前回の報道2001のアンケートで、驚いたことに70%以上の人が、所得の格差が、子どもの受ける教育に差をつけてしまうと答えたそうです。一億総中流意識はすでに過去のものになってしまって、格差社会という意識がここまで浸透しているということですね。
このことを分かりやすく警告したのが、苅谷氏ではないでしょうか。日本の教育改革のキーワードとなる、みんながハッピーになれるかのような、「ゆとり」「新しい学力観」「生きる力」「総合的な学習の時間」などに対し、本書で豊富なデータ、外国の失敗例をもとに、大いなる疑問、警句を発しています。
文部科学省の掲げる教育論は、情緒的な理想論、感情的な空論に過ぎないことが明確に指摘されています。美辞麗句で彩られた「理想の教育」というものに惑わされてはいけないことを読者に痛感させ、いまさらながら文部科学省の教育改革案の杜撰さ、洞察力の欠如が見事に浮き彫りにされています。
小中高生の子供を持つご父兄方がお読みになれば、現在の公教育を注意深く見守り、学校で何を学習してきたのか、基礎は出来ているかなど家庭でのチェックが必要になってくることを実感されるでしょう。場合によっては、足りない部分を家庭で補うといった事も現実味を帯びてきます。もはや学校では、単純に知識としての学力を付けさせることは出来なくなるという現実が突きつけられています。
本書が、親として我が子の教育環境をどのように与えるべきか、目指すべき理想の教育とは何か、そして公教育がどうあるべきかを考えるきっかけとなって欲しいという筆者の願いが多分に含まれているのではないでしょうか。たとえ子供の学力評価が多種多様になっていく時代であっても、純粋に学問、知識としての学力を正確に把握していかなければ、取り返しのつかない事態に発展してしまうであろうことが容易に想像できます。
本書はゆとり教育導入直前あたりに書かれたのですが、その目の確かさに驚かされます。すでに東大の親の収入がかなり高いということを知らしめたのも苅谷氏でした。いずれにしろ、結果の平等でなく、教育の機会の平等がしっかりと保たれるように、進める必要がますます高まっていると言えそうです。
http://tokkun.net/jump.htm
親の所得による子の教育機会の格差。
いくら公教育の充実や無料化を進めたとしても、その外側の“塾”“習い事”などの差はなくなりません。
そう考えると、この問題はどうやっても解決できないような気もします。
ただ、誰であっても“1日は24時間”な訳で、そういう“時間の使い方”の観点から答えが見付りそうに思ったりします。
例えば、イラストレーターというソフトをマスターするのに、本で入るのと、エキスパートに習うのでは効率が雲泥なのと同様なことが教育でもあるだろうなと思います。
欧米のエリートのように、エリートとして社会全体の利益を考える態度が教育のなかに実在しているなら、日本の社会の階層化もまだ救いがあるのかもしれませんが。。。
ななしのごんべえさん:本当にいつもありがとうございます。中東を読むキーワードは書名に記憶がありましたが、書店にありませんでしたので、新しい『世界のニュースがだんぜん面白くなる本』というのを買ってみました。