日立中央研究所庭園内の大池
ねえ、誰かが言ったよ。
ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね。
「1973年のピンボール」/村上春樹
ネット友達のNASCIさんのお誘いで、11/20の日曜日、NASCIさんが主宰するコミュニティ"村上春樹的世界"が企画した"「世界の終り」のお散歩~君なら南のたまりに飛び込むか?"に参加させていただいて、この日一般開放された国分寺の日立中央研究所の庭園から小金井の野川公園に至る散歩を楽しみました。
国分寺駅南口(右上)に集合したメンバーは17名、夢読みとなり日の光を見ることができなくなった僕は、黒いガラスの入った眼鏡をかけました。
日立中央研究所の庭園は、春の桜の開花と秋の紅葉の時期にそれぞれ一日だけ公開されています。所内は予想以上に広くて、東京ドームの約5倍もの敷地があり、約27,000本の樹木があるそうです。
周囲約800mの白鳥が泳ぐ池は、構内の湧き水が流れ込んだもので、あふれた水が四方を囲む高い壁を潜り抜け、野川の源流の一つとなっています。
門が閉ざされた時、この世界の終りから逃れ外の世界に至るには、南のたまり(左上)に飛び込むしか術(すべ)がないのです。
秋の花が野原を彩り、木々の葉は鮮やかに紅葉し、その中央に波紋ひとつない鏡のような水面のたまりがあった。たまりの向うには白い石灰岩の崖がそそり立ち、そこに覆いかぶさるように煉瓦の壁が黒くそびえていた。たまりの息づかいをのぞけば、あたりはひっそりとして、木の葉さえみじろぎひとつしなかった。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」/村上春樹
国分寺駅の立川寄り、JRと西武線が分かれる部分の三角地帯に家が建っていました。若くて結婚したばかりだった僕と彼女は、玄関の戸を開けると目の前を電車が走り、裏側の窓を開けるとそれはそれでまた別の電車が目の前を走っている家賃の安いその家に2年住んでいました。
冬が終わると、春がやってきた。春は素敵な季節だった。春がやってくると、僕も彼女も猫もほっとした。四月には鉄道のストライキが何日かあった。ストライキがあると、僕たちは本当に幸せだった。電車はただの一本も線路の上を走らなかった。僕と彼女は猫を抱いて線路に降り、ひなたぼっこをした。まるで湖の底に座っているみたいに静かだった。
「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」/村上春樹
ランチは国分寺駅南口から小金井方向に5分ほどの「ほんやら洞」でカレーを食べました。食べた後で唇がひりひりしたけど、おいしかった。「ほんやら洞」は、70年代のカリスマ歌手で、現在も活動している中山ラビさんの店で、1974年、25才で作家デビュー前だった春樹さんは、この店のすぐ近くのビルの地下にジャズ喫茶「ピーターキャット」を開店しています。
ジャズという音楽にあるときふと魅せられて、それ以来、人生の大半をこの音楽とともに暮らしてきた。僕にとって音楽というのはいつもとても大事なものだったけれど、その中でもジャズはとくべつな位置を占めているといってもいい。ある時期にはそれを仕事にまでしていたくらいだ。
「ポートレイト・イン・ジャズ」/村上春樹
"ハケの道"を歩き、途中の貫井神社にお参りをして野川の河川敷に到達、ワインを飲んで一休み。美食家の鴨はクラッカーなど見向きもしなかった。
"ハケ"とは、国分寺崖線(がいせん)の通称で、この崖線(がいせん)は、昔の多摩川が武蔵野台地を侵食してできた、世田谷の等々力渓谷まで約25km続く河岸段丘です。貫井神社の裏や、そこここからの湧き水は、武蔵野台地に降った雨が関東ローム層を通過し、その下の武蔵野礫層に貯められ、地下水となって国分寺崖線に沿って噴出したものです。
武蔵小金井のカフェ「broom&bloom」でチーズ・スフレを食べて小休憩。それから近くのお屋敷の庭を見学させてもらいました。ハケの湧き水を貯めた池には鯉やら金魚が泳いでいました。ハケの道沿いには、春樹さんのエッセイ「日本マンション・ラブホテルの名前大賞が決まりました」に登場するマンション「ボヌールはけのみち」が建っていました。
小金井には「ボヌールはけのみち」というマンションがあるという報告もきています。いったいボヌールって何だ? はけのみちって何だ?
「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」/村上春樹
お屋敷を出てハケの道沿いに歩き、美術の森の脇を通って武蔵の公園のくじら山を経て、本日の散歩の最後の目的地の野川公園に着いたときには夕闇が迫っていました(右は別の日に撮った野川公園)。
今は国際基督教大学(ICU)のキャンパスになっている丘には、かつては屋外エスカレーターがついたゴルフ場があり、僕と双子の姉妹は近くのアパートに住んでいました。
僕はテニス・シューズをはき、トレーナー・シャツを首に巻いてアパートを出ると、ゴルフ場の金網を乗り越えた。なだらかな起伏を越え、12番ホールを越え、休憩用のあずまやを越え、林を抜け、僕は歩いた。西の端に広がった林のすきまから芝生に夕陽がこぼれていた。
そして小川にかかった小さな木の橋をわたり、丘を上ったところで双子をみつけた。双子は丘の反対側につけられた露天のエスカレーターの中段あたりに並んで座り、バックギャモンで遊んでいた。
「1973年のピンボール」/村上春樹
本日の散歩は、西武多摩川線の新小金井駅まで歩いて解散となりました。この後吉祥寺の「ハモニカ・キッチン」で行われた二次会「あしか祭り」には、用事があって参加できず残念でした。
皆と別れ、夢読みの資格を失い、影をも失った僕は自分が宇宙の辺土に一人で残されたように感じられました。
僕はもうどこにも行けず、どこにも戻れなかった。そこは世界の終りで、世界の終りはどこにも通じていないのだ。そこで世界は終息し、静かにとどまっているのだ。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」/村上春樹
(参考)
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NASCIさんのサイト「サロン・ド・カフカ」
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日立中央研究所庭園HP
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カフェ「broom&bloom」HP
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武蔵野公園HP
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野川公園HP
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美術の森 中村研一記念美術館(NASCIさんのHP)
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国際基督教大学(ICU)HP
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1973年のジャズ喫茶(メインサイト)
(地図情報)
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ほんやら洞
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三角地帯と中央研究所庭園の大池
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国際基督教大学(ICU)
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