以下は当教室の今月号のメルマガに、私が投稿した教育コラムです。少し手を加えました。
よろしければお読み下さい。
■■■■■
『全国学力テストの利用法』
教科書問題といえば、これまで中国・韓国から指摘される歴史教科書のことでしたが、ここへ来て新しい教科書問題が持ち上がっています。教科書の二極化、格差の問題です。
来年から使われる高校2・3年生用の教科書検定に関して、朝日新聞や産経新聞などでも大きく報道されました。
高校教科書、二極化 学力格差浮き彫り (朝日新聞)
どこまで「あり」教科書の漫画多用 (産経新聞)
つまり、アインシュタインの相対性理論とか昨年のノーベル賞の対象になった研究を載せた、最新かつ高度な情報を含んだ教科書が出てきた一方で、逆にとても高校生が使うとは思えないような、易しいまんが本、絵本のような教科書が登場してきたというのです。
ある高校数学の教科書では、半分以上のページにイラストが付き、吹き出しつきのマンガまで載っています。別の教科書では、小学校で習う分数の計算練習まで付いているのがありますし、英語の教科書では、とうとう単語の読みを、カタカナで表記したものまで現われる始末です。
この教科書格差が出てきた理由は単純明快です。各社とも“売れる教科書” を作るためにしのぎを削っていることも確かです。ですが、何よりもゆとり教育で減らされてしまった授業数のせいで、分数計算などの基礎学力がさらに低下してしまい、これまでの教科書では難しくて使えなくなってしまったということでしょう。
心ある教育関係者は、アメリカ・イギリスで同様の現象がすでに現れたことを充分に承知しており、何年も前から日本での学力低下を必死に訴えてきました。ゆとり教育が導入されることに決まってからは、もう悲鳴に近い声を上げていたのです。
これまでずっと学力低下を否定し続けてきた文部科学省が、やっと学力の実態を把握しようと、この4月、40年ぶりに小6・中3を対象に、全国学力調査を実施します。あまりにも遅きに失したことは否めませんが、前進であることに違いありません。
ところが相変わらず、その調査に対し、教育の画一化、学校の序列化を招くとして、このテストを批判する声が教員組合を中心に上がっています。ペーパーテストだけでは測れない学力があるというような主張でしょう。
しかし、もしそれがいけないというのであれば、そもそも画一化の代表格、大学入試センター試験の即刻廃止を訴えるべきではないでしょうか。それならすじが通っています。
全国50万人、上から下まで、国立であれ私立であれ、同一のテストで振り分けるなど、画一化の権化のようなものです。日本中の大学受験生が同じ過去問をやり、同じ知識を吸収するように仕向けるのですから。本当に“個性”が大切だというのなら、各大学は、自分で入試問題を作れば済む話です。
“超画一的”なセンター試験をそのまま大学進学の条件として残しておきながら、公立の小中高では知識を測ることすらできないというのは実に不合理です。
とにかく、これ以上教育政策の失敗を隠すこと、生徒や教師に入試や学力に関する情報を遮断することは絶対に許されないと思うのです。
今、公立学校の先生方は定期テストの結果しか、学力の判断材料がないために、本番の入試の得点予測すら立てられず、とても進路指導ができるだけの情報を持たせてもらえません。特に一番失敗の許されない公立高校受験において、事態はもっとも深刻です。情報がなく、全くの手探りです。
本当に自分の生徒の進路を心配する先生なら、生徒の学力に関する客観情報、他校との比較した情報はのどから手が出るほど欲しいはずですから、学力テスト導入を批判する人は、進路指導についてどう考えているのでしょうか。
また通知表も絶対評価であれば、相対的な自分の学力的な位置は、父母はもちろん、本人ですら把握できていません。もちろん隣の学校との評価の違いもわからないというメチャクチャな状況が現実に続いているのです。これをすぐに直したいのです。塾に通えない生徒は情報ゼロ、完全に不公平です。
情報が定期テストしかないために、実際はできる生徒ができないと勘違いし、できない者ができると思い込んでしまい、本番の入試で失敗する例は実に多いのです。
いまだにテストに反対している人は、生徒のためではなく、自分たちが教員同士で競争させられ、学習指導の成果が客観的に比較されるのを恐れているのではないでしょうか。
テストを実施するだけでなく、きちんと都道府県別や学校別、科目別など細かいデータを公表し、少しでも塾に通っていない生徒や熱心な先生たちに自分の学力、学校について情報を与えるべきです。
そうすれば、成績の芳しくない地域や学校については、きちんと対策を立てられますから、上でご紹介したように、高校で小学校の分数の復習をするなどという事態はすぐに改善されるはずです。
まさか高校の教科書で小学生の内容を復習する教科書まで現われてきたこと、カタカナで英語を教える高校の教科書が登場したことを “多様化した” と喜ぶ教育関係者はいないはずです。
■■■■■
と強く思うのですがいかがでしょうか。最後まで、お読みいただきありがとうございました。もし記事に賛同していただければ、クリックをしていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。
↓↓↓
(2位)(1位)(2位)(6位)(お試し)
http://tokkun.net/jump.htm 【当教室HPへ】
ということで、教科書の多様化は前向きに捉えています。ゆとり教育とは無関係に、授業についてこれない層は、ある程度の割合で存在すると想像します。
日本の学校ではどのように教えているのでしょう?自分が教える立場になって、あの教科書を見ると、かなり先生の力量や副教材に左右される内容だと感じました。これでは学校やクラスによって、学習の理解度が違ってくるのではないのでしょうか。
ゆとり教育が進んだら、どんな社会になるかも体験中。(笑)小学校高学年の算数の授業で先生が「皆さん、二桁の足し算ができるようになってから中学に生きましょうね。」というくらいですから。企業でも「前年比出して。」とか「シェア出して。」といっても計算の仕方がわからない人がいると聞きました。おつりの間違いなんて当たり前だし。だけどオーストラリアは資源があるからいいんです。日本は人材=国力ですから、一人一人が力をつけないとダメですよね。
朝日新聞の記事は読みました。そうでなくても、「最近の子は歴史をマンガで勉強するのか」と思っていたのですが、高校生までとは。その先にマンガ学習を深めるモノがあれば良いのですが・・・
教育の機会均等はどこへ行った。
特に中学校の先生たちは、学校での業者模試が無くなってからかなり時間が経ちますが、無くなった当初は先生方も経験を頼りに適切な志望校を生徒に挙げることができました。
情報を持っている塾側から見ていますと、それが次第におかしくなってしまい、生徒の実力からすればとんでもない志望校を薦めるようになりました。学校には学力に関する情報が無いし、少子化もあって高校がどんどん変わっているのに追いつかなくなった印象です。
最近はほとんど内申を頼りに、前年度との比較で安全なところを挙げるのみ。私立に関しては、どの生徒にも同じようなわずかな高校名しか出てきません。情報がないのだと思います。
日本の教科書、今回の記事は高校を取り上げましたが、ゆとり教育で学習内容が3割減らされただけでなく、小学校の算数では7割ちかく、練習問題が減っているんです。百マスの陰山先生もそれを危惧しているわけです。
ご指摘の通り、教科書だけでは基礎力が身に付かないので、必死に教材作りに励んでいる先生方も時々取り上げられますね。
確かに教科書が薄くなって(厚さも中身も)、一見これなら誰でもできそうだと思う人が多いのですが、教科書の記述を易しく、少なくすればするほど実は理解しにくい面があるということを見落としてはいけませんね。
“易しくするとわからなくなる” というパラドックスのようなものです。
歴史などその最たるものかもしれません。つながりを省かれて、事実の羅列に近くなるわけですから、面白みも欠けるし、流れが頭に入りにくいんです。例えば昭和天皇抜きの2.26事件では教える方も大変だろうと思うわけです。
よく聞く感想が、歴史の教科書を読んでいると、日本はいきなり戦争を始めたような印象を持つ、というものですね。
歴史に限らず、学問全般だと思うのですが、多少難しく思えるようなもの、枝葉のように見えるものに触れていくことで、その本質なり、全体像なり、基本中の基本なりを理解するというようなことが、もっと考慮されるべきだと思っているんです。