年1月から共同で実施。研究チームは、糸満市南の沖合約80キロ、水深3千メートルの海底にベンチマーク(基準)3個を設置。GPSアンテナを搭載した観測船から、ベンチマークの位置を観測した。その結果、08年2月から7月までの間に、ベンチマークが設置地点から東に向けて約11センチ移動しているのが観測された。ベンチマークの移動距離から、沈み込んだフィリピン海プレートの上部で約25センチの「断層すべり」が起き、南西諸島側のユーラシアプレートが南東方向に移動していることが分かった。今回観測されたのは「断層すべり」が1~2カ月かけてゆっくり起きた「スロー地震」とみられる。
 中村准教授は「25センチの『断層すべり』が数分で起こった場合、マグニチュード6・4の地震に相当する」と説明。中村准教授らはこの観測結果を、今月21、22日に京都で開かれる09年度日本地震学会で発表する。




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車中生活の80代女性保護

2009年10月05日 08時58分03秒 | 地域情報
     福祉の連携、車中生活の80代女性保護、命救う 

  浦添市の牧港漁港近くで、2年以上も放置車両の中で生活していた80代の女性が9月30日、浦添市に保護された。
女性は生活保護の受給手続きが済むまで同市内の介護老人福祉施設に入所している。

 女性は足が不自由で、炎天下でも車から出られず命にかかわる危険もあったが、説得や差し入れを続けた福祉関係者や住民の連携が命を救った。
浦添市が女性の存在を知ったのはことし2月。
浦添市社会福祉協議会の地域保健福祉センターに住民から寄せられた情報がきっかけだった。

関係者の話をまとめると、女性は経済的事情から車で暮らし始めた。
以前は歩く姿も見られたが、転んだことをきっかけに足が悪くなり、1年ほど車中に座ったままだったという。

 情報を基に浦添市は職員を派遣し、生活保護を受けるよう勧めたが、本人の同意が得られず車中生活が続いた。
その間は市の保健師が定期的に巡回し、血圧測定や問診で健康状態を確認した。

 一方、情報を共有した市と社協関係者だけでなく、青少年センターの巡回員や地域住民、漁協関係者らが支援を続けた。
それぞれ巡回や近くに立ち寄るたびに女性を訪れ、食事や飲み物を差し入れていた。

 浦添市によると、女性は家族と連絡を取らずに居場所を変えることに抵抗があったが、最近になって健康面の不安が強まったようだったという。
女性が入所した施設は「ようやく落ち着いたので不安を与えないようにしたい」と時間をかけて見守る考えだ。

 漁港近くの公園を利用する女性は「週に2、3回は様子を見たり、飲み物を渡していた。
娘のように話してくれたので急にいなくなり心配したが、市が保護したと聞いてほっとした」と話していた。

 浦添市地域支援課は今回のケースについて「時間はかかったが、住民も一緒に話し相手となり、女性と信頼関係を築けたことが解決につながった。
今後、支援を求める声があれば早めに情報を寄せてほしい」と呼び掛けた。



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レジ袋有料化から1年

2009年10月05日 07時23分24秒 | 地域情報
レジ袋有料化から1年 持参率は2割から8割に マイバッグ定着

 スーパーなどで使うレジ袋を有料化し、マイバッグの利用を推進する「レジ袋有料化」導入から今月1日で1年がたった。
沖縄県によると、沖縄県内11事業者のレジ袋辞退率(マイバッグ持参率)は8月現在、平均80・5%。
取り組みから1年、全国でもまれな環境事業の評価について沖縄県は「一定普及したといえる」とみている。

 有料化導入前のマイバッグ持参率は2割程度。
2008年10月の同事業スタート直後は76・3%まで上がった。
導入1カ月後には80・5%に達し、以降8割台で推移している。

 最も持参率が高い沖縄三越の豊崎マイキッチン(豊見城市)は今年8月、持参率86・1%だった。
同店の宇江城武支配人(53)は「ほとんどの客がマイバッグを持参している。
週末に車でやってきて、1週間分の買い物をしていく客が多く、大量の買い物を入れるためにマイバッグを数枚用意する客も少なくない」と定着ぶりをアピールした。

 我が家でもMyバックを何時も車に3枚ないし4枚は乗せている。
妻は、薄手のMyバックを2~3枚何時も手提げかばんの中に忍ばせて持ち歩いている。

 昔はレジ袋が無かった。
風呂敷や買い物かごを引っさげて、近くのお店へ買い物に出かけていたのを、今でも思い出される。

 そうめん等は木箱に入っていたが、一束二束と必要量だけ買えたし,油や石油などは升で測り売りしていたのが懐かしい。



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興南高校が優勝

2009年10月04日 19時27分54秒 | 地域情報
沖縄県秋季高校野球、興南高校が優勝

 高校野球の第59回沖縄県秋季大会最終日は4日、北谷公園球場で決勝戦を行い、興南が嘉手納を6-0で下し、2年連続7度目の優勝を果たした。

 興南は二回、2死一、二塁で8番国吉大将が右前へ運んで1点を先制。
四回にも国吉大将の適時右前打で1点を追加した。
八回は7番伊禮伸也の3点本塁打などで4点を挙げ、突き放した。

 先発の島袋洋奨は被安打6、7奪三振で完封した。

 興南と嘉手納は、選抜大会の選考対象となる九州大会(24~29日、宮崎県)に出場する。

▽決勝

嘉手納|000|000|000|0
興 南|010|100|04x|6
(嘉)山城、池原-眞謝
(興)島袋-山川


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今日は新聞休刊日ですが、記事を集めて見ました。

2009年09月28日 17時56分46秒 | 地域情報
今日は新聞休刊日ですが、記事を集めて見ました。

◎沖縄県勢、上位入賞相次ぐ 新潟国体第2日
 トキめき新潟国体第3日の28日、新潟県各会場で競技が行われ、重量挙げ成年男子69キロ級の金城聖丸がトータル271キロで4位に入賞。なぎなたの少年女子が試合で3位に入るとともに、成年女子の比嘉孝子・大城珠江組が演技で3位入賞を果たした。

◎嘉手納基地内で原野火災
 28日午前6時47分ごろ、沖縄市白川の米空軍嘉手納基地内の原野で火災が発生していると通行人から119番通報があった。沖縄市消防本部によると、基地第3ゲート付近の黙認耕作地で廃材が燃えたとみられる。午後0時45分に鎮圧。現在、鎮火に向け消火活動が続いている。

◎防衛省、普天間移設先決定の経緯検証始める
 北沢俊美防衛相は28日、政務三役会議を開き、米軍普天間飛行場を名護市辺野古沖に移設しV字形滑走路の代替施設を建設することを決定した経緯を調査することを確認した。防衛省はすでに作業を始めている。

◎在沖米海兵隊外交政策部次長にエルドリッヂ氏
 沖縄駐留米海兵隊の外交政策部ナンバー2である次長に、大阪大准教授(日米関係論)のロバート・エルドリッヂ氏(41)が28日付で就任することが27日、分かった。沖縄戦後史の研究で知られ、日本政府との橋渡し役を期待されそう。

◎8月の入域観光客数、前年比4・0%減
 沖縄県観光商工部は28日、8月に沖縄を訪れた観光客数(入域観光客数)が前年同月比4・0%減の60万1900人だったと発表した。7月は9カ月ぶりに前年同月を上回ったが、再び減少に転じた。台風8号の影響による国内客減少が要因となった。

◎自民党総裁選 谷垣禎一氏を第24代総裁に選出
 自民党は28日午後、麻生太郎前首相(69)の後継を決める総裁選の投開票を実施、谷垣禎一元財務相(64)が河野太郎元法務副大臣、西村康稔前外務政務官(46)の2候補を破り、第24代総裁に選出された。



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沖縄県内選挙区一気に過熱

2009年07月14日 19時13分01秒 | 地域情報
沖縄県内選挙区一気に過熱
支持拡大へ全力、独自争点出し集票狙う

8月30日の投開票がほぼ確定した衆院選。
県内の4選挙区では昨年から立候補予定者が活発な活動を展開している。
迷走する国政の動きに翻弄されてきた各陣営は、選挙へ向け一気に走りだす。
政権選択に加え、基地問題など沖縄独自の争点を軸に支持拡大を目指す各選挙区の情勢を追った。

【1区】

国民新党現職と自民、共産の両新人の三つどもえの構図。
政権交代を訴え、4期目を目指す国民新現職の下地幹郎氏(47)。
与党との対立を激化させ、無党派層への支持拡大を狙う。
19日に同党の亀井静香代表代行と推薦を受けた
民主の鳩山由紀夫代表が来県。
合同決起大会でてこ入れする。
 
自民公認の予定で前県議の国場幸之助氏(36)は
自公と経済界の厚い支持を基盤に議席奪還を目指す。
10日の激励パーティーには仲井真弘多知事や
翁長雄志那覇市長らが駆け付けた。
5日の那覇市議選で当選した24人の
自公、無所属議員と連携し支持拡大を図る。

共産党県委は前県議で新人の外間久子氏(70)を擁立。
「唯一の革新、女性候補」を強調。
憲法9条の堅持を訴え、市議選後も自公、民主への
批判を強めている。
各地で街頭演説を展開している。

【2区】

社民現職で県連委員長の照屋寛徳氏(63)。
3期目を目指し、同党唯一の選挙区死守に総力を挙げる。
11日には、宜野湾市で本部の事務所開きを行い
選挙戦に向けて本腰を入れている。
選挙区内の県議に加えて本島中部の革新系首長らの
ほとんどが応援に駆け付け、厚い支持基盤で運動を展開する。

自民現職(九州比例)の安次富修氏(53)は
選挙区での議席獲得を目指す。
17日に林幹雄沖縄担当相が来県するほか
比例の公明新人で、前参院議員の遠山清彦氏(40)
とのセット戦術を展開している。
11日には大票田の浦添市に事務所を設置。
選対本部長に就任予定の儀間光男市長らを
中心に支持拡大を目指す。

【3区】

米軍普天間飛行場の代替施設建設問題など
基地と振興策に焦点が当たる。
5人が立候補を予定、与野党入り乱れた
激しい選挙戦となりそうだ。

自民現職の嘉数知賢氏(68)は、5期目を目指す。
支持基盤の名護市や大票田の沖縄市に選対事務所を設置。
14日にはうるま市にも立ち上げ
広域選挙区で支持拡大を図る。
現職の強みを生かし
自民・公明の支持基盤を手堅くまとめるほか
無党派層への食い込みも進める。

社民公認の新人で、前県議の新川秀清氏(72)は
6月末にうるま市内で県立病院や地域医療介護を考える
講演会を開き、福祉政策の充実など訴えた。
沖縄市、うるま市など4カ所に事務所を構えたほか
名護市にも近く設置する。
ビラ配りや地域懇談会を重ね、支持拡大を訴えていく。

民主公認で新人の玉城デニー氏(49)は
政策パンフレットの配布やポスターなどで
「政権交代」をアピール。
同党への追い風を背景に、無党派層への支持拡大を図る。
14日には選対本部を発足。19日には支援労組の
連合の大会に合わせて鳩山代表が激励に訪れ
ムードを高めていく。

自民前県議で無所属新人の小渡亨氏(56)は沖縄市
うるま市、名護市で運動拠点の事務所を開いた。
中北部の市町村議らに支持を広げる。
これまでに4市町村に事務所を設置。
13日にはうるま市内で支援者の集いを開き、
無党派に加え保守層への浸透を狙っている。

【4区】

自民現職・民主新人の一騎打ちの公算が大きい。
宮古・八重山などの離島での政策の浸透が鍵となる。
自民現職の西銘恒三郎氏(54)は3期目に向けて
支持拡大を図る。
15日にも同区の県議や各市町村の支部長らを
集めて選対会議を開催する。
ほぼ全市町村の首長が支部長を務めることも決定しており
厚い支持基盤でこれまでの実績と政策を浸透させる。

民主新人の瑞慶覧長敏氏(50)。出身の南部を中心に
先島地域でも支持拡大を図る。
15日に連合の支援大会を開催、労組の動きを活発化させる。
19日に来県する鳩山代表との街頭演説のほか、
まつり会場などで支持を訴える。
宮古、八重山も県議が支部長に就任した。

 幸福実現は4氏

幸福実現は、全4区に新人の候補者を擁立。
1区は県本部代表の平良成輝氏(40)
2区は県本部副代表の富川昇氏(65)
3区は県本部副代表の金城竜郎氏(45)
4区は県本部副代表の富川満也氏(34)。
6月中旬の表明以降、独自の運動を展開している。




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淡水で生育 新種のアオノリを発見

2009年07月05日 18時02分39秒 | 地域情報
淡水で生育 新種のアオノリを発見

与那国島の田原川と石垣島の於茂登トンネル脇のわき水で、
淡水に生育するアオサ・アオノリ類の新種が発見され、
お茶の水女子大大学院の嶌田智准教授と
北海道大博士課程の市原健介研究員が
日本藻類学会の学術英文誌に論文を発表した。
学名を和名で「うむとぅちゅらのり」と名付けた。
嶌田准教授らは、
淡水に生育するアオサ・アオノリが
確認されたのは、世界でも初とみている。





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遊泳「適」の水浴場は82%

2009年07月03日 23時47分46秒 | 地域情報
遊泳「適」の水浴場は82%

環境省は3日、自治体が行った
海や河川など水浴場850カ所の
水質調査結果を発表した。
すべての水浴場で遊泳可能で
うち700カ所は
水質が良好な「適」と判定。

あす6月4日の暦(仏滅 旧暦閏5月12日)

△男の料理教室(午前10時半、西大学院=南城市知念安座真)
△「愛・Eye・チャリティーコンサート」~高橋晴美の世界と共に~
  (午後6時半、浦添市てだこホール大ホール)
△千住真理子ヴァイオリンリサイタル
  (午後7時、うるま市民芸術劇場響ホール)
△キジムナーフェスタプレ公演 
 劇団O・Z・E第32回本公演「キス」
  (午後7時、沖縄市民小劇場あしびなー、5日は午後2時)
△クレアール・バレエ教室 第3回バレエ発表会
  (午後7時、パレット市民劇場)
△サマーコンサートin宜野座「渡久地圭のフルート紀行(仮)」
  (午後7時、宜野座村文化センターがらまんホール)
△夏季テニス大会(県立奥武山庭球場、26日まで)
△玉城流てだの会 玉城千枝琉舞道場 久米島支部16周年記念公演
  (午後6時半、久米島町具志川農村環境改善センター)
△第13回文化講演会(午後2時、石垣市民会館大ホール)
△沖縄市中学校吹奏楽発表会
  (午前10時半、沖縄市民会館大ホール、5日は午前9時半)
△第25回宮古更生保護女性会チャリティーショー
  (午後2時、宮古島市マティダ市民劇場)
△第4回やる気・元気フェスティバルinなは
  (午後1時半、那覇市民会館中ホール)




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